第9話 ブレイクダウン
ガイストは己の腕――鋼鉄の装甲で覆われたオスクリダットの腕を眺めていた。
オスクリダットの腕は愛用していた黒鎧を思いださせる無骨な硬質感がある。しかし、懐かしいはずなのに落ちつかない心がある。むしろ女の細腕であることに慣れてしまって、ホムンクルスの身体のほうが過ごしやすい、とすら感じていた。
この鉄の巨腕に違和感を覚えるとは……気づけば本当のガイストの腕がどんなものだったかも朧気になっている。
「どうかしたの……ガイスト……。おかしなところ、あった……?」
「良好だ、戦闘に支障はない」
本日は魔導学科の試験日。リリウムの運命が決まる日だ。
ここは試験場へと直結する専用ラボの待機格納庫。そこかしこに魔導学科の生徒たちが走り回っている。改造されたグラディアトルがずらりと並ぶ格納庫は実に壮観だ。
ガイストとリリウムも試験の順番が回ってくるのをじっと待っている。
「きさまも大丈夫だろうな。作戦は覚えているのか?」
「……やだ」
「なんだ?」
「なまえで、呼んで。きさま、じゃない……」
「名前、だと……?」
ガイストは人を名前で呼んだことがろくにない。魔王も将軍も参謀も名前を忘れてしまった。あいつらの本当の名前は何だったか……、勇ましい名前だったか、それとも愛らしい名前だったか、なにも思いだせなかった。
幸いなことに、オスクリダットのコクピットで不満げな顔をしている銀髪の美少女の名前はまだ覚えていた。
「…………リリウム、作戦は覚えているな?」
「ガイストが、オスクリダットの操縦を、する。私が、魔術で、攻撃する……、でしょ?」
「そうだ。いざという時の魔力のストックは一回分しかない。よく狙っていけ」
「で、できる、かな……がんばる……」
トレーニングでの命中率はさほど良くはない。しかし、リリウムの魔術は高威力だ。それに魔王の血筋のためか電撃の魔術を得意としている。さらに、グラディアトルの躯体は金属部品が多いため、電撃の魔術に弱い。
当然、グラディアトルの装甲は対電撃の処置はされているもののリリウムの魔術の威力であれば突破できる……当たりさえすれば。
『第三試験グループの学生はAアリーナへ移動して下さい。五分後に魔導兵器開発の試験を開始します。繰り返します。第三試験グループの学生は……』
「いくぞ」
試験官の声に従って、ガイストはオスクリダットを前進させる。重低音を響かせながらAアリーナに続く昇降機へと乗り込んだ。昇降機に乗り込むグラディアトルは一機だけだ。
昇降機の扉が閉まる。ゆっくりとオスクリダットがアリーナへと運ばれていく。
専用ラボにいた学生たちのうち何も知らない学生は「あれ、なんで……?」と声を上げる。すると、事情を知る別の学生に「馬鹿! 退学になるぞ、何も言うな」怒られていた。しかし、その会話が「え、なに?」「どうしたの?」と周囲の学生たちへのあらたな呼び水となる。
魔導兵器開発の試験では、魔導学科の生徒たちが自分の開発したグラディアトルと、訓練用グラディアトルに乗った戦術学科の生徒たちが、5VS5で戦闘してグラディアトルの性能を評価するものだ。
それが、リリウムの試験にはチームメンバーがひとりもいない。それに対戦相手が戦術学科の上級生であるナタン・レイヴンブランドの名前が登録されている。リリウムの試験に異常なことが起きている、と気づかれるのはあきらかだ。
「……目立ってる……はずかしい……」
「正念場だ、観客は多いほうがいいだろう」
「負けたら、どうするの……っ」
「
昇降機が停止して扉が開放される。試験会場であるAアリーナへと踏みだした。
Aアリーナは市街地を想定された造りになっており、森林のように連なる高層ビルと円を描く高速道路が樹幹のように続いている。車両や列車などちょっとした小物が如何にも市街地であるかのような演出に一役買っているが、この偽物の市街地には人っ子一人いない。
