第11話 模擬戦

 早朝から男性が一人でサイラスの街中を走っている。少し肌寒さはあるが彼は構うことなく走り込みを続ける。日が徐々に昇るにつれ暖かくなっていく。当然のように汗をかくが男性は気にせず黙々と走り続けた。走りこみが終わると男性は息を整えながら自分の住む屋敷の敷地へと入っていく。一息つく……のではなく。次の鍛錬を行うために迷うことなく庭先へと向かう。広々とした場所に陣取ると愛用の斧槍ハルバードを手に取り素振りを始める。男性の名はアルベイン・ヴェルト。サイラスで一番と言われている貴族家の長男だ。


 誰も見ていない中で黙々と素振りをするアルベインは、上段、中段、下段といった基本の型以外にも実践を想定した型にはまらない動きも組み込みながら真剣な表情で訓練に集中していた。訓練は続いていたが唐突に声をかけられる。


「アルベイン様。訓練はそれぐらいにしてはどうですか? 朝食の準備ができております」


 素振りを止めてアルベインは声の方へ身体を向ける。


「あぁ、わかった。すぐにいく。クロード」


 クロードと呼ばれた年配の男性は深々とお辞儀をしてその場を後にする。


クロード:ヴェルト家に仕える執事。白髪で細いが優しい目をしている。一つ一つの立ち振る舞いには礼儀正しさが滲み出ている。


 訓練を終えたアルベインは慣れたように浴室へと向かいシャワーで汗を流す。本来なら着替えや髪を乾かすことまで執事やメイドが世話をするがアルベインは自ら行えることを使用人にさせることを嫌っているため自分で行う。使用人をないがしろにしているわけではなく、自分に世話を焼くよりも他の仕事をした方が有意義と考えているからだ。使用人達もアルベインの考えを理解しているため必要以上に世話を焼くことはしない。身支度を整えたアルベインは朝食をとるために食事が用意されているいつもの部屋へと移動する。しかし、部屋に入って息を呑んだ。そこには、いつものように執事のクロードを始め何人かのメイドが佇んでいた。だが、いつもと違いある人物もそこにはいる。


「なっ! ……これは、おはようございます。父上。いらしていたんですね……」

「あぁ、おはよう。久しぶりだな、アルベイン」


 部屋にいた男はヴェルト家の現当主であり、アルベインの父親。アルベルト・ヴェルトだ。


アルベルト・ヴェルト:ヴェルト家の現当主。黒髪オールバック、眼光鋭く、顔には深いしわが入っている。


(まさか、父上がいらっしゃっていたとは……。クロードの奴、わざと教えなかったな……)


 アルベインはクロードの考えを理解して苦笑する。一方のアルベルトは特に表情の変化はなく普段通りに朝食をとっていた。父と息子は向かい合いながら食事をとるが特に会話は無い。ただ黙々と食事を口に運び二人とも食事を終える。部屋に佇んでいたメイドが食後のお茶を準備して注いでいるとアルベルトが口を開く。


「まだ、兵士の真似ごとを続けるのか?」


 事務的なアルベルトの質問にアルベインは「またか」と表情を曇らせる。


「お言葉ですが父上。兵士の真似ごとではなく。私はれっきとしたサイラスの兵士です」

「確かに正式に配属はされている。だが、一介の兵士である前にお前はヴェルト家の長男だ。その意味はわかるだろう?」

「……えぇ、父上。それは理解しております」

「ならば、そろそろいいのではないか? 兵士をすぐに辞めろとまでは言わんが、貴族として行動しても問題はないはずだ」


 貴族としてというアルベルトの言葉にアルベインは険しい表情になる。


「……私は、まだ世間のことを何も知らない若輩者です。もう少しだけ兵士として市民の近くに寄り添い、市民の気持ちを知りたいと考えております」

「そうか……。ならば好きにしろ。だが、いつまでもそのままではいられんぞ? それだけは肝に銘じておけよ」

「……はい、父上」


 話が終わるとアルベルトは悠然と部屋から出ていく。一息つくように大きく息を吐いたアルベインはクロードを睨む。


「おい、クロード。なぜ、今日は父上がいらしていると教えてくれなかった?」

「大変失礼を致しました。ですが、お伝えになると訓練がすぐには終了しないと思いまして……」


 クロードの言葉にアルベインは苦笑する。クロードが事前にアルベルトがいることを伝えれば、アルベインは父親がいなくなるまで訓練を続けるか、何か理由をつけて食事をとらなかった。アルベインにしてみれば、アルベルトに会えば貴族としての話をされるのがわかっていたからだ。


(まぁ、流石はクロードと褒めるべきだろうな)


「そうだな。お前の言う通りかもしれない。しかし、今度からは伝えて欲しい。気持ちの準備ぐらいはしたいからな」

「かしこまりました」


 食事を終えたアルベインも部屋を後にする。


 アルベインはしばらく自室で読書をして過ごしていたが、昼時になろうという頃に動き出す。


「アルベイン様。お出掛けですか?」

「あぁ、クロード。白銀しろがねの館で訓練をしてくる。すまないが、昼食は適当に済ませる」

「かしこまりました。いってらっしゃいませ」


 アルベインが屋敷から出るのをクロードは深々とお辞儀をして見送る。


 屋敷から出るとアルベインは真っすぐに白銀しろがねの館へと向かうのではなく。サイラスの街中を警邏けいらするように遠回りをしながら移動する。仕事ではないがアルベインの中では、日々サイラスに変化がないかを自分の目で確認をするのが日課になっている。移動していると小競り合いのような喧嘩をしている若者を見つける。すかさず喧嘩を止めるために注意をするが、二人の若者は説得を聞かずにあろうことかアルベインへも暴行を働く。だが、アルベインは余裕で若者の拳を躱すと逆に相手の腕を捻りあげて取り押さえる。すると騒ぎに気がついた同僚の兵士が駆けつけたので事情を説明して身柄を引き渡す。兵士からの感謝を背中に受けてアルベインは目的の場所へと歩を進める。白銀しろがねの館へ到着するとアルベインは食堂へと向かう。


