第4話 悠久のプラチナ

 玄関から一歩外に出れば、いつもと変わらぬ人々の日常が動きだしていた。学生寮の前を小学生の子供たちが駆けていき、街路に設けられた小さな噴水広場では主婦たちが他愛ない話に花を咲かせている。

 主婦たちがこちらに気づいて目を見開く。だが、驚いていたのをすぐに引っ込めて「おはようございます~」と口々に挨拶がとんできた。


「お、おはよう……ございます……」


 リリウムはぼそぼそっと呟いて会釈をすると、そそくさと歩いていく。金髪の美少女ガイストは優雅にお辞儀をして「おはようございます」と返す。


「わぁ……おねえちゃん。きょうはいつもとちがうね!」


「え?」


 声のしたほうへ視線を落とすと、リリウムの横を駆けていこうとしていた小学生の女の子が目を輝かせていた。


「とってもかわいいよ! おひめさまみたい! あ、みんないっちゃった――じゃあね!」


 バイバイと手を振りながら小学生の女の子は走り去っていく。

 かわいい? おひめさま? ……いままでそんな言葉をもらったことは一度もない。一体誰に言われているのか理解できなくて不安になる。


「あの……」


 後ろを歩く金髪の美少女ガイストを振り返ると、彼は小学生の男の子たちに絡まれていた。

 金髪の美少女ガイストが正面のめがねをかけた男の子をあしらっていると、背後から忍び寄っていたやんちゃそうな男の子が、メイド服のスカートを勢いよくめくりあげた。

 清澄な朝の日差しの下にレースのガーターベルトと純白のショーツがあらわになる。


「白のレース! ざんねん、ぼくはおとりさ!」


「へっへーん、連携プレーだぜっ!」


 スカートをめくられるのはいつもリリウムであったが、本日の標的は金髪の美少女ガイストになったらしい。


「……こ、こらっ! あなたたちっ!」


「「にげろー!!!」」


 リリウムがいつものように叱りつけるも、男の子たちは笑いながら風のように走り去っていく。


「理にかなった動きだ。お前たち、いい戦士になるぞ」


「何を言ってるの……」


「子供たちに笑顔がある。健やかに心のゆとりある生活がある。平和な証拠だ」


 金髪の美少女ガイストは慈しみに満ちた笑みを浮かべている。元気いっぱいの子供たち、小さな噴水広場にたむろする主婦たち、そして整備された都市を見渡して感慨深げに頷く。


「そうじゃなくて……。もうすこし、恥じらいを……!」


「見せて恥ずかしいものなど履いていない」


「だからと言って見せていいわけじゃなくて!!!」


 リリウムの怒声に道行く人の視線が集まる。

 恥ずかしい――かぁっと顔が熱くなる。いつもいつも人目につかないように生活しているのに、どうして朝からこんな目に合わなければいけないのだろうか。


「……っ! は、はやくいかないと……っ」


「急ぐほどの時間ではないぞ?」


「いいからっ!」


 リリウムはひったくるように金髪の美少女ガイストの空いた左手を掴むとぐいぐいと引っ張る。好奇の視線から逃れるように学校への道を急いだ。




◆◇◆◇◆




 リリウムの通う学校【アルマリット・ハイスクール】は、世界でも指折りの名門校であり、大企業のCEOや一流開発企業の技術者、傭兵企業のトップランカーや軍のエースといった各分野の天才児を毎年排出するような学校だ。

 人族・機人族の差別なく誰でも受け入れるが、学費が払えない者や問題を起こす者、学業不振の者は容赦なく退学を言い渡される厳しい学校としても有名だ。


 リリウムは困惑していた。

 学校の敷地内に入っても学生や教員から向けられる視線は減らなかった。そして視線の種類もいつもと何となく違う。いつもは陰口を叩かれているような不快な視線でリリウムを眺めて、足早に通り過ぎたり無視をされる。

 どう違うのか?

 まず後ろからついてくる金髪の美少女ガイストを見て、顔を赤らめたり、ボケっとした顔をしたまま固まったり、黄色い声をあげてひそひそ話をしている。それから、前を歩くリリウムを見て、愕然とした顔をして――ひどい者は顎が外れたかのように口を開けていたりする。

 すれ違う学生たちの反応を見るたびにリリウムはげんなりと肩を落とす。


 はぁ……やっぱり化粧なんてしなければ良かった。あとで顔を洗わないと……。


 後ろを歩いていた金髪の美少女ガイストがリリウムの隣へ。学生たちの視線から守るように並んだ。


「胸を張れ。きさまはもっと自信を持つべきだ」


「……そんなこと……できるわけ、ない」


「何故だ? なにを怯えている?」


 この機人族にインストールされている戦士の魂は、性格はよくわからないし感性はひどくズレているが、きっと優秀だったのだろう。だから、できそこないのリリウムの気持ちなど露ともわからない。だから無遠慮に踏み込んでくる。


「わからない、なら……話したくない。もう黙ってて」


「そうか――」


 金髪の美少女ガイストはあっさりと引き下がった。しかし、どこか怒っていたり悲しそうな顔はしていない。まるでわかっていたよ、と言いたそうなすました顔をしていて……リリウムはさらに嫌な気分になった。


「校舎についたら、……あとは自由にしてて……お昼になったら迎えにきてくれればいい、から……」


「承知した。学校を見学させてもらおう」


 目的地である校舎へと近づくにつれて学生の数は増えていく。集める視線も多くなり、視線はずっと下を向きっぱなしだ。だが、校舎の前に立つ友人を見つけるとリリウムの表情はすこし明るくなった。

