第8話 情緒不安なアルティメット

 リリウムに魔闘術を伝授してから数日が経った。運命を決める試験は明後日に迫っている。


 まずは魔闘術を習得させようと考えていたが、数日間のトレーニングをしているうちに、リリウムは絶望的に魔闘術の相性がよくないな、と感じていた。

 魔闘術は体を鍛えているほど習得しやすい。しかし、リリウムの運動能力は壊滅的だった。反射神経、動体視力、その他さまざまな能力を試させてもらったところ――ガイストは諸手を上げて降参した。

 魔王は魔王で怠惰な性格をしていたが運動能力は悪くなかった。リリウムだけが特別にダメなのかもしれないが……あーだこーだ言ったところで何が変わるわけでもない。

 ガイストはリリウムを鍛えることをすっぱりと投げ捨てることにした。


 リリウムのトレーニングは続けていくが、魔闘術を使えるようになるまでどれくらいの時間が必要かわからない。いまはガイストがつきっきりで魔力の流れをコントロールしてやるしかない。トレーニングのたびに疲れ果ててぐったりしているリリウムに頭を抱えつつ、学生の間は魔術師として転向させるのは無理かもしれないな、とガイストは考えていた。


 ここは都市からチャーター機で数十分ほどの距離にあるただっぴろい荒野だ。赤茶けた大地の広がる不毛の大地にリリウムのおっかなびっくりとした声が響く。


集まれ、天雷ライトニングパッション・アセンブル……あたって……っ」


 真っ青な青空に網の目のように稲妻が奔っていく。無数の稲妻が天上で合流すると雷の柱となって荒野に轟いた。雷は一直線に大地に屹立する大岩に突き刺さり、硬く分厚い岩の塊をこっぱみじんに撃ち砕いた。こなごなに砕け散った岩の破片がパラパラと遠く離れたガイストとリリウムが立つ場所まで落ちてくる。


「ど、どう……ガイスト……? よくなってきた、かな……」


「威力は申し分ない。止まった標的に当てるのも慣れてきたな」


「よかった……」


 ほっと胸を撫でおろしているリリウムである。しかし、ナタンは止まっていてくれないだろうし、襲いかかってくる魔獣はより狡猾であろう。


「次の標的がやってきたぞ」


「え……?」


 この荒野で訓練をはじめて一週間。ようやくガイストの目当ての獲物が腹を空かせてやってきた。


 がぅるるるるるるる――と獰猛な唸り声があちらこちらから聞こえてくる。

 リリウムの魔術で巻き上げられた砂塵に紛れて小型の魔獣たちが音もなく忍び寄ってきていた。

 小型とは言え成人の人族であれば一飲みにできるようなサイズ感。狼のような肉食獣の体にわにのような大顎を備えた魔獣だ。


「ひ、……魔獣……っ!? ガイスト……な、なんで、魔獣が……ここは、魔獣はでないって――!!!」


「悪いな。アレはウソだ」


「えぇぇぇ……っ!? あわわ……」


 よだれを垂らしながらゆっくりとにじり寄ってくる魔獣にはやくもリリウムはへたり込んでしまいそうであった。本当にかじらせてやるわけにはいかない。ガイストはリリウムの脚に腕を回すと、さっと抱え上げる。


「ひゃ――!?」


「オレが足になってやる。魔獣をすべて倒してみろ」


「そ、……そんなこと言われても……、練習しすぎて、もう、魔力が……」


「では、昨日の分を返してやる」


 ガイストはリリウムを抱き寄せて唇を寄せる。


「ぁ……わぷ……っ……ん、んむぅ――ん、んんんん――……」


 魔闘術で操作するための体の基点で、魔力の譲渡・吸収を司る部位は口腔がもっとも効率が良い。リリウムが魔闘術を使えるならこんな真似はしなくてもいいんだが……すばやく舌で魔闘術を発動させてリリウムに魔力を流し込んだ。


 このホムンクルスの身体は限りなく人族に似せて作られているが、人工的な生命体であるため人族よりも魔力の耐性が高い。そのため、人族であれば過適性症候群どころかショック状態に陥ってもおかしくないくらいの大量の魔力を貯めておくようなことができる。

 そこでガイストは魔闘術を利用してホムンクルスの身体を魔力保管庫のように使うことができないだろうか、と考えて――これが思いのほかうまくいった。


 リリウムはオスクリダットの改修と魔術の訓練をやっているが、訓練をしない日は消費されない魔力がもったいないので、ガイストのホムンクルスの身体に保管しておいて必要な時に適宜供給する、という運用方法を実践していた。

 さらにリリウムから吸収した魔力ストックがある限り、ガイストも魔術を使えるようになった。リリウムの日常をサポートしていく上でこれは非常に助かる。


 ただし、運用していく内に問題が出てきていた。


「ぷは……はふ……ぅ……」


「おい、惚けるな」


 目をぐるぐると回して真っ赤になっているリリウムの頬をペシペシと叩く。


「えへへへ、ふふ……、だ、だいじょうぶ……んふ、んふふふふ……」


 どう見てもだいじょうぶではないが――、リリウムの魔力は完全に回復した。


 はじめの頃は激しく抵抗されていた魔力充填の魔闘術リチャージマナ・アーツであったが、最近のリリウムはそんなに暴れなくなった。その代わり薬物中毒者のような酩酊状態に陥るようになってしまった。

 リリウムが嫌がるのを宥めて医者に見せてみたものの、異常はなかったので続けているが……なんらかの精神疾患を患ってしまったら大変だ。この手法はナタンとの戦いが終わってからは封印したほうがいいだろう。


