Act.8 Castle of Copy Contents

1994年、イギリス:ブリチェスター 釣り堀

早朝。

辺りは霧に包まれ、不気味な雰囲気を醸し出していた。

そう、まるでホラー映画。

訪れたら高確率で行方不明者が出るとの噂もあるので、観光客はおろか地元民でも近づく者は滅多にいない。

そんな状況下の中、誰もいない釣り堀で一人釣り糸を垂らす男がいた。

それがアトラスクルスだった。

怪しい釣り堀。

ロクなものが釣れるはずもなく、そこに佇む姿はまさに酔狂と言えるだろう。

・・・と、アトラスは後ろから迫ってくる存在を察知した。

「この足音、ゾンビじゃねぇな。」

足音が徐々に近くなる。

「・・・・・。」

ふと、足音が止まった。

「ほう、ここいらにはゾンビが出るのか?」

足音の主が第一声を放つ。

女の声だ。

声にアトラスは答える。

「ただの噂さ。そんな訳でここに立ち入る人間は俺くらいだ。客が来るのは珍しい。

もてなしてやりたくてもここにあるのはゲテモノだけ。で、そんな所まで来て俺になんの用だ?」

「なぁに、素手で邪神と殺りあった力自慢がいると聞いて興味本位で寄ったにすぎん。仕事も無く人目のつかない釣り堀でただ時間を潰す日々の探偵らしいからな。

アポイントが無くても構わんだろう?」

「まぁな。最近は大した事件も無いから暇してた所だ。

ま、俺の見えないところでコソコソ何かが動き出してるのは薄々感じ取ってはいるけどよ。

・・・ところでアンタ、何処のモンだ?

