二話

 動揺した澪はカップを取り落としそうになり、慌てて両手で持ち直した。


(……落ち着きなさい、私。他人の空似よ)


 窓から目をそらし、カップを慎重にソーサーへと置きながら、心の中で自分を叱咤した。




 ──八年前、友紀人は、


「俺、パウリーノ・リメルさんの音を間近で聴きたい! プロのクラシック・ギター奏者になりたいんだ!」


 と目を輝かせていた。


 決意のとおり、中学を卒業と同時に海を渡った友紀人。

 今でも拠点がリメルの元にあるなら、スペインにいるはずだ。


(……だから、人違いよ。……きっと)


 湯気がかすかに上がるカップを見つめる努力をしても。

 徐々に、友紀人に似た彼が近づいてくるのを感じた。

 同時に、澪の中に潜んでいた八年分の罪悪感が、波のように押し寄せてきた。




 ──あの時。

 大切な生徒友紀人のためとはいえ、澪は最もひどい方法を選択した。

 再会することなど考えもしなかったから、心の準備をしているはずもなかった。


 彼が通りすぎるまで、このまま何も気づかなかったふりをしようか。

 それとも、いっそのこと席を立とうか。


 ドクリドクリと脈打つ音を耳の奥で聞きながら、自分の思考に囚われた。


 それが、かえって逃げ場をなくすことに思い至らなかったのは、澪自身の落ち度だろう。



 ふと視線を感じて顔を上げると。

 窓の向こうで足を止め、澪を見つめる彼の姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る