Act.6 ココロ
『舟』は鼓動する。
鉄で出来た肉に流れるエネルギー物質。
船内の
人間でいうところの心臓。
・・・いや、案外比喩ではないのかもしれない。
ポンプは鉄で出来たものではなかった。
絶え間なく収縮と膨張を繰り返すパーツ。
紛れもない・・・本物の心臓。
パーツに刻み込まれた赤が・・・
『舟』は鼓動する。
まだ見ぬ戦いに備えて・・・鼓動する。
夜。
真っ暗な夜。
藤宮ナオは・・・ベッドの上で悲痛な表情を浮かべながら悶えていた。
悪夢に・・・うなされていた。
ナオは一人ぼっちだった。
子供の頃に戻っていた。
誰もいない街。
身に着けるものもなく、人影もなく・・・・・。
あったのは暗い街と、静寂だけだった。
変なにおいがした。
きついにおいがした。
ふと、冷たい風が吹く。
地面の水溜り・・・その雫が、風に乗りナオの脚にかかる。
雫・・・水溜り・・・水・・・。
真っ赤な・・・色をしていた。
暗い中、地面を見る。
辺り一面に・・・赤い水溜りと、大きな赤い塊が散らかっていた。
ナオは地面にあるものが理解出来なかった。
いや・・・本当は理解したくなかっただけかもしれない。
塊の中にはある程度原型を保っているものもあった。
それでも皆、損傷が激しかった。
ナオは見たくなかった。
目に映るものすべて。
体全体に伝わる寒さ。
吐き出した白い息。
凍えるかと思った。
その場から逃げ出そうとした時だった。
地が揺れた。
鳴り響く巨大な音。
目の前の・・・さらに奥から・・・それはこちらに迫ってくる。
・・・・・異形。
それ以外の言葉が思いつかなかった。
肉の塊・・・・・集合体。
異形の体には人間の表情のようなものが見えた。
どの表情も苦しみを浮かべ、ぶつぶつと・・・表情の一つ一つが呟く怨嗟の声は・・・やがて巨大なノイズへと化した。
異形はこちらに迫って来ると同時に、地面の肉塊を一つ一つ取り込んでいく。
増える体積、増える表情。
ナオの中に渦巻く恐怖と絶望。
ナオは泣きじゃくった。
恐怖と絶望・・・。
それらを体現するものが・・・目の前にあるのだから。
「いや・・・・・いや・・・・・・・・・いやッ!!」
それは・・・迫る。
こちらに・・・迫る。
耐えられなくなった。
耐えられるはずもなかった。
ナオは叫んだ。
ナオの叫びが、街全体にこだました。
ナオは突如、悪夢から放り出された。
「ぁ・・・・・はぁッ・・・・・ぁあ・・・・・ぁぁ・・・・ッ。」
汗でぐしょぬれだった。
午前5時だった。
夜の静寂。
夜明け前の静寂。
「・・・・・ぅ・・・ぅッ・・・・・・・・・ッ」
ナオは口を抑え、トイレに向かった。
扉を開け、便器のもとに跪く。
カバーを掴んで、嘔吐した。
朝は来ない。
朝はまだ来ない。
吐き終わっても、苦しみは取れない。
ナオの瞳から頬を伝ってこぼれる雫。
そのまま壁にもたれかかった。
泣いた。
響く嗚咽。
ナオは一人ぼっちだった。
渦巻く苦しみ。
太陽はまだ・・・昇らない。
× ×
「先生、最近顔暗ぇな。」
明日香が言った。
確かにそうだ。
無理して笑ってる。
苦しさを悟られないようにか。
それでもいつもの表情と比べれば、やはり・・・一目瞭然と言えるだろうか。
私は言う。
「必死に苦しみを隠してるみたいだ。皆に心配かけたくないって気持ちが・・・逆に心を蝕んでいる気がする。」
「・・・・・何があったか知らんが、こうも湿っぽいと私達が困るっつーか。」
「心配だね。」
「あぁ・・・・・。」
邪神を倒してからだ。
先生の表情は暗い。
顔の色も良くない。
それでも無理をしていた。
笑顔と笑顔の隙間、刹那に漏れ出る苦しみの表情。
瞳に映った横顔は、一瞬モノクロ写真にも見えた。
「・・・・・・。」
授業終わりのベルが鳴る。
今日はこれでおしまいだ。
