第4話 足抜けはご法度
「それをあたしに聞くのかい? 」
私は真剣な瞳でミモザを見上げた。身分の差のない世界で生まれ育った私は、身分の下の人間が上の者に対して視線を合わせたらいけないとか、自分から話しかけてはいけないなどという、この世界の当たり前の常識を知らなかった。
「本当に生意気な子だ。あんたみたいな子はいないよ。全く、これで黒髪の醜女じゃなかったら、その気性なら上も狙えただろうに」
気性が激しい訳ではなく、ただたんにこの世界の常識を知らないだけなのだが、ミモザには私は気が強く気位の高い少女に写ったらしい。
「はあ、残念だ。顔はまあ普通なのに、髪色がね……」
自分の顔が見れない私は、黒髪の醜女と聞いて、比較的整った顔の多いこの世界で、唯一見た目が優れない(自分で自分を不細工とは言い難い)のでは? と、テンションが下がる思いだったのだが、どうやら醜女の大部分は髪色に由来しているらしいと理解した。
「そんなのはいいから、私とカシスがここから出る方法はあるのかと聞いてるんです」
ミモザは頭を振って諦めたように話し出す。
「全く……。足抜けは厳禁だよ。あんたらは大金貨五枚で買った。これからの生活費や教育費を考えると、大金貨六枚いや七枚……が妥当かね」
「そんな……」
この世界のお金の価値はわからないが、金貨に大小ある時点で、大金貨の価値がわかるというものだ。しかも、人一人買えてしまう価値を持つのだから、大金貨七枚なんて、大豪邸を買うくらいなんじゃないだろうか?
「ちなみに、大金貨一枚の価値は? 」
「なんだい、そんなことも知らないのかい。まあ、あんたらみたいな貧民には、小金貨ですら一生かかっても見ることすらないだろうがね。大金貨一枚は、この館の女達の半年から一年間くらいの稼ぎさ」
娼婦一人ではなく、娼館の一年分の稼ぎ……。というか、半年と一年じゃ倍違いますけど。
「そうだね……。あんたらがそれだけ稼ぐのは、ババアになっても無理だろうさ」
「他には? 」
「他かい? 」
「そうよ、金貨七枚稼ぐ意外の方法はないの? 」
ミモザがじっと私を見る。
「……。まあ、とりあえずこっちにおいで」
ミモザはある部屋の前にくると、ドアをノックして開けた。
「ミモザ母さん。今日はお休みの筈ですけど」
部屋の中にいたのは、銀色の長い髪を腰まで垂らした綺麗な女性だった。肌はぬけるように白く、蒼い瞳は光の加減により青にも緑にも見える。
椅子に座り、片肘をついて窓から外を眺める様は、まるで絵画から抜け出してきたような美しさだった。その横で、これまた美しい少女がウチワのようなもので女性を扇いでいた。
「イライザ、休み中すまないね。ちょっとこの子に髪の毛をいじらせてみてくれないかね」
「髪? 」
イライザと呼ばれた女性は、素直に椅子に座ったまま後ろを向いた。
「あんた、イライザの髪の毛を今日あんた達がやったようにしてごらん」
「髪を結えばいいんですね」
「髪を結う……って言うのかい」
そう言えば、セリの最中に見かけた人々も、この館ですれ違った人々も、みな長い髪を垂らしたままで、アップにしている人はいなかった。
こちらには、髪を結うという習慣がないんだろうか?
よく見ると、元がいいから気がつかなかったが、ミモザもイライザも化粧すらしていない。
「じゃあ、失礼します」
髪の毛は、娼館に入った時に嗅いだ甘い匂いと体臭が混ざり、あまりいい匂いとはいえなかった。セリの会場で渡された石鹸、まるで洗濯石鹸のようで泡立ちもなく良い匂いすらしなかった。あんなのしかなかったら、そりゃ香を焚きしめたくなるかもしれない。
ただ、その香も甘ったる過ぎて、良い香りとはお世辞にも言えない代物だ。
「髪の毛、とかしますね」
ブラシで丹念にとかすと、より銀髪は艶っぽくうねった。
顔を目立たせる為、細かい編み込みを何個も作り、それをまとめてクルクルっと巻き上げた。ブローチのような物がテーブルにおいてあったので、それを簪がわりに差してとめた。
「これ、この簪を抜けば、すぐにほどけますから、いざって時に髪をほどく手間はかかりません。ゆるめの編み込みですから、頭を振ればほどけると思うし」
「いざって時? 」
私は赤くなってうつむきながら、ゴニョゴニョつぶやく。
「男性の……その……相手をする時ですかね」
「ああ。確かに、ゴテゴテした衣服を着こんで、ベッドの中で脱ぐのに四苦八苦しては、殿方はさめてしまいますね」
イライザはニコリと笑い、机の上にあった鏡を手にとる。
鏡、あるんだ。
壁に鏡とかかかってなかったから、鏡がないのかと思っていた。さりげなくイライザの持つ手鏡を覗き込んでみると、100均で売っているような少し歪んだ感じで、もう少し面が荒い。鏡の表面にヤスリをかけたように、うすぼんやり見えた。
初めて自分の顔を見たが、黒髪に茶色い瞳、そんなボヤッとしか見えない鏡でも、顔つきはカシスに似て整っていると思う。日本人であった時も、中の上、もしくは上の下くらいの立ち位置にいたと自分では思っているが、今の顔はアイドル並みと言っても過言ではない。
こんなに可愛いのに醜女だなんて……。
「鏡が珍しい? 」
思わず鏡に見入ってしまい、イライザに声をかけられて鏡越しに視線が合った。
「あ……いや、ごめんなさい」
「鏡は珍しいものね。それにしても、こんなふうに髪の毛をいじるなんて、考えもしなかったわ」
「そうだろ? イライザの小さな顔がより小さく、大きな目がより大きく見えるじゃないか。しかも、すぐほどけるというのがいい。帯は固く結ぶな……これがうちらの鉄則だからね」
そういえば帯、ただ固結びのように縛っているが、もっと可愛く結ばないんだろうか?
