十七話

「……もうひとつの誤算は……」


 澪は友紀人と向かい合い、空いている手を伸ばした。


「あなたが、私を忘れていなかったこと」


 少し茶色がかった髪を、そっと撫でた。あの頃と同じように。

 友紀人の目に、見る間に涙が溜まっていく。


「……ごめんなさい。あの時、伝えてくれた想いが、あなた自身を縛らないようにと思っただけなの」

 

 この街に近づかなかったのも。

 窓越しに姿を見て動揺したのも。

 友紀人に、あの時の記憶を呼び起こさせたくなかったから。


「こんなに長い間、あなたを苦しめていたなんて思わなかった」


 ごめんなさい。


 繰り返されたその謝罪に、ついに堪えきれなくなった友紀人。

 つないだままの手を引き寄せ、澪を抱きしめた。

 力が入らない左腕にも、精一杯の力を込めて。


「澪さんは、何にもわかってない……!」


 積年の想いを、腕の中の澪に向かって叫んだ。


「スペイン語も、笑顔も……っ。澪さんがいるから、意味があるのに……!」

「……っ」

「俺の知らないところで見守ってくれてたって、俺にはわからないよ……!」


 友紀人の主張は正論で。

 澪は何も言えなかった。


「俺が……どれだけショックを受けたか、わかる? 何回電話をかけ直しても、澪さんの声が聞けなかった辛さが、わかる……?」


 友紀人の声に、涙が混じる。


「……左腕を、壊した時も……澪さんの声が、聞きたかった。慰めの言葉なんて、なくていい。たったひと言『そう』って……澪さんに、言って欲しかった……っ」


 今すべてを口にしなければ後悔するとばかりに、涙とともにこぼしていく友紀人の心。


「……日本に、帰ってきて……父さんや母さんから、澪さんの引っ越し先が、わからないって聞いた時の……俺の、気持ち……っ」


 後の言葉は、嗚咽に消えた。



 それから、友紀人が落ちつくまで。

 澪は広くなった背中に、そっと手を添えていることしかできなかった。

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