テセウスの剛腕

 砂海。そこはそう呼ばれている。一面の薄茶色と対面するようにしてある青。そこに白の混じりけはない。ただ、白と錯覚するような赤の灼熱が、薄茶色を踏みしめる二人を焼き殺さんとしていた。


「ねぇ、テセウス。あんたこのあたりで日陰知らない?」


「知らねぇよ。街まであと少しなんだから我慢しろ」


 テセウスと呼ばれた野太い声の返答に、鈴のような声は不満を漏らす。


「服の中に砂が入るから、いい加減にシャワー浴びたい」


「贅沢言うな。全裸になって砂でも払ってろ」


「デリカシーなさすぎー。整備しないよー?」


 その言葉に、テセウスは薄く笑った。


「おぉ、こいつは怖いな。アリアの整備がなきゃ、俺の腕は動かねぇ」


「茶化すのはいいから。次の街までどのくらい?」


 問われ、テセウスは遠くを凝視した。遠くには街がある。砂海の中にある鉄塊じみた建築群だ。


「目測で一時間だな。砂嵐が来たらもうちょい遅れる」


「砂嵐は勘弁してほしいわー」


「走ってけばすぐつくだろうな?」


「それも勘弁」


 白旗でも上げるように、アリアと呼ばれた声は両手を上げた。それを見たテセウスはひとしきり笑ってから、改めて砂を踏みしめる。


「さて、行くか」


「りょーかいっ」




 鉄塊じみた建築群は、近くから見れば要塞のようでもあった。この灼熱の大地の中にあってこれほどまでに金属に覆われた場所は見たことがない。金属資源の充実と、それ以上に冷房設備などがある可能性を示唆していた。

 町を行き交う人々は、薄茶色のフーデッドローブを身にまとっている。砂海に生きるものの生活必需品だ。テセウスとアリアの二人も、そのローブを体に巻きつけるようにして着ていた。遠目から見れば、性別すらわからないだろう。


「おぉい、ナニモンだ」


 二人が鉄の街に入って最初に出迎えたのは、文字通りの鉄人だった。身体全体が機械で形作られた巨体。脳みそ以外のほとんどが機械の『機械化躯体』だ。砂海の中にあって、その身体は珍しい。まず外に出れば、灼熱の太陽光線で脳みそが溶けてしまうだろうに。


「旅のものだ。少しばかり、ここに滞在させていただきたい」


「金は持ってるか?」


「持ってないね」


 テセウスの即答に、巨体はしばらく硬直した。フリーズでもしたかと思えば、彼とも彼女ともわからないそれは呵々大笑する。


「持ってない! 持ってないと来たか!」


「このご時世、金なんて前時代的なものが動いてる時点で俺としては驚きだよ。奪い奪われるのが世の常だろ?」


「なるほどなるほど。部外者らしい単純明快。なら、貴様の身体を切り売りして金にしてもらおうか。両腕は良質な機械義肢と見た」


 その言葉に、テセウスはコートの前から片腕を出した。なめらかなボディに数本の金属チューブが巻きつくように張りついており、ボディの外側に刺さっている。動かせば、わずかに駆動音がしていた。


「ご明察だ。これは俺の相棒が作った『テセウスの剛腕』。お前らみたいなチャチな機械化躯体とはまったく違う一級品よ」


「なら、それをバラして売ればさぞかしいい鉄がとれるだろうなぁ」


「そんなんだったらこの鉄塊みたいな建物をバラしたほうが経済的じゃないか?」


「なにを言う。この鉄塊だからこそこの街は十全に動くのだ。さて、貴様の相棒とやらは居眠りでもしてるのか? まったく動かんが」


 水を向けられたアリアは、全く動かない。まるでシャットダウンした機械のようだ。


「さしずめ、そちらも機械化躯体。あるいは機械であるというところか? 機械なら精密なメンテナンスもできるからな。連れ歩くのも無理はない」


 アリアが震えるような動きをした。まるで噴火寸前の火山のようだ。


「人間の整備はどうにも信用ならんからなぁ。機械には機械が限るというもの」


「さっきから聞いてればごちゃごちゃと好き勝手言っちゃって……!」


 機械だと疑われたアリアが一歩前に出た。そして、その顔を隠すフードを後ろに押しのける。ローブの前から両手を突き出し、かき分けるようにしてローブを背中に集めた。

 現れたのは黒髪黒目の少女。肩までの髪を砂まじりの風になびかせ、空の灼熱に負けない輝きをたたえた瞳が巨体を睨む。


「ピッチピチの私が! アリアドネが! 機械化躯体なんぞやるわけないでしょ! ましてや機械とかアホか! だいたい、機械なら精密なメンテナンスができる? 人間の整備は信用ならない? 機械には機械が限る? バカじゃないの!? 人間の感覚舐めんな!」