(とりあえず、軽く食事をとっておくか。さて、どこの席に……。うん? あれは――)


 ◇


 カイ、リディア、ルーアの三人は白銀しろがねの館、一階の食堂にいる。


「それで? 何が食べたいんだよ。ルーア」

「へへーん。前から焼き鳥ってのを食ってみたかったんだよ!」

「焼き鳥? 何で?」

「街中で歩きながら食べてる奴らがいて、見ててうまそうだったからだよ」

「ふん。食い意地の悪い羽虫だ」

「んだと。コラー!」

「はいはい。喧嘩しないで」


 カイがリディアとルーアの言い合いをなだめているとある視線に気づく。感じた視線を目で追うとアルベインと目が合う


「あれ? アルベインさん?」


 カイと目が合ったアルベインは軽く右手を上げながら笑顔で近づく。


「やぁ、カイ君にリディア殿。お久しぶりです」

「あ、はい。どうも、アルベインさん」

「あぁ」


 カイとリディアは挨拶するがルーアはアルベインを知らないため、首を傾げながら疑問を口にする。


「誰だ? 兄ちゃん? おい、カイの知り合いかよ?」

「うん? あぁ、知り合いっていうか、何ていうか……。えーっと。アルベインさんは、サイラスの貴族でサイラスの兵士もしている人なんだ」


 カイの説明を聞いてアルベインは少し寂しい気持ちになる。


(貴族……。当然といえば当然だが、やはり兵士としてよりも貴族としての方が認識されてしまうのだろうな……)


「あれ? どうしました。アルベインさん? 説明が何か間違ってましたか?」


 問われたアルベインは考え込んでしまっていたことが表情に出ていたことに気がつく。そのため笑顔を作りカイへ謝罪する。


「いや、失礼した。間違いはないよ。ただ、私としてはただの兵士と紹介してくれても構わないと思っただけだよ」

「えっ? でも、それは失礼なんじゃ……」

「とんでもない。私はまだ家督を継いでいないので、貴族として扱われる方が恐れ多いいよ」

「ふーん。よくわかんねぇけど……。少し偉い人間の兄ちゃんってとこか?」

「あぁ、そうだな。その認識で構わないよ。……ところで、君は? 見たところ人間ではないと思うが? カイ君かリディア殿の使い魔なのかな?」


 質問されたルーアは右の人差し指をわざとらしく左右に振り不敵な笑みを浮かべる。


「チッチッチ! 俺様はこいつらの使い魔じゃねぇ。こいつらの親分をやってる大悪魔のルーア様だ!」

「……大悪魔? しかも、使い魔ではない?」


 ルーアの物言いに怪訝な表情を浮かべるアルベインだが、妙な空気になっていると察知したカイは慌てた様子で補足する。


「い、いえ、こいつはただの小悪魔インプです。大悪魔のところは聞き流して下さい。……あと、使い魔じゃなく。こいつとは友達です」

「ふん。面倒な言い方をするな。羽虫」

「うっせーなぁ。いいじゃねぇかよ!」


 三人のやり取りを見ていたアルベインは何よりもカイが魔物を友達と言ったことに驚く。なぜなら、カイは村を粘液怪物スライムによって滅ぼされている。そんなカイが種族は違うとはいえ、魔物を友達と言うことが信じられなかったのだ。


(信じられないが、……彼ならありえるか……。何というか、優しいというか、素直というか、純粋というか、不思議な感じだからな……)


「……そうか。では、ルーア君。私はアルベインだ。よろしく!」

「おう! いいぜ! 兄ちゃん!」

「ルーア。生意気だぞ」

「いいじゃんかよ。カイは固すぎんだよ」


 当たり前のようなカイとルーアの会話を聞いて、アルベインは何故か嬉しくなり自然と笑顔になる。


「そういえば、君達はこれから食事かな? よければ私もご一緒させてもらえないかな? その場合は、もちろん私が奢らせてもらおう」

「えっ? あ、はい。一緒で構いませんけど、奢ってもらうのは悪いですよ」

「あぁ、自分達の分は自分達で払う。お前が払う必要はない」


 アルベインの申し出に遠慮をするカイとリディアだが、もう一人いた小悪魔のルーアは目を輝かせて申し出に歓喜する。


「何を言ってんだ! お前ら! せっかく奢ってくれるって言ってんだろ? 奢ってもらおうぜ! なぁ! 兄ちゃん。いいんだよな?」


 欲望全開のルーアにアルベインは頷きながら微笑む。


「もちろんだ。好きな物を頼んでもらって構わない」

「やったー! だったら焼き鳥以外にも頼むぜー!」

「はぁ。ルーア……。すみません。アルベインさん」

「全く。意地汚い奴だ」

「いや、気にしないでくれ。カイ君もリディア殿も、ルーア君に負けずに好きな物を食べてくれ」


 こうして、カイ、リディア、ルーア、アルベインの四人で昼食をとることになる。食事が運ばれてくるとルーアは興奮してむしゃぶりつく。その後もルーアが食べながら喋る、カイが注意をする、リディアがルーアを罵倒する、ルーアが怒る、カイが頭を抱えながら二人を止める。