明日香が言う。
「さて、帰るか。」
私達は片付けを始めた。
早くも片付けを終えたのか、美沙夜は荷物を持って私達に言う。
「ごめん、今日ちょっと用事があって。早めに帰るね。」
「おう、お疲れ様。」
と、明日香。
私もさよならを言う。
美沙夜が去るのをじっと見つめる明日香。
そして言う。
「アイツも最近、迷ってるような顔してるよな。皆最近妙に湿っぽいんだよ。」
「・・・・・・。」
「ま、強引に関わっちゃいけない事もある。無理に踏み込み過ぎると、相手を傷つけちまうもんな。」
「・・・・うん。」
悲しげな顔を見ると、こちらも悲しくなる。
何故悲しいのだろう。
理由を聞きたくなる。
でも簡単に話せないほど、言えない理由もある。
ココロに絡まる鎖。
強引に取ってはいけない。
強引に取ろうとしただけ、ココロは段々と壊れていく。
鎖は多分重い。
ココロは繊細だ。
壊れないように、壊さないように。
その方法を、ゆっくりと探すしかない。
× ×
黒いフードの少女はビルの屋上から、また景色を眺めていた。
また・・・虚ろな瞳。
まだ少女には、街を壊せる力はない。
それでも、今すぐにでも壊したかった。
もうすぐ自分の望んだ
もうすぐ・・・日が沈む。
無性に・・・苛立ちを覚える少女。
少女の目線の先には・・・それぞれ違う方向に歩いて行く人の群れ。
皆幸せという戯言を目指して、それぞれがそれぞれの道に向かっているのだろう。
憎かった。
許せなかった。
少女は嫉妬していたのかもしれない。
壊したかった。
人の幸せなんて。
他人の幸せなんて見えちゃいない癖に。
自分の目指す幸せしか見えちゃいない癖に。
誰しも見て見ぬふりをする癖に。
だが・・・・・・・。
少女の脳に起きるフラッシュバック。
そう、こないだのことだ。
少女を真っ直ぐな目で見た人間がいる。
神崎美沙夜だった。
じっと自分を見つめていた瞳。
あの感覚はなんだ。
何故こちらを見る。
誰も見やしないのに。
誰も・・・見てくれなかったのに。
「ぅ・・・・・う・・・ぅうぅ・・・・・・ッ!!」
頭を抱える少女。
倒れるように地面に伏せる。
何度もフラッシュバックする。
何度も・・・何度も・・・。
少女は叫んだ。
自分は何一つ間違っていない。
間違ってるはずがない。
なのに・・・何故・・・・・何故、こんなに胸が苦しいのだろう。
苦しみの中に混じる
懐かしさ・・・なのだろうか。
夕日は沈む。
叫び声がこだます中、太陽は沈む。
『舟』だった。
ナオは壁に寄りかかりながら前へ進む。
気分が悪かった。
少し目眩もする。
それでもやらなければならないことがある。
皆の為だから。
皆の命の為だから。
そして・・・自分の為だから。
ナオは前へ進む。
もう悪夢なんて・・・見ることはないと思っていたのに。
「オイ、藤宮。」
ふと、声がした。
前に誰かいる。ニトクリスだった。
「顔色も・・・体調も優れないようだな。」
「いえ、大丈夫です。・・・早く・・・行かないと。」
「貴様の仕事はまず休むことだ。そんな状態で業務を遂行できるとは到底思えん。壊れる前に休むんだ。」
「でも・・・皆さんに迷惑は・・・。」
「上司からの命令だ。そんな状態で仕事をされる方がよっぽど迷惑だ。」
「はい・・・。」
逆の方向に体を動かしてまた歩き出すナオ。
ニトクリスはその後ろ姿を見つめる。
――――罵倒もなしとは・・・随分苦しんでいるようだな。
ニトクリスは痛みの元を知っていた。
それ故、こう言うしかなかったのだ。
無理に触ると、傷付けてしまう。
ニトクリスはもどかしかった。
あの時と同じく・・・何も出来ないことに。
十数年前。
病院。
看護師は言った。
「昏睡状態からは目覚めましたが・・・ここ数日、全く口を聞いてくれないんです。」
子供の頃のナオ。
