第3話 ヴェーロノークの朝

 リリウム・ヴェーロノークは魔術を使えない。幼いときに発病した純魔素イーサ・ピュアの過適性症候群が原因だ。

 過適性症候群は、魔術を発動させる際に消費する魔力が多すぎるため、魔術をコントロールできない病気。魔術を無理に使うと、暴発させて死に至ることもあるため、魔術をあきらめる者も多い。例にもれずリリウムも兵器開発系の技術者となる道を選んだ。


 しかし、現実は安易な選択を許さない――。


 ヴェーロノーク、死んでも逃れられない呪いの名前がリリウムに重くのしかかっていた。

 朝が来ても目覚めなければいいのに、とリリウムは常々思っている。自殺したいと思っているわけでないし、毎朝ノロノロと起きて授業に出席、試験も受けている。

 だが、さほど遠くない月日の経過でリリウムの生活は失われ、何十年も続くであろう冷たい牢獄のような人生を受け入れなければならない。リリウムが朝目覚めると、いつも枕は冷たく濡れていた。




◆◇◆◇◆




 まばゆい光が差す。眩しい朝日に照らされてリリウムは身じろぎする。いつもはけたたましい目覚まし時計の音でたたき起こされると言うのに、陽の光に当てられて目覚めるのはとても――自然な感じだった。


 リリウムがぼんやりとしていると、かわいらしい少女の声がした。


「さっさと起きろ、今日は生物学の授業が予定されているぞ」


 声の主を探すと、朝日に背に受けながら傲然と立つ金髪の美少女ガイストの姿があった。何故か手にはタオルと洗面具を抱えている。


「ぇ……? え……?」


 回らない頭のまま起き上がる。手をついた枕はどういうわけか冷たくなかった。


隷属する影シャドウスレーブ……は無理か。よし、いくぞ」


「ちょ、……ぃゃ――! わ、私……裸で――!?」


「問題ない、支度は整っている」


 裸で寝ているから見るな、って言いたいのに――――っ!


 心の中で叫びながら身を捩って逃げ出そうとするも、金髪の美少女ガイストにベッドから抱え上げられてしまう。そしてスタスタとベッドルームを抜けて、バスルームへと運ばれてしまった。


「ぁ……、な……んで。お風呂は……」


 バスタブは使わない道具や日用品の空き容器を積み上げていたせいで使えなくなっていたはずだ。いつも狭い空きスペースでシャワーを浴びるだけだったバスルームが、カビひとつない整頓された空間へと変貌していた。


「清掃した。一通り、な」


「掃除を……って、なんであなたまで入ってくるの!?」


「きさまの世話をするために決まっている」


「そんなの、いらな……ぅ……っ」


 一糸纏わぬ姿となった金髪の美少女がリリウムの横に座る。自分が作ったとはいえ、艶やかな髪、きめ細やかな肌、女性らしい胸の豊かさと腰のくびれ、完璧な肢体が動く様を見せつけられて思わず目を奪われてしまった。


 リリウムが固まった隙に、金髪の美少女ガイストはリリウムの長い銀髪をくしで丁寧に梳いてからぬるま湯でやさしく洗っていく。まるでリリウムの髪の癖を知っているかのように手馴れた仕草であった。


「あとは自分で――、はわ……、はぅ……前はダメ、……、……じぶんで――」


 リリウムの声を気にもせず、金髪の美少女ガイストは泡立てたスポンジをやさしく滑らせる。


「そこは……! そんなところまで――!? やわっ!? 背中に、背中に当たって――」


「静かにできんのか、きさまは……」


「だ、だって……」


 泡立ったスポンジで全身を余すところなく洗われて、恥ずかしいやら気持ちいいやら、顔色を赤くしたり青くしたり忙しい。リリウムは最後まで気が動転したままされるがままになっていた。

 きれいさっぱりと洗われたあとは金髪の美少女ガイストに長い銀髪を乾かしてもらい、しわひとつない学生服を着せられて、――リビングルームのテーブルに座らされていた。


 リビングルームは一新されていた。

 壁際に部屋の基調に合わせた棚が用意され、乱雑に置かれていた機材がラベル付きで保管されている。くしゃくしゃの衣服はすべて選択されてからアイロン掛けされている。痛んだ食料品、得体の知れないもの、その他エトセトラ……ゴミはすべて処分されていた。