 リリウムの友人――黒髪の美少女が顔を上げて、目を丸くする。


「めずらしい、あれだけ嫌がっていたのに。かわいいじゃないか」


「やめて……似合わないの、わかってるから……あとで顔を洗ってくる……」


「まて、それこそもったいないぞ!」


 黒髪の美少女の名は、九々龍くぐりゅう 漆香しずかと言う。

 強気な瞳にハキハキとした口調、東方で見られる艶やかなロングの黒髪、学校の秩序を守る生徒会の最高位腕章、漆香はアルマリット・ハイスクールの誰もが知る有名人だ。


「…………ショウグン、か……?」


 金髪の美少女ガイストがまたよくわからないことを言っている。

 リリウムがマオウで漆香がショウグンとはどういう意味なのだろうか。漆香も何を言われているのかわからないと眉根を寄せる。


「ショウ……? 彼女はなんだ? 人……いや、機人族か。あまりホムンクルスっぽくないな、リリが作ったのか?」


「うん、まだ未完成だけど……最近、その……物騒だから……。護衛ガード代わりも兼ねてるの」


「ああ……確かに必要だ。本当はわたしが、と言いたいんだが」


「ううん、いいの……。だいじょうぶ……」


 漆香は同学年で必修科目は同じクラスに所属している。だから、ほとんどの時間は漆香の護衛ガードがついているようなものだ。しかし、漆香は戦術学科の生徒でリリウムとは常に一緒にいられるわけじゃない。これ以上の迷惑はかけられなかった。


「しかし、大丈夫か? 彼女は戦闘用ホムンクルスじゃないみたいだが……。お前の名は?」


「ガイストだ」


 金髪の美少女ガイストは腕組みをしたまま鷹揚に挨拶をする。漆香の目が点になり、胡乱な眼差しをリリウムに向けた。


「……え、彼女……ではなく、もしかして彼なのか?」


「うん……」


「そうだが?」


 漆香は額を押さえて天を仰ぐ。


「ちょっとまて……リリ、……さすがに、ひどくないか――? ガイストがかわいそうじゃないか……しかも、女子寮に男なんて」


「だ、だって! 男の人は、怖いし……新しいホムンクルスなんて用意できないし……」


「しかしだな! 未婚の女の部屋に、お、男がなんて……! 校則だって女子寮に男は……あぁ、い、や……ぇぇ……女のホムンクルスだからいいのか? ……いや、しかし………ぅぅ………」


「支障はない。この体躯でも十分に戦えるはずだ」


「そういう問題じゃない! だいたい、お前はそれでいいのか!?」


「良くはないがな……」


 わめく漆香、困り顔のリリウム、泰然としたガイスト、とにぎやかにしている雰囲気の中、一人の男が歩み寄ってきた。


「ずいぶんと、朝から楽しそうじゃないか。俺も混ぜてくれよ」


 ぞわっとリリウムの肌が粟立つ。

 漆香はリリウムを背中に隠すように立つ。金髪の美少女ガイストも空気が変わったのを理解したのか、漆香に倣うようにリリウムの壁になっている。


 本当はリリウムが一人で相対し、立ち向かわなくてはいけない相手だ。漆香の背中からほんの少しだけ顔を出して様子を窺う。


 よく鍛えられた細身の体に背丈よりもはるかに長大な刀を持った男子学生がいた。背後には二人のホムンクルスのメイドを連れており、男子学生の重そうな荷物を抱えている。

 彼の名前は、ナタン・レイヴンブランド。

 世界最大級の傭兵企業のひとつ、レイブンブランドの社長の息子だ。社長の息子と言う肩書に恥じないように、ナタン自身も傭兵ランキングで十三位に登録されている凄腕であり、単純な戦闘能力は漆香を上回る。

 にやにやと笑うナタンと目が合い、リリウムは漆香の制服の裾をぎゅっと掴んだ。


「ダメかい? 話がしたいんだけど」


「悪いが女同士の話なのでな、遠慮してもらおう。……さっさと行くがいい」


 漆香の気配はがらりと変わっていた。さきほどまでの和やかな空気は消え去り、ひりつくような気配を放ちながらナタンを睨みつける。ナタンはおどけた仕草で肩をすくめる。


「怖いなぁ、婚約者にあいさつしたかっただけなのに。ひどい話じゃないか。生徒会長様は生徒のプライベートにまで口出しする権利でもあるのかな?」


「お前の行動はたびたび目に余る。もめごとになりそうなことを未然に防ぐのが生徒会の役目だ」


「ふぅん? まぁ、いいけど。九々龍とレイブンブランドの空気は悪くなりそうだ」


「子供のケンカに親が出てくると思うのか? どのみちウチはお前の企業と関わりなくても問題ない」


「そうかい。――それじゃあ、リリウムに伝えたいことがあったけど……また放課後だね」


 ナタンはひらひらと手を振りながら上級生の校舎へと去っていった。

 はぁ、とリリウムは胸を撫でおろす。ナタンが去って安心したものの彼が気になることを言っていた。伝えたいことが何なのかはよくわからないけど、とても嫌な予感がする。


 ふと、隣にいる金髪の美少女ガイストのつぶやきが聞こえてきた。


「……レイヴンブランド……。サンボウ、か…………無残だな」


 金髪の美少女ガイストは去っていくナタンの後ろ姿、ではなく彼の持つ長大な刀を注視していた。

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