 こちらが棒立ちなのをいいことに魔獣たちが襲いかかってくる。狼のような魔獣が吼えながら一斉に駆けてくる。まずは、二匹。ガイストの首筋目掛けて飛びかかってきた。

 ガイストはフェイントで一匹の喰らいつきをやり過ごす。二匹目の魔獣は軽やかなステップで回避する。魔獣の群れはガイストの死角に回り込もうと四方から牽制を仕掛けてくる。

 いつまでも避けているのは面倒だ。さっさとリリウムに倒させたい。


「魔獣を狙え、魔獣だ。わかるか?」


「……うん……ガイストの、言うとおりに、する……んふふふ……」


 据わった瞳で不気味な笑いを浮かべるリリウムは両手をかざす。


 いかん、これはまずい感じ……。イヤな既視感に冷や汗が流れた。

 この感覚は戦場で魔王のお守りをしていたときに、「我は新しい魔術の威力を試したいぞ、刮目するがよい」などとのたまいだしたときに感じた第六感だ。


「闇よ、暴食の障壁ウォール・オブ・エクリプス!」


 直感的に暗黒魔術を発動させた。漆黒のヴェールがガイストたちを包み込むのと同時に、リリウムがすぅっと息を吸い込んだ。


「せ――の、どっかぁぁぁ――んっ……!!!」


 リリウムの興奮したはっちゃけた魔術詠唱が荒野に響き渡る。

 魔力の礫がキラキラと煌めきながら大気に混じりあい、閃光を迸らせながら連続して大爆発を起こした。ガイストたちの手の届く距離で――。


 光の奔流に呑み込まれて、狼のような魔獣は肉片ひとつ残らずに消し飛んだ。次いで荒野の大地が抉られて大量の土砂が巻き上げられる。すさまじい黒雲が膨れ上がっていく……遠くから見れば巨大なキノコ雲が立ち上がっているように見えるかもしれない。


「っ――っとと」


 ガイストは強い風にあおられてバランスをとる。砂煙が晴れるとあたりの景色は一変していた。

 リリウムの魔術によって、荒野には地形が変わるほどの広大な亀裂が穿たれていた。眼前は断崖絶壁だ。ガイストは亀裂のど真ん中に残された岩柱のようになった地面に立っていた。


「ふふふ……ガイスト……、私、ちゃんと……できた、よね……?」


「きさま……」


 魔術の威力を考えて発動するように、魔術の詠唱は正確にやれ、魔術の発動する位置は離れた場所にしろ、エトセトラ。矢継ぎ早にお小言が喉元まで出かかったところで「ちょっとまてよ」と思いとどまる。

 複数の標的を殲滅するのであれば破壊力に特化したほうが確実、一匹ずつ倒すと時間がかかり被害が拡大することを考えると狙いを定めない広範囲魔術は有効、魔術のイメージがしっかりとできるのであれば詠唱などどうでもいい、ガイストが守ってくれると信頼している、などなど。同じくらい利点もたくさん思い浮かんだ。


 本当に考えてやったのであれば優秀かもしれない。だが、とてもそうは思えないところは、問題だ。


 リリウムの満面の笑みからは「褒めて褒めて」と言いたげなオーラが全開で溢れだしている。

 この笑顔にお小言を言うべきだろうか。怒鳴りつけるのは簡単だ。しかしながら、かつての魔王であったなら涙目でふてくされて部屋から三日は出てこない。リリウムはどんな反応を示すのだろうか、……試すのは少しばかりためらいが残る。


 いかん、このままでは。ここは、鬼にならねば――魔王と同じ轍を踏むことになりかねない……!


 リリウムの小動物のような無垢な瞳がじぃっとこちらを窺っている。ガイストは奥歯をかみしめて気合を入れなおす。


「………………ああ、上出来だ。がんばったな……、つ、次は……だな。――いや、……まぁ、うん……よくやったな」


「うん……!」


 ガイストは日和った。

 二回に一回、三回。いやいやいや、五回に一回くらいのペースにしよう。褒めて、おだてて、労わって、なだめて、やさしくして、一回はちゃんと怒る。それくらいであれば大丈夫。大丈夫なハズだ。


「帰るか」


 ガイストは数分前の決めた意志をバッキバキに折り曲げて心の底に蓋をする。何事もなかったかのように荒野の大渓谷を背に都市へと戻ることにした。




◆◇◆◇◆




 翌日のお昼時のこと。

 いつものようにガイストのお弁当を堪能していた漆香は、公園の大型ディスプレイに表示されていた魔獣関連のニュースを眺めていた。


 都市からほど近い荒野にて大規模な破壊の痕跡が見つかったとの報道だった。魔獣同士が暴れた痕だと言われていたが、どうやら一匹の巨大な魔獣が起こした破壊のようだと大騒ぎとなっている。


 都市から近い場所でこのような破壊痕が見つかるのは大変な事態だ。都市からは連日のようにグラディアトル部隊が周辺警戒のために動いていた。


「うーむ、これはなんの仕業だと思う? 本当に災害級の魔獣が近づいているのか、だとすれば恐ろしい話だ……って、おい。二人とも聞いているのか?」


 リリウムはおにぎりにもそもそとかぶりつきながら「……そそそ、そ、そう、だね、こわい、ね……」と答えて、俯き加減に食事を続けている。ガイストは太陽の燦々と降り注ぐ公園を眺めながら「良い洗濯日和だな」などと呟いていた。


「どうしたんだ、具合でも……んん、あまり思い詰めないようにな」


 どことなく顔色の悪いリリウム。いつにも増して無愛想なガイスト。二人の様子に明日の試験のことを気に病んでいるのか、と深くは訊ねないことにした。

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