第三章 ライネス山 ~迫りくる闇~

第19話 新しい目標

 夜が明けて太陽が昇り始めると白々した日の光が大地を照らし始める。朝早く日が登りきらないうちから剣を振る人影があった。以前より日課となっているため苦とも思っていないが、彼が剣を振るのは久しぶりのことだ。なぜなら、彼はある事件により九死に一生を得ていたからだ。


 その人物とは――カイだ。


 カイは怪我を負う前と変わらぬ剣筋で素振りを繰り返す。黙々と剣を振り続けるカイへ声をかけてくる人物がいた……リディアだ。


「どうだ? 違和感はないか? カイ」

「はい、師匠! 問題ないです!」


 真っ直ぐにリディアを見つめカイは力を込めて頷く。レイアーから受けた傷が完璧に癒えたカイは二週間振りに剣を振っていた。


「そうか、ならいいが……。無理はするなよ? 君は死にかけたのだから」

「もう大丈夫ですよ。それに本当なら先週には動いてもいいって神官の方が言ってましたよ?」

「それは、わかっている。だが、君は剣を覚えてからほとんど休んでいなかった。時には休息も必要と考えたのだ」

「ははは。そうですね。心配してくれてありがとうございます。師匠」

「あぁ、気にしないでいい」


 カイの怪我が完治したことで、いつもの日々が戻ろうとしていた。


 カイ、リディア、ルーアの三人は連れだって白銀しろがねの館を訪ねる。


 その理由はレイアー討伐の真偽を確認するため、再びオーサの大森林へと足を踏み入れることになっていたからだ。カイ達三人は白銀しろがねの館が用意した馬車へと乗り込み、白銀しろがねの館の関係者数人とオーサの大森林へ足を踏み入れる。相変わらず人を寄せ付けない森を進み、レイアーを討伐した場所まで到着する。以前と全く変わっていない様相だが未だに戦いの爪痕が周囲に生々しく残っていた。周囲には動物や魔獣の姿はなくレイアーが身につけていた槍、包帯、忍び装束だけが寂しく取り残されている。残っていた遺物をサイラスへと回収してカイ達は森を後にする。その後、検証が始まる……。


 結果はすぐに判明する。レイアーが所持していた槍、包帯、忍び装束からは、おぞましいとも呼べる気配が残存していた。遺物を調べた神官が、それぞれの道具は呪われていると断定する。相手の正体は未だに不明だが、異様な存在がいたことは証明される。そのため帰還の翌日には、リディアが謎の魔物を討伐したということを白銀しろがねの館が正式に発表した。


 報告の結果とレイアー討伐への報酬を受けとるためにカイ、リディア、ルーアは白銀しろがねの館を訪れる。正式な報告と報酬を受け取ったカイ達三人は白銀しろがねの館一階にある受付へと来ていた。いつもの受付のはずだが、いつもと様子が違い受付ではなく受付前のフロアーに人だかりができている。集まっている多くの人々は何をするでもなく、その場で何かを待っている様子だ。よくわからない状況をカイ達が不思議に思っていると横から声をかけられる。


「やぁ、カイ君、リディア殿、ルーア君。久しぶりだね」


 声の方へ顔を向けるとアルベインが右手を軽く上げてカイ達へ近づいてくる。


「アルベインさん。お久しぶりです。この間は、どうもありがとうございました」

「いや、気にしないでくれ。それよりも傷は完治したようだね?」

「はい。おかげさまでこの通りです」

「そうか、それは良かった」


 カイとアルベインが挨拶を交わしていると横からルーアが口を挟む。


「おい、アルベイン。ところで、こいつら何してんだ? これから何かあんのか?」


 ルーアの疑問にアルベインは目を丸くする。


「うん? 何だ。君達も発表を聞きに来たのではないのか?」

「発表ですか?」

「あぁ。今日、発表すると噂があったからな」


 アルベインから「発表」という言葉を聞いてもカイ達は理解できず顔を見合わせる。状況を把握していない三人を見てアルベインは詳しく説明しようとすると。周囲の人々がざわつき始めた。騒ぎの中心へ注目すると白銀しろがねの館の職員が現れ壁に大きな紙を貼り付け始める。すると一人の職員が大声を張り上げる。


