別に楽しくない訳では無い
橘花 紀色
青
…別に楽しくない訳じゃないんだよなあ。
そんなことを思いながら私は部活に行くために渡り廊下を歩く。
堀田ともり。高校1年生。春からめでたくこの「辺城(へんじょう)高等学校」に通い始め、軽音部員になった。この学校は名前にちなんで「ヘンコー」と呼ばれている。へんな高校…そう言われている気がしてあまり良いものではない。
…季節は夏。外では色々な種類の虫がこっちが泣きたくなるほどたくさん鳴いている。田舎のど真ん中なので仕方ないが、さすがに多すぎる。うるさい。去年と全く変わらないその鳴き声はCD音源みたいだ。汗でシャツも肌にはりつく。このド田舎で1ついいことを挙げるとすれば、木々の緑が青色に近くて綺麗なこと。そこだけは許す。私は青が好きだから。
「…はあ。」
私は大きなため息をついてしまった。そう、最近部活に気が乗らない。私はドラムの担当。中学生の頃に初めてドラムを見た時、私の中に雷が落ちる感覚があった。いや、もっとこう、びびびっとすごいのがきた。あの心臓を震わせるような大きな音、それだけではない。あんな大きな楽器で繊細な音をいくつも作り出せる。そんなドラムに惹かれたんだ。それなのに今こうしてバンドに対するなんとも言い表せない感情があるのはどうしてだろう。ドラム、楽しいはずなのに。
でも…その理由を見つけ出すのは簡単だった。
「お疲れ様です!」
私が部室に入る。先輩、同輩がちらほらといた。何人かと挨拶を交わす。その中に私と同じバンドメンバーである友人の高梨里穂がいた。彼女はキーボード担当だ。私は挨拶をする。すると里穂は
「…」
返事がない。しかも目も合わせてくれない。…そう、理由はこれだ。彼女は私を嫌っている…。さらに周りは誰もこのことに気づいていない。私は1人で悩むしかない。こんな短期間で自分が知らないうちに里穂が嫌がることをしてしまったのだろうか…。だってまだ入学してから3ヶ月か4ヶ月しか経っていないのだ。分からない、女子は難しい。
里穂は入学当初、同じクラスで初めて仲が良くなった子だった。彼女の眩しいほどの笑顔に私は惹かれた。当時の記憶を思い出す。
※※※
「…ねえ、ともりちゃんていうの?可愛い名前だね!」
(えっそんな…あなたが可愛いよ…)
里穂は真っ黒い綺麗な瞳で私に話しかけた。キラキラしている。私は吸い込まれるように彼女を見入った。くるんっとしている髪も可愛い…
「ほんとに…?!ありがとう!でも男子にもいそうってよく言われるんだよね…」
「ええ、私なんて結構普通の名前だからなあ。ともりちゃんが羨ましい」
「名前なんて言うの?」
「里穂だよ。高梨里穂。よろしくね!!」
(天使だ…!!!)
私はすぐそう思った。こんな素敵な子に話しかけられてしまった…!
