機械油と蜘蛛の糸
側頭部のスロットからプラスチックの分厚いカードを抜き出し、丁寧にカードカバーへと収納する。目の前の引き出しを開ければ、同じようにしてカバーに挟まれた無数のカードが整然と並んでいた。これは全て、私の記憶だ。
今の時代、人間は全身を機械に挿げ替え、身体中に機械油と栄養を運ぶチューブを張り巡らせることができるようになった。しかし、それも最新技術。機械の身体となるには、多額の治療費と国の特別な許可が必要だった。だが、それができるのは富裕層の一握りだけ。そんなマイナーな商売で飯を食っている人は、一体どんな人間なんだろう。一度顔を拝んでみたいものだ。
誰もが羨む長命の道。しかしそれは多くの人には掴むことすら許されず、遥か高みで悠然と衆愚を見下ろしている。それに至る
私もそのビジネスに飛びついた一人だ。快諾したすぐに地下深くに連れられ、気づけばスロットがついていた。差し込むカードはすごく古いゲームハードのセーブカードだった。私はそのとき、そのゲームハードの名前を初めて聞いた。
ともかく、私はスロットを長い髪の下に隠し、生活を始めた。このスロットは機械化への第一歩と、彼らは言っていた。ならばその通りなのだろう。私は彼らを信じていた。
やがて、生活していくうちに彼らから受け取った大量のカードが尽きてきた。カードに収められる記憶は一週間もない。それを毎週変えていれば、無駄とも言える量もあっという間になくなってしまうのも道理だ。
そこで私は連絡を取ろうとした。しかし、無理だった。彼らと会話をしたときのカードがどれだか見当がつかない。日時だけをカードに書いていたのが仇になった。今もこうして、彼らと会話したときのカードを探している。新たなカードを差し込もうとカバーを開けたところで、視界に蜘蛛が入ってきた。何気なくそれを見ながら差し込むと、一人の少女を思い出す。
私はカセットをつけられたとき、一人の少女に会っていた。お互いに名乗らなかったので名前はわからない。ただ、厭世的な少女だった。
彼女は初対面のはずの私に言った。人間は面倒だと。そして、こう続けた。人格と感情と、それら何もかもを醸成する記憶がなければ、人間は面倒ではなくなるのに、と。記憶がなければ常にフラットで、揺らぎない統一された何かが出来上がるはずだと、彼女は訥々と言っていた。ここに私が反論したデータは残っていない。なら私は、反論せずに彼女の言葉を聞いたのだろう。
彼女は、座っている汚らしいベッドを撫でて、そこを這い回る蜘蛛を拾い上げた。彼女は言った。蜘蛛の糸は面白いと。私が問うと、彼女は侮蔑したような表情で続けた。
蜘蛛の巣を見ていると、まるでこれがニューロンみたいじゃないか、と。
私は意味がわからなかった。意味がわからないながらに反応を示すと、彼女は嬉々として語っていた。右から左に受け流していたのか、そこの記憶は曖昧だ。ただ私は、彼女の金色の髪と紫紺の瞳を鮮明に覚えていた。
そこでカセットを抜く。これも違った。カセットを抜いたときの、この足場のない浮遊感は気味が悪い。早く次のカードを差し込んで落ち着きたい。
そう思ったところで、階段を駆け上がる重々しい音がした。慌てて、何もデータの入っていないカードを差し込み、身構える。薄汚れた部屋のボロボロのドアは、重々しい音によって蹴破られた。突入してきたのは、機械化された兵士。噂レベルの代物だったが、どうやら実在するらしい。その脇には、金髪に紫紺の瞳という、珍しい組み合わせをした少女がいた。彼女は私に駆け寄ると、両肩を掴んで喚き散らし始めた。
一体、彼女は誰なんだろう。
唐突な迷惑者の無遠慮な所作に苛立ちが募り、私は彼女の紫紺を見つめて、はっきりと言った。
「あなたはだれ?」
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