「みなさん。静粛に!」


 職員からの一声で周囲のざわつきは嘘のように無くなり、逆に不気味なほど辺りが静まり返る。


「では、発表させていただきます。今日から三ヵ月後……サイラス剣闘士大会の開催を正式に発表します!」


『うぉぉぉぉぉおーーーーー!!』


 発表後を聞いた周囲からは雄叫び のような声が次々と上がる。あまりの熱気にカイは驚きながら周囲を見渡す。リディアは少し煩わしい表情になり目を閉じる。ルーアは耳を塞いで「うるせー!」と悪態を吐くが周囲の声にかき消されてしまう。発表が終わると周囲にいた人々は蜘蛛の子を散らすように散っていく。残ったのは、カイ、リディア、ルーア、アルベインの四人だけだ。


「えーっと。アルベインさん。さっきのは一体なんだったんですか?」

「あぁ、説明しよう。だが、立ち話もなんだから食堂で軽く食事をとりながら話そうと思うが……。どうかな? もちろん、カイ君の復帰を祝して私の奢りだ」


 アルベインの厚意にカイは感謝しながらも、申し訳ないと感じてすぐに否定をしようとする。


「いえ、そこまでして頂く――」

「本当か! 流石はアルベイン! 太っ腹だぜ! じゃあ、俺様はステーキなー!」


 カイの言葉が言い終わる前に、ルーアが一方的にまくし立て食堂へ飛んで行ってしまう。テンションの上がったルーアをアルベインは笑顔で眺め、カイは恥ずかしさで顔を両手で覆い、リディアは不機嫌な表情でルーアを睨み「全く。意地汚い」と呟く。


 こうして、カイ達三人はアルベインの奢りで食事をとることになる。ルーアは宣言通りにステーキを頼み、カイとリディアはアルベインに感謝を伝えてチキンスープとサンドイッチを注文した。全員が注文を終え一段落するとアルベインが説明を始める。


「さてと。では、話をしよう。実は――」


 アルベインの話を要約すると……。


 サイラスでは、五年毎に武術の祭典である剣闘士大会を開催して今年が剣闘士大会の開催年ということ。剣闘士大会といっても剣士以外の格闘家、狩人、槍使い、鞭使いなど多くの人が参加可能。大会では模擬剣や模擬槍など殺傷能力の低い武器を使用することになっている。また、大会中の死亡に関しては明らかな故意による殺傷でない限りは罪にも問われない。しかし、魔法による直接攻撃は禁止行為となっている。理由は魔法使用に制限をかけていない時期の大会では遠距離から攻撃を行える魔法が圧倒的に有利であったこと。魔法攻撃は派手ではあったが、勝負を見ている者から盛り上がりにかけるという指摘が多かったこと。そのような経緯があり攻撃魔法を相手へ直接当てることは禁止となる。だが、牽制や目くらましなどに応用することは許されている。ちなみに直接攻撃ではない補助魔法や回復魔法の使用に制限はないため、大会へは魔術師や神官も少数だが参加している。


「――というわけさ」


 話を聞き終えたカイ、リディア、ルーアの三人は思い思いに頷き理解を示す。そんな中でカイがアルベインへ尋ねる。


「あのー、アルベインさん。それは誰でも参加ができるんですか?」

「あぁ、誰でも参加は可能だ。ただし年齢制限があって、十歳以上で健康などに問題がない者とされている。参加する際には神官が健康状態の検査を行っていたな。えーっと、他に制限はなかったはずだ。だから、カイ君の参加も――」


