Act.10 覚醒
1969年、春。
ガードレール越しに海の見える場所。
ニトクリスが銀のインペリアル・クラウンを路肩に止める。
ドアを開け、外に出て、海を見渡す。
波の音が聞こえる。
「・・・・・・。」
つかの間の平穏に見えた。
人類は密かに守護神を亡くし、己の力で未来を切り開かなくてはならなかった。
「だから言ったんですよ。素直に武器を捨てていれば、平穏な日々が保証出来るって。」
突然現れた声の主が、こちらに近づいてくる。
アイリーンだった。
「2年間頼りだった英雄も消滅して、今や人類は裸同然の状態。
このまま邪神群に攻められれば、人類という名の一つの種は、静かに宇宙の中で終わりを迎えますね。」
「ほう、意外だな。貴様が人類の守護者を語るとは。
貴様の言う人類ってのは可哀そうだ。こんな偽善者に支配されて、ジョージオーエルの描いたディストピアが実現してしまうんだから。」
「酷い言われようですね。私はただか弱な生命を守りたいだけなのに・・・。
人類の提唱する平和を実現させて上げたいだけなんですけどね。」
「守護者を語る侵略者の言葉なんざ、素直に聞けるような馬鹿でか弱な種族じゃないのは確かだ。
邪神を狩りつくしても、人類全体が平和になるかと言われるとそうじゃない。
貴様はか弱な生命を守りたいじゃない。人類をか弱にしたいんだよ。」
「むぅ・・・。そーゆー姿勢を貫くつもりですか・・・。
何か・・・勝算でもあるんですか?」
「人間はそう弱くはないんだよ。それに・・・貴様が言ったんだろう?
一方的に地獄が続いてれば、それを助けに来る英雄が現れるってな。
私には分かる。戻ってくるぞ、アイツは。」
ニトクリスの表情は自信に満ちていた。
海の音が響く。
インペリアル・クラウンが日に光る。
それはニトクリスの予言だった。
何十年も経ち、邪神が復活した頃。
英雄は・・・。
× ×
せり上がる塔を見ていた。
地面が鳴る。
神によって崩された塔が今、
空の闇が刻一刻と増してゆく。
元々そうであったかのように。
それが元の姿だと言わんばかりに。
玉座なのだ。
このフィールド全て。
あの巨大な異形の・・・。
黒い翼は空を覆う。
ガラスと灰の建造物の狭間に降下するグリーンの体躯。
ゆっくりと・・・。
その様は確かに、神々しかったのかもしれなかった。
或いは、それはただの宇宙怪獣の死体かもしれなかった。
それでも、ニトクリスの言う「無限」になり果て、
遂には死してから進化を始めた。
まるで生きているかの如く。
矛盾している気がした。
相反する『神』と『進化』というワード。
神は進化しないし、進化して神になれるわけではない。
進化論は神の存在を否定するのだろうか。
しかしてこの二つのワードは、目の前にて共存を果たしていた。
奇妙にも思えた。
それでも納得できたような気もした。
いや、もしかしたら納得できなかったのかもしれない。
本当はどっちでも良かったのかもしれない。
相手が
どっちにしろ、私にあの異形を殺さないという選択肢は無い。
守らなければいけないものがあった。
倒さなければいけないものがあった。
だから私は武器を握りしめ、走らなけらばならなかった。
左手にはマシンガン。
右手にはトマホーク。
両手が重たかった。
冷たい冷気が体に入り込む。
地面を蹴って、弾丸の如く異形の元へ突っ込んだ。
跳ぶ。
曇り空を背に、私は異形のもとに弾丸の雨を降らした。
引き金を力強く引き続ける。
一弾一弾の衝撃が体に伝わる。
だが・・・
弾丸だけで・・・異形の体躯は傷つかない。
何も通らない。
ナニモトオラナイ。
赤い瞳がこちらを見つめる。
それは深淵だったのかもしれない。
その奥は暗くて・・・冷たい。
寒さを感じた。
目の前の物を割りたいとも思った。
さながら、ルビーの入ったガラスケースをハンマーで割る感覚に近いのかもしれない。
眩しかったのかもしれない。
黒い光が、毒のように私の目に焼きつける。
何かに飲まれそうな気分だった。
それでも何とか踏みとどまった。
果てはない。
果てはない・・・。
・・・勝てるのか?