いるのは、戦術学科チームの五機のグラディアトルだけだ。
「え……な、なんで……ナタンだけ、じゃ……」
『――
「あはははは――なんだい、試験の概要を読んでなかったのかい? 俺が試験相手をするとは言ったけど、さすがにチームメンバーを集めるくらいはやってほしかったなあ」
ガイストとリリウムの乗るオスクリダットのはるか遠く。Aアリーナの反対側にいるナタンからの
ナタンは戦術学科チームの代わりに戦うと宣言しているので、規定に乗っ取るならばチーム戦をできるように人数を集めてくるのが当然なのかもしれない。ナタンの態度は白々しいものだが、ガイストは気づいていてあえて指摘しなかった。
リリウムが通常通りの試験を受けられないように圧力をかけたのはナタンだ。リリウムが規定に従って人を集めようとしたところで誰が参加してくれるものか。漆香の伝手を頼ってもいいが、彼女は戦術学科の生徒だ。魔導学科の生徒から人を集めるのは厳しいだろう。
「そんなの、聞いてない……」
「慌てるな。予想はしていた」
「えぇ……っ!?」
『魔導学科チームの人数不足により、本試験は規定違反のため落第として……』
「人数が揃えばいいのだろう、――
ガイストは暗黒魔術で影を生み出す。オスクリダットの影がずらりと並び立つ。これで5VS5だ。文句は言わせない。
安堵の息を漏らすリリウムと変わって、うろたえたのはナタンの方だった。
「な、なんだ……、それは!? ……魔術、なのか。機人族が――!?」
「グラディアトルにインストールされている機人族が魔術を使ってはいけない、という規定はない」
『肯定。規定に記載なし』
「へえ……おもしろいじゃないか。どんな手品なのか解体して調べてやる」
「きさまには無理だ」
『
魔導学科と戦術学科のそれぞれのチーム人数が揃ったことで、Aアリーナの天井に投影されていた仮想ディスプレイに『準備完了』の文字が大きく表示された。
『試験を開始します。はじめてください』
アナウンスと共にAアリーナ全体にブザー音が鳴り渡る。実弾の飛び交う危険地帯になるためすべての隔壁が施錠され、誰も入室できない状態へとなった。
「……ありがとう、ガイスト……いきなり、失格になると、思った……」
「礼を言うのはまだ早い。本番はこれからだぞ」
「うん、……そう、だよね。……よし……レコン、射出……っ」
リリウムの命令に従って、オスクリダットに内蔵されている
「な……これ……このグラディアトルは、訓練機じゃ、ない……っ」
「慌てるなと言った。勝利のためならどんなことでも厭わない、と言うことだ。甘えは捨てろ」
「そんな……っ、それに、したって……ほかの四機も、最新鋭機ばかり……。こんなの、勝てるはず、ない……っ」
ディスプレイに表示されているグラディアトルを眺めながら、リリウムは呆然と呟く。
リリウムが人数のカラクリに気がついてどうにかメンバーを集められたとしても、ナタンの勝利は揺るがない。そのための準備をナタンは整えていた。
戦術学科チームは、ディサイシヴ・マギカトロニクス製の最新鋭機が四体。ナタンのグラディアトルは最新鋭機をカスタマイズした専用機だ。現行機の躯体を流用しているオスクリダットよりも性能がはるかに上、正面からぶつかれば押し切られるのは自明の理。
「くるぞ」
オスクリダットの影たちの内、一体が戦術学科チームのグラディアトルと戦闘に入った。
◆◇◆◇◆
ナタンはAアリーナの最も高いビルの上に陣取って戦闘の様子を眺めていた。
ディサイシヴ・マギカトロニクス製のグラディアトル――エンフォーサーは魔導学科チームのグラディアトルに接近戦を挑むと、魔刃の剣で斬りかかった。
魔導学科チームのグラディアトルは盾で受け止めるも、正面から斬りかかったエンフォーサーは囮だ。左右から忍び寄っていた二機目、三機目のエンフォーサーが魔導学科チームのグラディアトルの腕部を破壊、脚部を切断して、瞬く間にめった刺しにしてしまう。魔導学科チームのグラディアトルは黒い霧となって消え去ってしまった。
