美味しいカプセル

水永なずみ

『美味しいカプセル』

 西暦二三〇〇年。世界は氷に包まれていた。


 一度外に出れば鼻から氷柱が垂れ、タオルを振れば鈍器になる。生き物は飢えて死に、川は凍りついて道となっていた。

そんな過酷な環境で、しかし、人類は絶えていなかった。

 隔離された世界。『シェルター』と呼ばれるその世界のなかで、人々は割と穏やかな生活を送っていたのだ。




 シェルターの外では数人の警備隊が見張りをしている。そこに、雪をザクザクと踏み鳴らしながら近づく男がいた。


「おい。交代の時間だ」

「おお。ありがたい」


 白い息を吐き出しながら手をこする隊員。


「今日はとくに冷えるな」

「全くです。生き物なんてとっくにいなくなってるでしょうに、なんでわざわざこんな寒い日に見張りをやらなきゃならんのですかね」


 男は愚痴ぐちこぼす隊員に苦笑する。


「念のためってやつさ。お上は頭が固いからな」

「暖かい部屋でぬくぬくしてんだから、もう少しゆるくなってほしいもんです」

「違いない」


 男たちがそんな会話をしていると、


「何だ、あれは?」


と別の隊員が遠くを指差しながらつぶやいた。男がそちらへ視線を向けると……。


 遠くから見なれない大きな物体がこちらへ飛来してきていた。


「総員警戒態勢!」


 男はすばやく指示を出す。銃を構える警備隊。

 すると、その物体は銃弾が届かない距離で止まり、そのままゆっくりと雪原に着陸した。


 警備隊は慎重にその乗り物に近づく。

 ゆっくりとドアが開き、中から防寒具を身にまとった人物が姿を現した。


「何者だ」


 男は短く誰何すいかする。その人物は口を開き、


「私はヨコタ。過去から来ました。シェルターへ案内してください」


 澄んだ声でそう言った。




 ヨコタと名乗ったその女性は、銃を向けられているにも関わらず平然としていた。

 それは胆力によるものか、それとも銃への無知によるものか。男は前者であると判断した。

 警戒を強め、質問する。


「どうやってきた」

「タイムマシンに乗って」


「なぜ、過去からきた」

「料理を教えるために」


 ヨコタは簡潔に答える。


 ──料理を? では、こいつが。


「お前が来るのは三日後だと聞いているが?」

「座標が少しズレてしまったからでしょう。到着地点もこの雪原ではなく、少し離れた場所でしたから。それよりも──」

 そう言ってヨコタが小箱を取り出す。


「今日は寒いですね。お近づきの印に温かいものはいかがですか?」


 パカリと蓋が開けられ、湯気が立ちのぼる。

 ふわりと欲を刺激する香りがした。だれかが唾を飲み込む。


「この乗り物のなかなら暖かいですよ。広さも十分です」


 しかし、男は警戒を解かない。


「あら? ああ、大丈夫ですよ。毒なんて入ってませんから」


 ヨコタは箱から食べ物を取り出して口に入れ、モグモグと咀嚼そしゃくする。


「隊長。大丈夫そうですよ」


 男は隊員の言葉に深々と溜息を吐き、


「わかった。せっかくの好意だ。甘えるとしよう」


 銃を下ろした。




「これが、料理?」


 箱をのぞいた隊員が困惑したようすで呟く。場所はヨコタの乗り物の中だ。


「ええ。そうですが?」


 ヨコタには隊員たちが困惑する理由がわからなかった。箱に入っているのはただの肉まんだ。ゆえに、


「とりあえず食べてみてください」


 そう言うと、隊員たちは目配せをしあい、圧に負けた一人が手を伸ばす。


「んぐっ! なんだこれ⁉︎ うめぇ!」


 隊員が歓声をあげる。


「うまいな」