 三人にとってはいつものことだが……。


 その光景を眺めてアルベインは心の底から笑う。種族など関係なく付き合えているカイの姿が眩しく写る。また、貴族や兵士ということに悩んでいたことが、いかに小さな問題なのかを理解する。


 四人が食事を終え休憩していると、カイとリディアがアルベインへ感謝を伝える。


「アルベインさん。ありがとうございます」

「あぁ、感謝する」

「気にしないでくれ。満足してもらえたようで私も嬉しいよ」

「はい。……って、ルーアも寝てないでお礼を言え!」


 食べ過ぎのせいでルーアの腹部はボウリングの玉と見間違うほど丸く膨れている。しかし、膨張状態でも器用に空中へと浮かんでいく。空中に浮くルーアの姿はまるで風船のようだ。


「ケプ……。おう。ありがとうな、兄ちゃん。何かあったら、俺様が力を貸してやるぜ!」

「……いや、そんな偉そうに言うなよ。お前は普通にお礼を言えないのか?」


 上から目線なルーアの態度にカイは呆れた様子で注意をするが、アルベインは全く気にせず受け入れる。


「構わないさ。しかし、そうだね。何か困ったことがあればルーア君の力を貸してもらおうかな?」

「こいつで役に立つことがあるなら、どうぞ使って下さい! 身体が丈夫なのが売りみたいな奴ですから」

「俺様を肉体労働専門みたいな売り込みをすんな! どちらかといえば頭脳労働の方が得意なんだよ!」


 話も一段落ついたと判断してアルベインは立ち上がる。


「さてと……。本当ならもっと君達と話をしていたいが、私はそろそろ行くとするよ」

「あ、いえ、本当にありがとうございました」

「いや、本当に気にしないでくれ」

「ところで兄ちゃんは、これからどこに行くんだよ?」

「うん? 私はこれから三階の訓練場に行くつもりだ。まだまだ未熟者なんでね。……そういえば、カイ君とリディア殿は戦士だったね。どうだい。よければ一手お相手をしてもらえないかな?」


 突然の誘いにカイは驚き、リディアは少し考える。


「えっ? いや、俺なんかじゃあ。アルベインさんの相手にはなりませんよ」

「そうかな? 君は赤粘液怪物レッドスライムを倒したことがあるのだろう? それほどの腕なら相手にとって不足はない。それに君の修行にもなると思うぞ?」

「……それは言えているな」


 リディアの静かな同意にカイは困惑した様な視線を送る。しかし、対照的にリディアはカイを真剣な眼差しで見つめる。


「師匠……。でも、俺は人と戦った経験がないんですけど……」

「だからこそ、ちょうどいい。魔物や魔獣と違い人との戦いは、ある意味で騙し合いなどの読み合いも必要となる。それに上位の魔物は人間よりも頭がいい奴もいる。経験しておいて損はない。やるべきだ。カイ」


 後押しするリディアの言葉にカイは躊躇しながらも素直に頷く。


「……わかりました。アルベインさん。俺からもお願いします。俺と戦って下さい!」


 覚悟と気迫の乗ったカイの言葉を受けてアルベインの心も高揚する。


(カイ君……。凄いな。戦う決意や気迫が言葉に乗ってきているのがわかるよ。そして、君の心の強さもな……。ふっ、他の兵士に見習わせたいよ)


「よし! では、行こうか」


 ◇


 白銀しろがねの館

 

 地下一階:武器屋&防具屋 

   一階:受けつけ、食堂&酒場

   二階:道具屋

   三階:訓練場

   四階:事務室、待合室、貴賓室

   五階:ギルド長の部屋、会議室

 

 カイ達四人は訓練場へと移動する。


 訓練場ではすでに何人もの屈強な男達が、それぞれ訓練を行っていた。筋力トレーニングをする者、模擬戦闘を行う者、人形を相手に練習をしている者、カイはそんな様子を物珍しそうに眺める。


(へぇー。白銀しろがねの館に、こんな場所があったんだ……。知らなかったな。今度、修行するときに使おうかな……)


 周囲を見渡しながらカイが考え込んでいるとアルベインが確認をする。


「では、カイ君。さっそく始めるかね? それとも、少し身体を動かしてからにするかい?」

「あ、はい。少し素振りをさせてもらってもいいですか?」

「あぁ、構わない。私も少し身体を動かしてくるよ。……おっと、一つ言い忘れていた。ここでの素振りは模擬剣でね? 本物は危険なので基本的には使用禁止なんだ」

「あ、そうなんですか? 教えてくれてありがとうございます。……でも、基本的にということは使ってもいいってことなんですか?」


 カイの疑問にアルベインが少し笑いながら答える。


「あぁ、模擬戦をするなかでお互いが同意した場合は構わないそうだ。模擬戦をやる場合なら、周囲に人はいないから他の人が怪我をする心配はないからね。……カイ君が望むなら真剣で戦っても構わないが?」


