第27話
馬に乗り、アルペーヌの山道を駆け上る。
手にはさっき拾った木を抱えているが、真っ黒な闇の中で、少しずつだが後ろから火の列が迫ってくるのを感じる。
やはり、松明で道を照らしながら進んでくるだけに、こちらより早い。だが、こちらが火を使えば、居場所がばれてしまう。真っ暗で不慣れな山道を行くこちらに対して、追っ手にはここらは庭のようなものだ。よく知った道で、しかも歩き慣れている。
どうしても、じりじりと差をつめてきてしまわれる。
―――このままだと追いつかれる。
相手と自分との距離を目測で測る。
やはりどうしても追いつかれる。くっとアースは眉根を寄せた。
―――もし捕まれば……。
自分は一生牢屋か塔に閉じ込められるだろう。きっと二度と外には出してもらえず、誰にも会わせてもらえないのに違いない。おそらく一生イシュラ王子の思いのままだ。
けれどもそれ以上に、シリオンの身が危ない。
アースの心の拠り所だと知られている上に、口付けも見られた。帝国の皇帝に下手なことはできないと思うが、激情に狂った彼は何をするかわからない。
自分を逃がそうと助けてくれたマルカも同罪だ。最悪、顔さえもわからないように潰して秘密裏に殺されかねない。
―――嫌だ!
シリオンだけは、絶対に傷つけられたくない。助けてくれたマルカもだ。
―――考えろ! そしてよく見ろ! 今自分が使えるものは、この山にあるものだけだ。
暗くても何も見えないわけじゃない。暗闇の中に更に黒い影として浮かびあがるシルエット。それらが何を示しているのか、可能な限り頭の中で処理していく。
走る道の形から今の現在地。木についた動物の傷。枝の折れ具合。暗闇の中で僅かにしか見えないが、頭に叩き込んでいく。
けれども、その間に山道は急な岩場にさしかかった。
暗闇の中、馬が岩でできた足場を確かめながら上らなければならないため、どうしてもスピードが落ちる。
「ちっ!」
シリオンが忌々しそうに小さく舌打ちした。
「アース、危ないからしっかりつかまっていろよ」
「うん」
その言葉に従うと、シリオンは馬を叱咤して岩場を駆け上る。多分道となっているところを一歩でも踏み外せば、足場の保証はない。それぐらい崩れやすい岩がむき出しになっている。
けれども、夜の中でシリオンは一歩もはずすことなくそこを駆け上がると、後ろのマルカにも登って来いと合図をした。
そこからは、アルペーヌの山を駆け抜けていく夜風が頬を打つ。岩場で木々が開け、そこからアルペーヌの山麓までが一望の元に広がっている。
普段ならば、暗くて星明りと下に広がる木々の陰しかわからないだろう。けれども今日は漆黒の中に、自分達が先ほどまで走っていた道を登ってくる松明の列が、まるで川のように連なり赤い縫い目を作っている。
「多分、さっき僕がこの木を拾っていたあたりだね」
通ってきた道を思い出して、アースは下の炎を見つめた。
「そうだな」
「よし」
と、マルカを待っている馬から飛び降りると、岩場を走った。
「アース!?」
「ちょっとだけやらせて」
そう言うと、急いで岩場の崖近くに走り、めぼしい物を探す。
昔読んだ手記に書いてあった通り、岩場には大きな岩が溢れていた。過去の火山活動で、ここにむき出しになり、そのままずっと横たわっている岩達だ。アースの背ぐらいもある岩が並び、とても押したぐらいでは動かせない。
その中で、崖のすぐ側にあるものを選ぶ。
そして小さな岩を一つ選ぶと、その背ほどの岩のすぐ横に置いた。
下を見ると、まさに今火の列がその下を通り抜けようとしている。
「傾国、何をしているんだ?」
登ってきたマルカが不思議そうに尋ねる前で、アースはその岩の下に持ってきた木の棒を入れると、小さな石を支点にして思い切りぐいっと棒を押した。
すると、ほんの僅かだがバランスを変えて動いた岩は、元々不安定な地盤にあったこともあり、そのまま右に倒れる勢いのまま崖を転がり落ちていく。
下の火の列の中で悲鳴が起こった。
突然人の背ほどもある大岩が暗闇の中から降ってきたのだ。パニックになるなというほうが無理だろう。
驚いて、シリオンとマルカがアースの姿を見つめている。
「この距離と位置関係ならやれるかなと思って」
棒を抱えながら、そう言うと、一瞬の間が空いた。
「うーん……今の今まで暮らしていた国の兵士に対し、その容赦ない思いっきりっぷり。さすが傾国」
「いや、マルカ。それって絶対僕のこと裏切者って言ってるよね?」
「いやいや誉めているんだ。実に未練たらしくなくていい。さすがシリオンの嫁」
「いや、それだと今度はシリオンが、見事な裏切者と聞こえて外聞が悪いんだけど」
「何をいう。陛下の計略策略にはこんな程度の誉め言葉ではないぞ」
―――絶対に誉めていない!
