第2話 現実の世界
「さっさと下りろ!! 」
男の野太い怒鳴り声で目が覚めた。
扉が開けられ、赤ら顔の男が怒鳴りちらしていた。中にまでズカズカ入ってくると、一人の少女を引っ張り上げ、引きずり出す。みな足枷で繋がっているから、つられて表へ出た。
表へ出ると、自分達が乗っていたのが荷馬車だったんだとわかった。荷馬車の荷台が大きな木箱のようになっており、その中に私も入れて六人の少女が押し込められていたのだ。
まだ寝ぼけ眼の私は、ライラに抱えられるように荷馬車から下り、外のあまりの眩しさに目を細めた。その眩しさと足枷の痛みで、ボンヤリしていた頭がスッキリ覚める。
ここは……まだ夢の世界だ。
夢の世界だと思っているここが現実なんだと思い知る。
何で?
どうして?
もしかして、今流行り……アニメの世界のことだと思っていたけど……の異世界とかいうやつ?
あまりのショックに、色んな記憶が交錯する。
私は楠木絢三十歳ではなく、ディタという十歳の女の子で、しかも普通の状況じゃなくて、人買いに売り飛ばされて……。
昨日は、楠木絢だった昨日は、何してたんだっけ?
普通に会社に行って、仕事して、上司のセクハラまがいの無駄話にバカみたいに笑って、夕方恋人の
いつも通りなら、ラブホテルに寄って……となった筈だけど。
そこまで考えて頭がズキンズキンする。
「ディタ、大丈夫? 」
眉をしかめる私の洋服の裾を、ライラが顔だけは前を向いたままこっそりつかむ。
「シッ! 元気なフリをするんだ。ディタ、笑え! 」
目の前にさっきの赤ら顔の男が立ちはだかり、酒臭い息で私達の様子を伺っていた。
「おまえ、具合が悪いのか? 」
男のニヤニヤした顔が気持ち悪かった。顔自体は整っているようだが、その目付きが全体的なイメージを下げてしまっていた。
「全然元気だ! 約束だぞ! あたしとディタはセットで売りに出すって」
「まあな、だからおまえは半値で買い叩いたんだしな。でも、その娘がセリに出せない状況なら、それも無理だがよ」
「大丈夫だ! ほら、熱だってない」
「まあいいさ。処分はいつだってできるしな。ほら、おまえら進め! 」
処分。
それは売り物にならない商品を廃棄する……つまりは殺されるということ?
私は慌てて笑顔を作り、カシスの手を握った。ぶっきらぼうではあるが、カシスもしっかり手を握り返してくれる。そのガサガサした子供らしくない手は、彼女が働き者であることを示していた。まだ十二歳、向こうの世界なら義務教育の最中で、親に庇護されているというのに。
本当なら十八も年下の少女が、唯一の頼りだという事実が情けなくもある。
私達は揃って大きな建物に連れていかれ、ある部屋に入れられた。建物に入り、階段を下りたから地下室のようなところだと思う。そこで足枷を外され、みんなまとめてさらに奥の部屋へ行くように言われた。
誰も逃げようとか思わないらしく、素直に言うことを聞く。
「脱げ! 」
男の高圧的な物言いに逆らうこともなく、みな汚くボロボロの衣服を脱いだ。
「おい、おまえ! さっさとしろ」
羞恥心から脱ぐことを躊躇っていた私の前に男が立ち、無理やり衣服を剥ぎ取った。
「並べ! 」
少女達は一列に並ばされ、タライで水をおもいきりかけられる。
「よく洗うんだ。いいか、一ミリも垢を残すんじゃねえぞ。爪の間まで綺麗に磨きあげろ。いいか、これを使いきるまで出てくんな。全く、くせーったらありゃしねぇ」
石鹸のような物を渡された。
どうやら汚れた身体を洗えということらしい。売り物は綺麗な状態で……ということだろう。
しかし、ただの水は冷たいし、石鹸はあまり泡立たず、なかなか汚れが落ちない。
お互いに洗い合い、なんとか旅の汚れを落とす。
どれくらいあの荷馬車で運ばれていたか知らないが、その間一度も身体を洗わなかったのだろう。食事は? トイレはどうしていたのか?
この身体の記憶が昨日からで良かったと、この時は思った。
風呂が終わると、新しい衣服を渡され、それに袖を通す。着方がわからなかったが、カシスの着る様子を見て真似た。と言っても、浴衣のような羽織る上着と、巻きスカートのような物で、ゴワゴワしていて着心地のいいものではなかった。
「ほら、紐はもっとちゃんと結べ」
カシスが私の腰紐を結び直してくれた。
「ほら、支度が終わった順に来い! なんとか今日のセリに間に合ったんだから」
セリ?!