 冗談めいたアルベインの言葉にカイは驚いたように頭を横に何度も振る。


「いえ。模擬剣でお願いします!」

「わかった。では、またあとで」


 アルベインが去りカイは訓練場に置いてある模擬剣を手に取る。重さや長さを確認すると集中して素振りを行う。素振りを続けるカイにリディアが口を開く。


「カイ。そのままでいい。耳だけ貸せ」

「はい。師匠」


 リディアと言葉を交わしてもカイの剣に乱れはない。その姿にリディアも満足して話を続ける。


「君とあの男では、まともに戦っても君にほとんど勝ち目はない。本来なら何かしらの作戦を考えて戦うべきだ。……だが、今回はまともに戦ってもらう」


 カイは黙々と素振りをしながらもリディアの言葉を真剣に聞く。


「この戦いは実戦ではない。負けたとしても死ぬことはない。戦いでは勝利よりも敗北からの方が学ぶことは多い。君は奴の戦い方を見て学べ。どのような攻撃、防御、動き、全てを戦いの中で学ぶんだ。私との修行では得られないものが、ここで得られるはずだ。……だが、むざむざ負ける必要もない。君の全力をぶつけろ。そして、勝て!」


 言い終わるとリディアは、ただ黙ってカイの素振りを見つめる。



 ――十分後


 素振りを終えたカイがリディアへ決意を口にする。


「師匠。いってきます!」

「いってこい!」


 模擬戦闘場へカイは足を進める。そこには、すでに槍を持ち戦闘準備万端のアルベインが待っていた。アルベインが模擬戦をやるということで、周囲にはアルベインの戦いを見ようとギャラリーができている。だが、カイは周囲の状況に気をとられることなくアルベインに集中していた。


(すごいな。カイ君。集中しているのがよくわかる。……だが、少し固すぎるかな。多少は余裕を持った方がいいと思うが……)


「アルベインさん。よろしくお願いします!」

「あぁ、よろしく。……ところで、勝敗はどう決めようか? 一撃を相手に入れるまでかな? それとも、倒れるまでやるかい?」


 アルベインの言葉にカイは目を閉じ少し考えるがすぐに結論を出す。目を開きアルベインを見据えて告げる。


「倒れるまでお願いします!」


 覚悟を込めたカイの言葉に周囲がざわめく。もはやアルベインの強さはサイラスに轟いている。そのアルベイン相手に「倒れるまで戦う」との言葉に驚いていた。だが、アルベインはカイの返答を予期していたように笑顔で頷く。


「では、そうしよう」


 するとアルベインが槍を構えカイも剣を構える。両者は睨み合いながら徐々に距離を詰める。戦闘場に異様な静けさが生じる……と思った矢先にカイが動く。カイは一直線にアルベインへと向かう。アルベインは動かずにカイの出方を窺っている。カイは速度を緩めずに上段からの剣撃を叩きこもうと剣を振り上げる。カイの攻撃がアルベインを捉えたと思われた次の瞬間、殴られたような衝撃を受けたカイは床に倒れていた。


「……くっ!」


 アルベインは向かいくるカイに槍を鋭く突き出すことで吹き飛ばしていた。一方のカイもアルベインが槍を突いてくることは予想していたが……。予想よりもはるかに早いアルベインの槍に反応することができずまともに攻撃を受けてしまった。倒れているカイへアルベインが告げる。


「本来なら、君は今の一撃で死んだ――とは言いきれないが。まぁ、怪我を負ったはずだ。……さて、まだやれるかな?」


 余裕をみせるアルベインの言葉に対して、カイはすぐに立ち上がり剣を構える。


「はい、お願いします!」


 再びカイはアルベインと向かい合う。次はアルベインが徐々に間合いを詰め始める。カイは基本である中段の構えでアルベインの動きを注視する。アルベインが少し笑みを浮かべた次の瞬間、アルベインは床を蹴りカイへ槍を突く。その動きはカイの予想通りだが、予想よりも突きが早い。だが、なんとか槍を剣で払いアルベインへ横なぎの一閃を加えようとする。しかし、攻撃がアルベインへと届く前に頭部へ衝撃を受けたカイは床に倒れてしまう。


 カイが横なぎをするよりも早くアルベインは攻撃をカイの頭部へと入れていた。アルベインは、槍の刃の方ではなく持ち手の部分を回転させカイの頭部に叩きつけたのだ。頭部に攻撃を受けたカイの額から一筋の血が流れる。だが、カイは気にも止めずに立ち上がり即座に剣を構える。アルベインは全く気持ちの折れないカイの姿を見て嬉しそうに槍を構える。


 もう何度目になるか――カイが攻撃をすればアルベインは反撃してカイを倒す。アルベインが攻撃をすればカイは対応しきれず倒れる。結果のみえた攻防が延々と繰り返されていた。周囲のギャラリーも「いつまでやってるんだ」と呆れ顔となっている。だが、カイは倒されながらアルベインの戦闘方法を学ぶ。対するアルベインもカイの諦めず立ち向かう姿に感心する。


(……すごい。アルベインさんが強いのは、なんとなくわかっていたけど。ここまで歯が立たないなんて……。戦い方も師匠とは全然違う。それに武器の使い方も勉強になる。刃がついている部分以外でも攻撃できるんだ……。あんな使い方があるんだなぁ……)


(すごいな、カイ君……。ここまで倒されれば普通は戦意を失ってもおかしくないのに……。彼は全く戦意を失っていない。いや、むしろ戦意が上がっているようにも見える。……本当に素晴らしい青年だ。是非とも部下に欲しいくらいだな……。だが、そろそろ限界だろう? どうするのかな?)