 説明をしながらアルベインは視線をカイからリディアへ移して軽く笑みを浮かべる。


「――リディア殿の参加も可能だ」


 疑問を聞き終えたカイは少し考え込むとリディアへ視線を移す。カイの視線を感じたリディアは大体のことを察していたが確認のために口を開く。


「カイ。参加したいのか?」

「はい! 勝てるかはわかりませんが、自分の力を確かめてみたいです!」


 迷わずに答えるカイの言葉にアルベインは微笑み、ルーアはいつものように意地の悪い笑みを浮かべる。一方でリディアは少し目を閉じ何かを思案してゆっくりと目を開ける。


「わかった。では、大会開催までの修行は人間との戦いを想定した修行に切り替える。いいな? カイ」

「はい! お願いします! 師匠」

「そうか、カイ君も出場するなら私も大会まで残された期間でさらに腕を磨かねばな……。ところで、リディア殿は出場しないのですか?」

「私か? 私は興味がないので出るつもりはない」


 リディアに興味がないと言われアルベインは苦笑する。


(できればリディア殿とも戦いたかったのだがな……)


「そうですか、それは残念です」

「おい! アルベイン」

「うん? 何だい? ルーア君」

「その大会って優勝したら何かもらえんのか?」


 何気なく尋ねたルーアだが、アルベインの返答を聞き態度が一変する。


「あぁ、賞金が出るよ。確か……優勝者は金貨一千枚、準優勝者は金貨五百枚、三位、四位は金貨百枚だったはずだ。それから優勝者には副賞として何かしらの武具が贈られることになっているが……。それは毎年違うので大会までのお楽しみだな」

「武具ですか?」

「あぁ、かなりの武具だ。一般には流通していない物がほとんどで、聞いた話によれば伝説に残るような武具だったこともあったらしい。賞金目当ての者もいるが、どちらかというと武具目当ての出場者の方が毎年多くいるそうだ」

「へー。そうなんですね。……って痛い! 痛い! ルーア! 頭に乗ってもいいけど髪を引っ張るな!」


 カイの頭上で両手を握るルーアは、カイの毛髪も一緒に握ってしまう。だが、カイから文句を言われている当のルーア本人は話を全く聞いていない。なぜなら、ルーアはアルベインから教えられた大会勝者へ贈られる賞金額のことで頭が一杯になっている。


「き、金貨一千枚……、金貨五百枚……。てことは、何でも食い放題じゃねぇーか! おい! リディア! お前も出ろよ! そうすれば優勝はお前で決まりだし、カイが準優勝なら合計で金貨千五百枚だぜ!」


 興奮した様子で訴えるルーアだが対照的にリディアはいつも通り冷静だ。


「断る。興味がない」


 リディアに一蹴されたルーアは自分の頭を掻きむしりながら悶える。


「だぁー! 相変わらず頭の固い奴だなぁー! ……待てよ? おい! アルベイン! 誰でも参加できるんなら俺様が参加しても問題ないよなぁ!」


 リディアを参加させることに失敗したルーアは身を乗り出してアルベインへ確認をとる。しかし、問われたアルベインは困惑する。


「えっ!? る、ルーア君が?」

「おい! ルーア! 無茶を言うなよ! というか、お前は魔法を使わないと攻撃手段がほとんどないだろう?」

「何を言ってんだ! カイ! 俺様の食い放題……、じゃなかった。俺様の実力を舐めんじゃねぇーぞ! 本気になれば俺さ――」


 意地を張るようにルーアが喚き散らしていると、問答無用でリディアが魔力を込めた拳で殴りつける。殴られたのは当然ルーアだ。リディアの制裁を受けたルーアは食堂の床に倒れ気絶する。