唯一の、惨状からの生還者だった。
ベッドの上・・・虚ろな目で、ナオはココロの中に殻を作ろうとしていた。
何も思い出したくなかった。
自分には何もないから。
何もかも失ってしまったから。
記憶はナオのココロを蝕む。
ナオは苦しんだ。
何故自分は助かったのだろう。
あのままで本当に良かったのだろうか。
あの人たちと一緒が良かったのだろうか。
・・・分からない。
それでも・・・生きたかったのかもしれない。
渦巻く喪失感と絶望。
ナオは殻に閉じこもりたかった。
「小娘、生きてるか?」
部屋に入ってきたのはニトクリスだった。
現在と変わらぬ姿だった。
ニトクリスはナオのベッドの前に椅子を運んで、向き合いながら座る。
ニトクリスはナオの顔を見る。
目も虚ろで、表情がない。
目の前で自分の全てが一気に滑り落ちて、まだ混乱しているんだ。
「・・・・・小娘。」
また、ニトクリスが言う。
「泣け。」
ナオには言っている意味が分からなかった。
ニトクリスは続ける。
「何で泣かないんだ?貴様の今の状況は全て私のせいなんだ。私の行動がもっと早くなけりゃ、貴様の大切な人間だって守れたはずなんだ。
全部私のせいなんだよ。私が元凶なんだよ。許せないだろう?許せるはずがないだろう?」
ナオの顔つきが変わった。
まだ・・・混乱している。
「憎いだろう?憎かったら好きなだけ罵れよ。クソババァのせいで
「・・・ッ」
悲しげな表情だった。
ナオは叫ぶ。
「・・・・ッ・・・クソババァッ!!アンタのせいで・・・アンタのせいでッ!!・・・ぅぅぅうぅぅうぅッ!!」
溢れ出す涙。
溢れ出すナオの感情。
久しぶりに口にしたコトバ。
悲しみに・・・溢れていた。
現在。
ナオは、『舟』のとある廊下の長椅子にもたれかかっていた。
また・・・怪物が来る。
無限に進化して。
また・・・こちらに・・・。
「・・・・ッ」
ナオは逃げ出したかった。
怖いものなんて存在しない世界へと。
誰もいなくならない世界へと。
ナオはそんな自分が嫌だった。
自分はすがってばかりで。
逃げるばかりで、何も出来ない自分が。
八雲も・・・美沙夜も・・・明日香も・・・ニトクリスも・・・みんなみんな戦ってるのに、自分だけ何も出来ない現状。
逃げ出せるはずがない。
ふと・・・記憶がフラッシュバックする。
自分が八雲に言った言葉だった。
「八雲ちゃんはちょっと心配しすぎなんじゃないかな?」
「何も八雲ちゃん一人で戦うわけじゃないんだから。」
「誰か一人で背負い込まず、皆で同じ痛みを背負って戦う。」
「そういうところだよ、『舟』《ココ》は。」
噓だ。
自分は背負い込んでばかりだ。
痛みなんて・・・背負わせられないよ。
自分は戦えもしないくせに。
彼女らの方がよっぽど地獄なのだ。
なのに・・・なのに・・・。
ナオは動けなかった。
見えない鎖で・・・縛られていた。
近くにいたニトクリスでさえ、何も出来なかった。
× ×
『舟』の中を色々探索してた。
まるで迷宮。
地図を見ながら歩いている。
地図をなくしたら、自分が何処にいるのか分からなくなりそうで怖かった。
慣れるのに・・・まだかかりそうだ。
窓から夕陽の光が差し込んでいる。
もうすぐ日が沈む。
もうそろそろ・・・帰った方がいいよね。
再び地図を見る。
さっき来た道を引き返せばいいのか・・・。
地図を見てから、左右を確認した。
「・・・・・・。」
すぐ横の廊下のベンチに、先生が座っていた。
ぐったりと・・・かなり疲れた様子だった。
心配だった。
声をかけた。
「先生?」
「ぁ・・・八雲ちゃん・・・。」
また無理して笑顔を作り始めた。
「先生・・・・・苦しそうですよ。」
「・・・ごめんね。」
「隣・・・いいですか?」
「うん。」
座る。
あまり音をたてないように。
「・・・・・・。」