 

 為す術もなく倒される中で、カイは一つの結論を出していた。


 「アルベインには勝てない」と。


 だが、勝利することは不可能でもただ負ける気もないカイは最後の勝負に出ようとする。


 カイの纏っている空気が変わったことをアルベインも察知する。恐らく最後の一撃だろうと理解して警戒を強める。


 両者が静かに構え睨み合う。


 静寂を打ち破るが如くカイは真正面からアルベインへ突撃する。突進してくるカイを見たアルベインは瞬時に理解した。防御を捨てた「全力の一撃がくる」と。


 カイが剣を振り上げるのを確認したアルベインは、剣が振り下ろされる前に突きを入れる――いや、突きを入れたはずだった。しかし、アルベインの槍はカイには当たらず下を向き、カイの剣はアルベインの胴体に当たっている。これまでの攻防の中で一番弱い一撃かもしれないが、カイはアルベインへ一撃を入れることに成功する。カイは少し微笑んだ後、力尽きて倒れる。


 カイが倒れて動かなくなったのを確認したリディアとルーアがカイの元へと駆け寄る。


「おーい! 大丈夫か? カイ。しっかりしろよ」

「騒ぐな! 問題ない。だが、少々打たれすぎたな……」


 カイの傷を確認したリディアは回復魔法をかける。


治癒魔法キュア


 治癒魔法キュア:怪我などを治す回復魔法。


 リディアの魔法でカイの傷はみるみる癒えていく。するとカイの意識も戻り目を覚ます。


「……師匠? あ……、すみません。負けちゃいました……」


 目覚めたカイはリディアに敗北したことを伝えるが表情は晴れ晴れとしている。満足そうなカイにリディアは微笑む。


「あぁ、見ていた。素晴らしい戦いだった。君がこの戦いで得たことは、今後の君にとって良い経験になるだろう」

「全く。ハラハラさせんなよ。でも、最後はうまいこと一撃を入れたじゃねぇーかよ!」


 ルーアの言葉を補足するように、いつの間にか近づいていたアルベインが腹部を押さえながら賛美を送る。


「あぁ、全く見事だったよ。……狙っていたのかな? カイ君」

「はい……。なんとか上手くいきました」

 

 カイが行ったことは単純なことだ。全力を込めた上段からの一撃をアルベイン本人にではなく、アルベインの持つ槍に叩きつけたのだ。そのためアルベインは一瞬だが意表をつかれる。しかし、すぐにカイの狙いを理解したアルベインは次の一撃が来る前に槍を構え直して攻撃するつもりだった。だが、アルベインの行動よりもカイが放った攻撃の方が早かった。その理由は、カイは叩きつけた剣を戻すのではなく剣を中段まで上げた瞬間にアルベインへ突いたからだ。これまでの攻防でアルベインは、カイが剣を斬りつける、薙ぎ払う以外の攻撃を見ていなかったこともあり、突きを予想できずまともに受けてしまった。


「いや、見事だよ。だが、最初から狙っていてわざと突きを温存していたのかな?」

「いいえ。アルベインさんの戦い方を見て、突きという方法もあると思いついて試させてもらいました」

「そうか、ぶっつけ本番というやつか……」


(どうりで最後の突きは軽いと思った。……とはいえ、本物の刃ならそれなりの傷を受けただろうな。全く大したものだ)


 疲労と攻撃を受けた影響があるカイは、ふらつきながら立ち上がる。リディアの魔法で怪我の方は完治していたが、体力や疲労を完全には回復していないからだ。しかし、カイは傷ついた身体に鞭をつくように立つとアルベインへ向き直り丁寧に頭を下げて感謝を伝える。


「アルベインさん。ありがとうございました。おかげでいろいろと勉強になりました」

「そうか。それなら良かった。それに私も得るものはあった。お互い様だよ」


 戦いを終えるとカイ、リディア、ルーアは訓練場から去ろうとする。しかし、去ろうとする三人へ向けてアルベインが「待った」をかける。


「待って欲しい! 次は私に勉強をさせて欲しいのだが……? リディア殿。お相手をお願いしたい」


 気合の入ったアルベインの言葉を聞いたカイとルーアが驚く。しかし、リディアはいつも通りの口調で答える。


「断る」

「どうしてもかな?」

「あぁ、私は人にものを教えるのは苦手なのでな」

「ただ、普通に戦ってくれればいいのだが?」


 アルベインがリディアへ戦いを願うがリディアは頑として断る。そこへルーアが口を挟む。


「なんだよー。やれよ! カイの仇を討てよー!」

「先程の戦いはカイの成長に必要な戦いだ。それに対して恨みなどない」

「いいじゃんかよー。……だったら、恩返しってことでやれよ!」

「……人にものを教えるのは苦手だ。それに手加減も苦手だ……」


 融通が利かないリディアの態度にルーアは頭を捻る。


(全く。こいつはカイ以上に頭の固いやつだなぁ……。……うん? 待てよ……。これだ!)