「うるさい! 少し黙っていろ!」

「……あ、あの、アルベインさん。いろいろと教えてくださりありがとうございました」

「……い、いや、気にしないでくれ。それとルーア君が参加できるかは、申し訳ないがわかりかねる。もし、本当に出場する気があるのなら白銀しろがねの館の者にでも聞いてくれ。剣闘士大会の主催は彼らの管轄だからな」

「わかりました。アルベインさん」


 話を終え、カイ達はアルベインと別れる。


 余談だが、目を覚ましたルーアが懲りずに剣闘士大会へ出場すると騒ぐため、仕方なくルーにルーアが出場可能か確認する。


「えーっと。そのー……種族による制限はかけていませんので、大会の趣旨とルールを理解する知能のある種族でしたら参加は可能です。つまり、小悪魔インプでも大会へ参加することはできますけど……ルーア君の場合は無理なんです。ルーア君は形式上は使い魔じゃないですか? 使い魔の出場は認められていないんです……」


 理由は単純だ。使い魔を出場可能にすると使い魔の主人が一緒に出場した場合、彼らが有利になってしまうからだ。また、使い魔は触媒を利用することで強化などを外部から容易く行えるため、フェアではないとの理由から出場を許されてない。実際はルーアへ使い魔の契約を施してはいないが、サイラスで暮らすために使い魔の契約を行っていることになっている。そのため、ルーアは剣闘士大会へ参加することはできない。しかし、ルーの説明を聞いたルーアはヤケクソ気味に言い放つ。


「だったら俺様は使い魔じゃねぇーってことにして出場させろー!」


本末転倒なことを喚き始めたので、再度リディアに殴られルーアは気絶させられる。


「この馬鹿が! 話を複雑にするな!」

「ははは……。ルーさん。ありがとうございました」

「はいー!」


 リディアは面倒そうな表情で気絶しているルーアを睨み、カイは苦笑いをしながら気絶したルーアをつまみ上げ、ルーはいつも通りの笑顔でいた。


 こうして、カイ達は家路に着く。


 ◇


 その夜、カイが入浴を済ませて自室へ戻ろうとすると居間にリディアが座っていた。カイは就寝前にリディアへと声をかける。


「師匠。お風呂ありがとうございました。師匠も入って下さい」

「……カイ。少し話がある。座ってくれないか?」

「えっ? はい。わかりました」


 言葉に従いカイとリディアは向かい合う形で椅子へ座る。リディアの表情に変化はないが、カイはどことなく違和感を覚える。


(何だろう? 師匠。何か悩んでいる気がするけど……)


「カイ」

「は、はい!」

「君は強くなった」


 突然のことにカイは一瞬だけ何を言われているのか理解できなかったが、すぐに意味を理解して嬉しさが込み上げ笑顔になる。


「あ、ありがとうございます! でも、それは師匠のおかげですよ!」


 感謝の言葉を伝えるが、リディアの表情に変化はない。


「君は強くなった。恐らくだが、サイラスではアルベインを除けば君に勝てる者はいないだろう。サイラス周辺に出現する魔物にも君は負けない。……だが、それでも君は……。この間、死にかけた――」


 神妙な表情で語るリディアの言葉をカイは黙って聞き続ける。


「――君は強くなったが、君よりも強い者はまだまだいる。しかし、……今以上の強さを求めるなら、君は人間の常識となる強さを超える必要がある。そして、その強さは普通の人間からみれば恐れの対象になる可能性がある。……なぜ、こんな話をするかといえば私がそうだからだ。……以前、君には少し話をしたが私は孤児だった。孤児院で過ごしていたが、周囲の人は私のことを恐れていた。孤児院を出て旅をしてもそれは変わらなかった。私の強さを知ると多くの人が私を敵意や畏怖を込めた瞳で見ていた。……だから、確認をさせてくれ。それでも、今以上の強さを望むのか? カイ」


