世話のやける魔王様は次代を超えてもダメな娘になるので目が離せない

horiko-

序章 最強の黒衣

第1話 魔王の影


 ――かつて人族と魔族が手を取り合い、魔獣の脅威に立ち向かっていた時代。史上最強と謳われた男がいた。


 身の丈を超える黒金鉄の大剣から繰り出される剣技に敵う者はなく、暗黒魔術で万の魔獣を薙ぎ払う一騎当千の姿は、子供たちの英雄物語として語られるほどであった。

 影の大剣使い。

 黒鎧こくがいの魔術師。

 彼は敵・味方から様々な名で呼ばれた。もっとも有名な名は、魔王軍の中核を為す者たち……魔王、将軍、参謀の隣にいつも控えていたことに由来する。

 魔王の影ガイスト。彼の名は世界に轟いていた。




◆◇◆◇◆




 しとやかにお辞儀をするメイドたちをすり抜けて魔王城でも特別豪奢な扉を開ける。主人の許可なく魔王の私室へ入ろうとする者を止めるのが彼女メイドたちの役目。しかし、ガイストだけは特別だった。

 真っ暗闇の部屋に入ったガイストは流れるように暗黒魔術を唱える。


「いでよ、隷属する黒衣たちシャドウスレーブ


 ガイストの影から何人もの黒い人影が立ち上がり動き出した。一体のシャドウスレーブが窓に駆け寄る。一体は隣の部屋の浴場へ。一体は厨房へ。命じられた仕事を遂行するべく行動する。

 カーテンが開け放たれると眩い朝日が室内に差し込む。すると、豪奢なベッドがもぞもぞと動きだし、うめき声が聞こえてくる。


「ぅぅ……我が眠りをさまたげる者は……万死に、値する……ぞ……」


「さっさと起きろ。今日は人族の国と会議があるんだぞ」


 シャドウスレーブが布団をめくろうと近づくと真っ白い電光が迸る。一撃でシャドウスレーブが貫かれて消滅した。


「ひぃ――」


 電光の余韻が部屋をのぞき込んでいたメイドたちに及びそうになるが、ガイストは片手で電光を受け止めると握りつぶした。

 寝ぼけて魔術を使うんじゃないとまた注意しなければ……死人は出ていないんだが危なっかしくてしょうがない。


「どあほう、起きろと言っている」


「……やだ……ねむい……あと……ご――五時間」


「ふざけろ」


 ガイストがむんずと布団を掴むと、ムリヤリ引っぺがす。そして、ベッドにしがみついて離れない素っ裸の銀髪の美少女――魔王を力業で抱き上げる。すると、魔王がつかんでいたシーツがビリビリビリと引き裂けてしまった。


「……」


 メイドの仕事を増やしてしまったことを胸中で謝りつつ、魔王を抱えて風呂へ直行。風呂の準備を整えたシャドウスレーブに魔王を任せると、厨房の支度をしているシャドウスレーブに合流、朝食造りをはじめる。

 この魔王の私室と備えつけの風呂場と厨房は、寝起きが悪くわがままの多い魔王様を「どうにかしてください」と「仕事が回りません」と、文官たちやメイドたちに本気で泣きつかれて、いろいろと考えた末に急遽増築させたものだ。晩餐会などの食事以外はガイストがこの厨房で作っている。


 ガイストは戦士だ。

 ひたすらに強さとは何かを探求し、己の弱さを克服することが生きがいだ。どうしてオレが魔王の世話係など……と不満はあるが、ややひねくれた性格のガイストは「できない」という弱さが大嫌いだった。