 あることを思いついたルーアは邪悪な笑みを浮かべてリディアへ近づく。


「おいおい。リディア。ちょっと耳を貸せよ」

「しつこいぞ」

「いいから。いいから」


 手招きしたルーアはリディアへ耳打ちしてあることを吹き込む。ルーアの話を聞き終えたリディアは腕を組み少し考えるとアルベインへ身体を向ける。


「いいだろう。相手をしてやる」

「そうか! ありがたい!」


 唐突に勝負を承諾したリディアの言葉にカイは驚く。訝しげな表情でカイは妙な笑いをしているルーアを捕まえて問いた出す。


「おい! ルーア。師匠に何を言ったんだよ?」

「あぁ? あいつが、あんまりにも頭が固いから言ってやったんだよ。カイのためだぞーって!」

「はっ? 俺のため?」

「そうだよ。カイが強いってことを俺様はわかってる。リディアも満足してる。……でも、周りで見ていた奴らはカイのことを『アルベインに手も足も出ない弱い奴』と思ってるぞってな。だから、アルベインの奴と戦って師匠としての強さを見せればカイの株は上がるぞってな」

「……お前は適当なことを……」

「まぁ、いいじゃんかよ。それにアルベインの奴もリディアと戦いたがってたんだし」

「……そうだけど」


(大丈夫かなぁ……。アルベインさんが強いのはわかってるけど、師匠の強さはアルベインさんが想像している遥か上だと思うんだけど……)


 心配するカイを余所にリディアとアルベインは戦いの準備を進める。そのとき、リディアがアルベインへあることを問いかける。


「お前に聞きたい」

「うん? 何をですか? リディア殿」

「なぜ槍を使う? お前が普段使用している武器は斧槍ハルバードだろう?」


 リディアの問いにアルベインは苦笑する。


「そうなんだが……、ここの模擬武器に斧槍ハルバードはなくてね。それに斧槍ハルバードを使う前は槍を使っていたから特に使いづらいということはない。気にしないでくれて結構だ」

「いや、斧槍ハルバードを使え」


 リディアの要求にアルベインだけでなく周囲も驚く。


「……リディア殿。それは本物の斧槍ハルバードを使えという意味なのか?」

「そうだ。それ以外に何かあるのか?」


 あまりの発言にアルベインは驚きを通り越して不快気にリディアを睨みつける。


「……では、あなたも真剣で戦うということかな?」

「いいや。私は模擬剣で戦う」


 流石に周囲がざわめき立つ中にはリディアに対しての失笑、軽蔑、侮辱などの声が聞こえ始める。だが、それ以上にアルベインの心中は穏やかでない。


(本気で言っているのか? 模擬剣で本物の斧槍ハルバードと戦う? いや、それ以前に先程の戦いを見ていたはずなのに……。自信過剰? ……いや、それでも相手にならないと思われているのか……。屈辱だな……。カイ君に剣を教えているほどだ。そして、纏っている空気からも強者であることはわかる。……だが、模擬剣で本気の俺と戦えると思われるとは……)


「……リディア殿。では、私は……いや、俺は斧槍ハルバードを使うが……。いいんだな? 加減できずに怪我ではすまんかもしれんぞ?」

「問題ない。お前の腕では私に怪我をさせることはできない」


 当然のようなリディアの言葉にアルベインは最後の情を捨てた。アルベインは自身の斧槍ハルバードを手に取ると殺すつもりでリディアと戦うことを決心する。


 斧槍ハルバードを手に取ったアルベインは、その場で斧槍ハルバードを一振りする。その素振りを見た周囲は驚嘆の声を漏らし、カイもアルベインの力を感じとる。しかし、当のリディアは本気のアルベイン前にしても涼しい顔でいる。


「……では、いいか……」

「あぁ、いつでも構わない」


 アルベインは斧槍ハルバードを構えるが、リディアは模擬剣を右手に持っているだけで構えをとらない。その姿にアルベインの我慢は限界を超える。感情を昂らせたアルベインは全力でリディアの眼前へ駆け抜け斧槍ハルバードの突きを叩きこむ。しかし、その一撃はリディアの身体にかすりもせずに空を突く。肝心のリディアはアルベインの視界から消失してしまいアルベインはリディアを完全に見失う。


「なっ!? ど、どこに……?」

「後ろだ」


 後方からかけられたリディアの声に反応してアルベインはすぐさま身体の向きをかえる。後ろを振り向くと先程までアルベインが立っていた位置に何事もなかったかのようにリディアが立っている。アルベインは目を見開き信じられない表情でいる。避けられることは予想していたが、まさか視界から見失うとは夢にも思っていなかったからだ。せいぜいが後ろに飛び退くか、横に避ける程度だと考えていたが感知することもできない事態に困惑する。


(……まさか、これほどか? これほどの差があるのか……? だが、なぜだ? 後ろに移動したあと、俺に一撃を加えることなど造作もなかったはずだ。なのに、なぜ? 何もしなった?)