 男も一口食べて呟く。それを見て、次々と手を伸ばし始める隊員たち。


「お気に召しましたか?」

「ああ。こんな食べ物があるとはな」


 男はしみじみと呟いてからハッと我にかえって言った。


「先ほどは失礼した。自己紹介がまだだったな。俺はコンドウという者だ」

「いえ。気にしないでください。改めましてヨコタです。よろしくお願いします」


 ヨコタとあらためて名乗り合うとコンドウは顎に手を当てる。


「ヨコタはどれだけ現状を把握している?」

「たしか、調理を担当していた機械が寿命を迎えたと聞きましたが」


 コンドウはひとつ頷き、言った。


「そうだ。いままですべて機械に任せていたため、我々は料理の仕方を忘れてしまった」

「過去の知識が断絶してしまったわけですね」


 そのとおりだ、と。再び頷くコンドウ。

 こんなご時世だ。どこのシェルターも何かしら過去と断絶しているものがある。料理やタイムマシン以外にも数多くの物が消えているだろう。


「食料がない、なんて悲惨なところもあるようだが、これは断絶と呼んでいいのかわからんな」

「食料が? それはたいへんでしょうね。分けてあげたりしたのですか?」

「いや。こちらも余裕があるとは言い難いからな」

「……そうですか」


 そんな話をしていると、乗り物がシェルターの近くに到着した。




「広いですね」


 シェルターは地下にある。そう聞くと閉塞的へいそくてきなイメージを持たれがちだが、実際は違う。中は空港のような開放感のある空間になっていた。


「厨房に向かうつもりだったが、そろそろ昼飯の時間だな。見に行くか?」

「ええ。お願いします」


 食堂では、壁にそなえ付けられた複数の黒い箱の前で、住人が長い列を作っていた。

 コンドウとヨコタもそこにならぶ。


 ──いったいなにが出てくるのだろうか。和食か、それとも洋食か。中華やイタリアンなんて可能性もある。


 そして、ヨコタの番がきた。


「そのボタンを押せばいい」


 ヨコタはコンドウが指差したところを押す。

 すると、箱の蓋が開いた。中から出てきたのは……。



 一粒の小さなカプセルだった。



「え?」


 ヨコタは呆然としながらカプセルをつまむ。


「それを飲み込めば昼飯は終わりだ」


 そう言ってコンドウが水を差し出してくる。


 ──これだけ? たったこの一粒で? 


 ヨコタは恐る恐るカプセルを口に入れた。水を使って腹に流し込む。


 その瞬間、いままで感じていた空腹感が一瞬で無くなった。それどころか心まで満たされていくのを感じる。


 ──まさか、たった一粒で満腹になれるとは。こんなものがあるなら……。


「ここの料理はずいぶん違うだろう?」


 厨房に向かう道すがらコンドウはヨコタに問う。


「ええ。驚きました。あれを料理と言っていいのかはわかりませんが」

「手厳しいな。許してくれ。俺たちは物心ついた時からあのカプセルしか口にしていないものでな」


 ここの住人にとって、食とは作業のひとつだった。ただ並び、飲み込むだけ。食べる喜びも楽しみも知らず、またそれに気づくこともない。

 ヨコタはそれを少しだけ不憫ふびんに思った。


「それにしても、なぜ私をここに呼べたのですか?」

「上司に聞かなかったのか?」

「……ええ。ただ作ってこいといわれただけです」

「適当だな。まぁ、いいか。呼ぶことができたのは時空間電話と呼ばれるポンコツのおかげだ」


 時空間電話。時を超えて電話を繋げるというタイムマシンの走りのような機械だ。だが、狙った時代にかけることは難しい。かかったとしても話すことしかできないため、大して役に立たない。