※※※
あーあ、どうしてこうなったんだろ。あの楽しかった日々を思い出してぼーっとしていた。その時、自分のポニーテールがぎゅっと後ろに引っ張られて、立っているバランスを崩した。
「うわあ!」
誰だよ!!…そこには同じバンドメンバーの足立駿介がいた。彼はベース担当である。何かと私に絡んでくる気がするが、悪い奴ではない。無駄に女子に人気なのがあまり気に食わない。
「なにぼーっとしてんだよ、準備しろ、準備。来週大事なライブがあるんだぞ」
「分かってるよーもう!離せ!」
そう、私たちには来週隣町の学校との合同ライブがある。そこでの出来具合によって今年の文化祭に出られるかが決まる。とても大事なライブなんだ。だからこのままじゃまずい。里穂とあんな関係のまま同じステージにいられる自信が全く無い。それではいい音も出せない。
「ほら、練習始まるぞ」
「あ、うん。待って」
今日もまた、「楽しくない訳ではない」練習が始まる。
※※※
「ごめん!!遅くなった!!」
「やっときたよ…」
「なにやってたんだよ」
「あーあ、今日アイスおごりね」
このスライディング土下座をかまして全力で謝ってきたのは宇佐美大輔。ギターとボーカルを担当して、私たちのバンドのリーダーである。可愛らしい顔をして、ドジな性格を持つので、みんなに愛されている。重要な役なのに遅刻はありえない。でも許されるのが彼のキャラクター。ある意味羨ましい。
「ほんとごめん…追試だったんだよ、許してくれ!」
「だいたい分かってたわ」
大輔はよく追試をくらっている。勉強は嫌いらしい。ちなみに、私、里穂、駿介の3人は同じクラスだ。大輔だけ別のクラスなので、彼の状況把握が難しい。
「ごめんごめん!さ、早くやろう!」
「誰のせいだか…」
「大輔くんは変わらないねえ」
里穂はみんなの前だと口を開く。ただ、私の目を見ないだけ。
「じゃあいくぞ、ともり頼む」
「はいはい、任せて」
曲は私のスティックを鳴らすことから始まる。4人の間に一気に静寂が訪れる。曲を始める前、3人とも自分の楽器をじっと見つめて集中に入る。かっこいいよ!!みんな!!
私はこの瞬間が好きだ。
カン、カン、カン、カン
曲が始まる。私達は最近流行っていて、大好きなバンドのカバーをしている。相変わらず大輔の歌声は良い。上手いだけではなく、引き込まれるものを持っている。初めて彼の歌声を聞いた時からそうだった。
「〜あの青はどこから来たんだろう」
このバンドの歌詞は〝色〟を大事にしている。爽やかなイメージを持たせるこのバンドがとても好きだ。
「〜僕らの世界に平行なんてない」
しかし、この曲のこの歌詞を聞いた時だけは突っ込みたくなる。
(いや、私と里穂の関係は平行のままなんですけど…?!)
そんなことを思っていたら少しビートがズレてしまった。
「ストップ、ストップ。ともり、最近速くなるよ。どうしたんだよ!前はかっこよく決めてたじゃねえか」
大輔に注意されてしまった。続けて駿介。
「遅刻魔はだまってろ。…でもともり、速くなってるのはほんとだぞ。しかもいつも同じ場所じゃなくて不定期なんだよな」
里穂は黙っている。申し訳ない。まさかあんな豪快なつっこみを考えていたからなんて言えない。この曲は何回も練習している。自分の好きな音の出し方もようやく掴んできたのに。弱いなあ、私。
「ごめん…。変なところで力入れちゃって。もう1回お願い。」
「りょーかい。頼むぞ!」
その後何回も通してみた。が、みんなの期待とは裏腹に、私はミスを繰り返してしまった。あっという間に練習時間が終わってしまった。片付けていると、駿介が声を掛けてくる。
「ともり…大丈夫か?なんか変だぞ。調子悪いとか?」
「…駿介。ごめん」
いつも最初に心配してくれるのはいつだって駿介だ。前までは里穂だったのに…思い出して泣きそうになってきた。
今は午後7時。部活はいつもこの時間に終わる。空にはたくさんの星。真っ黒な空に綺麗な星がよく映える。私は星を見る度に里穂のあのキラキラとした目を思い出す。
「じゃあな!」
「じゃあ、またね」
大輔と里穂は同じ方向で、私と駿介が同じ方向だった。いつもこのペアで帰っている。
2人と別れた後、駿介が私に聞いてきた。
「ともり…最近里穂と何かあったのか?」
「え…?」
意外なことを言われた。そんなことを言ってきたのは彼が初めてだ。誰も気づかないと思っていたのに。きっと駿介は里穂にも同じことを聞いたのだろう。でも彼女は嘘が上手いから、いいや、別に、とでも言ったんだろうな。で、すんなり答えそうな私に聞いたってわけだ。こう考えた私はなんとなく腹が立ったので否定しておいた。
「え?なんで?なんもないよ?」
「はあ…おまえ分かりやすいんだよ。今だって目逸らすし。こっちちゃんと見て答えろ」
んんん、駿介鋭いんだよな。
「いやほんとに何にもな…」
私が言いかけたその時だった。彼の腕が私に伸びてきて、両手で私の顔をぐいっと強制的に持ってこられた。駿介の方に。
近い近い近い…
「待って待って、なにふんの!」
私はほっぺをぎゅっとやられているので上手く話せない。
「ちゃんと答えろ。」
駿介は真剣だった。
「わかった、わかったから!」
私は彼の手をどける。正直に言うしかないみたいだ。
「実は…最近あの子に嫌われてる。ここ数週間話してない…というか話させてもらえない」
「…はあ。やっぱりなあ」
「…!?やっぱりって?!!」
「俺の方が謝んなきゃだな。実は俺、あいつに告られたんだよ」
あれれれれ??そうだったの??
