第二章 日常 〜家族と友人〜
第10話 挨拶
カイとリディアに新しい仲間である
真剣な表情のカイはベッドで横になり欠伸をしているルーアにある注意をする。
「ルーア。お前に言っておくことがある」
「何だよ。改まって?」
「これから俺達の知り合いにお前のことを紹介しに行くけど……。頼むから変なことを言わないでくれ!」
勢いよくカイは頭を下げてルーアへ懇願する。指摘された内容に困惑している様子のルーアは怪訝な表情を浮かべる。
「おいおい。俺様がいつ変なことなんか言ったよ?」
「いや、お前は口が悪すぎる……。未だに師匠へ、あの暴言を……」
「暴言? ペチャパ――」
何も考えていないルーアが全てを言い終わる前にカイが即座に口を塞ぐ。周囲に視線を走らせ安全の確認がとれるとカイは口を開く。
「それを言うな……。本当に命がいくつあっても足りないぞ……」
親切心で忠告するカイだが、対するルーアは気に入らないのか身体を強引に動かして拘束から逃れるとすぐに空中を泳ぐように移動する。怒ったような表情のルーアは文句を喚き始める。
「けっ! 知ったことか! あいつがペチャパイなのが悪いだけだろうが! 俺様のせいじゃ――」
興奮したルーアの言葉が言い終わる前に、突如として部屋の扉が破壊され部屋に何者かが入ってくる。勢いよく突入してきたのはリディアだ。扉を破壊したことを謝罪することなくリディアは即座に距離を縮めるとルーアを拳で殴り飛ばす。殴られたルーアは部屋の窓を突き破り空の彼方へ飛んでいく。その光景を見ていたカイは頭を抱えて嘆く。
「……またか。……また、宿の人に怒られる……」
ルーアが仲間になってから、ほぼ毎日のように繰り返されるリディアとルーアの喧嘩にカイは頭を悩ませていた。
◇
カイ、リディア、ルーアの三人は
『……わかりました。あなたに免じて許します。――でも、これだけは言っておきます! 次はないですからね! 次こそは絶対に出て行ってもらいますから!』
(はぁ、どうしよう……。この二人の相性が悪いのは最初からわかっていたけど……。このままだと、宿屋を追い出されちゃうよ。……でも、仕方ないよなぁ。いくら壊れた修繕費を出しているとはいっても、こう毎日喧嘩で部屋を壊してればなぁ……)
悩んでいるカイに気がついたリディアが心配そうに声をかける。
「カイ。どうした? 何か問題があったのか?」
「えっ? い、いや……、問題はあるんですけど、……何て言えばいいか……」
歯切れの悪い返答にリディアは首を傾げる。理解していないリディアを見てカイは思案する。
(……どうしよう? もう、言うしかないよなぁ……。このままいけば明日には路上暮らしか、テント暮らしになるって……)
言うしかないとカイが決心した時、横からルーアが口を挟んでくる。
「オメーが朝っぱらに暴れるからカイの奴が苦労してんだよ! 少しは反省しろ!」
「黙れ! 羽虫! 貴様の意見など聞いていない!」
「なんだと! このペチャパイ!」
「……どうやら本気で死にたいらしいな……」
また、二人の喧嘩が始まったのでカイが全力で制止する。カイが必死に二人をなだめてなんとか喧嘩は治まる。しかし、リディアとルーアは互いにそっぽを向いて険悪な状態で歩き始める。このようにカイが大事なことを伝えようとすると、いつも喧嘩が始まりそうになる。そのため、カイは重要な案件にも関わらず十分に説明できない状況が続いていた。
(はぁ……。悪気はないんだろうけど……。タイミングが合わないなぁ……)
二人の後ろ姿を眺めてカイは大きなため息を漏らす。
◇
「どうも、ルーさん。おはようございます」
「よぉー! エルフの姉ちゃん。久しぶりだな!」
名を呼ばれルーはカイ達に気付いていたが、ルーアの姿に気がつくと驚いた様に瞬きを繰り返す。
「はいー? おはようございます。……あのー、その子は……この前の使い魔じゃないんですか?」
「はい。いろいろとありまして仲間になったんです。……ほら、ルーア。挨拶しろ、挨拶」
挨拶をするようにカイから急かされたルーアは面倒そうな顔をするが、空中に浮かびながら一回転すると不敵な笑みを浮かべる。
「わぁーてるよ。エルフの姉ちゃん! 俺様は大悪魔のルーア様だ! こいつらが弱っちそうで見てられなかったから親分になってやったんだよ! つーことで、よろしくな!」