 こんな広い部屋だったんだ、と間抜けな思考がよぎる。まるで自分の部屋ではないみたいだ。


 そこへ、食欲が湧いてくるとても美味しそうな香りがしてくる。


「この世界は便利になったものだな。いつでも新鮮な食料が購入できる」


 金髪の美少女ガイストはテーブルに朝食を並べていく。湯気のたちのぼる卵のスープ、色鮮やかな果物クィ葉菜チーラのサラダ、一口で食べられるサイズに切りそろえられたミニサンドイッチ。

 朝食を用意してくれたのだろうが、食の細いリリウムは朝食を食べない主義だ。

 だいたい作ってくれと頼んでいないし、まるで子供のように扱う態度も面白くない。何でこんなに世話を焼かれなくてはいけないのか。


 リリウムはムスッと機嫌悪そうに言い放つ。


「私、朝はいらない……から……っ」


 リリウムは食に関心がない。昼に無人販売店スマートストアでカロリーバーと牛乳を、夜はスナック菓子を食べたり何も食べなかったり、適当だ。


「適当に……」


 捨てておいてと言って席を立ったところで……、お腹がきゅ~っと音を上げた。


「~~~っっっ」


 金髪の美少女ガイストがクスっと笑う。顔が熱くなる。恥ずかしくて死にそうだった。


「わた、私は――」


「食べきれなければ残せ。明日は量を考える」


「ぅ……」


 食べないとは言わせんぞ、と目で凄まれて言葉が出てこない。それに、盛大の腹の音を聞かせておいて、いまさらなにか言っても恥ずかしさが増すだけだった。


「……わかった……い、いただきます……」


 一口だけと思ったサンドイッチをパクリと、齧る。やわらかな肉のうまみとピリッとした香草のスパイスがじんわりと口に広がる。

 瞬間、鳥肌が立った。


「……おいしい……!」


 機人族の家政婦がつくるご飯の味とは違った。言いようのない温かな気持ちが広がるような、しょっぱい、からい、あまい、にがい、など単なる味覚では言い表せないまろやかな味わいに衝撃を受けた。

 チキンサンドを食べ終えて、トマトとチーズのサンドイッチへと手が伸びた。


「慌てるな。まだ時間はある」


 そう言われても困る。手が止まらない。あっという間にサンドイッチは胃に消える。ほどよくドレッシングのからんだサラダに舌鼓をうち、卵のスープを飲み干す。


「……ぁ」


 皿はきれいになっていた。完食だ。

 からっぽになってしまった皿を前にリリウムはしょんぼりと肩を落とす。


「それくらいにしておけ、眠くなる」


 まだまだ食べられそうだったが、金髪の美少女ガイストはお代わりを出す気はないらしい。


「昼もつくってやる。食べるならな」


「ぅ……。おねがい、します……」


 ご飯を食べる時間なんてもったいない、お腹なんか空かなければいいのにと思っていたのに、リリウムは金髪の美少女ガイストのつくるお昼に期待している。とても変な感じだった。


「片付けておく、さきに歯を磨いておけ」


「……うん」


 促されるままにバスルームへと追いやられてしまう。ぎくしゃくと使い慣れた電動歯ブラシを口に突っ込んで――昨晩のことを思いだす。


 昨日の夜、専用ラボで考え事をしてたら大きな音がして……様子を見に行ったら、魔導工学(兵器)の学科試験のために制作していた魔装鎧、オスクリダットが勝手に動いていた。


 でも、まず……それがありえない・・・・・


 魔装鎧は誰かが操縦することで動きだす。または、機人族をインストールして操縦を任せることで動きだす。

 きちんと兵士として教育された機人族をインストールすることで強力な魔装鎧を創り出すことができるのだが、お金のないリリウムは高性能の機人族を用意することなんてできない。

