第3話 ミモザの館
連れてこられたのはVIP用の商談室なのか、内装がゴージャスなわりと広めの部屋だった。中に入ると、壁際に立っているように言われる。
カシスが青い顔色のまま、私だのぐちゃぐちゃにされた髪の毛を手でほどいてくれた。
「カシス、ミモザの館って? 」
「有名な娼館だよ。客は王族貴族のみっていう」
「娼館……」
それは、いわゆる性風俗のお店にってやつか。
思わず顔がひきつる。
何せ、実は元からその手の行為は好きではなかった。不感症……とまではいかないのだろうが、彼氏の前では感じたふりをし、特に拒絶をしたこともなかったが、できればお断りしたい行為であった。好きな人とさえそうなんだから、知らない人との行為なんか耐えられる気がしない。
しかも、今は十歳の身体。
つまりは、おそらくバージンだろう。初めてを二度も経験するなど、何よりも地獄だ。
私の初めての記憶、思い出したくもないくらい最悪で痛みしかない。
しかし、カシスは荷馬車の中で、高級娼館に売られれば御の字と言っていたのではなかっただろうか?
つまりは、そういうことをしなくてはならないが、生きていくだけを考えれば、売られ先としては良かったということでは?
そのわりには冴えないカシスの表情が引っ掛かる。
「ねぇ、カシス……」
そのことを聞こうとした時、扉が開いて赤ら顔の男と、私達をセリ落とした女が入ってきた。
二人は私達に声をかけることなく、豪華なソファーに座って商談を始めた。
「まず、金貨を渡す前をに確認しておきたいんだがね、もしやと思うが、奴隷印やその他傷はついてないだろうね。傷のある娘は買わないんだ」
「そりゃもう! おまえら、洋服を脱いでお見せしろ! 」
カシスは、握っていた私の手を離して衣服を脱ぎ捨てる。
私もしないといけないのかと、腰紐に手をかけた時、女が素っ気ない声で言った。
「あんたはいい。売り物にゃならないから」
つまりは、最初からカシスのみの値段ということだろうか?
私はおまけ。ただの抱き合わせ商品ということか。売り物にならないと言われてホッとした反面、女としての矜持が刺激され、つい睨み付けるように見てしまう。
「ふん、いい目はするじゃないか。でも、黒髪はいただけない。あんた、傷はないようだね。まだ売りにだせる身体じゃないが、まあいいだろう。さあ、衣服を着な」
カシスは女から目をそらしながら衣服を着て、私の手を強く握った。
「ディタは下働きに……」
「それを決めるのはあたしだ」
カシスが強く唇を噛む。カシスにしたら、最大限の勇気を持って口を開いたのだ。
この世界では、身分の下の者が上の者に口をきくのは不敬として、どんな罰を受けても文句を言えなかった。
「この子を生かしておきたいんなら、あんたがトップを目指すんだね。あんたのが先に御披露目になるんだから、せいぜい頑張って、妹を部屋付きにできるくらい出世するこった」
意味がわからず、カシスのことを見上げる。
「わからないって顔だね。うちは高級娼館。お得意様は王族貴族さ。その為に、売りにだせる十六まで、きっちり行儀作法から男の悦ばせ方まで叩き込むんだ。けどね、上の方々の中には、色んな趣味の方がいらっしゃるからね。その要求にも答えなきゃならない。つまりは、使い捨ての娼婦も必要ってことだ」
「使い捨て? 」
「ああ、だいたいは一晩で使い捨てられて、川に流される。それが嫌なら、先に娼婦になる姉が部屋付きを指名できるくらいの上級の娼婦になるこった。部屋付きになれば、下級娼婦になることはないからね」
つまりは……。
想像したくない恐ろしい一夜を過ごし、生きて帰る娼婦はいないということか。
自分の将来がそうなるのかと、私の身体はガタガタと震えた。
そんな私の肩を抱き、カシスは強くつぶやく。
「……あんたを殺させはしない!! あたしが高級娼婦になるよ」
私もカシスの手を強くつかんだ。
「やる気があるのはいいこった。……ところで、あんたのその髪の毛、どうなっているんだい? 」
女は、カシスの頭を覗き込む。
「ディタがやったから、あたしはわからない」
「ふーん……そう」
女の目が、値踏みするようにカシスの頭と私を交互に見て細くなる。
「じゃあ、あのライラとかいう子ね頭も? 」
「はい。ライラは? ライラはどこに売られたの? 」
「あんたらは、あたしの問いに答えるだけだ。自分から口を開くもんじゃない。でも、いい。教えてやろう。あたしも鬼じゃないからね。あの子は貴族に買われたよ。下働きにしちゃ高いから、愛妾にでも育てるつもりかね。商売あがったりだ」
金銭の授受が終わり、売買契約書にサインする。カシスと私の指紋も捺印させられた。
「これであんたらはミモザの館の商品になった訳だ。いいかい、たんまり稼いでもらうからね。あたしはミモザの館の女主人ミモザ。みな、ミモザ母さんと呼ぶよ」
母さん……温かいイメージの母親とは真逆に見えた。実際の彼女がどんな人物かは、判断はつかなかった。
★★★
馬車に揺られ、数人の少女達とミモザの館についた。彼女達は同じ荷馬車に乗っていた同じ村の少女達ではなく、見覚えのない顔ぶれだった。ただ、みな整った顔立ちをしており、色鮮やか髪色の少女達だ。
髪を染めているようには見えないから、きっとこの世界の髪色は沢山種類があるのだろう。
ピンクやオレンジに近い赤毛、青みがかった灰色、金髪、銀髪、色々ある。ただ、黒髪は私だけだった。
その綺麗な少女達の視線が私にだけ冷ややかに注がれるのは、気のせいだろうか?