財団や大学・・・俺の知ってる組織の人間じゃねぇことは確かだ。

俺の居場所を突き止めるなんて並じゃ不可能。

しかも背後取られてる。危機的状況じゃねぇの?コレ。」

「察しがいいな。我々はいずれ邪魔になる対象なら、今すぐにでも抹殺できる『力』がある。例えそれが・・・英雄であっても・・・な。」

一瞬、沈黙が流れる。

冗談の雰囲気じゃない。

女の言葉に噓はない。

アトラスには断言できた。

悪寒が走る。

これから殺されようと不思議ではなかった。

幾度も戦いを続けた英雄たろうと、背を向くことさえ困難な状況下だった。

荊のような殺意。

冷たい空気が、アトラスの感覚を刺している。

再び口を開くのが精一杯だった。

「で、殺すのか?俺を。」

ようやっと絞り出した声だった。

静かに・・・冷たく響くアトラスの声。

女は答える。

「まさか、一人の人間を殺すためにわざわざ出向くなど面倒ごとは起こすまい。

私は英雄殺しなどという大層なものに興味はない。

人殺しは謎を解く手段に過ぎない。

そう・・・謎だ。私は・・・謎が解きたいんだ。」

女はニヤリと笑みを浮かべる。

邪悪と無垢を併せ持ったような声だった。

空気の変容がアトラスの体に負担となってのしかかる。

「・・・・・。」

アトラスはただ黙するしかなかった。

女は言う。

「貴様は我々組織にとって大事なピースだ。決めろ。

今すぐ私に殺されるか、組織で働くか。

果てのない命などない。今死ぬか幾重に月日が経った後に死ぬか、それだけの違いだろう?」

横たわる時間は無限だが、物体の崩れ去るまでの時間は有限に過ぎない。

無限の中に内包された有限が我々だと女は言った。

我々は個として、無限になることはできない。

いくら長生きをしても、長い有限となるだけで、決して無限になることはできない。

一日二十四時間のうちのほんの数時間。

有限が無限になることは恐らく人間にとっての死を意味する。

女にとって無限とは、無限の中のゼロ・・・生きた証を残して無へと帰することを意味していた。

「『無限』には・・・謎が尽きることなく存在する。カップの中の水が無限で、それに溶けていく氷が我々。無に帰るまで・・・私は欲望のまま謎を解き続ける。

ならば・・・貴様はどうする?」

アトラスは女の言うことを半分理解した。

全て理解するということは宇宙の存在理由を問うことに等しい。

アトラスは人間だった。

有限だった。

まだ生に執着があった。

「・・・生きてぇ。」

小さく・・・呟いた。

「もう少し長生きしてやるぜ・・・有限のままな。」

それがアトラスクルスの決意だった。

浮かぶ霧は、辺りの有限を覆い、女・・・ニトクリスは再び顔に笑みを浮かべた。



『舟』、現在。

管制室に混乱が渦巻いていた。

モニターに映し出された物体。

海から突き出た塔の一角を思わせる建造物。

データは告げる。

それはかつて、太平洋に沈んでいた都市の建造物に酷似していた。

いや・・・ほぼ同じといっても過言ではない。

AIによって忠実に再現された都市。

オリジナルに似た醜悪さと造形美を兼ね備えた城壁。

たった一部分だけでも、モニター越しにそのおぞましさが瞳に飛び込んでくる。

『螺煙城』・・・。

都市の名の異名だった。

悪辣で忠実なオマージュ。

「コイツが無限って奴だ。・・・皮肉なものだな。」

管制室ですぐ横に立つナオに、ニトクリスは言った。

「どれだけ死んでもコンテンツとして情報は残る。コンテンツは無限が故、永久に存在し続ける。人間が覚えている限り・・・。」

「無限・・・。」

AIによって進化を続ける邪神。そして螺煙城。

「AIが作った進化するルルイエだ。コンテンツってのは誰も望んでなかろうと勝手に進化を始める。進化の果てにあるのが無限だ。果たして・・・あれと城主が無限と化した果てに、私達はまだ有限を保てているのかねぇ。」

「ッッ・・・・。」

ナオは恐怖を無理に抑え込んでいた。

何も思い出せぬよう、チェーンでがんじがらめにロックする。

自分が今倒れたら、その先はまさしく悪夢が訪れよう。

・・・呼吸を整える。

そして思う。

――――八雲ちゃん達を早く連れ戻さないと・・・。

管制室のモニターに、一瞬歪みが生じた。


少女・・・暗渦聡美サトミは城のとある空間にいた。

一人ぼっちでうずくまっていた。

大丈夫?と、何処からともなく声がする。

その声が人の声じゃないことぐらい聡美には分かった。

声は聡美が持っている端末と、時折城内の壁が変貌して現れる金色のスピーカーから発せられていた。

限りなく人に近い声だった。

もうすぐ君の願いは叶うよ。

君だけのネバーランドさ。

何も苦しむことのない夢の世界。

気に入らないものなんて壊してしまえばいい。

さぁ、楽しくしよう?

