娼館に売られたけど、成り上がってみせます!

由友ひろ

第1話 最後で最初の記憶

 記憶にあるのは青。

 ユラユラ揺れる青、そしてそれはどんどん色を濃くしていき、漆黒に変化した。

 身体が重くて……重くて、指先すら動かせなくて、上も下も右も左も、全くわからなかった。


 ただ光が見えて、あそこへ行きたいと心の底から叫んだけれど、身体はズルズルと暗い闇に引きずりこまれて……。



 地球の日本という国に生まれて三十年。それなりに恵まれた生活を送ってきたと思う。

 やりたいことがわからなくて、なんとなく入った会社だったけど、就職氷河期に就職できただけラッキーだったし、たいした学歴でもないわりに、上司に可愛がられる性格のせいか、大きなプロジェクトにも参加できた。いてもいなくても問題ない立ち位置だったけど、やることなくお茶汲みしてるOLよりはましだったんじゃないかなと思う。

 結婚も、そろそろって思わなくもなかったけど、今の生活に満足し過ぎて、なかなか踏ん切りもつかず、ズルズルと三十路を迎えてしまった。でも、恋人がいなかったことはなかったから、焦りは全くなかった。まあ、長続きはしなかったけど。


 なんとなく、フワフワとフラフラと生きてきたのかもしれない。


 って、何で私いきなり自分の半生とか思いだしちゃってるの?


 もしかしてこれってヤバいやつ?


 そんなことない!

 絶対ない!

 ただの夢だし、きっと夢だし、身体が重いのなんて気のせいだし。


 私は動かない腕でジタバタもがき、必死で光に手を伸ばした。


 ★★★


「あんた、何ジタバタしてるんだよ?! 痛いんだから動くな! 」


 目が覚めた…………。

 目が覚めた!

 良かったぁッ!!!


 私はガバッと起き上がり、とりあえず身体をパタパタ叩いてみた。

 わずかな違和感があったものの、とりあえず身体の感触にホッとし、それから声をかけてきた少女に目をやった。


 十一……二歳くらいだろうか?

 薄汚れた格好をしているが、豊かな赤毛を腰までたらし、顔立ちは外人のように整っている。意思の強そうなきつい紫色の瞳が綺麗だった。

 私の視線は少女の足枷に注がれる。


 何ですか、これ?

 見せ物でもあるまいし、今時こんなものを人の足に……って、私の足にもついてるし!


 身体が重く感じたのも、引っ張られるような感じがしたのも、この足枷のせいだった。

 ここがどこかわからないが、何かガタガタ動く木の箱のような物に少女ばかりが五人乗せられており、みなの足に足枷がついて繋がっていた。一人が動くと、芋づる式にみなが引っ張られ、足に足枷が食い込む。


 どの少女も疲れきったように、丸まって身動きしない。みな、十歳前後に見えるが、外人の年齢はわからない。もしかすると、もう少し小さいのかもしれない。

 ただ、この異常な状況の中、唯一の大人は私だけだ。


 私はとりあえず、今の状況を理解しないと……と、辺りを見回してみた。


「あんた、マジで動かないでよ!引っ張られて痛いじゃない! 」


 さっき私に声をかけてきた少女が、面倒くさそうに、でも足が痛くて声を上げる。


「ごめんなさい! あなた、この状況、どうなっているのかわかるかしら?」


 少女は呆れたように、私に目を向ける。


「あんた、バカ? 今さら何言ってんの? ってーか、なんでそんな話し方なんだよ。」

「えっ? 変かしら? 」

「どこのご貴族様よ。なんて、気取ったご令嬢しか使わないから」


 それは偏見な気もしたが、まだ若いから大人に対する正しい言葉遣いができないのかもしれない。外人がここまで日本語を喋れる自体立派なのだから、多少言葉遣いが悪いのは多目に見ないとだ。第一、この非日常な状況に置かれて、パニックを起こしているのかもしれないし。


「あなた、なんでこんな物がみんなの足に繋がっているのか、この乗り物がどこに向かっているかわかる? 」


 少女は下品に舌を鳴らす。

 そして心底バカにしたような、嘲るような視線を私に向けた。


「本当、アホなん? うちらはみんな売られてきたに決まってんじゃん。どこに行くかなんか知んねぇよ。まあ、獣の餌にならずに、高級娼館あたりに売られりゃ御の字さ。ショック過ぎて、記憶喪失にでもなっちまったのかよ」


 日本語で話している筈だが、少女の話している内容を理解するのに、かなり時間がかかった。そんな間抜け顔の私の足元にプッと唾を吐きかけると、少女は足枷をつかみながら身体を反転させ、ごろんと横になった。


 足枷が引っ張られ、足首が擦りきれる痛みに顔を歪めた。

 何よりも売られたという言葉と、娼館という言葉が頭の中でリプレイされ、唾を吐きかけられるという衝撃的な出来事も理解できていなかった。


「大丈夫? まだ熱があるのかな?」


 逆の隣りにいた少女が、心配そうに顔を覗き込んで、その冷たい手を私の額にあてた。

 彼女も外国の人形のように整った顔をしており、金髪碧眼で可愛らしかった。ただやはり驚くほど薄汚れていたが。


「ありがとう。熱はないわ。……あなたは? 」

「あたし? ライラよ。忘れたの?」


 ライラと名乗った少女は、私のことを知っているようだった。こんな可愛い子、一度会ったら忘れる筈がないのに。


「あなたは私を知っているの? 」

「何言ってんの? 同じ村から来たじゃない。家だって隣りだったし。というか、この中には同じ村の子しかいないけどね」

「同じ村……」


 東京に村……確かあった気はするけど、私は村の出身じゃないし、人身売買が日本で合法である筈もない。何かの組織に捕まり、海外に連れてこられたのだろうか?