「落ち着け。というかお前、旅の鉄則として誰かといるときは黙っとけって言ったよな? じゃないと――」


「ほほう。完全に生身の女か。人工皮膚という気配もない。瑞々しい身体だ。非礼を詫びよう」


「ほら、ちゃんと対応するやつは対応するじゃん!」


「では、是非ともここの男どもの士気向上の手助けをしていただきたい。なに、一日中男の世話をするだけのことよ」


「―――ほら、言わんこっちゃない」


 確保しようと手を伸ばす巨体から逃れるように、テセウスはアリアを抱きかかえて後ずさる。


「毎回、こうなるとわかっててなんでやるの? バカなの死ぬの? 今回の場合はヤラれるけど」


「あんたにヤラれるよりマシだ思うけど」


「こいつぅ」


 テセウスがアリアの頭を小突く。


「渡してもらおうか。良質な資源は有効活用されなければ」


「そうかいそうかい。ところで、そろそろ室内に入らなくていいのか? 脳みそが使い物にならなくなるぞ」


「冷却装置を入れているからな。この胸を抉られぬ限り、問題はない」


「なるほどなるほど。手の内を明かしてくれて助かるね。それじゃあ、決闘といこうか」


 テセウスの言葉に、巨体は鷹揚に頷く。


「俺が負ければ、俺の両腕とアリアを差し出そう。ただし、お前が負ければ、ここの鉄資源をある程度奪わせてもらう。それと食料もな。保存食くらいあるだろ?」


「それほどの良質な資源の対価がそれか。さもしいな。私が負ければ、鉄資源と保存食は好きなだけ持っていけ。おい! 領主様に了解を取れ!」


「はっ!」


 遠巻きに見ていた機械化躯体の一人が敬礼をして走っていった。


「太っ腹だな」


「なに、今時は人工皮膚で粉飾した女が多い。機械化躯体に身をやつすものも少なくない。女は生身だからこそいいというのに」


「何人かそういうことを言ってるやつを見てきたが、相変わらず吐き気がする考えだな。女を消費物と考えてるお前みたいな人間はさっさと死ね」


「なんとでも言うがいい。こちらにはなんの痛痒もないわ。それと、私がここまで大盤振る舞いをする理由を教えてやろう」


 ここで、さっき走っていった機械化躯体が戻ってくる。


「条件を聞いた領主様は、即答で賛同いたしました! 決闘は許可されております!」


「ふむ。では始めようか」


「いいけど、理由は何なんだ?」


 巨体は機械の口角を上げる。


「―――針金のような貴様など、鎧袖一触だということだ!」


 巨体が、あたかも押し潰そうに拳を振り下ろす。テセウスは後退し、硬殻の拳はそのまま砂面にめり込んだ。テセウスは、その大柄な身体に拳を一発叩き込む。鈍い音を立てて弾かれ、テセウスは肩を押さえて情けなく跳ね回った。


「なるほど。貴様も義腕以外は全て生身か」


「そうだが? それがどうした?」


「生身であることに不満はないのか?」


 その問いに、テセウスは顎に手を当てて唸った。


「だんだんと白髪が増えてきたのは、不満というか悩みだな。アリアにいじられる。それに砂海だと砂が鬱陶しい。それくらいだな」


「それも、ここで機械化躯体になれば解放されるぞ? どうだ、ここで働いてみんか」


「お断りだね。この程度の悩みで生身をやめる気は毛頭ない。俺からすれば、親からもらったを投げ打つほうが信じられん」


「元より、親など知らぬ身でなぁ!」


 叩きつけた姿勢から起き上がった巨体は、その豪腕を振るってテセウスを薙ぎ払おうとする。しかし、巨体の体躯から見ればその行動が無駄であることは明白だった。腕に潜り込むようにしたテセウスの右腕で、一本の金属チューブが義腕に格納される。にわかに駆動音が大きくなったかと思えば、その右腕は巨体の豪腕へと振るわれた。巨体は余裕の笑みを浮かべる。しかし、巨体の腕は上へと弾かれた。先ほどはテセウスが弾かれ、あまつさえ情けなく跳ね回っていたというのに、である。その状況に驚く巨体の胴体めがけ、もう一本格納したテセウスの剛腕が射出される。先ほどとは違って弾かれることなく、その剛腕は巨体を宙へ浮かせた。

 巨体が吹き飛ばされ、周囲の機械化躯体たちがどよめいた。見上げるほどの巨体が吹き飛ばされれば、困惑もするだろう。

 テセウスは、さらに右腕に巻きついた金属チューブを二本三本と格納する。


「四本目からは危険域だよ?」


「知ってる。だが、確実な勝利はほしいだろ?」


 いよいよもって、その右腕は危ない駆動音を発し始めた。何かを削るような異音すら響いている。

 その時にはすでに、巨体は起き上がって臨戦態勢に入っていた。


「なるほど、そのチューブは義腕を強化するものか」


「ちょっと違うなぁ。六十点だ」


「ならば、その仕組は何なのだ」


「敵に手の内晒すかよ」


 捕らえようとする豪腕を躱し、剛腕を突き入れる。その細腕では考えられないような出力で機械化躯体に激突し、鋼の鎧がわずかに砕ける。それは、剛腕の一撃が有効打足り得る確かな証左だった。