この・・・進化する邪神に・・・。
× ×
アナタが深淵を覗くとき、深淵もまたアナタを覗いているのだ。
byニーチェ
× ×
「・・・行くんだろ?」
明日香が・・・美沙夜に背を向けながらそう言った。
塔の中だった。
模造の城。
出来損ないの城。
忌まわしき工芸品。
城壁はゆらゆらと変容を続け、一定の形を保ってはいなかった。
辺りにはdeep ones・・・そしてそれや邪神のなりそこないが群れ、
美沙夜と明日香を取り囲んでいた。
美沙夜は明日香の顔を伺った。
横顔・・・。
上手く見れなかった。
でも、力のこもった感情が美沙夜には読み取れた。
美沙夜は察し、再び拳を握りなおす。
そう・・・美沙夜は覚悟した。
一人で世界を変える力など、美沙夜には無い。
数千億の命の中の、ほんのちっぽけな存在だった。
一年前からの過去の記憶さえ持たない、ただの・・・人間。
それでも・・・。
美沙夜は目の前でうずくまってる人間を、見過ごすことのできない人間だった。
かつて自分が助けられたように、自分も誰かを助けたいと思った。
優しくて・・・穏やかな・・・そんな世界が作りたくて・・・。
明日香には眩しすぎた。
諦めかけた世界だった。
目的を遂げ終えて、希望も枯れ果て、何処か悲観した世界だった。
優しさも、何もかもすべて諦めて、戦場に潤いを求め続けた。
恨みや怒りさえも腐り落ち果てたと思い込んでいた。
だが違った。
自分で捨てていたんだ。
自分には眩しすぎたんだ。
自分のように何もかも失ったにもかかわらず、
明るい世界を求め続けるその姿に、ただ嫉妬していたんだ。
美沙夜は概念なんかじゃなくて、ただ目の前の人間を見ていた。
ただ一人ぼっちの人間を・・・。
「決めたんだろ?覚悟って奴を・・・。さっさと行けよ。散々大口叩いて、今更前言撤回なんて言わせないぜ。」
苦し紛れに・・・明日香はそう言った。
美沙夜に背を向けたまま・・・。
「・・・うん、ごめん。」
美沙夜は答えた。
明日香には何のごめんか、分からなかったけども。
美沙夜は地を蹴り、目の前の異形を切り伏せ始めた。
そして前に進む。
行く手を阻む異形の先の、目的地に続く階段へと向かう。
美沙夜へと向かう異形を、明日香はデスサイズで振り払う。
消えては増えていく異形たち。
二人は道を切り開いていった。
あれからどれだけ時間が経っただろう。
美沙夜は奥へ奥へと先へ進んだ。
あの悲しげな少女の元へ。
息を上げながら、足を動かした。
あれからどれだけ時間が経っただろう。
聡美は室内が変容する音や、僅かに聞こえる破壊音に身を震わせながら、
依然としてその場でうずくまっていた。
悲しかった。
腹が立っていた。
負の感情ばかりが込み上げていて、しかしそれを自分の願いで押し込んでいた。
泣かないようにしていた。
聡美はただ愛が欲しかった。
本当は・・・ただそれだけだったのだ。
壁が変容を続ける。
異形を切り伏せる最中、美沙夜は確かに目撃した。
今まさに変容している壁・・・それは巨大な扉にも見えた。
あの奥に・・・部屋がある。
確信。
己の速度を早めた。
異形の体躯が地面に向けて落下する隙をねらった。
壁に向かって走る。
拳に力を込めながら、エネルギーを込めながら・・・。
その・・・
拳を・・・
全身全霊を込めて、壁に叩きつけた。
光が放たれた。
美沙夜はゆっくりとその部屋に入った。
広い空間だった。
その中心に、聡美がいた。
こちらに恐怖の視線を向けながら、その瞳から、微かに雫が頬を伝った。
聡美は・・・とうとう叫び声を上げた。
「やめてよ・・・やめてよッ!!こっちに・・・こっちに来ないでよッッ!!!」
聡美の声に呼応して、二体の人型の異形が現れる。
美沙夜に向かって攻撃を仕掛けるが、しかし、その力は何処か脆く、隙だらけで、あっけなく倒された。
美沙夜が聡美を見る視線は、ずっと・・・慈愛に溢れていた。
聡美にとって・・・懐かしくも思えるような・・・。
「やめてよ・・・そんな優しい目で見ないでよ・・・・・そんな目で・・・何でッッ・・・」
美沙夜は装甲を解いた。
そして、聡美の元に近づく。
聡美は愛が欲しかった。
ずっと・・・・ずっと・・・・・・。
美沙夜は聡美を、ゆっくりと抱きしめた。
そして・・・言った。
「もう・・・怖がらなくて、いいからね。きっと・・・寂しくさせないから。我慢しなくて・・・いいから。」
それは・・・聡美の、在りし日の思い出と重なった。
今は亡き、母の抱擁。
「うッ・・・・うぅうぅぅぅぅうぅ・・・」
聡美は・・・大粒の涙を流して、声を上げて、泣いた。
大量に溜め込んでしまった悲しみが・・・滝のように溢れて・・・。
もう周りには、異形はいなかった。
明日香は壊された扉に着いた途端、装甲を解いた。
何かが崩れるような音を聞きながら、目の前の光景を、静かに見守っていた。
× ×
深淵を愛するからには、翼がないとダメさ
by ニーチェ
× ×
私は・・・溺れているような気がした。
落ち行く中、光が私から逃げるかのように遠ざかっていく。
今は雲の上にあって、伺うことのできない光。
いくら手を伸ばしても届かない。
もどかしくて仕方がなかった。
落ちる。
ただ・・・落ちている。
私が落ちている間も、邪神はただ進化を続ける。
果てはない。
果てはない。
戦おうとしても、力が出ない。
邪神の姿も、遠ざかっている気がした。
・・・・・ッ、・・・嫌だ。
このままじゃ・・・嫌だ。
私は何も出来ちゃいない。
先生や明日香が涙を流して、美沙夜が覚悟を決めて・・・・・。
それなのに、私は何も出来ずこのまま死ぬのか。
悔しさがこみ上げてくる。
止めたい。
この速度を・・・・止めたい。
手を伸ばす。
ただ・・・・手を伸ばすッ
・・・終われない。
このままじゃ、終われないからッッ!!!!
