第2話

 銀座は歩行者天国。

 路上にカフェテリアのように椅子とテーブルが置かれている。三組の人々が寛いでいる。

 そこに少しだけゆっくりな歩速で近づく一団。

 五人全員がスーツ姿で見分けが付き辛い。

 右手に持った棒の上の方に板のようなものが付いている。その板は当人の顔を覆って、隠している。そして、目の位置に穴が開いている。五人ともが同じものを、顔の前に構えて歩いて来る。

 背中にはリュックのようなものを背負っている。

 何も言わず、五人は一番近いテーブルについている三人の横に並ぶ。

「何なんだ?」

 初老の男が声を上げる。

 先頭に居る小柄な板人間が、ほんの少し近付く。でも何も言わない。

 順に、他の板人間も無言で距離をはかる。

「ちょっとやばいんじゃないの?」

 もう一人の男が明らかに警戒をした声を上げる。

「向こうに行こうぜ」

 三人目の男はしかし、余裕のある表情。

「大丈夫だよ。この人達からは狂気の匂いがしない」

「でも、明らかに変だぞ」

 そこで先頭の板人間が左腕を背中に回し、紙を一枚引っ張って来て、余裕ある男性に渡す。

『パフォーマンス

 Peep you peep me』

 その下には大学と所属、名前、連絡先のアドレスが載っている。

「ほらな、アートだよ」

「そうなのか」

「でも、気持ち悪いな」

 男達は口々に反応する。

 そうやっているのを十分に覗いて、空達は次のテーブルへと移る。

 先頭は空。後の四人は大学の同期に応援を依頼した。と言っても、珠美以外の同期と話したことがなかったので、実質は珠美がメンバーを揃えたことになる。格好と、空の後を付いて歩き、覗く、と言うこと以外何も決まっていないパフォーマンスなのだが、参加してくれた全員が驚く程の興味と乗り気を示してくれた。

 先の男達はまだ自分達の話題に戻れないでいる。このパフォーマンスの意味とかを論じている。大成功だ。

 次のテーブルには若い男性。その次は女性の中年のグループ。

 その後も街をひたすら練り歩く。

 写真も動画も撮られまくる。そこら辺の版権とかは関係ない。アートは外に出した時点で皆のものだし、そもそもアートをお金に替えるのは禁忌だと空は考えている。

 二時間に一回休憩を挟んで、皆にカフェを奢って、三十分休んだらまたそれを繰り返す。毎週日曜日、四回開催する。

 その四回目。

 同じ格好で練り歩いていたら、またテーブルを発見する。二十代後半くらいの男性が一人で座っているところから始めよう。

 空はいつもよりゆっくりと近付いて行く。覗き穴から見た光景がいつもより空想を掻き立てるから、じっくりそれを見たいがパフォーマンスも行いたいと言う葛藤から決まったスピードだ。

 あの男性は会社をやっている人だ。若き社長として切り盛りをしながら、休日に銀座に出てきて歩行者天国を楽しむと言う余裕を、持っている自分に酔っている。でもそれが可愛いところでもあって、だから大きなリスクのある遊びはしない。仕事上のリスクは評価した上で決断出来るのに、プライベートは緩め。彼女はいない。

 空想を育てながら向こうがこっちを認識する射程範囲に入る。ここ一ヶ月の経験から、人間が板人間の覗き先が自分だと感じる距離が大体分かって来た。

 ターゲットの彼のすぐ近くに立つ。後続も並ぶ。

 反応がない。

 絶対に認識している筈なのに。

 ちょっと動いてみる。

 この人はわざと無視をしているんだ。自分がこんなパフォーマーには動じないと言う自分を強く描いて、その自分に縋っている。内心ではドキドキしている、でも、それを認めたくない。

「このパフォーマンスを考えたのは君だよね?」

 空想を断ち切るように急に振り向いて言うから、ビクッとした。

 でも、パフォーマンス中は喋らないきまりにしてるから、そうだとも言えない。

 男性は怒っている様子ではない。むしろ、キラキラした目をしている。

 空は、背中からパンフレットを一枚出して見せる。

「……空気さん、ですね」

 空はアーティスト名として、あだ名だった「空気」を使っている。覗きとの相性も抜群だから。

 頷くくらいはルール違反じゃないと思って、小さく頷く。

「実は私、この前もその前もあなたのパフォーマンスを見させて貰っていて、会ったら絶対に言おうと思っていたことがあるんです。女性ですよね」

 答える義理はなかったが、彼の言葉の勢いに押されて、肯いてしまった。

 男性は立ち上がると空の前に跪き、空の棒を持っている右手に手を添える。

「僕と結婚してくれませんか。それがダメならパトロンにならせて下さい」

 空の後ろの四人が声なき声で大騒ぎになっているのを背中に感じる。それ以上に私が混乱する。

 しかも今の状況じゃイエスもノーも言えない。仕方がないので、パンフレットのアドレスを指差す。

「分かりました。メールに連絡させて頂きます。きっと、また会って下さい」

 また薄く頷く。

 板をして、覗いている最中に、その板を打ち抜いて私に当事者にならせる。そんなことが出来る人は居ない。両親だって出来ない。覗いていないときに両親からだけは私が世界の中に居ることをされたけど、覗いているときは皆無だ。