一瞬沈黙が流れる。
そして、先生が口を開いた。
「八雲ちゃんは・・・別の世界から来たんだよね。」
「・・・はい。」
「家族はいた?」
「はい、いました。」
「帰りたいと・・・思う?」
少し・・・考える。
「私・・・ここに来て、大切な人達が出来たんです。美沙夜ちゃんも、明日香も、ニトクリスも、先生も。
まだこの世界に来たばかりだけど・・・私にとって大切な人だから、そう簡単に帰れませんよ。・・・でも、元の世界も心配ですけど。あそこにも、大切な人がいましたから。どちらも・・・安易に捨てられません。」
「・・・そっか。」
元の世界に戻りたい・・・とも思ってる。
この世界と別れる日も来るのかもしれない。
先生はまた聞く。
「じゃあ・・・邪神は・・・・怖い?」
自分の中の何かを絞り出すようにそう言った。
先生は宇宙から来た神だと言った。
「怖くないと言ったら・・・噓になります。」
「・・・・そっか。」
苦しそうな表情だった。
先ほどよりも・・・。
「私も・・・・怖いよ。私の大切な人達はね・・・・怪物に殺されたの。」
先生は告白した。
「私が子供の時だった。寒い夜の日だったの。家族で遊びに出かけて・・・それまで楽しかったのを覚えてる。家に帰ろうとした時・・・突然意識が途切れて・・・いつの間にか眠ってて・・・目が覚めたの。周りには誰もいなくて・・・地面に・・・何かがいっぱいあって・・・・・死体だった。何が起きたか分からなくて・・・とても怖かった。そんな時・・・地響きがして・・・奥から・・・・怪物が現れたの。」
「・・・・・!」
「怪物は死体を食べて・・・どんどんこっちに来てッ・・・・・ッ・・・・ニトクリスが助けに来なかったら・・・・・。」
「先生・・・。」
泣くのを必死にこらえているみたいだった。
「ごめんね・・・・こんな話して・・・・ごめん・・・ごめんなさい・・・・。」
「・・・・・・。」
私は・・・・先生の手を握った。
「先生・・・・言ってたでしょ?皆で痛みを背負うんだって。本当に苦しい時は・・・泣いてください。私は・・・先生の言葉がなかったら・・・きっと、今の自分はいませんよ。怪物のいない世界を私は・・・先生の為に作りたいッ!!」
「・・・・・・!!」
先生の瞳は涙で溢れた。
「ごめんね・・・・ごめんね・・・。」
泣きながら先生は言った。
太陽が・・・沈みかけていた。
× ×
ニトクリスは八雲とナオの会話を聞き終え、その場から立ち去った。
ニトクリスは安堵した。
自分では藤宮を・・・本当の意味で救うことが出来なかったのだ。
良かった・・・と、心の中で呟く。
本音など・・・口が裂けても人には言えない。
全て脳内に閉まっとくもんだとニトクリスは思う。
それでも・・・誰もいない廊下で・・・呟いた。
「・・・・ありがとう、八雲。」
空で・・・星が瞬いた。
翌日。
授業の終わりだった。
ニトクリスは八雲を見つけた。
そして言う。
「オイ、八雲。」
「?何ですか。」
「やるよ、これ。」
缶のブラックコーヒーだった。
八雲は言う。
「私、紅茶派なんですけど。」
「私のお気に入りのコーヒーだ。飲み干さんと殺す。」
「怖ッ!!」
言ってニトクリスは立ち去る。
管制室に向かう予定だった。
ふと、声がした。
「あ、クソババァ。」
ため息をつく。
そして声の主に言う。
「元気そうでなによりだな。」
「えぇ、お陰様で。」
ナオだった。
「さ、仕事だ。行くぞ。」
「はい、腐れババァ。」
爽やかな返事だった。
鎖が落ちる音がした。
二人は管制室に向かった。
『舟』に人知れず流れるエネルギー。
絶え間なく収縮と膨張を繰り返す
『舟』は静かに鼓動していた。
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