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 東京から持ってきた小さなキャリーバッグには、真っ黒なワンピースが押し込められている。思い返してみると、葬式という儀礼に初めて参列するのだと気付いた。

 母は、スーパーから自宅へ帰る途中のあぜ道で倒れていたらしい。熱中症、とのことだった。

 テレビでは、アスファルトを揺らす陽炎の映像と共に「各地で熱中症による死亡が相次いでいます」「記録的猛暑」等と謳っていた。毎年聞き流していたそれは、ふいに現実味を帯びた言葉へと変わった。


 つい先ほど通ってきた道のどこかに、母が倒れていたのだろうか。そんなことを思い返しながら、プルタブを開ける。

 記憶と違わず、がらんとしたリビング。あるのは、二枚の座布団と、ちゃぶ台、古ぼけたテレビ。一方の座布団には、私が座っている。

 リビングには1人。


 もう一方の座布団の前にも、缶を置く。

 気がつくと、プルタブが開いていた。


「一緒にお酒が飲めるなんて、うれしいな」


 缶に口をつける。東京で何度も味わった味。苦味と、僅かな酸味が広がる。


「美味しくはないんだけど、はまっちゃうんだよね、この味」

「私は好きじゃない」



 思いの外その声は大きかったのだろう。

 ひぐらしが一瞬鳴き止んだような気がした。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 気がつくと葬式は終わっていた。「親戚」や「ご近所」と名乗る人物が蠢いていた。全員知らない人だった。私に声を掛ける人は誰もいなかった。一応、私は彼女の娘である筈なのだが。


 明日には東京へ帰る予定だ。キャリーバッグに、使い終わった服を押し込む。


「ねえ、元気かな?私はもう成人式も終えて、すっかり大人になっちゃった。相変わらず友達づくりは苦手だけど。やっぱり、心から友達って呼べるのはきみだけだよ」


 うるさいうるさいうるさい。それ以上何も言うな、と念じたら花瓶が割れた。


「やっぱりいてくれるんだね。東京に行っちゃってごめんね。両親には逆らえなくて……でも、ちゃんと帰ってきたよ」


 私には貴女しか居なかったのに。時計が落ちる。


「でも、どこに行っても私は1人ぼっちだった。きみしかいないよ」


 窓を割ろうとして、止まる。


「だから、私もそっちに行くことにしたの」


 電気が消えた。


「ずっと一緒にいようね」



 そこには、微笑みを抱えた1人の少女が倒れていた。

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盲目 月乃 @tsuki__

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