Act.9 Life
一年前、神崎美沙夜は目を覚ました。
病院のベッド、真っ白な空間。
柔らかく差し込む日差しには見覚えが無くて・・・。
淡いカーテンの色、すぐそばに置かれた観葉植物が、真っ白な空間で美沙夜の瞳に静かにインパクトを残す。
ここが何処かも分からず、ただぼうと・・・目の前の景色を眺めていた。
しばらくのことだった。
病室の戸が開き、看護師が部屋に入ってきた。
美沙夜は数週間も眠っていたらしい。
看護師は美沙夜に問うた。
自分自身の状態についてだった。
「自分が誰か、分かりますか?」
美沙夜は答えることが出来なかった。
美沙夜は記憶喪失だった。
自分の名前も、自分が何者だったのかさえ答えられなかった。
空っぽの気分だった。
記憶も何も無くて、迎えに来てくれる人もいなくて、ただ白い部屋で過ごすだけの日々。
目的も無く、生きてる意味も分からない。
無気力感が漂っていた。
美沙夜が目を覚まして4日が過ぎた頃だった。
「あなたが・・・美沙夜ちゃん?」
女の人が美沙夜の部屋に訪れた。
勿論この人に関しての記憶なんてあるはずがない。
見た感じ、初対面の様だった。
その女の人は、藤宮ナオと名乗った。
ナオと美沙夜の会話は、看護師がしたような質問から始まった。
気分はどうとか、体の調子とか。
会話を続けるにつれて、変わった人だなと少し思う。
初めて人に印象を抱いた。
次の日になっても、ナオは美沙夜の部屋を訪れた。
会話の内容は体調の話からテレビや、今流行ってる雑誌の話などになった。
ナオは毎日美沙夜の部屋に足を運んだ。
美沙夜も・・・ナオと話をするのが、一日の楽しみとなっていた。
「藤宮さんは、どんな仕事をしてるんですか?」
「学校の先生。」
ナオはいつものように笑顔で答えた。
ナオと出会って数週間が経つ。
動かなかった体のリハビリも進み、美沙夜の体は健康体に近づいていた。
「・・・ねぇ、藤宮さん。」
「ん?なぁに?」
「どうして・・・赤の他人の私に・・・こんなに尽くしてくれるんですか?」
「・・・・。」
ナオは答えを出すのに少し困った。
考えて・・・答えを出した。
「美沙夜ちゃんを見てると・・・何故か分からないけど昔の自分を思い出すの。
あなたがただの他人に見えなくて・・・。
私、美沙夜ちゃんの力になりたかったの。
困ってそうな人、放っておけなかったから。」
雲一つない青空に、太陽が光を放っていた。
美沙夜に向けられた優しい笑顔。
光と重なったナオの表情が、美沙夜の瞳に焼き付いた。
現在。
美沙夜は『舟』に来る前・・・ナオと出会った頃の記憶を思い出していた。
それ以前の記憶はまだ思い出すことは出来ない。
早朝6時30分。
曇天だった。
虚ろな目をしていた少女の名は暗渦聡美というらしかった。
美沙夜は聡美のことが忘れられなかった。
明日香の言った通り、美沙夜は聡美の過去など知らない。
罪を犯した人間なのかもしれない。
だけど・・・このまま彼女を殺して・・・本当にいいのだろうか。
罪状も何も知らぬまま、そのまま見殺しにすることは正しいのだろうか。
罪を犯したかもしれない人間を殺すのは、正しいことなのだろうか。
「・・・・・・ッ。」
美沙夜は歩く。
カタパルト室に向けて・・・。
カタパルト室への道のりが・・・心なしか薄暗く見えた。
足取りも重く感じられる。
それでも目の前に進む。
美沙夜の中の何かが・・・心の中で沸々と燃えた。
感情が・・・空気に感染して、反響する。
進む・・・進む。
「何処へ行くつもりだ?」
前方から声がした。
