第1章 見知らぬ世界と変わらぬ顔触れ

第2話 オスクリダッドに宿る戦士

 ガイストは怒声を上げてから一転、得体の知れない感覚に身を研ぎ澄ませる。


 どうした? 何が、起きている――?


 何故か、ガイストは記憶がなかった。もちろん己が誰なのか、かつての戦いの記憶、魔王や将軍や参謀などの仲間たちのことは覚えている。思いだせないのは、いまが何時いつなのか、昨日のこと、明日にやろうと考えていたことだ。


 この体は、なんだ? 異常な虚脱感、魔力枯渇か?

 それに……この身体はいったいどうした?


 ガイストの身体は漆黒に黄金のラインが入った全身鎧の姿になっていた。しかし、ガイスト愛用の黒鎧こくがいではない。何より驚くべきは……胸甲が大きく開いており、全身鎧の中身はがらんどうであった。


 身体がない。オレは死んだのか――? だが、何故?


 試しに身体を動かしてみると、すんなりと腕が動く。脚を踏み出せる。両腕と両足を固定していた金属糸ワイヤーを引きちぎり、身体を支えていた支柱をへし折り、身体の自由を取り戻す。

 ガイストは己の身体を観察する。

 まるで中身のない巨大な鎧……意志ある鎧リビング・アーマーになった気分だ。だが、ガイストの知っている意志ある鎧リビング・アーマーよりも滑らかな動きをしている。意のままに金属の身体を動かすことができる。

 おそらく関節部や開け放たれた胸鎧から除く精密な金属部品の集合体が己の体躯を形作っているのだろう。どうしてガイストの及びつかない超技術が存在するのか、さっぱり理解できていなかったが、わからないことは聞けばいい。


「見ているだけか? 来ないのならこちらからゆくぞ」


「――っ」


 息をのむ声がして小柄な人影が震える。隠れて様子を窺っているのは、若い女だ。


「……う、……動かないで……」


 雑多に金属部品を収納したラックの影から姿を見せたのは、銀髪の美少女である。


「魔王――? ……いや……違うな……」


 聞きなれた声、見慣れた顔、いつもと変わらぬ容姿に魔王の姿が思い浮かぶ。だが、目の前にいる双子同然の銀髪の美少女は魔王ではない。魔王はガイストに負けぬ気迫をもつ戦士でもあった。ガイストを姿を見て怯えるなんてことがあるはずがなく、目の前に異形の怪物がいたとしても不敵な笑みを浮かべるだろう。


「ま、おう……?」


「ひとりごとだ。……きさまの名は?」


「きさま……? どうしよう……このキジンゾク、バグってるのかな。……暴れないうちに登録、しないと。――所有者登録スレーブ・アクティベーション、リリウム・ヴェーロノーク」


「ヴェーロノーク、だと……」


 辺境にあった小さな魔族の街が確かヴェーロノークだったはずだ。ヴェーロノークは魔獣の襲撃でたった一人の少女を残して全滅してしまった。生き残った少女がやがて力をつけて魔王となる。


 キジンゾク、と言う単語はわからないが……ガイストの金属の身体を意味する言葉であるとするならば――、機人……族……か? 聞いたことのない種族だ。


 と、そのとき。ガイストは体に異変を感じた。


「む、これは」


 銀髪の美少女リリウムが告げた所有者登録スレーブ・アクティベーションなる制約が、ガイストの精神と身体を支配しようと、全身を駆け巡っていた。

 ガイストの開いた胸鎧から見える美しい鏡ディスプレイに「リリウム・ヴェーロノーク」の文字が躍る。


 ガイストは嗤う。

 脆い、――このような惰弱な精神支配など効かんな。


 ガイストは己を支配しようとする所有者登録スレーブ・アクティベーションの魔術効果だけを……鍛えぬいた精神力で粉々にうち砕いた。

 リリウムは全く気づかない。

 ディスプレイに表示されるパラメータに異常がないため、所有者登録スレーブ・アクティベーションがありえない例外処理エクセプションになっているなど、履歴ログを精査しない限りわかるはずがなかった。


 所有者登録スレーブ・アクティベーションを済ませたことにより全身の虚脱感が消えた。パスのようなものがリリウムとガイストに結ばれて、リリウムの魔力がガイストの魂に流れ込んでくる。


 所有者登録スレーブ・アクティベーションとは「魔術契約による魔力譲渡の技術」のようだ。機械人は主人からの魔力譲渡パスを一方的に切られれば生きていくことはできない。渡される魔力も魔術を使えないくらい微量の魔力しか与えず「機械人を逆らえぬように支配する」よくできたシステムだ。


「リリウム・ヴェーロノーク、良い名だな」


「登録できた……? ……命令、あなたの、名前は……?」


「ガイストだ。――これも何かの縁、よろしく頼む」


 とは言え、いつまで協力するか。

 いつまでも魔王軍を放っておくわけにもいかない。何せ、魔王たちあいつらを放っておくと何をやらかしてくれるか……頭が痛い話だった。


「よろしく――。……えらそうな機人族……。兵士タイプの機人族ってこんなだったかな……? でも、これなら……きっと……」


 ぼそぼそと何事か呟きながら思案に暮れるリリウムをガイストはじっと観察していた。


◆◇◆◇◆


 機人族と呼ばれる種族は己の肉体を持たない代わりに自由に身体に乗り換えることができる。機械仕掛けの大鎧グラディアトル人造人族ホムンクルスなど職務に応じた体を与えられるのだとか。