 あまりに衝撃的で、それは彼がプロポーズをしたからではなくて、私を世界に引き摺り出したからで、その日のパフォーマンスはそこでやめにする。

 状況を説明する必要もあるので、カフェに行く。

「みんな、今日までパフォーマンスに協力してくれてありがとう。今日も夕方までやるつもりだったけど、ちょっと驚きのことがあって平静にやれないと思うので、今日はここまでにします」

 珠美が身を乗り出す。

「さっきの彼、かっこよかったじゃん。見た目もだけど、行動が」

 他の同期もやはりさっきの件が気になってしょうがない様子。

「結婚じゃなければパトロンって、パトロンは欲しい! 空気さん、パトロンゲットでしょ」

「本当にパトロンが居たら最高だもんね。生きることの保証されている創作活動って、作るもの変わりそう」

「そうかな。それで変わるのじゃ、創作がまだぶれてるってことじゃないの?」

「ん。確かに」

 しかしすぐに創作論に脱線する。

 パトロン、かぁ。実感湧かないな。結婚はもっと実感湧かない。でも、あの人は他の誰もが出来ない、もしくはしないことを私にした。私の顔も見たことがないのにそんなこと出来るなんて。会ってみる必要がある。


 メールはすぐに来ていて、結局その日の五時に同じ場所で再集合と言うことになった。空は衣装のまま行く。

「お待たせしました」

「お、流石に板は付けてないんですね」

「はい。こんな顔してます」

「うん。かわいくてよかった」

 臆面もなく言う。両親以外に言われたことのない言葉。

 男が鞄の中からお茶を二本出す。

「ペットボトルだから安心でしょ? どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 二人してお茶をごくりと飲んで、ふう、と息をつく。

「早速本題に入ってもいいでしょうか?」

 空は両手でペットボトルを持ったまま問う。

「もちろんです」

「どうして、私と結婚しようと、もしくは、パトロンになろうと思ったのですか?」

「当然です」

 え、と空は凍る。そんな当然ある訳ない。男は続ける。

「あんな素晴らしいパフォーマンスを見せられたら、少なくともパトロンになりたいと思うのは普通でしょう?」

「絶賛は嬉しいのですが、そこからパトロンまでが飛躍があるかと」

「素晴らしい作品、次が見たい、応援、パトロン」

「確かに」

 そこでちょっと間が開く。結婚の話はもう少し重要だと言うことを予期させる間。

「本当はパトロンが先で結婚が後だったんですけど、パトロンって、ちょっと歪な関係の印象があるんです。だから、その前に恋人になって、そこから結婚して、なら、自然な形で援助が出来るんじゃないかと思ったんです」

「じゃあ、私の創作活動を援助する目的での偽装結婚ということですか?」

 男は朗らかに笑う。

「違いますよ。結婚も本当にしたい」

「私のこと何も知らないじゃないですか」

「あの作品があなたです」

「作品と言うのは作者を反映しますけど、独立した別のものです」

 男が少し寄ってくる。

「普通はそうです。でも、あの作品は違う。明らかに、あなた自身です」

 そこまで詰め寄られると、認めるしかなかった。そうなのだ。あの作品は私だ。

「でも、私は、あなたを板の向こう側からこっちに引っ張った。そうでしょう?」

「はい。人生で初めての経験です」

「と言うことは、私はあなたにとって特別な誰かになり得る」

「初対面でこれを言うのはどうかと思うのですが、私もそう思っています。だから来ました」

 男は小さく息を吸って、小さく吐いた。

「じゃあ、私と付き合って見ませんか? 結婚は置いといて」

 ほんの少しの緊張があったのだろう。空にもそれが伝播して、この話が冗談の類ではないことが、彼は真剣であることが、分かる。

 空はその男の特別さをもっと知りたいという思いに、その真摯さが重なったことでこころを決める。

「そうします」

 男がガッツポーズをする。

「じゃあ、まず自己紹介をしましょう」

 空は頷く。

「私は、霧島元気、I T企業の社長をしています」

「私は、空気。芸術系の大学の二年生です」

「本名なの?」

「本名は要らないでしょう? パトロンなら」

 男は、ふ、と笑う。

「確かにそうだ。結婚するときには本名教えておくれよ」

「そうします」


 私達は恋人になった。世界で唯一私を現実に置く人。そのリアリティーと彼の人柄から、本物の恋人になるのに時間は掛からなかった。そして彼は言葉の通りに、私に金銭的な援助してくれた。

 三年生の秋に、私達は結婚した。

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