 しかたなく格安で購入した古代の戦士の魂をカスタマイズしてインストールしたら、オスクリダットの電子頭脳がクラッシュして復帰処理状態になってしまったのだ。

 それなのに、うんともすんとも言わなかったオスクリダットがまるで問題ないように起動していたのでとても驚いた。


 インストールした機人族がバグっていたら怖いので、暴れないように所有者登録スレーブ・アクティベーションした。そして、オスクリダットに宿る機人族が正常かを確認するため、護衛ガード用に作成していたメイドタイプの人造人族ホムンクルスに再インストールして……問題なさそうだったので安心して眠ったことまで覚えている。


 しかし、メイドタイプの人造人族ホムンクルスは制作途中のため基本知識しか持っていない。どうして完璧なメイドの仕事ができるのかさっぱりわからない。

 それに言葉遣いや仕草は所有者登録スレーブ・アクティベーションが済んだらあるていど矯正されるはずなのに……。どうしてあの機人族ガイストは素のままでいられるのか。


 首を傾げながら歯を磨き終えると金髪の美少女ガイストがバスルームに入ってくる。


「座れ。いつもは髪を結っているのか?」


「とくになにも……いつもそのまま……」


「いかんな。身綺麗であるのは男でも女でも嗜みだぞ」


 金髪の美少女ガイストはリリウムの銀髪に触れる。ヘアアイロンで癖を落とし、目立った枝毛を落とす。丹念にくしを入れて絹糸のようにサラサラの髪に仕上げていく。リリウムがいつももうしわけ程度にやっていたセットなどとは比べ物にならない。もしかすると、お金があった頃に通っていたヘアサロンより上手いかもしれない。

 間を置かず、金髪の美少女ガイストは化粧道具を手に取る。ふっと息を吹いて埃を払う。


「化粧もしないのか?」


「べつにいらない、もの。……私なんか、見る人いないし、……なくたって、問題ないから」


 生まれたときに母を亡くしているリリウムは、化粧のやり方を教えてくれる者などいない。友人に勧められて買ってみたものの、見よう見まねでやっているうちにうんざりして、最後はバスルームのすみに置きっぱなしになっていた。


「オレはそうは思わん。己を貶めるな」


「やめて。……私を、笑いものにしたいの……?」


 ひそひそと囁かれるリリウムの話題はネガティブなものばかりだ。――根暗なひきこもり女。影の薄い娘。魔術の使えない役立たず。落ちぶれかけた家の当主。そんな自分が身綺麗にしていたところで「勘違い女」のレッテルが新しく背中に張られるだけだ。


「リリウム……」


 鏡越しに金髪の美少女ガイストの相貌を見つめる。彼女の瞳はリリウムをじっと見つめている。金銭で雇われた機人族のお手伝いたちのような事務的な振る舞いや義務感はない。どことなく子供に向けられる慈しみのような……不思議な眼差しであった。


 視線がぶつかり合う無言の攻防ののち、折れたのはリリウムであった。


「知らない……、勝手にして……」


「すぐ慣れる。手順だけは覚えておけ」


 金髪の美少女ガイストの細い指先が動く。日焼け止めクリーム、ファンデ、アイシャドウ、ライン、チーク、リップ……テキパキと化粧を終えるとリリウムから離れた。


「終わりだ、出るぞ」


 リリウムは玄関に連れ出されると、最新式の無線式情報端末の入ったカバンと学生証を手渡される。そして、制服の胸元にヴェーロノーク家の紋章をつけられた。身に着けるのが嫌になっていたのでほっぽらかしていたのだが、紋章は輝かんばかりに美しく磨き上げられていた。

 金髪の美少女ガイストはお弁当を持った手提げ袋を携える。彼女自身の支度はリリウムを起こす前から完了している。


「ついてくるつもり、なの……?」


「護衛を頼んだのはきさまだ」


 リリウムははたと思いだした。ガイストに振り回されて完全にすっぽ抜けていたが護衛は必要だ。きちんとした護衛を雇うお金はないし友人にもこれ以上迷惑をかけられない。……金髪の美少女ガイストの性格は厄介事を起こしそうだが背に腹は代えられない。

 リリウムは小さなため息を吐くと、憂鬱な気分を抱えながら玄関から一歩踏み出した。

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