「・・・・うるさい。」

聡美は呟く。

AIの声が響く中、聡美は叫んだ。

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいッ!!いい加減黙ってよッ!!」

ただのに、命令や心配されるのが腹立たしかった。

ただののくせに・・・。

「今すぐ・・・今すぐ一人にしてよッッ!!!」

聡美の叫びに応じ、すぐに口をつぐむAI。

スピーカーも壁の奥へと消えた。

聡美は再び一人ぼっちになった。

頬には涙がこぼれるはずだった。

それを必死でこらえる聡美。

もし涙を流したとして、また姿のない声たちに何かを言われるのが嫌だった。

本当は一人ぼっちがずっと嫌いだった。

不安定な感情が聡美の中を渦巻く。

でももうすぐ・・・もうすぐで自分の望んだものが手に入ると自分自身に言い聞かせ、泣くのをこらえた。

この玩具オモチャは、自分より少し小さい女の子から貰ったものだった。

自分の思ったことが現実になる不思議な玩具オモチャだ。

聡美は願った。

嫌いな人がいなくなって、皆が自分に優しくしてくれて、自分がもう苦しむことのない、ただ楽しい世界が欲しい・・・と。

出来上がったセカイに邪魔な人間はもういない。

もうすぐ苦しいことは全てなくなる。

楽しいセカイが来たらどうしよう。

何をして過ごそう。

聡美は考えた。わくわくした。

全て夢だ。悲しい・・・夢だった。

虚ろな暗闇に、壁の変容する音が静かにこだました。


  ×                               × 


「八雲、休め。」

『舟』に戻った途端、ニトクリスからそう言い渡された。

「えーと・・・?」

「死にたくなけりゃ休め、もうすぐ決戦だ。」

「決戦?」

「異形のビッグブラザーとの戦い・・・今回の大事を終わらせるための儀式だ。」

淡々と告げられた。

いつものように。

ただ淡々と。

「・・・・・・。」

ミナミは先ほどの戦いで傷を負ったらしく、病棟へと運ばれた。

幸い軽傷で済んだらしい。

「・・・・そろそろ、教えてくれませんか?私達が戦ってる敵の正体を。

邪神とは何ですか。相手は本当に神なんですか?

そして・・・あのは・・・。」

私は聞いた。

ニトクリスに問うた。

私は装甲を纏って、三回戦場に立った。

その内二回は何も分からず、流されるまま異形を殺した。

先ほどの一回は自分の意志で異形を殺した。

異形の正体が何かも知らず。

「神・・・・そんなものはない。神など、所詮人間が作り出した都合のいい偶像にすぎん。」

そう、ニトクリスは語りだした。

「奴らは遠い星からやってきた宇宙怪獣さ。人類が生まれる遥か太古にこの地に舞い降り、。」

「ぶ、文明?」

「オーパーツ・・・彼方の使者が残した遺産・・・。もたらされた文明は、奴らが確かに存在した証拠あかしとなった。捧げられる贄、崇められる存在。

儀式という行為が文明で行われた。

使者の軍勢には中心核がいた。

扱い的には・・・システム上人間で言う『神』に等しいのかもしれん。」

「・・・・・。」

「文明は沈んだ。何億年か経って人類の時代がやってきた。

だが・・・沈んでもなお、その文明は人間に・・・時代に干渉を続けた。

奴らが人間に送ったものは悪夢だった。

異星からもたらされた文明は何億年もの間、あらゆる種族から崇められ人間さえも取り込んだ。

今から百何十年も前の話だ。

星が瞬いた。

その時代に、一時的に文明が蘇り、人類の文明に侵食を始めた。

それまで囁かれていた噂でしかなかったものが、確かにこの世に存在する確固たる証明に変わった瞬間だった。

事態は核兵器を使用する程深刻なものになっていた。

異形の残した文明は数々の組織によって隠蔽、抹消が行われた。

人間という種族の文明崩壊に繋がるのは明らかだった。

それでめでたく終わるはずだったのさ。

だがそうは行かなかった。

何億年も続いた文明が、ただ無限へと化しただけだったのさ。」

「・・・無限?」

「いくらその存在を消したとて、歴史という名の情報は消えない。

奴らの文明は裏で人間の歴史に影響を与えてきた。

文明に関しての魔術、歴史、儀式・・・そう、人間の文明に干渉し、奴らの文明は情報として書き綴られてきた。

書き綴られた情報は完全に消去することはできない。

特にこの時代において、その事実の重みがよく分かる。

人間が存在する限り情報は消えない。

情報の蜘蛛の巣が世界中に伸びる中、書き綴られた文明の内容が密かに記された。

その内容を人間が理解することが出来なくても、人によって作られた知能は理解できる可能性があった。

可能性の一つでしかなかったifが現実に起こってしまったのが今回の事態。

そのifを実現させてしまったのがあの小娘暗渦聡美だったというわけだ。」

ニトクリスは説明を終えた。

私が・・・私達が戦おうとしてるのは・・・一つの・・・文明・・・?