 リディアの問いに対してカイの答えは決まっていた。そのため、カイはリディアへ伝えたいことを素直に口にする。


「……師匠。俺は師匠を恐れたことはないです。それどころか俺は師匠に感謝しかないです。見ず知らずの俺を助けてくれた。俺を強くしてくれた――」


 真剣に伝えようとするカイの言葉をリディアは黙って聞き続ける。


「――それに俺が強くなりたいって思ったのは師匠の……。いえ、リディアさんのようになりたいって思ったからです! リディアさんのように強くて優しい人になりたいと思ったからです! だから、俺は強くなりたいです! リディアさんのように……。師匠のように!」


 決意を込めたカイの言葉を全て聞き終えたリディアは少し微笑む。


「……わかった。君の思いは変わっていないのだな……。いや、以前よりも強くなっている。……よし! 時間をとらせてすまなかった。もう休むといい。明日からは新しい修行を始めるのだからな」

「はい! 師匠!」


 話を終えカイは自室へ戻っていく。カイの姿が見えなくなった後、リディアは誰にも聞こえないような小さな声で呟く。


「……ありがとう……」


 ◇


 翌日になり、カイ、リディア、ルーアの三人は白銀しろがねの館を訪ねる。旅支度をするためにカイとルーアは二階にある妖精の木漏れ日へ、リディアは地下の戦士ナイトソウルへ別れていた。


 妖精の木漏れ日へ到着すると入り口にいたムーが即座にルーアを抱きしめ確保する。カイはムーに挨拶とお見舞いのお礼をした後でルーアを任せて店へ入る。


 カウンターでは、アリアが満面の笑顔でカイを迎え話をする。楽しそうなアリアを見ていたスーが話に入ってくる。


「お姉ちゃん。いつも以上に嬉しそうですね」

「うん? それは、そうよ! カイ君の怪我も治って、しかも私に会いに来てくれたんだから!」

「違います! カイさんはお買い物に来て下さったんです。お姉ちゃんに会いに来たわけではありません!」


 反論するようなスーの言葉にアリアは唇を尖らせる。そんな二人の姉妹を微笑ましく見ていたカイが二人へお礼を伝える。


「ははは。確かに買い物に来たんですけど。それだけじゃなくて、アリアさんとスーにもお礼をちゃんと言いたかったから来たんですよ。二人には元気をいっぱいもらいました。お見舞い本当にありがとうございました」


 感謝の言葉を受けたアリアは恍惚の表情で身体をくねらせ、対するスーはいつもの様子で丁寧にお辞儀をするが頬を少し赤くして照れていた。自分の感情を誤魔化すようにスーが話題を変える。


「と、ところで、カイさん。今回はかなり買い込むんですね。どこか遠出のご依頼なんですか?」

「違うよ。今回は依頼じゃなくて修行に出るんだ」

「修行ですか?」

「そう。三ヵ月後の剣闘士大会に向けて師匠にみっちり鍛えてもらうんだ」


 「剣闘士大会」という言葉にスーではなくアリアが大声で反応する。


「えー! カイ君もあの大会に出るの? アルベインの奴も出るのよ? 大丈夫?」

「はい。知ってます。勝てるかはわかりませんけど、アルベインさんともまた戦ってみたいです!」

「そうなんですね……。頑張って下さい! 私は応援していますのでカイさん!」

「ありがとう。スー」

「あー! スー。抜け駆けー! カイ君、カイ君! 私も応援してるからね! 忘れないでね!」

「ははは……。はい。アリアさんも、ありがとうございます」

「ところで、その修行はどちらへ行かれるんですか?」


 軽く首を傾げながらスーが問いかけと、カイは少し困った様子で頭を掻く。


「えーっと。俺はそこへ行くのは初めてだからよく知らないんだ。師匠は以前に行ったことがあるらしいけど。確か……ライネス山って言ってたかな?」


『えっ!』


 行き先を聞いたアリアとスーは思わず声を上げる。二人同時に同じような反応をするためカイは不思議そうに眺める。


「あれ? 二人とも知ってるんですか?」

「は、はい……。知っているといいますか――」

「いやー!」


 動揺した様子のスーが答えようと次の言葉を発しようとすと。スーの言葉を遮るが如くアリアが絶叫する。素早くカウンターから身を乗り出したアリアは間髪入れずにカイへ抱きつく。