「――……。正気か、きさま……」


 金属の身体とは異なる、新しく与えられた人造人族ホムンクルスの身体に触れながら、ガイストは不満そうに唸る。


「何故、女の身体に乗せ換えた――っ」


 ぶっきらぼうでもかわいらしい美少女の声に違和感しかない。最大の不満はこの体躯だ。とにかく動きづらくてしかたない。

 全身白をメインとした配色に濃紺のアクセントが映えるメイド服は、激しい動きをするとスカートがめくれあがるし、メイド靴の細いヒールは走りづらい。さらに、ふっくらと曲線を描く胸と尻がずっしりと身体に負担を掛けている。せまい通路や開きかけの扉をすり抜ける時など体のサイズ感を間違えて胸や尻がつっかえてしまう。


私のグラディアトルオスクリダッドは、魔獣と戦うためのものだから……。普段使いで動かすものじゃないし……、大きすぎて、部屋に入れないよ……」


「男の人造人族ホムンクルスはないのか?」


「男の人は苦手、で……落ち着かないから……。ちょうど女の子の護衛ガードも、欲しかったし……」


 リリウムが生活しているのは教育機関より貸与されている学生寮だ。女専用であるため男は入室できない。男がこの部屋に出入りしているのは問題があるだろう。

 男が苦手であるという生理的な反応も理解できないことはない。かつての魔王軍でも個人の自己免疫疾患や趣味趣向、その他生理的な反応に対する配慮があるていど認められていた。

 深いため息をついてから、ガイストは思考を切り替える。


「……それがきさまの望みならば従おう。剣と魔術は得意だ、戦闘はまかせろ」


「張り切らなくていい……剣とか、古いし。壁になってくれれば……へいき。ふわぁ――」


 リリウムが大きな欠伸をする。時刻を見ればすでに深夜零時を回ろうとしている。


「もう、寝るね。あなたはその辺で、適当に……。おやすみ、なさい……」


「……このごみ屋敷のどこで適当にしろと言うのだ?」


 ガイウスがリビングルームを見渡すと、床には足の踏み場もないほどの機材やら食料品やら衣服やら乱雑に積み上げられている。

 リリウムは何も答えないまま寝室へと消えていった。


 やれやれ――、ならば適当にやらせてもらうとするか。


 まずは、情報端末を手に入れる。未知の機械であるがこの身体には基本の現代知識が備わっていて使い方を理解している。女の身体になったが悪いことばかりではない。

 ごみ屋敷をかき分けて旧式の無線式情報端末を探し出すと適当な金属部品に腰かけた。情報通信網エーテルネットに端末を接続。軽快にキーボードをたたいて知りたい情報を検索していく。


「オレの知る時代は大昔だな……記録もない、か」


 魔王や魔族の国が語られているのは口伝を書物にした物語だけ。回顧に耽るのをやめてはっきりと記録の残された歴史を学ぶことにした。


 この世界は人族か機人族の二種類に別れている。人族には魔族だけが持っていた特徴が受け継がれている者がいるので、人族と魔族は異種交流を経て一つの種族に混じり合ったようだ。


 機人族の誕生はいまから千年前にさかのぼる。

 とある大災害によって魔力を構成する魔素イーサが汚染され、大気に存在する魔素イーサはすべて純魔素イーサ・ピュアと呼ばれる物質に変質したことにより、純魔素イーサ・ピュアを分解・吸収できない生物が大量絶滅した時代があった。

 人族もまた純魔素イーサ・ピュアを分解・吸収できない者はみんな死んだらしい。さらに、純魔素イーサ・ピュアに適応した魔獣は人族の大きな脅威となり、人族の人口は減少、社会が大きく衰退したようだ。


 その後、純魔素イーサ・ピュアを吸収・分解して魔素イーサとして他者に譲渡する技術が生まれ、純魔素イーサ・ピュアの分解・吸収できない幼児の魂を機人族として延命させるようになった。

 機人族は人族に創り出された種族のため、例外はあるものの召使や奴隷のような扱いをされている。もともとは同じ人族ではないか、との意見もあるが、差別や不当な扱いは社会全体に黙認されている。


「こんなものか」


 小一時間、ガイストはこの世界の事情を調べた。どうやらガイストが生きていた時代とはすべてが変わってしまったらしい。人々の生活はもちろんのこと、戦闘技術や魔術のありかたも全然違っている。剣と魔術で戦っていたガイストの感覚をリリウムが鼻で笑う理由もわかる。


 最後に。

 リリウムの名前の由来についても調べてみた。魔族や魔王に関する記録は見つからなかったが、どうやら古い時代から続く家名として世界的に知られているようだ。


「リリウム・ヴェーロノークに魔王の面影を感じる、が……魔王の血を継承する者があのような覇気のない少女になるとは思えん…………、――っ!? ……もしや……ありえるのか……?」


 ガイストは死んだ記憶がない。大往生であったのか、戦場で果てたのか、最も恐ろしいのは魔王たちあいつらを更生できないままガイストが死んだ場合だ。最悪、魔王国が崩壊してもおかしくない。

 魔王たちあいつらの父やら母やら祖父など先代たちに「娘ごとむしろ財産ごとやるからなんとかしてくれ!」と必死の形相で乞われた記憶がよみがえる。もちろん「ふざけろ。自分でやれ」と突っ返しているが――。


 すべて「かもしれない」推測に過ぎないが、リリウムが魔王の末裔ならば――ガイストの為すべきことは決まっている。


「修正しなければならん、か……約束だからな」


 ガイストは異様な気迫を漲らせながら立ち上がる。

 かつての魔王軍の仲間たちが見たら、腰を抜かしてへたり込むか、涙目で謝ってしまいそうな、とてつもない気配を纏っていた。

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