 困惑するアルベインにリディアが声をかける。


「なぜ。攻撃しなかったのかと考えているのか?」

「……あぁ、今のは致命的だったはずだ」

「今? いいや。致命的なのは最初からだ」


 リディアの発言を聞いてもアルベインは何を言われているのか理解できない。訝しげなアルベインの心中を察したかのようにリディアは補足する。


「理由は知らんが、お前は感情が昂り過ぎて周りが見えていない。カイと戦っていた時の冷静さが微塵もなかった。そんな状態では私に攻撃を当てることなど不可能だ」


 核心をつくリディアの言葉にアルベインは息を呑む。すると険しかった表情を緩め苦笑いをする。


(確かに……。頭に血が上り冷静さを欠いていたが……。ふふふ、その理由はあなたのせいなのだが……? どうやら俺を舐めていたわけではないな。……いや、舐めていたのは俺の方だな……)


「……失礼をした。リディア殿。俺とした……いや、私としたことが頭に血が上り冷静さを欠いていた。では、もう一度だけ相手をしてもらえますか?」

「いいだろう。お前が見たことのない方法でお前を倒してやる」

「うん? 見たことのない方法?」


(……そう言われても、模擬剣で本物の斧槍ハルバードと戦っている。この状態が、すでに初めて見る光景なんだがな……)


「あぁ、模擬剣でお前の斧槍ハルバードを受け流してやろう」

「――ッ!」


 アルベインだけでなく周囲にいた全ての者が混乱する。リディアの実力が本物だということは、すでに誰も疑ってはいない。それでも模擬剣で斧槍ハルバードを受け流すということは、もはや理解ができなかった。しかも、相手はアルベインだということも周囲をさらに困惑させる。だが、そんな混乱と困惑の中でもカイとアルベインは確信する。方法まではわからないが、リディアは模擬剣で斧槍ハルバードを受け流すと。


(……ふ、ふふふ。いいじゃないか……。上には上がいる。そう思って今日まで俺は修行してきた。その恐らく頂点にいるのではないかと思われる人物が、俺の目の前にいるんだ! 見せてもらえばいい! 勉強させてもらえばいい! 俺は手を抜かんがリディア殿は恐らくそれを軽くいなす。それを見せてもらえばいいんだ!)


 覚悟を決めたアルベインは防御を捨て攻撃のみに集中する。アルベインが冷静さを取り戻したことを理解してリディアは剣を構える。しばしの間、二人は睨み合う。するとアルベインが雄叫びを上げるように飛び上がる。狙いは飛び上がりからの振り下ろし、避けるのは容易いだが受け流すのは至難の業だ。上空からの全力の振り下ろしをリディアは見事に受け流す。アルベインが持つ斧槍ハルバードは床にめり込み、リディアが持つ模擬剣はアルベインの首筋に軽く当たっている。


 勝負の結果はリディアの勝利。


 リディアは模擬剣で本気のアルベインをくだしたのだ。


「……参った。……まさか、ここまでとは。俺も修行が足りないな……」

「あぁ、修行はするべきだ。しかし、今の一撃は見事だったぞ?」


 リディアからの称賛にアルベインが不思議そうな顔をする。攻撃は完璧に受けながされたはずだからだ。


「よく見るんだな模擬剣が少し欠けた。本来なら欠けることなく受け流すはずだったが、予想よりもお前の攻撃による力と速さが私の技術に勝った結果だ」


 確かによく見ると模擬剣の一部――といって言いのかわからないが刃の部分にわずかなへこみができている。しかし、それが「アルベインの攻撃で作られた」と言われても、アルベイン自身にすらわからないほどの小さなへこみだ。だが、アルベインは自嘲する様に笑い納得する。


(……いや、リディア殿が言うのなら。恐らくあのへこみは俺がつけたのだろう。……ふっ、一矢報いたというところか?)


「師匠。お疲れさまでした!」

「やったじゃねーか!」

「あぁ」

「ところで師匠。一つ確認をしたいんですけど?」

「何だ? カイ」

「さっき、アルベインさんの攻撃を一瞬ですが受け止めたように見えたんですけど、何で模擬剣が折れてないんですか?」

「簡単だ。力を逃がしたからだ」


 理解できずカイが頭を捻るのでリディアは補足する。


「正確に言えば、私は斧槍ハルバードをまともに受け止めていない。斧槍ハルバードが模擬剣へ当たる瞬間に模擬剣を引き、身体と腕も引き、全身を使って力を模擬剣ではなく別の方向へと逃がした。腕を引くときに柄の部分で斧槍ハルバードの横に一撃を加えてな」


 リディアは一瞬の間にそれだけ多くの作業していた。一つ失敗すれば命を失うほどの作業だが、リディアにとっては当たり前のことだった。


「……話を聞いているだけで頭が痛くなりそうです。でも……、やっぱり師匠はすごいですね! それだけのことを、あの一瞬で……」

「いや、いずれ君もできるようになる。いや、できるようにしてみせる! 師匠の私を信じてくれ」

「はい! 信じてますよ。師匠!」


 カイからの真っ直ぐな言葉にリディアは笑顔をみせる。


 ◇


 こうして、カイ、リディア、ルーアの三人は白銀しろがねの館を後にする。別れ際にアルベインから「弟子にして欲しい」と嘆願されるがリディアは即座に断った。アルベインもそれ以上は言わなかったが「機会があれば次も胸を貸して欲しい」と要望する。それに関してリディアは「時間があるときなら構わん」と了承した。だが、そのときルーアが「こいつには貸すほど胸はないぞ」と余計なひと言を言ってリディアに殴り飛ばされる。