「カイ君! 駄目よ! ライネス山なんて行ったら、まだ私とデートもしてないのにー!」

「ちょ、アリアさん。落ち着いて下さい」

「いーやー!」


 取り乱したように叫ぶアリアだが、チャンスとばかりにカイを強く抱きしめ続ける。一方のカイはアリアを気遣い力尽くで無理矢理に振りほどくわけにもいかず途方うにくれる。どさくさ紛れとはいえカイに抱きつくことに成功したアリアは、さらに腕に力を入れてカイを力強く抱きしめる。すると感情が昂ったアリアは鼻息を荒くする。


「はぁ、はぁ、カイ君。お姉さん。興奮してきちゃった。ねぇ? ねぇ? このまま私の部屋までい――」


 スパーン!


 堪忍袋の緒が切れたスーがアリアの頭部へ思い切りハリセンを叩きつける。痛みに耐えかねたアリアはカイから手を離して自分の頭部を押さえる。痛みに悶絶するアリアの背後へスーは仁王立ちすると怒りの形相で言い放つ。


「いつも……、いつも……、言ってんだろうがー! この馬鹿姉はー! 私のカイさんに手を出すんじゃねー!」


 怒りに任せたスーは感情のあらん限りに叫びながらアリアへ何度もハリセンを叩きつけた。


 その後、地下での用事をすませたリディアがカイの様子を見にくると……。


「カイ。どうだ? 必要な物は買えたか? ……ん? なぜ、アリアが床に寝ているのだ?」


 カウンター近くの床で倒れているアリアを見たリディアの疑問にカイは乾いた笑いを向ける。そこへスーが問答無用で言い放つ。


「こんにちは、リディアさん。気にしないで下さい。この馬鹿姉はしばらく寝かせておいて下さい」

「いいのか?」

「はい。全く問題はありません。……それよりも、先程カイさんに聞いたのですが……。これから、ライネス山へ向かわれるのですか?」


 不安そうな表情で尋ねるスーに対してリディアはいつもの通り冷静に対応する。


「そうだ」


 いつもの通りのリディアを見てスーは意を決してあることを伝える。


「あの……、ご存じないと思いますが、あそこには以前からドラゴンが住み着いているとの噂があるのです……」

「えっ!? ド、ドラゴン!」


 突然の情報にカイは驚愕して声を上げる。驚いているカイへスーは神妙な表情で頷き肯定する。


 カイが驚くのも無理はない。魔物や魔獣に詳しくない者でも……いや、年端もいかない子供ですらドラゴンという生き物は知っている。それほど有名な生物だからだ。特にカイは以前から伝説や逸話などが好きで生前のゴンからドラゴンの話も聞いている。


 曰く、その身体は山のように大きい。


 曰く、その牙や爪は鉄をバターのように容易く破壊する。


 曰く、ドラゴンが吐き出す炎に燃やせないものはない。


 など、多くの伝説を残している。


「はい。真偽のほどは定かではありません。近年はドラゴンを見たという者もいません。……ですが、私が子供の頃はドラゴンの目撃もありましたし、実際に命を奪われたという話もありました」

「そ、そうなんだ……。ドラゴン……」


 伝説の存在に不安を募らせカイの表情が険しくなるが、いつもの口調でリディアから衝撃の発言がある。


「いや、あそこにドラゴンはもういない」

「えっ? そうなんですか?」

「あぁ、私が倒したからな」


『……えっ?』


 思いがけない情報にカイとスーの二人は、リディアが発した言葉の意味を理解できずに間の抜けた声を出してしまう。二人は目を丸くさせてリディアを眺めている。二人が送る視線の真意に気がつかないリディアはいつもの通りに淡々と話し始める。


