第5話 美容師と経理! 両立してみせます

「待ってください! 私、この娼館の美容師になります。みなさんを綺麗にして、それでもし売上が上がったら、その半額を足抜けの費用にしてください」


 三人が私に視線を向けた。少女は青い顔をし、口をパクパクして私の方へ手をのばしている。何かを私に伝えたいような、そんな雰囲気だ。しかし、ミモザは気にかける様子もなく、私に聞き返す。それを見て、より少女は目を丸くした。


「つまり? 」

「この娼館の売上が年間大金貨二枚なら、二倍になれば四枚。三倍で六枚。余分に上がった売上は、私がみなさんを綺麗にしたからということで。……その余分な分の半額、……つまり二倍なら一枚、三倍なら二枚ですね。七枚を四年で稼ぐには……売上三倍を三年半持続させればいいんですね」

「まあ……あんたずいぶんと計算が早いわね。あたしにはさっぱり言っている意味がわからないけど。ミモザ母さん、わかる? 」


 イライザに問われ、ミモザは頬をひきつらせている。明らかに理解していない顔つきだが、それがわからないというのは矜持に触れるのだろう。


 いや、ただのかけ算だし……。

 もしかして……。


「ねえ、あなた、2+9は? 」


 少女に聞くと、もたもた指を折っていたが、両手で足りなくなると首を振ってしまう。


「あんた、わかるの? 」

「11」

「イライザ、どうだい? 」


 イライザは、紙に線をひいてそれを数えた。


「お母さん、当たってるわ」

「まあ……。この子は天才だよ」


 思わずズッコケそうになり、マジですか?! と皆の顔を見回したが、その顔つきは至極マトモなものだった。


「じゃあ、大金貨五枚入った箱が十二個あったら? 」


 それはただのかけ算だ。


「母さん、それは意地悪過ぎ……」

「60」

「え? 」

「ですから、5×12で60です」

「かける? 何それ」


 この世界には数学はないのだろうか?

 一応大学受験したし、最終学歴は大学だけど、微分積分だなんだとかは記憶にない。まあ、中学レベルはなんとか……という感じではあるが、もしかするとこの世界では天才?!


「母さん、正解は? 」

「ちょっと紙をお貸し」


 ミモザは十分くらいかけて紙に線を引き、ああでもないこうでもないと数を数え、やっと私と同じ答えを導きだした。


 こんなのでは、取引とかで相手にごまかされてもわからないのではないだろうか? 第一、売上が大金貨一枚と言っていたが、本当にそれは正しいのか、ざっくりした勘定である可能性は高い。きちんと経理がいるのか……?


「ミモザ母さん、とんだ拾いものだわ」

「ああ、こりゃ、この子一人で大金貨五枚以上の価値がありそうだ」

「あの……もし良かったら、経理もやりましょうか? もちろん、それは別口で」

「経理? 」

「お金勘定です」

「それはミモザ母さんの仕事だわ」

「いや、見てもらえればありがたい。あたしは計算は苦手で……」


 ミモザと同等に話している私を見て、少女は憧憬の眼差しを私に向けていた。


 美容師に経理の仕事。

 自分から仕事を勝ち取ったのは、三十年生きてきて初めてだった。いつもなんとなく、言われるままに仕事をこなして、持ち前の愛想の良さで乗り切ってきた。


 でも、この世界では言われるままに生きていたら、最終的には変態の餌食になって終了してしまう。それじゃあダメだ!