これで、5VS4。リリウムのグラディアトルが五機に増えたときは少しばかり焦ったが、この程度なら気にすることはなかった。
「たいした事ありゃしませんな、坊ちゃん。こりゃあただの木偶ですぜ」
「そうかい。さっさとほかの四体も片付けろ。新型機を用意してやったんだ、それくらいはやってみせろよ」
「わかりやした……野郎共! 他のもぶっ壊せ!」
エンフォーサーたちが残る魔導学科チームのグラディアトルへと突っ込んでいく。
戦術学科チームのエンフォーサーに搭乗している生徒はいない。エンフォーサーにインストールされているのは、ナタンがレイヴンブランドの敵となる傭兵の暗殺や気に喰わない者を殺害して処理するために雇っている、子飼いの
もちろん違法行為であるが、学校側にはすでに根回しを終えている。ここで行われたことは誰にも知られることはないし、秘密裏に処理される。この場でリリウムに何が起きようともすべては闇だ。
そこへ、
「坊ちゃん、ヴェーロノークのお姫さんをさらうのはどうするんで?」
「この戦いが終わったらすぐにでも運びだしてよ。手筈は整っているんだろ?」
「へへ、もちろんでさ」
ナタンの目的は、ヴェーロノークを手に入れることでもなく、レイヴンブランドを扱えるようになることでもない。はじめからリリウムを手に入れることが目的だった。
ナタンは小さい頃から生物を見るのが好きだった。はじめは触ったりつついたりしたときの反応を見ることが楽しみだったことが、しだいに生物が痛みにもがいたり死なないために抵抗する様を眺めているのが楽しみへと変わっていった。
そして、ナタンは只の生物では物足りなくなった。はじめは機人族を、ついには人族を誘拐して嬲ることを愉しむようになった。もちろんレイヴンブランドの権力で口封じができる弱者だけを標的にしている。
でも、機人族も人族も飽きてしまった。もう満足はできなくなってしまっていた。
そんなときだった、リリウムとの婚約とヴェーロノークの凋落を聞いたのは。
リリウムは銀髪の美しい少女だ。性格は大人しくか弱く、逆らう力もなく、ナタン好みの嗜虐心をそそられる理想的な女だった。
しかも、リリウムは只の人族ではない。例えナタンの妻となったとしてもヴェーロノークの当主。いくら嬲っても構わないが殺すことはできない、相反する属性を持つ女だ。
いつまで欲望を抑えられるのだろうか、もし欲望が勝ってリリウムに手をかけてしまったときにどれほどの快感を得られるのか、それを考えるだけでゾクゾクとした背徳感に震えが止まらなくなる。
「金髪のメイドのほうはどうしやすか?」
「そうだね……」
魔術を使える機人族の秘密は調べる必要がある。しかし、魔術を使える謎を解き明かして子飼いの
「ま、リリウムを人質にすればどうとでもなるさ。お前たちの好きにすればいい」
「うへへ……そいつはありがてえ話ですなぁ……」
子飼いの
ナタンはくつくつと沸いてくる愉悦に胸を躍らせていた。
魔導学科チームのグラディアトルの四体目が倒された――そのとき、突如として轟音が響いた。
稲妻の球状体が市街地の中心に現れたかと思うと、高層ビルを粉砂糖のように粉々に撃ち砕いた。
稲妻の直撃を受けた三機のエンフォーサーがバラバラに吹き飛んだ。文字通り、人型も保てないほどに散らばって市街地の道路に転がった。
「なん、じゃあ、こりゃあああああ!?」
「……魔術、だと。この威力が……、これも、奴の仕業なのか……?」
市街地の一角が稲妻の竜巻と見紛うような大破壊によって瓦礫の山と化した。一撃。たったの一撃で最新鋭機が破壊される。悪夢のような出来事であった。
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