そうつっこみたいが、時間がない。
「とにかく―――できたら、あと一つ二つ落としたいんだけど。そうしたら道が塞げる」
「なるほど、協力しよう。シリオン」
そう言うと、すぐ近くにあるもう一つの大岩に取りかかった。
「ああ」
そう答えたシリオンも一緒に岩の側に走ると、比較的崖の近くにあった岩を選びそれを押し始める。
一つは崖近くにあり、さっきと同じ要領ですぐに転げ落とせた。
人間の背より高い岩が空中から降ってくるのに、炎が乱れ、一部分だけ穴が開いたように黒くなる。周りに逃げた炎は、一筋の列ではなく、今では右と左に散らばってしまったようだ。
「あと一つ」
「無理だ。もう崖の近くに岩はないぞ」
その言葉に、素早く回りに目を走らせた。
「シリオン、そっちには?」
「あるにはあるが、少し離れている」
確かに崖から二メートルぐらい内側だ。それを見て、アースは一瞬指を噛んだ。
てこの原理で棒で転がしたぐらいでは崖から落ちない。
けれども、指先の向こうにある自分の体に目を落とし、すぐに目を開いた。
「こうしよう」
そう言うと、ばっと今まで来ていた女物のドレスを脱ぐ。
「ア、アース!」
思わずシリオンが叫んだが、下に男物の服を着ていることに気がついてほっとしたようだ。ただ、まだ自分の鼓動を抑えられないようだが。
「これを下に敷いて押そう」
と、その白いドレスを岩のすぐ下に広げる。
「じゃあさっきより大きいから、せいのーでの掛け声で」
そう言うと、さっきと同じ要領で岩の下に棒を入れた。けれども、岩はそのドレスを下敷きにするだけで、崖までは転がらない。
「おい、傾国。足りんぞ、どうする」
そう、マルカが聞いたときだった。そのドレスをアースが引っ張ると上に乗った巨石はまるで下に車でもつけられたようにゆっくりと動き出す。
「よし!」
崖の側まで運ぶと、そのままそのドレスを下に向かって落とした。それと同時に、巨岩が山肌を駆け下りていく。
また火の列で叫びがおこった。
けれども、それは残っていた火の列の前方半ばに落ち、その列を更に粉々の光に変える。
それをアースは上から、じっと見つめていた。
「駄目か――」
だいぶ、数は減らせれた。けれども、列の最前部が既に下を通り過ぎていたため、完全に追っ手を防ぐにはいたらない。
「いや、かなり数を減らせれた。見ろ、後続の連中は道が通れなくて、馬で進むことができなくなっている」
じっと炎の動きを見ていたシリオンが、横からアースに指でそこを示した。
「これで馬で追ってこられるのは列の前三分の一ほどだ。ざっと二百―――三人でなら悪くない数字だ」
「シリオン――」
ものすごい自信家だ。と改めて思った。それなのに、今はなぜかそれがすごく安心できる。
「よしっ! 追っ手が混乱している内に行くぞ!」
そうシリオンはアースに手を伸ばすと、すぐにその腕を掴んだ。
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