 故にガイストはすべてにおいて、誰もが絶句するほど――力を尽くす。


 ガイストは冷蔵庫の食材をサッと確認する。そして、魔王が朝から食べられそうなものを考える。


「……今日はキール霊峰の鹿肉か。オサチュー産の葉菜、果物オレオン。卵もある。パン焼きは……、もうはじめている。よし――」


 シャドウスレーブたちが下ごしらえした野菜や肉を慣れた手つきで調理していく。魔王が身支度を整えて出てくるころには、木目の美しいテーブルの上に朝食が並ぶ。

 みずみずしい葉菜と肉汁たっぷりの鹿肉を挟んだサンドイッチ、甘酸っぱい搾りたてのオレオンジュースが置かれ、卵をたっぷりと使った卵焼きがほわっと湯気を上げている。


「今日も美味しそうだな、ガイスト」


 顔を上げると、先ほどまでのだらしない雰囲気はきれいさっぱりと洗い流された、誰もが知る怜悧な瞳の知的な魔王様の姿があった。

 公の魔王しか知らない者たちがあの姿を見たらどう思うやら……。


「礼をいうぐらいだったらだらしない生活を改めてもらおうか」


「……冷めないうちにいただくとしよう」


「聞かなかったふりをするな」


「おい、ラナースィのシャーベット……デザートにシャーベッドはないのか?」


 聞いてねえ……魔王はマイペース過ぎる。


「ダメだ。腹を冷やしたらどうするつもりだ」


「ないのか……?」


 しょんぼりとした声で、潤んだ瞳で上目遣いに、魔王はガイストを見上げる。

 ない、と言ってヘソを曲げられてしまうと困るのはガイスト――その他の魔王城の人々だ。


「………………はぁ、……困った奴だ……」


 魔王の好みはしっかり把握しているガイストである。こんなこともあろうかと、冷凍庫で凍らせておいた陽女神の梨ラナースィでサクサクのシャーベットを拵えて魔王に出してやった。小さなカップで温かい紅茶を出すのも忘れない。もちろん砂糖多めだ。


 上機嫌の魔王がちゃんと仕事に行ったのを見届けると、部屋の片づけはメイドたちに任せてガイストは自らの執務室へと向かう。

 ……素直に仕事をはじめられる日は少ないが。


 魔王城のぴかぴかに磨き上げられた廊下を歩いていると、向かいから黒髪の美女――将軍が歩いてくるのが見えた。将軍はすれ違いざまに柔和な微笑みを浮かべる。


「おはよう、ガイくん。今日もいいお天気ね」


「ああ、そうだな」


 将軍はいつも相手を包み込むような優しさで話しかけてくる。感情を露わにすることもなく、穏やかで理性的に接してくれるため、魔王軍の良心などと囁かれるほどの人格者だ。


「そうそう、ガイくんがくれた香水。とっても気に入ったからまた欲しいの……お願いできる?」


「オレは調合師ではない……まあ、いい。つくっておいてやる。そういえば、午後の人族の軍隊との合同演習は忘れていないだろうな? 来賓も来るんだぞ」


「ちゃんと覚えているわ。まかせて! ――じゃ、またあとでね」


 挨拶をしてそのまま互いにすれ違おうとして……妙な殺気を感じたガイストはぐるりと将軍へと振り返った。

 眼前に鋭い刃のような黒髪が迫っていた。


「――ッ、影渡りの幻影シェイド・オブ・シームレス


 背後から迫ってきた黒髪の一撃を回避。即座に魔術を発動させると調度品のに逃げ込んだ。見失ったガイストを探してうねうねと蠢く黒髪たちを尻目に、ガイストは調度品の影から将軍の影へと移動して己の身体を実体化させた。


「あら――?」


「この――、おおたわけ!!!」


 ぽわんとした顔で首を傾げる将軍の頭に、ガイストはげんこつを振り下ろした。


「きゃん!? いたぁい、ガイくん……ひどい……」


「ちゃんと髪を制御しろ、ひどいことになっているぞ」


「え――、あ……」


 将軍がたんこぶのできた頭を撫でながら振り向くと、廊下の端まで伸びた黒髪に囚われてぐったりとしている文官やメイドたちの姿が目に映る。将軍がえいやと念じると伸びきった黒髪がスルスルと戻ってくる。通り過ぎる人を無差別に捕らえていた黒髪が将軍の腰くらいの長さとなり大人しくなった。