これから売りに出されるのか。
ライラと私はカシスにしがみつく。カシスも顔色をなくし、それでも真っ直ぐに前を向いていた。
「ライラ、ちょっと……」
私はライラの洗いっぱなしの髪の毛を指でとかし、可愛らしく編み込みにした。ゴムはなかったので、余った衣服を裂いてリボンを作った。同じように、カシスの髪の毛もセットし、自分の髪の毛も弛く編み込んで結んだ。
二人とも元がいいからか、それだけでもかなり可愛らしくなる。
そして頬をごしごしこすり、赤みをだした。
「ね、唇を吸うようにして噛むの。少しでも赤くなるから」
「何でこんなこと? 」
「自分の価値を上げなくちゃ。どうせ売られるなら、より良いとこに買ってもらわないとでしょ」
「カシス、凄い綺麗……」
「ライラもな」
後れ毛をいい感じに顔の回りで遊ばせ、ライラの背中を押す。
「いってらしっしゃい」
顔だけなら、どこの貴族のご令嬢かというくらい、髪型一つで大変身だ。すでに残っている少女は私達だけになってしまっていた。
本来、早くセリに上がる程、良い先に買われるらしく、みな先を争って出ていっていたからだ。
最後の二人になり、カシスと二人セリを行っている舞台裏に連れてこられた。多分今、ライラがあの舞台の上に上げられている筈だ。
舞台の様子は伺い見ることができず、ただザワザワと騒がしい声だけが聞こえてくる。
そのざわめきが一気に高くなり、木槌の音が鳴り響いた。どうやら、ライラのセリが終了したらしい。
「すげえ!! 今までで最高値だってよ」
赤ら顔の男が満足そうに舞台裏に下りてくると、顔を弛め、勢い良くカシスの背中を叩いた。
「おまえらも頼むぞ! 期待してるからな」
「ディタ、行くぞ」
カシスが私の手を握り、舞台への階段を上がる。
その手は小さく震えていた。
舞台の中央には円台が置いてあり、その上に乗るように指示される。両脇には松明の炎が灯されていた。
ゆらゆら動く松明の炎は、カシスの燃えるような赤毛をより情熱的に見せ、顔の凹凸をより際立たせて見せた。
買いこの面々からため息が漏れる。さっきの少女も美しく、際立って上品に見えたが、この少女は年齢のわりに何と魅惑的な……と口々につぶやく。主にカシスに向けての賛辞であったが、それはそんなに気にならなかった。こんなところで女を競ってもしょうがないし、そんな余裕すらない。
「最後の商品となりました。カシス、ディタ姉妹。こちらは珍しく二人一まとめでのセリとなります。大金貨五枚から」
司会も兼ねた赤ら顔の男が、最安値を提示する。
「大金貨五枚? 姉の方はともかく、妹の方は小金貨一枚でも高いぞ」
「そうだ、そうだ! 黒髪の女なんか、需要がねえんだから」
ヤジが飛び、赤ら顔の男はやや怯む。
さっき、ライラが大金貨四枚で売れたものだから、かなり吹っ掛けた値段を言ったのだった。確かに、姉はライラと同じように大金貨四枚の価値はくだらないかもだが、妹(むかつくことに私だ! )にそこまでの大金貨一枚の価値すら見いだせない。
「で……では、大金貨三枚から」
一番前列の真正面、主賓だろうと思われる位置に座っていた痩せぎすの女が手を上げた。
「大金貨三枚でよろしいですか?」
他に手が上がらず、おずおずと赤ら顔の男が聞く。
「その前に聞きたい。先ほどの子もそうだが、その二人もその髪の毛はどうなってるんだい」
「髪の毛……ですかい? 」
そこで初めて私達の髪の毛が見たこともない形になっていることに気がついた赤ら顔の男は、怒りに顔を歪ませ私の頭のリボンを引っ張った。するりとリボンがほどけ、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜられた。
「なんだ、これは?! 」
「止めて、痛い! 」
カシスが私の前に出て、赤ら顔の男の手から私を守ろうとする。そのカシスの頭にも手を伸ばそうとした瞬間、痩せぎすの女が叫んだ。
「大金貨五枚! そいつらはうちの商品だ! 手荒く扱うんじゃないよ」
「大金貨五枚?! 大金貨五枚!!売った! 」
赤ら顔の男の手が止まり、私達を円台から下ろした。
「ほら、これから受け渡しだ。こっちへ来い! 」
男は顎をしゃくるようにして命令し、私達は舞台を下りた。
あの女性は、いい人なんだろうか?
半分期待を込めて笑顔でカシスを見上げると、カシスは青い顔をしてつぶやいた。
「ミモザの館……」
ミモザの館? それが私達が売られた先なんだろうか?
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