『彼』の瞳に未来は見えていたのか
犬がいた。大柄で、黒いフサフサの毛並みをした上品な犬だった。私は、その犬を心の中で『彼』と呼ぶことにした。
その犬と出会ったのは、春も近づいてきた通学路。いよいよ最高学年になると緊張していた頃だった。彼は通学路の日陰で、まるで彫像のように座っていた。首には赤いベルトが巻かれ、そこから紐が伸びている。明らかに飼い犬だった。近寄って撫でても、少し首を動かすだけ。唸ったりはしないから、たぶん気持ちいいんだろうけど。
結局、飼い主を探そうと思い立ったところで、遅刻しそうなことに気づいて私はその場を立ち去ってしまった。学校から帰るときに寄ってみると、黒い犬は影も形も見当たらない。
よかった。飼い主と再会できたんだ。
そう安堵したのも束の間、次の日には同じ場所、同じ体勢でその犬に出くわした。帰る頃にはいなかったけど、出かけるときは必ずいた。私が三年生になって、文化祭があった日も、体育祭があった日も、卒業式があった日も、必ずそこに『彼』はいた。
何度も会っているうちに、気づいたことが一つある。『彼』はずっと通学路にある車道を見つめていた。視線の先にあったのは、真新しいガードレールと
ニュースで見慣れた悲しい話。『彼』は、もしかしたら失われたものをずっと見つめているのかもしれない。
物思いに耽っていると、階下から母親の催促が聞こえた。部屋を見渡し、忘れ物がないことを確認する。
今日、私は新天地に旅立つ。その前に寄ろうと考えていたのは、他でもない『彼』の定位置だった。しかし、そこにはもう『彼』はいない。寒風に身をすくませて、手に持っていた花束をガードレールに立てかける。
「いっていきます」
またどこかで、会えるかな?
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