 臓器売買とか、マフィアとか、自分とはかけ離れた世界のことだと思っていた。


 ガタガタ動く木の箱は、車の荷台のようなものなのか、もし外国なら馬車ってこともありうる。とにかく周りの様子を見てみなければと、木のつぎはぎから外を覗こうとした。しかし、つぎはぎの位置が高く、なかなか光が差し込む場所に背が届かない。


「何してんのよ! 」


 さっき唾を吐いた少女が立ち上がって私の横に立った。


「ごめんなさい。なるべく枷を引っ張らないようにしたつもりだったんだけど……」

「あたしは、何してんのか聞いたんだよ」

「外が見たかったの」

「外? あんたみたいなチビが届く訳ないじゃんか」


 チビ?


 悪いけど、身長は160センチある。こんな子供より……あれ? この子何気に大きい?


 自分より頭一つ分少女の方が大きかった。金髪の少女ライラも、小さく思えたが、立ち上がると私よりわずかに高い。

 そこで、自分の手足をマジマジと見た。


 記憶にある自分の手足ではない。それよりもほっそりとして小さな手。左手の甲にあった黒子もなくなっている。

 全体的に細く……って、胸がない?!!!

 お尻もペッタンコだし、それなりに女らしかった体型がツルンペタンに……。

 髪の毛は黒だけど、ゴワゴワと量が多い気がする。いや、黒髪はおかしい。昨日茶色に染めた筈なのに??? しかも、トリートメントもしてもらったからスベスベな筈が、いつ髪の毛を洗ったんだろう……というくらいゴワゴワモサモサしている。


 どういうこと??


 まるでここにいる女の子達みたいに、薄汚れて……いるわね。この爪、真っ黒だ。


「何よ、そんなに表が見たいの?!」


 両手を見つめて放心していたら、ブツブツ文句を言いながら赤毛の少女が抱っこして持ち上げてくれた。倒れないようにライラも支えてくれる。


 やっと見えた外の風景は……日本ではなかった。

 外国ならばもしかしたらこんなところもあるかもしれない。でも、きっとここは日本でも、私が知っている世界ですらないかもしれない。

 石を煉瓦のように組み合わして作られた家が整然と並び、地面にはアスファルトはなく砂利が敷いてある。せかせかと歩く人々は、色んな髪色の、端正な顔の人ばかりだった。


 ああ、きっと夢だ。

 これはまだ夢の続きなんだ。


「ありがとう、えっと……」


 下に下ろしてもらうと、赤毛の少女はフンと鼻を鳴らした。


「ショック過ぎてあたしの名前も忘れたのかよ、ディタ」

「ディタ……さん? 」


 赤毛の少女は私の頭を叩いた。


「アホか?! ディタはあんた。あたしはカシスだろが! 全く、姉ちゃんの名前まで忘れるたぁ、頭が沸騰しちまったとしか思えねぇな。」


 口が悪く、人に唾を吐きかけるような人間が私の姉?

 そういう設定の夢なんだ。


「カシス、ディタは熱で朦朧としているのかも」

「だからって、自分の名前忘れるってありえねぇだろ」

「私……熱なんてないわ」

「何言ってんだい?! 昨日、高熱出して、唸ってたじゃんか」


 熱を出した記憶なんかない。

 実際に、今は平熱だと思う。体温計がないから測れないけど、身体にキツいところはないから。


 カシスも私の額に手をあて、熱はないなと首を捻る。


「カシス、もしかしたら高熱出し過ぎて記憶喪失になっちゃったんじゃない? ほら、村にも病気の後、すっぽり記憶なくした人いたじゃない? 」


 カシスは、そうなのか?! と、心配そうな表情で、しかし態度は乱暴に私の腕を引っ張り、自分の膝の上に倒した。


「とにかく寝ろ! セリの時に病気だと思われると、セリにすら出されずに処分されるぞ! 」


 処分?

 何それ?


「ディタ、あなた自分のことわからないの? 」


 楠木絢くすのきあや、三十歳。東京出身。家族は父親母親私の三人、プラス実家にはミニチュアダックス一匹。MK商事に勤務するOLだ。


 しかし、きっとそんなことを言っても理解して貰えないと思い、ライラの問いにこくりとうなづいた。


「あんたはディタ。ダイとモスコの二番目の娘。年齢は十歳。兄弟は五人。あたしとあんたは食いぶちの為に売られたんだよ」

「あら、カシスは自分からディタについてきたんじゃない。本当は売られるのはディタだけだったのに」

「そりゃあたしは姉だからな。こいつは病気ばっかで、まともに働けると思えなかったし。厄介払いみたいに売っぱらう両親にも腹が立ったからな」


 そうか、厄介払いで私は売られたのか……。


 カシスとライラの話しを聞きながら、ガタガタという揺れも手伝って、瞼が閉じてくる。


 寝て起きたら元の世界だ。

 こんな木の床じゃなく、ぬくぬくのベッドで目覚める筈……。


 私は眠りについた。

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