「一、二年程前だったか……。ライネス山へ行く依頼があってな。ドラゴンに用事などなかったが、いろいろあって戦うことになったのだ。かなり危なかったが、なんとか勝利した。そのときに、ドラゴンがこの剣と鎧を渡すと言ってきてな。そのあと、ドラゴンは息絶えた」


 リディアの剣と鎧、正式名称――


 剣――ナイト・ティアー:漆黒の剣。剣自体に魔力が込められているため、実体のない生命体や悪魔なども切り裂くことができる。再生能力もあるため、刃が欠ける程度の傷ならば一日もあれば自然に修復される。ただし、折れるなどした場合には元へ戻には数週間から数カ月の時が必要といわれている。といっても、この剣自体が恐ろしい強度と耐久力を有しているため破損することは滅多にあり得ない。


 鎧――戦神の鎧:深紅の鎧。全属性による攻撃を半減させる。自己回復効果もあるため、装備しているだけで体力は徐々に回復する。毒、麻痺、弱体化などの状態異常をほとんど無効化する。


 衝撃的な話を聞いたカイとスーは、しばらく思考が停止していた。しかし、リディアの力をよく知るカイがスーよりも早く我に返り質問をする。


「……え、えーっと。師匠?」

「何だ?」

「そ、そのドラゴンを倒したことは、誰かに伝えなかったんですか?」

「ライネス山で生活していた集落の者には伝えたが……。それ以外の者には話していない」

「あ、そうなんですか……」


(でも、集落の人には伝えたんだ……。じゃあ、何で噂とかにならなかったんだろう? あんまり街とかには降りてこない人達だったのかな?)


「……ドラゴンを……倒した……。リディアさんが……倒した……」


 呆然とした様子でスーが呟いていることに気づいたカイは肩を軽く揺らしながら声をかける。


「す、スー。大丈夫? 戻ってこーい!」

「はっ! ……し、失礼しました! お客様の前で、お恥ずかしいところをお見せました!」


 我に返ったスーはすぐに謝罪のために丁寧なお辞儀をする。お客に対しての見事な対応のスーにカイは関心する。


(いや、あんなことを言われたら誰でも驚くと思う。しかし、流石は師匠というべきなのか。まさか、ドラゴンまで倒していたなんて……。うん? 待てよ? 前に持っていた龍水晶って……。いや、これ以上は考えるのはよそう……。街を出た後にでも聞こうかな……)


「じゃ、じゃあ、スー。いろいろありがとう。あと、何か驚かしたみたいでごめんね」

「い、いえいえ、こちらこそ取り乱してしまいました。申し訳ありません。お買い上げありがとうございました。またのお越しをお待ちしています」


 準備を整えたカイとリディアは妖精の木漏れ日を後にする。入り口でムーに抱かれていたルーアの回収も忘れずに行う。


 カイ達が去ったすぐ後、ある人物が爆弾を投下する……。


「しかし、すごいのねー。リディアさん。ドラゴンを倒すなんて……」

「あら? 起きていたんですか? 馬鹿姉」

「あー、まだ怒ってるー。もう、しつこいんだからぁー。……ふふーん。ところでー。スー?」


 唇を尖らせて文句を言ったかと思えば、アリアの表情は意地の悪い笑みへ変化する。アリアの変化に気がついたスーだが、「どうせくだらないことを思いついた」のだと特に気にしていない。


「何ですか?」

「聞いちゃったわよー」

「はい? 何をですか?」


 アリアの言っている意味がわからずにスーは首を傾げて聞き返す。


「あんたは無意識だったと思うけど私をさっき叩いた時にあんた何て言ったー?」

「叩いた時?」


 質問の意図は理解できないスーだが何気なく思い返してみる。


(何て言った? いつもと同じように馬鹿姉と言ったぐらいだと思うけど? ……えーっと。たしか――)


