五話

 眼前に迫った顔。

 澪は我に返ると、弾かれたように体を起こした。

 勢いあまって、背もたれにぶつけた背中が痛い。


「大丈夫? 結構な音がしたけど」

「……誰のせいなの?」

「俺です。ごめんなさい。でも、話しかけても返事してくれないから」

「あ……それは、ごめんなさい」

「うん。これでおあいこだね」

「そうね……って、ごまかされないわよ」


 眉を寄せて友紀人を睨んだ。

 だが、背中への衝撃で喝を入れられたからか、普通に話せるようになったのは良かったというべきか。


 居心地の悪さは、もうなかった。


「意識を向けるためなら、顔を寄せる以外の方法でも良かったはずよ」

「まぁ、ね。でも、惜しかったな。もうちょっと気づくのが遅ければ、澪さんとキスできたのに」


 いたずらっ子のような顔をする友紀人。


「……そういう話は、してないわ」

「俺はしたいけどね」

「公共の場で、ふしだらな真似は許しません」

「そんな可愛い顔で言われても、説得力ないけど。公共の場じゃなければいいの?」

「恋人でもないのに、ふしだらな真似は許しません」


 澪はあの頃のように叱りつつ、


(表情の乏しい顔に赤みが入ったくらいで、可愛いわけないでしょう)


 内心で悪態をついた。


 わずかに頬を染めて伏し目がちになった澪は、普段の凛とした姿から印象をガラリと変える。

 そのギャップに魅了された者もいたが、ちょっと粉をかけても一向になびかない鉄壁さは、猛者どもを脱落させていった。

 澪自身に、まったく自覚はなかったが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る