「ぬぅうう……!」


 巨体が、思わずといった風に後退る。しかし次の瞬間には、勇ましい雄叫びを上げて、突進してきた。街を護るものとして引き下がれない。その覚悟に対して、手加減は許されない。


「最早、油断はなし! 覚悟せよ!」


 眼前に鋼の巨体が迫る。剛腕は全ての金属チューブを、否、義腕を維持する制動装置を外した。

 剛腕が軋みを上げる。鋼の巨体が逃れようと足を踏ん張った頃には、すでにその身体は慣性に縛られていた。


「―――さぁ、諸共砕けちまいなぁ!」


 厚い鉄板を貫いて、テセウスの右腕が巨体に突き入れられた。それと同時に大きな爆裂音が響き、あれほどうるさかった駆動音が消え失せる。テセウスが腕を引き抜くように身体を動かすと、肩から先がどこにもなかった。代わりに、突き入れた場所にはポッカリと穴が空き、そこから火花が飛び散っている。テセウスの右腕が、自壊したのだ。


「勝ったぞ。文句はないな」


「心臓部が潰されたか……。致し方ない。負けを認めよう。大いに油断した私の敗北だ。好きなだけ持っていけ」


「んじゃありがたく。ところで、ここにシャワーとかないか? 相棒が脱ぎたがってる」


「誤解生むからやめてくれない!?」


 アリアがテセウスの横っ面を張り倒す。二人の犬も喰わない取っ組み合いを脇目に、周囲は巨体の治療に動き出していた。




 アリアのシャワーの音を背にして、二人の男が対面していた。一人は白髪交じりの薄茶色の髪と髭を晒したテセウス。もう一人は真新しい躯体に換装した巨体だ。テセウスは巨体から渡された水筒を受け取り、驚きを露わにしていた。


「まさか、本当にあるとはな。水はどうしてるんだ?」


「数十キロ先に湖がある。そこから地下深くに埋めた水道管を通して水を汲んでいる。少しの備蓄なら分け与えよう」


「なるほどなるほど。そいつはありがたい」


 何度も頷くと、巨体は神妙にこちらの様子をうかがっていた。


「ここに水資源があるのは、初めて知ったのか?」


「あぁ。機械化躯体が大量にいるから、てっきり水不足が原因でそうならざるを得なかったもんだと思ってたが、どうやら違うことはわかったしな。言わなくていいぞ?」


 機先を制された巨体は、不満げに腕を組む。


「当初、お前たちが水を奪う者たちだと警戒した。実際はさほど重要ではない食料品を奪いに来たのだから、そこは僥倖ぎょうこうだった」


「確か、十数人くらいは生身の人間がいなかったか?」


「ここは機械化躯体であることを望むものが集まる場所だ。あの十数人も、近いうちに機械化躯体になる。食料がないほうが、むしろコチラとしては好都合だ。道中、食料が不足したならばここに来るがいい。領主様もお許しになるだろう」


「領主様にお目通りをすることは?」


「ならん」


「お堅いねぇ」


 苦笑したテセウスは、巨体からもらった水で喉を潤す。

 それを見ながら、巨体は前傾姿勢になって問いを投げた。


「それで、貴様らの目的はなんだ?」


「言わなきゃいけないかね?」


「差し支えなければ」


 暗に強制はしない、という意味だ。テセウスは逡巡するように視線を動かし、やがて巨体に視線を戻す。


「俺の母親を探している」


「母親?」


「父親は戦死したと聞いた。だから母親だ。母親の情報はどこでも聞いたことがない。ただ、砂海の女王だったという話だけを頼りにここまできた」


「その不確かな情報だけでここまで来たと? なるほど、どうりで生身にこだわるわけだ。母親探しで機械化躯体になるなど本末転倒だからな」


 そう言うと、巨体は前の躯体より一回り大きい手で膝を打った。


「わかった。ここも歴史が古い。ここにそのような人間が来たか、街の歴史書を漁ってみよう」


「助かる。寄ったときにぜひとも教えてくれ」


「約束しよう」


 男同士、熱い握手で約束を交わす。その空気を打ち破るように、テセウスの背後の扉が少し動いた。


「テセウス、私の服持ってき忘れてない?」


 テセウスが自分の周りを見てみると、彼女の着替えが入ったバッグが横に置かれていた。

 そこでバッグごと渡せばいいものを、彼はバッグの中身を手でまさぐって中身を取り出していく。彼女からしたらたまったものではない。

 彼は下着などを一通り取り出し、その中から着替えを選びながら言う。


「意外と子供っぽい下着だよなぁ」


「死ねぇ!」


 彼女の投げた鉄製の洗面器は、テセウスの胴体にジャストミート。悶えるテセウスを見下ろしながら、巨体は握手した手を見て溜息をついた。

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