第26話
「お前が俺に恋していないことはわかった」
それは今のアースにとっては、心臓を握られたように恐ろしい言葉だった。
「シリオン……!」
ごめんと言えばいいのか。それとも待ってと言いたいのか。
まさかもうタイムリミットが来てしまったのだろうか。
けれども、シリオンは腕にアースを抱えたまま、その顔を見下ろすことなく告げる。
「だから無理をするな」
「それは―――どういうこと?」
―――もう恋愛相手としては好きじゃないということ? それともどこでも好きなところに行けということなのか。
嫌だ、と心から声が吹き出した。
―――シリオンと一緒にいたい!
それだけは間違えようのない真実なのに。
シリオンが自分だけだったように、幼い日の自分にとっても心の支えはシリオンだけだった。それだけは一度も疑ったことがない!
―――それなのに。
けれども、その時、突然マルカの叫びが夜の木立に響いた。
「シリオン! 追っ手だ!」
はっと振り返ると、黒い闇の下のほうにうねって歩く松明の列が見える。
それが一列に並ぶと、数百もの炎が深い闇に包まれた山の合間をこちらに登ってくるではないか。
「来たか」
まだ距離があるとはいえ、山肌を縫って追ってくるその松明の一団に、シリオンはふんと鼻で笑う。
「そうこないと面白くない」
「おい。遊ぶなよ、陛下。イライラして発散したいのはわかるが、今は嫁が先だろう」
「ああ。―――わかっている」
そう答えはしたものの、そこに浮かぶ表情は戦いを楽しむ王者のものだ。酷薄にも見える表情で山を登ってくる一団を見下ろすと、微かに笑みを浮かべている。
「確かに今はアースを最優先だ」
その言葉に少しほっとした。
ここで置いていかれることはない。
―――考えろ。どうすればシリオンを助けることができるのか!
自分の体の中でシリオンの役にたてるとすれば、長い間学んだその頭脳だけだ。
恋も受け入れられない。体だけでもシリオンに応えることができない。そんな自分がシリオンの側にいられるとしたら、あとは、もうどうやって自分を利用してもらうかしかない。
―――考えろ! シリオンの側にいるためにすっと学んできたんだろう!
ぐっとアースは馬の上でこぶしを握り締めた。
でも、ここには武器もなければ火薬もない。あるのは身一つと、このアルペーヌの山だけだ。しかも両側は急斜面でその山肌にはアルペーヌ杉が黒くそびえているばかり。
その時、はっと気がつくと、無理やり馬から飛び降りた。
「アース!?」
いくら馬を止めていたとはいえ、完全に歩みを止めていたわけではない。
焦って声をあげるシリオンにかまわず、アースは暗闇の中で見つけた一本の木を拾いあげると、そのついた小枝を急いで折った。長さは一メートルほど。両手で握れば一回りになるほどの大きさで、丁度いい。
「アース、どこに行く ! 」
本当に焦った声で、シリオンはアースに駆け寄ると、急いでその腕を掴んだ。
驚くほど、動揺している。やっとこちらを見たシリオンを見つめ返すと、相手はひどく不安そうにアースを見つめて落ち着きを失っている。
「これ、持って行こうと思って」
そう言って木を見せると、明らかにほっとした顔をした。
「そうか。山ではぐれると危ない。俺から離れるな」
「うん」
―――嬉しい。
離れるなと言ってもらえたことが。まだ必要とされている。
「いちゃつくな、万年発情陛下。ここでのろけている間に、嫁を取り返されたら、あっという間に帝国中の笑いものだぞ」
「シリオン、気のせいかマルカさんが言いふらすと脅しているけど……」
「―――マルカ。色々言いたいことはあるが、今はとりあえず待ってやる」
「傾国侮るな。私は言いふらしたりはしない。ただ酒の席になるたびに、披露する陛下の過去の失敗談にまた新たな一章が加わるだけの話だ」
「おまえか! なぜか知らんうちに俺がアースに送った手紙の返事がこないことで憂さ晴らしに砦を攻めたことがばれていたり、みんなが俺に感謝するときは必ず[アース様と会えますように]なんてわけのわからん祈りを捧げられるようになったのは!」
「嫁に会えんとあんまりにもいじけているのがかわいくてな。皇帝陛下の意外な一面とイメージアップにつなかっただろう?」
「別な意味でダウンしたわ! 最近は献上品にやたらと恋愛成就のお守りが添えられているし、小難しい大臣に呼び出されたと思ったら、説教の後にそっと手紙の書き方なんて本を渡されて肩を叩かれたりしている。なんで俺の恋愛事情が逐一外部にもれているんだ!」
「お前の傾国への手紙での毎回の失恋は、次の軍事行動だ。陛下がまたふられたぞ! よし戦だ! はわが国では合言葉だろうが」
「それで最近やたらと保守派が恋愛指南をしてくるのか!」
―――今、なんか聞かないほうがいいことを聞いた気がする。
このままだと、次は大戦を起こしかねない。
―――でも、それなら、役にたててもらえるかも。
「残念だが、陛下。今は遊んでいる時間がないようだ」
ふとマルカが真面目な顔に戻り、呟く。
「ああ、そうだな」
下から上ってくる火の一団を見下ろし、シリオンはアースに手を伸ばした。
「行くぞ。奴らに追いつかれる」
「うん」
その手を素直にとった。
その瞬間、僅かにシリオンの表情が嬉しそうに笑む。
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