明日香だった。
薄暗くて、あまり先は見えない。
だが・・・僅かに垣間見える明日香の鋭い眼光が、美沙夜の体に悪寒を与えた。
それでも・・・無論、美沙夜は引き下がれるはずがない。
美沙夜の中に渦巻く激情。
それは怒りなのか、悲しみなのか・・・美沙夜自身も分からなかった。
「・・・愚問・・・ですよッ。」
美沙夜は・・・腹の底から声を絞り出した。
握りしめる拳。
いつ血が出たって不思議ではなかった。
美沙夜は明日香を睨みつけていた。
自分の・・・揺るぎない信念を持って・・・。
明日香は舌打ちをした。
「まだ・・・・・分かっちゃいねぇようだなァッ!!」
明日香の声が、暗闇にこだました。
× ×
私の周りには壁があった。
真っ白な空間に、黒や茶色などの線が・・・子供がいたずら書きをしたかのように渦巻いている。
線は動く。
時計の秒針のように瞬間瞬間動いて渦巻く。
線が増える。
私は腰を落として、その光景をただ眺めていた。
いたずら書きで・・・空間の白が徐々に消えていく。
折り重なる線が・・・やがて、立体的に見え始めた。
ただのいたずら書きが・・・醜悪な設計図のように見え始めた。
視界が歪む。
空間が変容する。
気持ち悪い。
もう白はない。
限りなく黒に近い色に・・・私は徐々に沈んでいった。
真っ暗な中、私は溺れた。
目の前が何も見えなくて、息がなくなるのがただ苦しくて、あがいてもあがいても落ちていくだけだった。
私は黒と同化した。
痛みも思考も何もかもなくなって、真っ暗になった。
「ッッ!!!」
ふと、目を覚ました。
悪夢を見た気がした。
きっと無意味な悪夢を・・・。
辺りはまだ暗かった。
先ほどより疲れが取れたかと聞かれれば分からない。
ブレスレットの時計機能によると、6時半過ぎらしい。
少し歩こうと思った。
もうすぐ決戦だ・・・というニトクリスの言葉を思い出す。
このまま座ったままだといけない気がした。
動いた方がいい気がした。
ベンチを離れる。
歩く。
辺りが灰色に見えた。
ふと、何か大きな物音がした気がした。
激情がこもったような音だった。
私は・・・音が現れた方向に向かった。
× ×
明日香は美沙夜の服の襟を握りしめ、問い詰めていた。
明日香に押され、美沙夜の背中が壁にぶち当たった。
「何度言わせりゃ分かるんだよッ・・・。」
憎しみにも・・・悲しみにも似た、明日香の怒り。
明日香の脳裏をよぎる過去の記憶。
「・・・死んじまえばいいんだよッ。」
明日香の瞳は濡れていた。
「戦場に・・・優しさなんていらねぇんだよ・・・ッ。命を平気で奪う奴に・・・与えるべきは罰しかねぇんだよッ!!
奪われた者の苦しみの込められた・・・怨嗟のこもった罰をッッ!!
人を殺すってのは罪なんだよ・・・・どんなに理由付けても罪なんだよッッ!!
殺すしかねぇんだよ・・・あんなガキ、死んじまえばいいんだよッッ!!!」
明日香の心の叫びだった。
奪われた者の悲しみ。
許せなかった。憎かった。
知ってほしかった。
苦しみを。
美沙夜は拳を握りしめた。
悲しかった。哀しかった。
気づいた時には何も無かった。
命が失われるのが嫌だった。
美沙夜は言った。
「・・・・だから・・・殺すんですか・・・・人殺しをしたから・・・殺すんですかッッ!?」
「他に何があるんだよッ!?命奪って・・・奪ったまま生きさせ続けて、奪われた方はどんな顔してりゃいいんだよッッ!?」
「そこで命を奪ったら・・・また繰り返すだけじゃないですかッ!!
命を奪ってその悲しみは消えるんですかッ?