「えっ…それで…?」
「同じバンドで付き合うのはちょっと無いし、俺まず好きなやついるから断った」
「えっ、あっ、うん。私関係なくない?」
「…お前が好きなんだよ」
…
「え、え、ええええええええ!!!」
過去一大きい声が出た。
お??お?ほーう、謎だ。謎すぎる。待って、それ本人に…?
「もしかしてそれ本人に言ったとか…?」
「言った」
はいばかーー!ばかでーす!おまわりさんこいつでーす(?)
「ばかじゃん」
「ばかだった」
「どうしてくれんの」
一気に謎が解けた。ああ、もう、難しいったらありゃしない。これはすっきりしたのか?いや、してないな。もやもやが広がった。心なしか空も曇った気がする。
「困ったなあ。」
駿介がモテるのは知っていた。まさか里穂までとは思っていなかった。いや、それよりなんで私?!
「なんで私なの…?」
「んー、分かんね」
「まじかよ」
「まじ」
私が返事に困っていると、駿介が先に話し出した。
「なあ、明日日曜だろ。俺仲直り作戦考えたから。10時に駅集合な」
「へっ!?」
不安でしかない。男子でもあるまいし、すぐ仲直りできるわけでもない。遊びに行くんだったら大輔含めて4人か…
「…4人で遊びに行くとか?」
「4人で。」
「ほう…よろしい…」
その日の夜は目が冴えて眠れなかった…あいつのせいだ…
※※※
朝、相変わらず太陽も虫もうるさかった。空は雲ひとつなくて、今まで雨なんて降らしたことはないみたいな顔をしている。ってしまった、5分遅れた…
「ごめん!!送れた!!アイスはおごんない!」
「はぁ??そりゃねえよ!俺いっつも奢らされてるからな!」
珍しく大輔が遅れていない。
「えっ大輔なんでいんの?!」
「は?俺も行くに決まってんだろ」
「いや、なんで時間通りに来てんの」
「いっつも追試なんだよ!ほら!行くぞ!」
里穂が少し笑った。私はほっとして彼女の方を見たけど、すぐに目を逸らされてしまった。
「ともり、行くぞ」
駿介の声ではっとして、3人に急いで着いて行った。
電車を何本か乗り継いで、少し都会の方に出た。そういえばどこに行くのか聞いてない。
「ねえ、どこいくの?」
「はあー??聞いてないのかよ!フェスだよ!フェス!」
「え!?!そうなの??」
「すまん、言うの忘れてた」
「私たちのカバーしてるバンドも出るんだよね」
うそ…みんな知ってた…おい駿介
駿介はすまんすまんと言うだけだった。まあ昨日ちゃんと聞かなかった私も悪い。って、え?そもそもあいつのせいじゃない?
…会場はすごい熱気で溢れていた。夏なのでさらに暑い…電子レンジの中みたいだ。
「ほら!ちょうどだぞ!俺らのバンドの番!」
「俺たちがカバーしてるバンド、な」
はしゃぐ大輔を冷静に突っ込む駿介。里穂も楽しそう。よかった。
そう思った瞬間、わーっと歓声が一気に起こった。バンドメンバーが登場した。みんなかっこいい…構成は私たちと同じ、というより私たちが彼らの構成を真似した。私はあのバンドの曲を初めて聞いた時に鳥肌が立って、あっこれだって思ったのを今でも覚えている。
曲が始まった。みんなの声、汗、太陽、タオル、すべてを曲の中に閉じ込めてしまう。爽やかだけど、不思議な曲。
「〜人間なんてそんなもん」
「〜おまえってその程度?」
この歌詞を聞いた瞬間、私は気づいた。
あれ?私ってそんなもん?