 周囲で様子を窺っていた者たちが倒れている者たちを介抱していく。将軍を取り押さえられる者など限られているので、ガイストが偶然にも通りかかったのは天の助けである。


「制御ができなくなっているのか? また特訓を考えなければならんな……」


 実は将軍の黒髪による被害はこれがはじめてではない。

 将軍は生命波動吸収エナジードレインの特性をもつ魔族の出身だ。伸縮自在の黒髪で敵を捕らえて無力化する戦法を得意としている。

 しかし、のんびりとした性格が災いしてか黒髪が自分勝手に動き出してしまう。将軍の意志とは無関係に通りすがりの生物を捕えて生命波動吸収エナジードレインをしてしまう悪癖があるのだ。

 その悪癖を治すためにいろいろと特訓をしていたのだが……。


 ガイストの「特訓」の言葉に将軍のしとやかな顔に戦慄が奔る。


「ま、また……する、の……?」


「当たり前だ。来賓の使者をうっかり巻き込んでみろ、事だぞ。……修正が必要だ」


 真っ青な顔の将軍がじりっと下がると、ガイストは逃がさんぞと言わんばかりに圧を向ける。窮地に陥った将軍は迷った末に――他の問題児友人を売ることにした。


「え、えぇっとぉ~……そう言えばね。参謀ちゃんがウキウキしながらね、閉鎖してある研究室に向かっていたわ……だ、だいじょうぶかしらぁ~……なんて……」


「なんだと? しばらく実験は許さんと――」


 ガイストの言葉をかき消すように爆発音が聞こえてきた。窓から空を見上げると尖塔の窓からもうもうと黒煙が上がっているのが見える。


「おのれ…………、面倒をかけてくれる」


 ガイストは静かな怒りを漲らせながら大股で歩き去っていく。その背が廊下の角に消えてから、将軍はほぅっと胸を撫でおろした。


「い、いまのうちに隠れないと……」


 あたふたと将軍が駆けだそうとすると、ズルリと調度品の影から黒い手が伸びる。がっちりと将軍の腕を掴んだ。


「へ? きゃぁ!?」


 調度品の影から次から次へと黒い手が伸びてくると、あっという間に将軍の自由を奪う。そして、ズブズブと影の中に引きずり込んでいく。


「いや! ちょ……――やめ、特訓はいやぁぁぁぁぁ……ぁぁぁ……」


 影に喰われて悲鳴が途絶える。ちょっとしたホラーな光景にも関わらず、周りにいた文官やメイドたちは恐ろしいと思うよりも、やっと仕事ができるとほっと胸を撫でおろしていた。


 魔王城で働くことは魔族の中では一種のステータスだ。魔王城で働く者は文官からメイド、その他下働きの者まで素性のきっちり判明している必要がある。さらには働きたいと申し出る者が数多くいるため、雇用試験は狭き門である。

 やっとのことで合格した者は、魔王軍を動かしている偉大な人物たちの仕事ぶりを目の当たりにして感激し、強烈に残念な部分を見せつけられ驚愕し、「あぁ、そういうこと――」と納得するのだ。


 雇用条件の末尾に記載のあった「魔王城の極秘事項を守れぬ者は死よりも重い刑に処す」の意味を。


 口の悪い者は酒の席で魔王城のことを「魔王幼稚園」と揶揄する。むろん冗談である。魔王、将軍、参謀、その他の問題を起こす魔王軍の中核を為す者たちの功績は他の誰もできないような素晴らしいものばかり。魔王城で働く者たちは魔王たちのトラブルに頭を悩ませ、「魔王様たち、ガイスト様にかまって欲しくてわがままやってる感あるよな」と愚痴りつつも、「まぁ、魔族がやってけるの魔王様たちのおかげだし。しょうがないか」と愚痴をたれるくらいで終わっている。

 そして最後には「ガイスト様。マジ、魔王城のお母さんだわ」と〆られるのだった。











◆◇◆◇◆











 闇を砕かんばかりの怒声が轟く。


「誰がお母さんだ、コラァァァ――!!!」


 ――とある大災害から長い年月を経た、耀焔歴2020年。


 かつて魔王軍最強と呼ばれた男が召喚される。

 はるかな未来の世界で魔王の影ガイストは新たな戦い愛育へと挑む。

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