「――ッ!」


 自分の言った言葉を思い出したスーは顔を真っ赤にする。スーの反応を見ていたアリアはさらに意地の悪い笑みになる。そう、スーがアリアを叩いた時……意識せずにある言葉を口走ってしまっていた。


『いつも……、いつも……、言ってんだろうがー! この馬鹿姉はー! 私のカイさんに手を出すんじゃねー!』


『私のカイさんに手を出すんじゃねー!』


カイさんに手を出すんじゃねー!』



 スーは無意識に叫んでしまった。


 ひた隠しにしていた自分の想いを……。


 スー自身も……カイも気付いていなかったが、目ざといアリアだけは気付いていた。


「ふっふーん。前から怪しいと思っていたのよねー。だってカイ君のときだけ、いつもより気合が入ってたしー。私に焼きもちしてたんでしょうー? でも、やっぱり姉妹よねー。好きになるタイプも――」


 スパーン! スパーン!! スパーン!!!


 顔を紅潮させたスーが問答無用にアリアをハリセンで叩きつける。


「もう! もう! 全部! 馬鹿姉のせいだー!」

「ちょ、ちょっと、ちょっと、待って、待って。スー!」

「うるさい! うるさい!! うるさーい!!!」


 大声を出しながら暴れ回るスーの衝撃が店の外まで伝わる。すると、店の入り口で呼び込みをしていたムーが何事かと店へ入ってくる。いつものように姉二人がじゃれているようにも見えたが、明らかに様子の違うスーを見て驚いたムーが止めようとするが、手が出すタイミングを掴めずにまごまごしていた。


「本当……、本当にターイム!」


 両手を上げながら大声でアリアがスーへ制止を促す。動きを止めたスーだが顔を真っ赤にさせ目もまだ泳いでいる。いつもの冷静な自分自身を取り戻せないでいた。妹の状況を察したアリアは言葉を慎重に選びスーへ語りかける。


「そう……、そうよ、落ち着いてスーちゃん。別に何もおかしいことなんてないわよ? 人を好きになるって素敵なことよ?」


 不用意なアリアの言葉にスーは目を吊り上げ睨みつける。両手に持っているハリセンへまた力を込め始める。怒りの気配を感じたアリアは『失敗した』と思い。半ば自棄になり全く違う話をする。


「あー! そういえば、さっきリディアさんが言ってたことで不思議なことがなかったー?」


 唐突な投げかけにスーは振り上げていたハリセンを止めて聞き返す。


「……何ですか。不思議なことって」

「ほら、リディアさんが言ってたじゃない。ライネス山の集落に住んでいる人にドラゴンのことを話したって」

「それが何ですか?」

「それって、おかしくない? ライネス山に集落があるなんて聞いたことがないわよ? スー。あなたは聞いたことがある?」


 話を聞いてスーもアリアの言わんとしていることに気がつく。


「いいえ。私も聞いたことがありません。……そうですよね。ライネス山に集落があるなんて今まで誰も言っていなかった……」


 ライネス山の集落について考え込むことで、スーは先程までの怒りを忘れかける。落ち着き始めたスーを見てアリアも胸を撫で下ろして一息つく。スーが落ち着いたと判断したムーは急いで二人の元へ駆け寄る。


「あ、アリアお姉ちゃん。スーお姉ちゃん。だ、大丈夫? 何があったの?」

「んー? 別に大したことじゃないわよ。スーが思わずカイ君のことが好きだって口を滑らせただけ――。あ……」


 口を滑らせたアリアは、ゆっくりとスーの方へ顔を向ける。アリアの視線の先にいたスーは先程と同じように顔を紅潮させ、まさにハリセンを振り下ろすところだった。


 このあと、スーが大暴れをしてしまい。妖精の木漏れ日は本日臨時休業することになる。

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