第8話 石鹸作り

「ねぇ、カシス。石鹸ってどうやって作るの? 」

「石鹸? なんでそんなこと」


 この世界では、一ヶ月に数回、汚れたら洗うという程度で、風呂に入るという習慣はないらしい。そのせいで臭いはまぁ……。


 館の女達は男性相手にからむ職業である為、なるべく清潔にというミモザの方針で、娼婦や見習いに関わらず週に一回(それでも毎日じゃない?! )水浴びが義務づけられている。

 そう水浴び!

 この世界には、温かいお風呂につからないのだ! しかも、季節に関わらず使うのは井戸水。かなり冷たい。拷問以外のなにものでもない!!

 そりゃ身体なんか洗いたくならない筈だ。


 という訳で、私がまず真っ先にしたのはお風呂作りだった。職業柄、絶対に清潔にした方がいいに決まっている。


 ミモザに大釜を用意してもらい、それ用の釜戸を作って五右衛門風呂のような物を作ったのだ。

 新手の拷問の道具かい? と笑われながら、カシスに手伝ってもらい、なんとか作り上げた。一番風呂はまず自分で入り、安全であることを示し、カシスにも入ってもらった。カシスの極楽そうな表情と、ホカホカ湯気の上がる身体を見て、次から次へと入りたい!! と手が上がった。

 今では、毎日大釜に湯がはられない日はなく、誰かしら入浴を楽しむようになった。


 おかげで、あの甘ったるい香はあまり焚かれなくなったのはいいのだけれど、そうすると今の石鹸じゃ満足できなくなったのだ。


 基本、石鹸に臭いがない。いや、どちらかというと油臭い臭いがある気がした。これを何とかしたかった。


「だって、これいい匂いじゃないんだもの」

「いい匂い? 何言ってんだよ」

「あたし、知ってるわ」


 今は髪を結う練習をしており、カシスにまず三つ編みのやり方を教えていた。その練習台になってくれていた少女が手を上げる。彼女はイライザの部屋つきだった少女で、紫色の髪の毛で碧色の瞳を持った少女だった。イライザの部屋で会ってから、何かと私やカシスによくしてくれていた。この世界、この職業では心配になってしまうくらい人がよく控え目な少女だった。名前をアイラという。


 頭を動かすなと、カシスに厳命されていた為、かなり良い姿勢で真っ直ぐ手を上げていた。


「本当? 」

「ええ、地元の村では石鹸作りの木材を伐り出す仕事をしていたから」

「木なの? 」

「木を燃やして出た灰汁と、塩を少々、動物の油と混ぜて煮るの。それを冷やして固めればできる筈よ」


 動物の油……だから油臭いのか。

 植物の油、椿油とかオリーブ油とか、そういうので作れないかしら? オイルにドライフラワーとかで匂いづけしたら、良い香りの石鹸になる筈よね。


 石鹸なんか作ったことはなかったが、改良の余地があるとふんだ。しかも、ドライフラワーで匂い付けした植物油を風呂に入れれば、肌の保湿や匂い付けにもなるだろうし、うまくいけば香水もどきも作れないだろうか?


 こんな時、スマホで検索! とかできないのがイライラする。


「ディタ、三つ編みできたけど……」


 一人でブツブツ言っている私を胡散臭そうに見ながら、カシスが出来上がった三つ編みを示す。


「上手! 次は編み込みね。まず基本の編み込みから」


 思った以上にカシスは器用で、最初は形が揃わなかった三つ編みも、数十分でマスターできた。しかし、編み込みには四苦八苦しているようで、手がつる! と叫びながら猛練習し始めた。


「アイラ、その石鹸の材料になる木材だけど、簡単に手に入るのかしら? 」

「そりゃ、ここから出れさえすれば」

「油がとれる植物の実とか……は?」

「油っぽい果実? よくお酒に入れるやつかしら? 市場に行ければ手に入るわ」


 まずはここを出れないとか……。


 ミモザに交渉して、外出を許してもらえるだろうか? 何よりも、それを買える硬貨を持っていない。


「石鹸を作りたいの? 」

「ええ、いい匂いのする石鹸を作りたいの」

「匂いのする石鹸?! 」


 アイラが振り返ってしまい、カシスは苛立ちながらミシャの頭を叩く。


「もう! 動かないでよ」

「ごめんなさい」


 アイラは年下格下のカシスに怒鳴られても、さして怒った様子でもなく、また前を向いた。


「ほら、男の人って匂いに弱いでしょ? いい匂いをさせたら、フラフラって近寄ってくるって言うか、五感に訴えた方が記憶にも残りやすいと思うのよね。記憶に残れば、また呼びたいって思うんじゃないかしら」