「おまけに傍受ぼうじゅが容易で、戦時中に使ったときは大変な目にあったそうだ」

「そうなのですか」


 そんなことを話しながら歩いていると厨房に着いた。


「長年使われていないが、掃除だけはされている。何か不備があれば言ってくれ」

「ご親切にどうも」


 厨房に入ったヨコタはさっそく準備を始めた。

 食材は粗方あらかたそろっている。栄養素を抽出するために培養ばいようされた肉や魚。地下で育てられた野菜、キノコ類など。

 それらを使って、信用を勝ち取る。


 まずは鶏がらスープを作る。ヨコタは鶏がらを洗って長ねぎ、生姜、酒といっしょに大きな鍋に放り込んだ。

 強火でかし、沸騰したらアクを徹底的に取る。

 それから弱火に変えて三時間。アクを取ったり、水を足したりしながら煮込んでいく。

 後はザルとキッチンペーパーでせば、黄金色のスープのでき上がりだ。


 次に、にんじん、キャベツ、ニラなどの野菜やキノコ類。豚肉や鶏肉も鍋に入れる。豆腐がないのが残念だが、ないものはないので潔く諦める。


「そろそろ夕飯の時間だが、できているか?」

「はい。今、完成しました」


 ヨコタはコンドウに手伝ってもらい鍋を台車に乗せると、食堂へ向かった。


 食堂には多数の住人が集まっていた。

 皆、興味津々といったようすだ。


「これからみなさんに料理を教えることになったヨコタです。今日を入れて三日間だけの付き合いではありますが、どうぞよろしくお願いします」


 笑顔でお辞儀をすると拍手が鳴った。ヨコタはさらに笑みを深める。


「それでは順番に取りに来てください」


 整然とならび、差し出される器に具材を注いでいく。全員に行き渡ったのを確認したら、


「どうぞ、召し上がれ」


 住人たちは慣れないスプーンにとまどいながら料理を口に運ぶ。

 すると、あちこちで驚きの声が上がった。


「これが料理⁉︎」

「おいしい……」

「いままで俺が口にしてきたものは何だったんだ」


 ヨコタがこのシェルターに持ち込んだ物。それは、人間の三大欲求のひとつを刺激する爆弾だった。


 衝撃は瞬く間に広がった。そして、


「おかわり!」


 住人たちは人生初のおかわりを要求したのだった。




 翌朝。ヨコタが来て二日目。

 コンドウが警備をしていると、複数の箱を手にしたヨコタをみつけた。


「こんな朝早くから仕事か?」

「ええ。ここにきた以上、いけませんから」

「そうか」


 料理を教わる人選はすでに済ませてある。これ以上コンドウがやることはない。

 ヨコタは箱を乗り物のなかに詰めると笑顔で厨房へ向かった。


「では、料理の仕方をお教えします」


 ヨコタは何も知らない住人たちに一から基本を教えていく。

 食材は使うまえに洗うことや包丁の持ち方、皮の剥き方などなど。

 一通ひととおり教え終わると、おにぎりを作ることにした。


「中に具材を詰めるなんてふだん私たちが食べているカプセルのようですね」

「そうですね。あれと違ってこちらは美味しいカプセルですが」


 そんな感じで住人たちと談笑をしながら、ヨコタはおにぎりを握っていった。


「これは?」


 ガヤガヤとした食堂のなかでもよく通る低い声でコンドウが問う。


「おにぎりです。中にいろいろな具材がつまっているのでおいしいですよ」

「外からは中身が見えないのか。最初に食べたものと同じだな」

「人間とも同じですよ。開けてびっくりです」

「ヨコタも冗談なんて言うんだな」




 その日の昼食は野菜炒め。夕食はステーキを作った。ヨコタがナイフでステーキを切っていると、


「ヨコタさん。過去ってどんなところ?」


 子供が無邪気にたずねてきた。


「……あまり変わりませんよ。強いて言うなら人の数でしょうか。こことは比にならないですね」

「ふーん。じゃあさ、じゃあさ。センソウってしたことある?」


 ヨコタは頰に手を当て、首を少し傾げる。


「私はないですね。タイムマシンが戦争の理由なので、起きるとしたらこれからでしょうか」

「ええ⁉︎ じゃあ、過去に戻ったらたいへんだよ? おじいちゃんがたいへんだったって言ってたもん」


 ヨコタは首を振り、笑って言う。


「大丈夫です。私は比較的安全なところに帰れるので」

「そーなの?」

「ええ。そうなのです」


 ヨコタは子供のことばに頷くと、夕食を食べ終えて厨房へ戻っていった。




 三日目。


「もう帰るのか?」


 コンドウがヨコタに尋ねる。


「ええ。緊急で戻ってこいと連絡がありまして」

「そうか。お前が飛んできた方角だが、最近食料を狙う泥棒がねぐらにしているらしい。おそらく、食料が枯渇したシェルターの連中だろう。気を付けろよ」

「大丈夫です」


 ヨコタは笑って答える。そして、見送りの人々に手を振り、


「みなさん。ほんとうに短い間でしたが、ありがとうございました」


 そう言って乗り物に乗り込んだ。

 住人たちも口々に別れのことばを告げる。


「すまないな。何か渡せるものがあればよかったんだが」


 すると、ヨコタは、



「いえ。すでにいただきましたから」


 そう言って、わらった。



「は?」


 それ以上答えず、ヨコタは笑顔のままドアを閉めた。そのまま来た方角へ飛んで行ってしまう。

 コンドウは呆然と見送り、ヨコタのことばを咀嚼そしゃくする。


 そういえば、なぜ彼女ははじめて会ったときに「今日は寒い」と言ったのか。

 乗り物に積んでいた箱の中身は?

 食料が枯渇したシェルターの方角へ飛んでいった意味は?

 そして、今の言葉の意味は……。


 そこまで考えたところでコンドウは目を見開き、


「まさか……! おい、カプセル倉庫を見てこい!」

「了解!」


 命令を受けた隊員は急いで倉庫へ向かった。そして、


『隊長! 大変です! あれだけあったカプセルが一つも──』

「おい、何だあれ!」


 通信機を介した隊員の言葉は、住人の焦った声に遮られる。見るとその住人は近くの何もない場所を指差していた。

 何事かとコンドウがそちらへ顔を向けた、その時。


 雪原の上。その何もない空間がまばゆい光を放った。

 虚空が縦に裂け、徐々にこじ開けられていく。


 現場に緊張が走った。


「A班は避難誘導。B班は警戒態勢をとれ」


 コンドウはすばやく指示を出す。

 銃を構え、歪んだ空間を凝視する警備隊。


 出てきたのは、丸みを帯びたデザインの何やら大きな乗り物だった。


 皆が固唾を飲んで見守る中、それはゆっくりと垂直に下降する。

 着陸してしばらく経ってからドアが開き、中からコック帽をかぶった男が出てきた。その男は寒さでガタガタと震えながら口を開き、


「私は過去からきた鈴木というものです。料理を教えに来ました」

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