願う。
そして・・・
私は光を求めて・・・・手を伸ばし続けた。
すると・・・何故だろうか・・・。
目の前が徐々に、白くなる。
冷えた体も徐々に温まり始め、
力が何故か・・・こみ上げてくるような感覚がした。
そう・・・この感覚には見覚えがある。
始めて邪神を倒した日。
赤いエネルギー体が私を包み込み、いつもの速さを超えた時。
私の力が・・・無限にも思えてくる。
何処までも飛べる気がした。
戦おう。
・・・守るべきもののために・・・。
私は飛んだ。
× ×
管制室に、衝撃が走った。
「あれは・・・ラピッドエネルギーッ!?」
「馬鹿なッ、なんの操作もせずラピッドエネルギーが作動するなんて・・・」
「縦40メートルに到達ッ!!徐々に・・・人型に変化していますッ!!」
その場にいた誰もが、驚愕を隠すことができなかった。
その中で一人、表情一つ変えず、ただ冷静に流れてきた映像を観察していた者がいた。
ニトクリスだった。
そして笑みを浮かべ、ポツリと・・・言葉を呟いた。
誰も・・・気づかないようなボリュームで。
「・・・帰って来たな、英雄・・・・。」
それは巨人だった。
ラピッドエネルギーと呼ばれるエネルギー体によって構成された肉体。
不完全な状態ながらも、計測されたエネルギーの数値は既に人智を超えていた。
巨人は立っていた。
模造の邪神の目の前で。
そして・・・走り出す。
ビルのはざま。
邪神は黒い翼を羽ばたかせ、こちらに迫ってくる。
邪神のかぎ爪が光る。
巨人は邪神に向かって飛躍した。
そして空中でその身を回転させ、やがて一つの体勢を作る。
右足を邪神の方へ向ける。
跳び蹴りだった。
唸るかぎ爪。
燃える右足。
炸裂する技。
両者とも、ダメージを与えたようだった。
攻撃を与えた後、二つの体はすれ違ったようにお互い背を向け合う形になった。
邪神はダメージが急所に当たったのか、先程より体の動きが遅くなっていた。
再度向き合う二体。
邪神は先程と同じように巨人の方へ突っ込んでゆく。
しかし、巨人はそうはしなかった。
巨人は両手の拳を前に突き出しクロスさせた。
体中のラピッドエネルギーを右腕に集中させる。
そして、両手を反転させて腰のあたりに拳をかざす。
邪神はようやく気が付いた。
いくら突進しても、いくら羽ばたこうとしても、自分の体が浮かないことに。
右翼に穴が開いていたのだ。
先程の跳び蹴りは邪神の右翼をも貫き、決定的なダメージを与えた。
片翼だけでは空も飛べまい。
邪神は浮かぶこともできないまま、そのまま巨人に向かい突進する形になった。
巨人の体が・・・一瞬八雲の姿に変化した。
――――――これで・・・終わりだッ!!
八雲は・・・・
右腕を・・・・
力強く・・・・
突き出した。
――――――くらえッッ!!!!
右拳から光が放たれる。
それは・・・光線状に射出され、熱を帯びた大量のラピッドエネルギーだった。
ラピッドエネルギーは邪神の体躯を、
いとも容易く貫いた。
邪神はこれまでの個体と同様に、消えていった。
それに呼応するかのように、空から光が見え始めた。
澄んだ空が、その姿を現した。
太陽は・・・街を・・・巨人を、照らし始めた。
巨人の体は徐々に崩壊を始め、数十秒もしないうちに消滅した。
× ×
この世界に来て、一体何度空を見上げただろう。
毎回見上げるたびに違った表情を見せてくれる。
いつも澄んだ印象を受ける。
触れられるものなら、触れてみたい・・・とも思う。
試しに手を伸ばしてみる。
そっと空をなでるように。
かざす。
すると、指の隙間から太陽の光が漏れ出る。
眩しかった。
私は少し嬉しくなった。
そしてこの空が・・・心の底から・・・綺麗だと感じた。
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