 ガツガツ前に出て、やれることは何でもやって、楠木絢の記憶を総動員しないと生き残れない。


 私はこの時、何でもやってやる! と意気込んでいた。


 ★★★


 ミモザの私室に移動し、去年分の売上帳を見せてもらい、頭を抱えてしまう。


 まず、当たり前だが、字が読めない。

 数字はローマ数字に限りなく近かった為、すぐに理解することができた。

 それにしても、支出と収入がごちゃ混ぜに書いてあり、解読するのが一苦労だ。

 一つ一つ読み方や用途を教えてもらいながら、自分なりの出納帳を作ってみる。そうしている間に、なんとなく文字を理解し、書けるようになってきた。基本、ローマ字のような組み合わせで、漢字とかない分わかりやすいのだ。


「あんた、本当に頭がいいんだね」


 ミモザが感嘆したようにつぶやく。最初は書けも読めもしなかった文字を、一時間もしないうちにスラスラ書いているのだから。

 たまに鏡文字のようになってしまい、ミモザに注意を受けたが、多分ディタであった時の記憶に、文字を見た記憶があったのかもしれず、それとローマ字を擦り合わせて理解することで、驚異の速さで文字を習得できたんだと思う。


 このあたりはさすが十歳の柔軟な脳ミソ! と、頭の柔らかさを自分で大絶賛した。


「はあ……。こうやって書くんだね。確かに、わかりやすい」

「ちなみに、お金の価値を教えてください」

「銅貨、銀貨、小金貨、大金貨があるね。銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で小金貨一枚、小金貨だけは十枚で大金貨一枚だよ」

「百、百、十ですね」


 すぐに理解し、硬貨別に計算し最後にまとめて計算する。


 収入……大金貨三枚、小金貨三枚、銀貨三百五十一枚、銅貨三十二枚。

 支出……大金貨一枚、小金貨五枚、銀貨二百十枚、銅貨五枚。

 売上は……、すぐに計算してミモザに告げた。


「売上は収入引く支出。去年の売上は、大金貨一枚、小金貨八枚、銀貨百四十一枚、銅貨二十七枚です」

「おかしいね? 手元には大金貨一枚と小金貨七枚しか残らなかったよ」

「この計算は? 」

「する訳ないじゃないか」


 本当にどんぶり勘定だ。


「今日からは、私が毎晩計算します。売上と支出を細かく提出してください! 」

「はあ……めんどくさいね」


 ミモザはすっかり私を信頼したのか、ただ単に面倒なだけか、私に睨み上げられてわかったよとつぶやく。


「なら、あんたの部屋をあたしの部屋の隣りに用意させよう」

「部屋? カシスと同じじゃないんですか? 」

「地下の集合部屋かい? あそこじゃ、満足に明かりもないからね、計算するのに不向きだよ。それに、誰にも彼にもうちの内情をばらしていいもんでもない。まあ、あんたみたいに理解できる娘がいるとも思えないがね」

「私は、カシスと同じがいいです」


 ミモザはびっくりしたように私を見ると、大声で笑った。


「全くたいした娘だ。部屋持ちになるのだって破格なのに、部屋付きまで要求するとは?! 」


 私はミモザの言っている意味が理解できず、それでも強気を通すべきと判断した。


「美容師には手伝いが必要です。この館には、何人女性がいるんです? 」

「そうさね、働ける娘だけで五十人ってとこだ。見習いも同じくらいいるかね」

「なら、五十人の髪を毎日結うのは、私だけじゃ無理よ」

「そりゃそうだろうさ。第一、一人一日で最低でも三人は客をとるからね。毎回髪を結う必要があるだろ」

「あと五人、見習いが欲しい。カシスは私の姉だもの。きっと同じように器用な筈よ」


 ミモザは少し考えたようだが、ゆっくりとうなづいた。


「しょうがないね、了解した。しかし、それ以外の娘はあたしが選ぶよ」

「ええ、もちろんかまわないわ」


 ミモザはホトホト呆れたように私を見ると、手を叩いて少女を一人部屋へ呼んだ。


「隣りの空き部屋にこの子を連れてお行き。あと、この子の姉……」

「カシスよ」

「カシスもそこへ。二人が住めるように部屋を整えるんだよ」


 少女は、最初何を言われたか理解できなかったのか、ポカンとミモザと私を交互に見ていたが、ミモザにイライラと「早くおし!! 」と叫ばれて、飛び上がって部屋を飛び出していった。


「こら! この娘も連れて行くんだよ!! 」


 少女は慌てて戻ってくると、私の手を引いて再度部屋を飛び出した。

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