 三人が宿へと帰ると夕刻近くになっていたがリディアはカイに告げる。


「カイ。荷物をまとめて宿屋の入り口に集合だ」

「えっ? 師匠。宿を変えるんですか?」

「違う。宿を出るだけだ」


 疑問を持ったカイだが素直にリディアの指示に従う。指示通りに宿屋を出ると「ついてこい」と言ったリディアの後へ追従するように歩く。


(どこに行くんだろう? まさか、サイラスから他の街へ行くのか? ……だとしたら、みんなにお別れも言ってないから困るなぁ……。それに、もう日が暮れるこの時間に街を出るのかなぁ……。師匠ならありえるなぁ……)


 いろいろとカイが考えている間にもリディアは黙々と歩き続ける。サイラスの中心街から外れ少し寂れた場所へと入っていく。そこに目的の場所があった。街の中心から外れているためか周囲には家屋などもほとんどなく。小さな川が流れて廃屋のような建物が並んでいる。廃屋から少し離れたところにレンガ造りの立派な建物があった。その家を正面にしてリディアは足を止める。


「着いたぞ」


 説明がないため、カイは当然の疑問を口にする。


「あの……、師匠。ここは誰の家なんですか?」

「私達の家だ」

「……えっ!? 師匠? 今、なんて言いました?」

「私達の家だと言ったんだが?」


 突然の告白にカイは家とリディアを何度も見返す。ルーアはカイよりも早く状況を理解したのか興奮したように家の周りを飛び回る。


「えっ? い、いつ、……家なんか買ったんですか?」

「君に修行をつけていたときから探していた。君を一人前の戦士にするためには時間がかかる。それならいつまでも宿屋に居を構えるより、家を買った方が早いとな。だが、私は家など買ったことがないから選ぶのに時間がかかってしまった」

「いや、……師匠。すごく嬉しいんですけど。俺なんかのためにこんな……」

「いいんだ。私は君を一人前の戦士にすると決めたんだ。これは私が初めて自分からしたいと思ったことなんだ。……だから、いいんだ」


 カイはリディアの言葉を聞いて感謝しかなかった。だが、リディアもカイに対して感謝をしていた。二人に言葉はないが、二人にはわかっていた。そこへルーアが余計な茶々を入れる。


「やるじゃねーかよ! ペチャパイ! 大したもん――」


 当たり前のようにリディアはルーアを殴る。殴られたルーアは家の壁に盛大にぶつかる。いつも通りの光景を見たカイは「さっそく家が壊れた」と両手で顔を覆う。しかし、カイが目を開けると家の壁には傷一つなく、ただルーアがそこで潰れている。


「えっ!? なんで? 今までは壁なんかすぐに壊れるか、ひびが入ったのに?」

「そこは問題ない! ドランに依頼をして、この家は特殊な金属のコーティングを施した。多少の衝撃では傷をつけることはできん!」


 胸を張るリディアを見てカイはあることを思い出す。ドランがコーティングについてリディアに話していたことを……。だが、同時に呆れてしまう。


(……まさか。ルーアを殴っても家が壊れないようにするために、わざわざドランさんに頼んだの? ……いや、喧嘩をしないという選択肢は師匠の中になかったのか?)


 カイは思ったことを話そうかと思ったが、リディアの表情を見て話すのを止める。リディアの顔には「完璧」と書いてあるかのような満足そうな表情をしているからだ。


「じゃ、……じゃあ、師匠。入りましょうか?」

「うん? ……あぁ」

「あれ? 何かありましたか?」

「いや、私は今まで家などなかったから、どうやって入るか考えていただけだ」


 突然の発言にカイは目を見開いて驚愕する。


「えっ? 師匠は今まで家で暮らしていなかったんですか?」

「あぁ、私は孤児だったから両親の顔も知らない。自分の家などなかった。孤児院を出てからはずっと旅をしてきたが、ほとんど野宿と宿の暮らしだったからな……」


 カイは初めてリディアの生い立ちを聞いた。長く一緒にいると思っていたが、リディアに関してまだまだ何も知らないと感じる。その時、カイはあることを思いつく。


「師匠! 俺を先に家の中へと入らせてもらえませんか?」

「うん? 別に構わないぞ?」


 リディアは家の鍵をカイに渡す。するとカイは倒れているルーアを起こして小さな声で説明する。説明を聞いたルーアは「めんどくせー」と文句を言うが、カイが無理矢理に手伝わせる。


「じゃあ、師匠! 俺達が入って……うーん。十秒ぐらいしたら入って来て下さい!」

「構わないが、なぜだ?」

「なんでもです!」


 有無を言わさずにカイは行動に移すとルーアを連れて家の中に入る。理解できなかったリディアだが、素直にカイ達が入って十秒経過してから家に入る。


 扉を開けた瞬間にカイとルーアがリディアを出迎える。


「お帰りなさい! 師匠!」

「はいはい。お帰りなさい」


 意味がわからず立ち尽くすリディアへカイが笑顔で説明する。


「師匠。帰ってきたんだから言って下さい。ただいまって!」

「……帰ってきた?」

「はい! ここは、もう師匠の家なんです! 師匠と俺達の家なんですから帰ってきたらただいまですよ!」

「そうだぞ、早く言えよ。俺様は腹減ってきたー」


 リディアにはカイとルーアの言葉を聞いても意味がよく理解できなかった。けれど、胸の奥がなぜか熱くなる。リディアは自分の胸に手を当てるようにしながら声に出す。


「……ただいま!」

「お帰りなさい! 師匠!」


 こうして、カイ、リディア、ルーアの三人は宿屋から引っ越しをした。


 新しい自分達の家へ。

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