命を奪ったら殺された命は帰ってくるんですかッッ!?」
「知ったような口をッッ!!!」
「命を一つ奪うだけで、その苦しみは無くなるんですかッ!?
苦しみから解放されるために人を殺すんですかッッ!?
残るのは・・・失った悲しみだけでしょうッッ!!!」
美沙夜の脳裏に浮かぶ聡美の顔。
虚ろな瞳。
・・・何か理由があるはずなのだ。
見殺しになんて出来るはずが無かった。
助けたい。
自分が助けられたように。
あの子の・・・力になりたいと思った。
美沙夜の揺るぎない信念だった。
「ッッ!!」
明日香の頬に雫が伝った。
襟から、明日香の手が滑り落ちた。
脚も崩れ落ち、地面に大粒の涙が零れた。
× ×
明日香が泣いていた。
美沙夜が激情を見せていた。
「・・・・・・。」
私はそれをただ見ていた。
命・・・。
暗渦聡美という名の・・・命。
ふと、背後から声がした。
「八雲ちゃん、」
振り返った。
「・・・先生。」
藤宮先生だった。
「・・・・行こっか。」
明日香と美沙夜の状態を察したのか、或いは会話を全て聞いていたのか、先生は私にそう言った。
私達はその場を立ち去った。
歩きながら、先生は言った。
「あの子たちもね、私と同じように・・・怪物に大切な人を奪われたの。」
「そう・・・だったんですか。」
「皆も多分・・・苦しんでるんだと思う。」
先生の言葉が悲しげに聞こえた。
「美沙夜ちゃんはね、大切な人を奪われてから・・・記憶喪失だったの。」
「・・・・!!」
「初めて会った時、何もかも抜け落ちたような雰囲気だったの・・・今でも覚えてる。私、そんなあの子が放っておけなかった。毎日美沙夜ちゃんの所に通ったりした。
何日も接してるうちに、優しい子なんだって思った。
きっと・・・私よりも強いくらいに・・・。」
「・・・・・。」
「だから・・・美沙夜ちゃんは戦うことを選んだんだと思う。
私、美沙夜ちゃんが戦いに行くことが怖かった。
美沙夜ちゃんがいなくなっちゃうんじゃないかって。
何度も引き留めた。
でも・・・困ってる人を助けたいんだって譲らなくて。
確信に変わった。
やっぱり、私よりも強かった。」
私がこの世界に来たあの時も、助けてくれたのは美沙夜だった。
美沙夜がいなければ・・・私・・・・・。
「作戦でね、八雲ちゃんは邪神と戦って、美沙夜ちゃんと明日香ちゃんは宮殿に行くの。」
「宮殿?」
「うん、今海から浮上して来てるんだって。
私・・・美沙夜ちゃんを信じてみたい。
美沙夜ちゃんなら・・・きっと・・・・・。」
私も納得した。
私も美沙夜を信じてみたい。
美沙夜は美沙夜の・・・私は・・・・・私のケリをつける。
・・・刹那。
「ッッ!?」
巨大なブザー音が聞こえた。
廊下中、真っ赤に見える。
・・・と、先生のタブレット端末から着信が来ていた。
ビデオ通話らしい。
すぐに通話が繋がり、ニトクリスの顔が見えた。
私の顔が見えたようで、単刀直入にニトクリスは言った。
「八雲、今何処にいる?」
「カタパルト室の近くだけど・・・。」
「なら話は早い、さっさと行け。決戦の時間だ。美沙夜と明日香はもう飛んだ。あとは貴様だけだ。」
「え?早。」
「無駄口叩くなッ。今すぐにだッ!!」
私はすぐ走り出した。
カタパルト室に向かった。
部屋に入って階段を上る。
やはり二人の戦闘機は無かった。
急いで上って、戦闘機のハッチに飛び込んだ。
僅かながら緊張を感じた。
それでも・・・・・・。
「・・・・・・ッ。」
戦いたい。
美沙夜の為に、先生の為に、明日香の為に、皆の為に。
装甲が・・・私の体を包み始めた。
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