第28話
急な一本道だったアルペーヌの山は、暗闇の中で少しずつ姿を変えてきていた。
今までは崖に近いほどの急勾配の斜面が道の片側を遮り、もう片方は滑落すれば命がないような斜面だったが、それが少しずつなだらかに変わると、樹齢数百年を越すアルペーヌ杉が周囲に広がりだした。
遠くでふくろうが鳴いているのが聞こえる。
それと、後ろから追ってくる蹄の音。
―――予想より早い。
アースはシリオンにしがみつきながら、その肩越しに必死に後ろの闇を見つめた。
さっきの岩場からは二十分ほどが過ぎただろうか。山の中で月の位置もはっきりと見えないから確証はないが、まだ一時間はたっていないはずだ。けれども、走るシリオンとマルカの後ろの闇からは、確かに微かな蹄の音が響いてくる。
「陛下」
マルカも気がついたらしく、前を走るシリオンに声をかけた。
それにシリオンは振り向かずに目だけで後ろを見る。
「来たな。予想より早い」
「数は約十騎。おそらく特に騎馬術に精通した者だけを先に行かせたのでしょう」
「それなら、迎えうったほうが早いか」
そう言うと、暗闇の中で手綱を引いた。
馬首を返すと、まさに今通ってきた暗闇の奥から、鎧に包まれた数騎が近づいてくる。
「アースは奥の木の影に隠れていろ。万が一にでもかすり傷を負わせたくない」
そう言うと、暗闇でも怪我をしないように丁寧に馬から下ろした。
「シリオン」
「大丈夫だ。少し待っていろ」
安心させるように、身を隠すことに促す。言われたとおり、見えないように道の奥に走っていき、その先に見えたものにはっとして後ろを振り返った。
後ろではシリオンがアースが道の奥に入ったのを確認してすぐに、馬の手綱を引き絞り、馬首を敵に向かって据えていた。かすかに馬がいななく。敵の姿を認めたからなのか。興奮したように、蹄をかっかっと鳴らしている。
それにシリオンの目が碧に輝いた。
「マルカ」
近づいてくる敵に向かって同時に駆け出しながら、一馬身分前にいる騎士隊長に向かって鋭く叫ぶ。
「半分は任せる! 好きなようにやれ」
「ケチるな! もっと寄越せ!」
「我慢しろ!」
言うや否や、最初に接近した敵の首元から肩に一閃を切り落とした。
闇の中でもわかる真紅の色がシリオンの体に飛び散ったかと思うと、すぐに左手に握る手綱を引いて馬首の向きを変える。そして剣で、振り仰いでいる敵の腹を下から上に切り裂いた。
―――早い!
一瞬で、二騎倒した。
その間にマルカも剣を構えると、敵の胴を撫で切る。そのまま剣を収めることなく、すぐに動きの勢いのまま、次の敵の首を切り払う。
闇の中でも真紅の血が飛び出るのが見えるようだ。
「おのれ、お前たちどこの者だ!」
手練れと見て、後ろの兵が叫んだが、それには答えずに剣を返す。シリオンの剣が一瞬で相手の首を抉り、その抜く隙に襲ってきた敵の腕をマルカが切り落とす。
肩から右手を落とされた敵は、そのまま地面に落ちて、転がって呻いた。
「あと二騎」
呟くシリオンの顔には、むしろ微笑が浮かんでいる。赤毛の金髪が燃える鬣のように翻り、まさに金の炎のようだ。
それに付き従うマルカのドレスも返り血にまみれ、凄惨ながらも優美に微笑んでいる姿は、狩りの女神もかくやという姿だ。
長いドレスでは動きにくいのではないかと思ったが、肩から腕にかけて体のラインを強調したドレスは、上半身に無駄がなく戦闘になっても彼女の動きを妨げることはほとんどない。
その二人の姿に見ほれたほんの一瞬だった。
二人が互いに背を相手に任せながら馬を走らせたかと思うと、残っていた二騎と刃を交える。けれども、シリオンの剣が相手の剣に受け止められると、すぐにそのまま流し、相手の胸を切り裂いた。その間に切り結んだマルカも相手に苦悶の叫びを上げさせると、横腹を切り裂いて臓腑を抉る。
あとには、夥しい血の匂いが闇の中に充満した。
それなのに、振り返った二人はむしろその血の化粧こそが天性の美貌を完成させる最後の一筆というように、闇夜の中に白く浮かび上がっている。
「シリオン!」
ほっとしてアースは駆け出した。
「よかった―――」
―――たとえどんな地獄に落ちたって、君があんな姿になって横たわるのは見たくない。
走ってきたアースの姿に、シリオンはひどく嬉しそうに眉を下げると、馬から下りてアースを抱きしめてくる。
「俺があれぐらいでどうにかなるか」
「うん―――うん、シリオンだもの。でも、心配した」
そう言うと、シリオンの顔がたまらないように笑み崩れる。
「おい、陛下。敵を倒した褒美が傾国からの抱擁なら、私にも半分寄越せ」
その瞬間、ぴきっとシリオンの動きが固まったのがわかった。
「まさか陛下ご自身が功績への恩賞をけちるつもりではないだろうな」
「マルカ―――騎士隊長。次の戦の先陣をくれてやる。それで手を打て!」
―――とんでもない妥協案を出してきた!
そう思ったが、マルカはふふんと指を顎にあてながら答えている。
「仕方がないですな。陛下が是非にと言われるのなら、このマルカに異存のあろうはずがございません」
―――むしろ、してやったりという顔にしか見えない。
けれども、自分を抱きしめて喜んでいるシリオンは嫌いじゃない。むしろ、多分―――嬉しい。
けれど、その時はっとアースは思い出した。
「そうだ、シリオン! 大変なんだ、こっちに来て!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます