第3話 序論
筆者が小学校6年生の時に父方の祖父が亡くなって、今年で10年になる。亡くなる前年に祖父は、筆者に講談社から刊行されている『新美南吉童話大全』と『宮沢賢治童話大全』を買い与えてくれた。また祖父自身も、趣味の詩吟で「雨ニモマケズ」を諳んじていた。筆者と宮沢賢治の出会いはこのときであり、以後大学に入るまで、筆者の人間形成に大きな影響を与えることになる。小学校の図書館にある漫画形式の伝記や、少年少女向けの日本文学全集を読みあさっていた筆者にとって、自室にいつでも読める童話集がある事は望外の喜びであった。
2009年12月26日に65才で祖父は自宅で突然死し、釈英雲という戒名を与えられた。遺された親族はみなで空を見上げながら、晴れた日は「いーちゃん (1)今日も元気だね」、入試の日や発表会の日など大事な日には「いーちゃん、空から見ていてよ」などと話しかけていた。
戒名に雲の字を入れたのは、死んだ祖父はいつもみんなのそばにいる事を意識して欲しいという住職さんの計らいであったらしい。
賢治が空に関わる絶詠の短歌二首を残して亡くなったと知ったのは、高校時代、センター試験を控えたある日に『宮沢賢治詩集』を買った事がきっかけであった。以下に絶詠二首を引用する。 (2)
方十里稗貫のみかも
稲熟れてみ祭三日
そらはれわたる
病のゆゑにもくちん
いのちなり
みのりに棄てば
うれしからまし
筆者は高校卒業間際から俳句及び短歌を創作活動の一環にしており、現在は出身高校の国語教諭兼俳人の方に俳句を師事している。大学生活を共にしてきた俳句や短歌と、幼少から偏愛してきた宮沢賢治の研究とを一つにまとめ上げることができればと考え、本テーマを設定した。
本論文は、宮沢賢治の絶詠と病に伏せる最晩年の姿を追い、そこにいかなる意味が見いだせるかを考察することで、筆者が祖父亡き後に行ってきたグリーフワークの意義を検証すると共に、筆者が考える現時点での死生観を言語化することを目的として行うものとする。
第1章では、賢治の年譜や死をモチーフにした晩年の作品の精読を行い、彼がどのように死を迎えていったのか、一次資料に自分なりの考察を加える。
第2章では、賢治の死生観について先行研究を検討し、賢治の死生観に多大な影響を与えた妹トシの死を対象喪失の観点から考察する。また筆者の祖父が亡くなった後、筆者がどのようなグリーフワークを行ってきたかをまとめ、その検証を以上で得られた考察をもとに行う。
第3章では、賢治の「死に方」を最後の手紙と言われる柳原昌悅宛の手紙や絶詠から読み解いていく。ここでは賢治自身の死をE.キューブラ―・ロスの提唱した死の受容の観点から考察する。
結論では以上を総括し、賢治の絶詠及び死に方が筆者の死生観に及ぼしたものを内省し、筆者自身の死生観について現時点での考察をまとめる。
(番号)は脚注とする。
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(1)祖父も祖母も50歳代と若くして孫ができ、自分の事をおじいちゃんおばあちゃんではなく、
いーちゃん(おじいーちゃん)、あーちゃん(おばあーちゃん)と呼ばせるようにしていた。
(2) 宮澤賢治 『校本宮澤賢治全集第1巻』 筑摩書房 1973 p.340より
書式は同書による。
(以下、全集を用いる場合は『全集〇巻』という。)
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