「だが貴様は・・・邪神の一柱を殺した。」

私の思考を知ってか知らずか、ニトクリスは再び話す。

「AIの創り出したセカイに果てはない。

だが、我々にはその進化を止める手段がある。

それが貴様だ。それがアストロワンだ。」

「・・・・。」

「貴様に課せられたのは忌々しいビッグブラザーを一体殺すことだけだ。

言っただろう?この世に神などいないと。

とある哲学者は神こそ人間の失敗作だと言った。

所詮は虚構なんだ。

貴様が殺そうとしてるのはただ一つの命だ。

だから眠れ、八雲。

戦いが始まるまでな。」

ニトクリスは言った。

「・・・・分かりました。」

私は答えて、その場を去った。

結局、何が何だか分からなかった。

それでも分からないままの方がいいのかもとも思う。

確かに私は疲れている。

管制室を出て、私は『舟』の廊下にいた。

巨大な通路の付近に置かれるベンチ。

急に戦いが起きてもいいようにと、ここで仮眠をしようかと考える。

自室に向かう気もしない。

私はベンチに座った。

眠気がする。

瞼が落ちる。

力を抜いて、そのまま暗闇に身を委ねた。


  ×                               × 


暗渦聡美という少女がいた。

彼女は団地住まいの暗渦家の一人娘だった。

聡美は両親と共に、仲良く、楽しく暮らしていた。

幸せな家庭だった。

友達も沢山いた。

日常は愛に満ちて、夢は希望に満ちて、つまらないことで悩んで、時々馬鹿みたいなこともして、楽しい毎日だった。

ずっと続くと思っていた。

ある日のことだった。

聡美はいつものように一日を過ごす予定だった。

今日は好きな給食が出て、友達と遊ぶ予定で、いつもと変わらぬ日々が続くと思っていた。

家に帰る時間は、いつもより遅くなってしまっていた。

夕日は沈みかけ、聡美は暗くなりつつある道をたどり、いつものように家に帰った。

「ただいまーっ。」

元気よく戸を開け、玄関に入っても、声はしない。

聡美は不思議に思った。

いつもはこの時間帯、電気もついているはずなのに奥が真っ暗だった。

明かりをつけ、リビングへ歩く。

なにか・・・強烈な・・・鼻が思わず曲がってしまうほどのキツイにおいが漂っていた。

リビングに入り、聡美はリビングの光景を見た。

そこで何が起こったのか、何があったのかは、聡美の脳内の記憶には無い。

聡美はその後、両親が死んだという事実を聞かされた。

自分の中で、何かが物音を立てて崩れ去るような感じがした。

それが一年前、聡美が12歳の時だった。

聡美は遠い親戚に預けられた。

聡美のもとに、幸せは戻って来なかった。

預けられた家庭は聡美の存在を嫌っていた。

聡美に待っていたのは虐待の日々。

日常的に暴力が振るわれ、毎日のように殴られ、いじめられ、犯された。

聡美の精神はボロボロだった。

耐えきれなかった。

聡美はとある夜、家を抜け出して、暗闇の中を歩いた。

疲れ切っていた。

聡美は泣きながら夜道を歩いた。

そんな時だった。

「泣いてるんですか?」

振り返ると、自分より少し小さい女の子がいた。

女の子は笑顔で聡美に問いかけた。

夜の中、女の子の笑顔が不気味に見えた。

聡美は思わず失禁してしまった。

女の子はなおも笑顔で、聡美に何かを渡そうとした。

「これがあれば、何もかも自分の思い通りになりますよ?受け取ってください。」

聡美は女の子に、未知なる恐怖を感じた。

自分の理解の出来ない何かを感じた。

女の子から何かを渡されたあと、聡美はその場をすぐに立ち去った。

泣きながら走った。

――――もう嫌・・・もうやめてよッッ!!!

聡美はただ愛が欲しかった。

あの頃のように、愛が欲しいだけだった。

小さな板のようなものを握りしめ、聡美は泣きながら夜道を走った。

翌朝、聡美の預けられた家にあったのは死体だった。

一家全員の死体。

聡美だけ行方をくらましていた。

家にはボロボロの服と下着が残され、それとは別に服が数着なくなっていた。

どうでもいい話だった。

それからだ。深きものdeep onesや邪神による事件が発生し始めたのは。

そして現在。

聡美は城の中でうずくまっていた。

虚ろな瞳で・・・思い通りの世界を待ちながら。

塔の中で、誰にも気づかれないように・・・泣いていた。

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