「あたし……絶対に頑張るから!頑張るからな」
カシスは、そんな少女達によりきつい視線を浴びせかけながら、私の手を離さなかった。
「あんたらは地下の集合部屋行きだ。さっさとお行き! 」
ミモザの一喝で、少女達はぞろぞろと馬車から下り、ミモザの後について館に入る。
館の中は甘ったるい匂いが充満し、香水……というよりお香のようなものを焚いているのか、煙っているようにも見えた。
館を入って正面に立派な階段があり、その裏に隠されたように木戸があり、その扉が開かれる。
「さあ、この下だ。さっさと入りな。ディタ、あんたはこっちだ」
カシスと手をつないで木戸をくぐろうとした時、ミモザに腕を強く引っ張られた。
「……!! 」
無言で抵抗するように私の手を離さないカシスの手を、ピシャリと叩く。
「お離し! 別に今すぐどうにかしようってんじゃないよ。この子には別の仕事をやらせてやろうっていうんだ。それとも何かい? あんたみたいに娼婦になる鍛練をして、一晩で潰される下級娼婦に仕上げたいのかい」
カシスは素直に手を離した。燃えるような瞳は、ミモザではなく床に落とされる。
「いい子だ。物わかりのいい子は好きさ。ほら、あんた! あんたはこっちだ」
「ディタ……」
離ればなれになり、気の強いカシスの、初めて聞く不安そうな声だった。
後ろ髪を引かれながら、私はミモザの後に続く。正面の階段を上ると、長い廊下が続き、その両側に部屋のドアが沢山並んでいた。
ドアとドアの間隔が狭いため、一部屋一部屋はそんなに大きくないことが想像できる。
部屋の前を通り、さらに奥に進むのだが、閉まった扉の奥から明らかな嬌声が響いてくる。
しかも、一ヶ所や二ヶ所ではなく、どの部屋からも……。
私は顔を赤らめ、足早にミモザを追いかけた。
「姉さん達が仕事中だ。バタバタ歩くんじゃない」
注意を受け、今度は爪先立ちで足音がしないように歩いた。廊下に響く嬌声は、ここが娼館である事実を平手打ちで告げるくらい衝撃的なことだった。
「こっちだ」
さらに奥にある階段を上がると、三階の大きな広間に出た。
「ここではね、月に一回お得意様を呼んでパーティーするんだ。新人の御披露目をしたり、新しい顧客をとったりだね」
「はぁ……」
何故私にだけ館を説明して回るのかわからず、曖昧な返事になる。
「ここはついで。あんたを連れていくのはさらに上の階さ」
四階は、一つ一つの部屋が大きくなっているようで、部屋数は少なかった。
「ここに住めるのは、うちのトップの十人だけさ。彼女らは世話付きの下女をつけることもできるし、ある程度好き勝手出かけることもできる。下っ端はお呼びがかかった時しか館は出れない。あんたは、この館を出たら、戻ってこれるかどうかも怪しいもんだが」
さっき聞いた会話を思いだし、私は身体を震わせた。
それを面白そうに意地悪く笑ったミモザは、私の髪を軽く引っ張った。
「あんたの姉ちゃんがここまで登り詰めるのが先か、あんたの御披露目が先か……。楽しみなもんだ」
ミモザは、わざわざ私を落胆させる為にここまで連れてきたのだろうか?
あの二階の部屋の数、あの数だけ娼婦がおり、さらにその中で十人に入らないとここには辿り着けない。カシスに、それを強いなければ私が生き残れないならば、私は……。
この世界の人間としてではなく、日本人の大人として、そんなことは許されないと強く思った。平和な日本に育って、人間が売り買いされる現実も受け入れられないし、知り合い(この世界では姉ではある)が自分の為に身体を売るなんて、許容できる筈がなかった。
しかし、現実の自分は三十歳の大人ではなく、十歳の非力な少女で、しかもこの職業において自分の需要はない(それはそれでムカつく)らしい。
「カシスも私も御披露目なんかごめんだわ。こんなとこから出る為にはどうしたらいいの」
わからないことは聞く。
その答えはミモザしか知らないのだから。
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