「〜はやくぶつかれよ!!」
ぶつかってない…私全然里穂にぶつかってない。里穂に話しかける勇気すらないじゃん。里穂の気持ち全然分かってないじゃん。うじうじしている自分が馬鹿らしく思えた。動かなきゃ。私から動かなきゃ。
気がついたら曲が終わっていた。
「里穂、こっちきて」
「?」
私は里穂を無理矢理ひっぱって2人になれる所に連れていった。
「…ごめん、ちゃんと話したくて。里穂の気持ち全然分かってなかった。ごめん」
「…あのこと?ともりのせいじゃないじゃん。なんで謝るの??馬鹿にしたいの?」
「そういう訳じゃないって!!」
「やめてよ…私が勝手に悩んでるだけ。分かってるでしょ?もう話しかけないでよ!!」
あれ、なんで?私またやっちゃったかな。
里穂が走って行ってしまった。虫の声がよく聞こえた。もう全部嫌。晴れている空がやけに鬱陶しかった。
帰りのことはほとんど覚えていなかった。駿介が何か言っていた気がするけど、意識があまりなくて覚えていない。
次の日も、また次の日も、それから何も起こらずにとうとう合同ライブの日が来てしまった。
※※※
「みんな、気引き締めていこうな!」
大輔は元気だ。駿介が心配そうにこっちを見た。私は気付かないふりをする。あれから里穂とは1回も話していない。でも、そんなこと考えてここでヘマをする訳にはいかない。頑張らないと。
「では、次は辺城高校です」
私たちの番になった。それぞれの定位置に着く。ふぅ、しっかりしないと。
「ともり、頼む」
「うん」
カン、カン、カン、カン
曲が始まる。順調だ。私もみんなのリズムに乗れている。このまま、このままいこう。
その時だった。
ジャン…
里穂が失敗した。しかもそこはキーボードのソロパートだった。焦った里穂は続けようとする。しかし、頭が真っ白になって音を思い出せないようだった。場が静まり返る。まずい、このままだと…
「え、なに?どうしたのあれ」
「わかんない、曲じゃないよね?」
「失敗したのかな?続ければいいのに」
そんな声の中、
「さすが、ヘンコーだな!」
「ほんとだ、変な高校には変な奴らがいるんだなあ」
は?意味わかんない。全然面白くないんだけど。
大輔も駿介も固まっている。里穂は今にも泣いてしまいそうだった。
もう、何がなんでもいいや。
私はすうっと息を思いきり吸い込んで…
「…私は!!!里穂も駿介も大好きだよ!!!ついでに大輔も!!」
一斉にしーんとなる。やばい…なんでこんなこと言ったんだ…?今全然関係ない…
「…俺も3人とも大好きだ」
駿介が口を開いた。
「ついでってなんだよ!!」
大輔が突っ込んできた。
「…うっ…うっ」
里穂が泣き出した。
「ごめん…ごめんね…」
そのごめんの意味を理解した。私は彼女に駆け寄って、ぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫だから。ね?落ち着いて」
久しぶりに里穂としっかり目が合った。やっぱり彼女の目はキラキラしていた。このキラキラは涙じゃない。
「うん…ともり…ごめん…みんなもごめん…」
大輔と駿介は微笑んだ。
「さあ、やるよ!!もう1回!」
「よし、やるか!!えーと、では…もう1回やらさせて下さい!!」
「「お願いします!!」」
私たちはもう一度初めから演奏した。みんなの顔つきが違う。今までで1番いい…気持ちいい!!ドラムたのしい!!
さっき馬鹿にしてきた観客の人たちも私たちに見入っている。でもそんなことどうでもよかった。とにかく楽しかった。
曲の途中、里穂と目が合った。
「ありがとう」
里穂がそう口を動かしたのを、私は見過ごさなかった。
…楽しいなあ!!全部!!
私は心の中で、思いきり叫んだ。
別に楽しくない訳では無い 橘花 紀色 @banananoki
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