蝶々結びならほどきやすいし、和服の帯のように色んな結び方があってもいいと思った。
ただ、私が知っていてできるのは浴衣の帯の結び方と、そのアレンジしたやつくらいだけど。
「この子は小さいけど娼婦がわかってるね」
ミモザが感心したようにうなづく。
そりゃ、向こうの世界では三十歳のいい大人ですから、このての職業の想像くらいはつく。
「それにしてもあんた、頭を結う? そのやり方、さっきのと違うけど、何パターンもあるのかい」
「まあ……私は美容師じゃないから、そんなには知らないけれど」
「美容師ってなんだい? 」
「髪の毛を切ったり、髪の毛をセットしたり。美容にかかわる仕事のことです」
「赤ん坊でもないのに、わざわざ髪の毛を人に切ってもらうのかい?! 」
驚いたというように目を丸くするミモザは、ちょっと間を置いてイライザの肩に手をかけ、椅子からどくように言うと、自分が椅子に座った。
「あたしの髪の毛を切ってみな」
「だから、私は美容師じゃないから……」
「いいからおやり! 」
怒鳴られて途方にくれてイライザを見ると、ニコリと笑って小型のナイフを差し出してきた。
しかもナイフ?!
鉛筆すら削ったことないし。
ミモザに睨まれ、渋々ナイフを受け取ったが、切る前に髪を丹念にとかした。そうしながら、髪の毛の状態を観察する。この世界では癖っ毛が多いからかあまり気にならないが、よく見ると毛先はバラバラだ。
「あの、いつもどうやって切ってます? 」
「普通だよ」
ミモザは髪を一つにつかみ、ナイフを当てて切るふりをした。
だから左右も揃っていないし、長さも微妙なのか?!
従姉妹の子供の髪の毛は切ったことはあった。従姉妹がパッツンに切ってしまい、金太郎さんみたいになってあまりに可哀想だったから、なんとなく見映えよく切ってあげたら大喜びし、いまだに会う度に切ってとせがまれて……、あぁ、もう切ってあげれないんだ。
私は心の中でため息をつく。
彼女も今年十歳、今の私と同じ年か。……あり得ない。
「ディタ! 早くおし!! 」
「はい! その前に、切った髪の毛が身体にかかってしまうので、何か大きな布みたいなものはありますか? 」
イライザを扇いでいた少女が、ベッドからシーツを剥ぎ取って持ってきた。
「これでいいかしら? どうせこれから洗濯するものだから」
「ありがとうございます」
そのシーツでミモザをクルムと、衣服の襟にシーツを挟み込みとめた。
ナイフをあてて、そぐように髪を切っていく。左右の長さを合わせ、前髪も作った。面長でギスギスした表情がやや幼くなる。
「これは? 」
ミモザは前髪を引っ張る。
「前髪です」
「前髪?! 」
前髪を作るという文化がないのか?! と、私はかなり慌てた。こんなに短くして! と怒られると思ったのだ。
「前髪ね……」
鏡を覗き込み、フーンとうなづく。
あまり怒ってはいないらしい。
それからチャッチャと髪をそぎ、全体的に長さを合わせて終了とする。
大人の髪の毛は初めて切ったが、ハサミでなくナイフだったのが良かったのかもしれない。肩ちょい下のレイヤーもどきな髪型ができあがった。
「凄いわミモザ母さん、十歳は若く見えてよ」
イライザは驚いたように前から後ろからミモザを見る。
「母さん、この子をあたしの専属にしてちょうだい。きっと、売上が倍になるわ」
「フム……」
床に散らばった髪の毛を掃いていた少女が、ギョッとしながらイライザを見る。しかし、文句を言うことなく涙を浮かべて下を向いてしまう。
私がイライザの下に入ると、きっとこの子を追い出してしまうことになるのだろう。そう思った私は、とんでもない提案をしてしまった。
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