「五感って? 」

「視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚よ。見た目の美しさ、たくみな話術、柔らかな肌触り、魅惑的な香り、味覚はまあ……」


 身体に口を寄せれば味覚も刺激されるだろう……とは口に出せなかった。


 視覚と嗅覚における大幅アップを試みようという訳だ。


「よくわからないけど、それは売上アップに繋がるのね? 」


アイラは、私達が自分達の自由を買う為に、売上アップを目指していることを知っていた。


「そうだといいと思っているわ」

「なら、イライザ姉さんに相談してみてもよくてよ」

「本当? 」

「ええ。ただ、イライザ姉さんに一番に融通するように言われると思うけど……」

「そりゃもちろん」

「なら、イライザ姉さんの買い出しに行く時に買ってきてあげる」

「お金が……」

「イライザ姉さんに借りるわ。現物支給で返せばいいと言ってくれるでしょう」

「なら、ドライフラワーも」

「ドライ……何? 」

「乾燥させた花よ」

「ああ、廁の芳香剤ね」


 そういえば、トイレに茶色い粉みたいな物が入った器が置いてあった。あれはドライフラワーだったのか。


「できるばいっぱい。特に良い香りの物を」

「了解したわ」


 石鹸……作れるかしら?


 ★★★


 後日、材料が揃い、石鹸は試行錯誤の上見事に出来上がった。アイラの知識がなければ出来なかったかもしれない。ついでにフレグランスオイルも大量にできた。

 香水として身体に付けてもいいし、お風呂に入れてもいい。

 お肌に優しいから、より肌触りが良くなることだろう。


 試作品をまずミモザの元に持って行った。


「あの、これを作ったんだけど、見てもらえる? 」

「なんだい? 厨房を貸して欲しいって言っていたね。菓子でも作ったのかい? 」


 私は、ミモザの机の上に、出来上がった石鹸を置いた。


「石鹸じゃない……か? 」


 ただの石鹸と思いきや、素晴らしく良い香りがして、ミモザは驚いた表情で石鹸を手に取った。


「なんだいこれ? 」

「作りました。いい香りでしょ?ほら、私の手の匂い、嗅いでみてください」


 手を差し出すと、ミモザは石鹸と私の手をしばらく見比べていたが、胡散臭そうにしつつもクンクンと私の手に鼻を寄せた。


「……いい香りだ」

「でしょ? この石鹸を使ったんです。あと、髪の毛も匂い嗅いでみて」


 今度は悩むことなく、私の頭に鼻をつけるくらいな勢いで匂いを嗅ぐ。


「なんだい、これもこの石鹸かい?! 」

「これはですね。じゃじゃーん、こっちのシャンプーです」

「シャンプー? 」

「頭を洗う石鹸ですね。」


 実は石鹸を作ろうとした失敗作で出来上がったのだ。うまく固形にならなかったが、液体石鹸のようにしっかり泡立って汚れがとれ、オイル成分が多めな為、しっとりと洗い上がるのだ。

 油分が少なくパサつきやすいこの世界の人達にはとてもむいていた。


「手触りもいいじゃないか」

「どうです。これを使ったら、男の人が虜になると思いません? 」

「……なるだろうよ。この匂い、この手触り……」


 私の頭に顔を埋め、大きく深呼吸してホーッとため息をつく。


「この作り方は私とカシスしか知りません。ミシャに材料を調達してもらったから、材料は知られてるけど、調合方法は知られていないです」

「つまり……? 」

「私達が作る石鹸を皆に提供します。売上アップに貢献できる筈だから。でも、みんなに作られちゃうと、うちだけの差別化ができないから、調合方法は秘密。石鹸を作る特別な部屋を提供して欲しいんです。誰にもばれないように。あと、材料も」

「差別化……」

「そうです。髪型なんか、いづれ真似されるわ。うちがやり始めたら、見よう見真似で似たようなことをし始める娼婦達がでてくるかもしれない。だから、より差別化しないと売上アップを持続なんかできないわ」


 ミモザは、娼婦から今の地位まで成り上がってきた叩き上げだ。もちろん、娼婦時代からの後援者がいたからできたことでもあるが、それなりに酸いも甘いも噛みしめ、商売に対する千里眼のようなものを持っていると自負している。

 そんなミモザが、これはいける! と直感するとともに、たかだか十歳の貧民層出身の娘が、こんな物を作り上げ、経営戦略を語るのを見て、背筋に冷や汗が流れるのを感じていた。



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