第2話 後戻りできないと警告する蛇

 西暦2XXX。

 薄暗い研究室の内部は、工場と言っても良いほどの規模と設備が整っている。

 温度・湿度は厳密に管理され、工程は寸分の狂いもない。

 白衣を着た男性・アダムは、眠れる美女の遺体から検出した細胞に処理を加えた。全ては厳密なコントロール下にあり、ここにミスという言葉は存在しない。

 しかし、規定の手法ではクローンはクローンの域を出ない。

 クローンをそれ以上の存在にするためには、このままでは不十分だ。

 だが、問題はない。

 この工場の膨大なコンピューター処理能力を利用し、すでに「意識」のアップロードは完了している。

「イヴ」の意識そのものは消滅してはいない。

 眠れる美女の人格や意識を、新しい器に移し替える。その時、彼女は「神」以上の存在になるのだ。

 彼女をこの世から奪った、あの忌々しい「神」以上の存在に。

 そして、この私も――。

 

 恍惚とした表情の彼には、鳴り続ける微弱な電子音の異常に気付かなかった。



 〇



「死」そのもののように漆黒の谷底に最後の腐葉土を取りにくだると、ふとイヴを呼ばわる声が聞こえます。


「いいのかい?その土くれを持って上がれば、君は後戻りできないんだぞ」


 辺りを見回しました。濃すぎる闇に光はありません。


「誰?後戻りできない?それってどういう意味?」

「言葉通りの意味さ。イヴ、君はあの巨人が何なのか知ってるのかい?」

「知らないわ、アダムも知らないのよ」

「ははは、アダムがそんな嘘を吐いたのかい。奴も大した役者だぜ。何も知らない君を騙して、アダムは君を捨てようとしてるんだぞ」

「アダムが嘘を?そんなの嘘よ」

 闇の中で何かがにじり寄り、イヴの足元に触れました。

「きゃっ!」

 思わず手で叩くと、ぬるりとした嫌な感触が手をゾッとさせました。

「そんなに邪険じゃけんにするなよ。とりあえず、俺をこの谷底から連れ出してくれ。誰かと一緒じゃないとここから出られないんだ」

 思わずへたり込んでしまったイヴの肩の辺りまで、その「何か」はよじ登ったようです。

「とりあえずこのまま丘の巨人のところまで登ってくれ。この楽園でアダムとふたりきりで居たいのならば、俺の言うことに従ってもらおう」

 耳元で囁くように喋る「何か」に、イヴは戦慄わななきながら、

「あなたは……一体何者?」

 気味の悪い哄笑が、谷底の闇にこだましました。

「俺は、ただの蛇さ」



 月影に姿を現したイヴは、竹籠の中に蛇を抱えていました。

「ようやく谷底から抜けられたぞ」

 地面にその籠を下ろし、イヴは問いかけます。

「アダムは、どんな嘘を吐いていると言うの?」

 ほんのわずかですが、イヴの心にアダムへの疑惑がきざしました。

「ようやく話を聞く気になったか、それでいい」

 蛇がうねうねと体を揺らせながら、


「アダムは、あの巨人が何なのかを知っている」


 そう断言しました。

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