<考察1>両者はどんな性格?
謙信と信玄は五度に渡って対峙しドンパチを派手に繰り広げた感があるが、実際に戦になったのは「第四次八幡原の戦」のみであるようだ。
しかし、戦に対するスタンスが違う。謙信は「名目」や「面子」を重視し、信玄は「褒美」「領地拡大」を重視したと言える。通常の武将の考え方から言うと信玄の方が正統派の考えだと言える。
謙信は結構特殊な考え方を持っていたと言える。通常、戦に勝利して領地を拡大していくのが本来の武将の姿であり、野望を持って戦に臨む。よって家臣たちにとって勝利した際の褒美がモチベーションになる。それは家臣としても君主の当然の姿であり考え方だ。しかし、謙信の兵士たちはその戦の持論に起因する「戦をしても褒美があまり貰えない」事が原因で、戦うモチベーションが徐々に下がって来たとも言われている。
謙信の性格は信玄と真逆・対極だとも言えるかも知れない。それを示しているのは五度に渡る「加勢する動機」に重きを置いている点にある。事あるたびに「大義名分」を欲しがり、領土を拡大する考え方が皆無だ。皆無というと語弊があるが、自分では他国を攻めてはいない、が「支配下には置きたい」という考え方のようだ。
一方、信玄は正反対で「どんな手を使おうとも自分の領地を戦に勝って手中に治めたい」と言う考え方である。そもそもこの川中島の合戦の原因は、信玄の好戦的性格で自分の領地が信玄に攻められ危険なために謙信に救援を懇願したことによる事が通説である。
よって、両者は戦うべくしてそうなったとも言える。なのに、なぜ「謙信が信玄に塩を送る」という説が展開されたのか?という事について掘り下げてみます。
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