「ふん。
不機嫌そうな呟きにルーアがリディアを一瞬だけ睨むがあえて無視をする。一方のルーは目を細めるようにルーアを凝視する。
「あのー? もしかして、なんですけど……。使い魔じゃなくて。
「えっ? あ、はい。仲間というか友達というか。まぁ、使い魔ではないです」
質問を肯定するカイの言葉にルーは鳩が豆鉄砲をくらったように目を丸くさせ驚いた表情をしたが、すぐに笑顔へと戻る。
「へー。すごいですね! 私達エルフでは、そのような関係は珍しくないですけど人間の方で他種族……しかも悪魔と友人関係を築いている方は初めて見ました」
「えっ? そうなんですか?」
「はいー。私も人間社会の全てを知っているわけではないですが……。ここの受付をして約二十年間ではカイ君とリディアさんが初めてですよ」
ルーの言葉を聞いたルーアはカイを指差しながら口を開く。
「へん! それはそうだろうよ。こんなバカが! そうなん――」
軽口を叩くルーアの言葉が終わる前に、唐突にリディアが話を終了させる。そう、リディアは話を続けていたルーアの頭部に拳骨を叩きんだのだ。不意打ちにも似たリディアの拳骨により、ルーアは無言で床へ倒れる。突然のことにルーは口元へ手を当てながら驚き、見慣れていたカイは右手で顔を覆い天を仰ぐ。
「感謝しろ。手加減してやった」
倒れて動かないルーアに捨て台詞を残すとリディアは踵を返しカイとルーアから離れて行く。
「あれ? 師匠。どこに行くんですか?」
「私は先に地下へ行く。カイは羽虫を連れて二階に行ってくれ。その方が余計な時間をとられないだろう……」
「あっ……。わ、わかりました! 俺も後で行きます!」
「あぁ」
足早にリディアは一人で地下へと降りて行く。
(師匠……。きっと、ルーアと一緒だと喧嘩して迷惑をかけると思ったんだろうなぁ。……まぁ、実際に喧嘩されるのは迷惑なんだけど……。でも、ちょうどいいかも……。師匠とルーアがずっと一緒にいるよりは少し距離を置くのも大事なことだ。……うん! そうだ! 決して問題を後回しにしているわけじゃないぞ! うん!)
カイが自分に言い訳をしていると、心配そうな表情のルーが声をかけてくる。
「あのー。カイ君?」
「あ、はい。何ですか? ルーさん」
「ルーア君は大丈夫なんですか?」
「えーっと……。も、問題ないです!」
「そうですか? ……ところで、何でリディアさんはルーア君を叩いたんですか?」
当然のようなルーからの質問にカイは頭を悩ませる。
(これは……、何て言おう……? ……多分、師匠がルーアを殴ったのは俺に馬鹿って言ったせいだろうけど……)
正直に事情を説明しようかともカイは考えたが、話が余計に面倒になると感じて誤魔化すことにする。
「ふ、二人はちょっとじゃれあっただけですよ。よく言うじゃないですか、喧嘩するほど仲がいいって!」
「あー。そうなんですね!」
(良かった! 納得してくれた!)
ルーを納得させることができてカイは安堵する。しかし、いつもならすぐに起き上がるはすのルーアが床から起き上がる様子がないことに気がつき首を傾げる。心配したカイは倒れたルーアを持ち上げる。すると、ルーアは目を回して気絶していた。
「あれ? ルーア。気絶してるのか?」
「あらー。そうみたいですね。先程のリディアさんの拳にやられちゃいましたね」
「そうみたいですね。……でも、おかしいな? いつもなら、もっと強く殴られても元気なのに……。まぁ、いいか。じゃあ、ルーさん。俺は、そろそろ二階に行きます」
「はいー」
カイはルーアを抱えて受付を後にする。二人の姿を笑顔で見送ったルーはあることを思いつき手紙を書き始める。
◇
気絶したルーアを抱えながらカイは歩いていたが、一向に目を覚まさないルーアに一抹の不安を感じていた。念のためにとカイは、二階へ行く前に食堂のテーブルにルーアを寝かして声をかける。
「おーい。ルーア。大丈夫かー?」
何度もルーアに呼びかけをしながら軽く頬を叩いていると、ようやくルーアの瞼が少し動き始める。ゆっくりと瞼を上げたルーアは周囲を見渡すと飛び起きるように動き出す。
「はっ! ……こ、ここは?」
「やっと起きたな。ルーア。大丈夫か?」
「……カイ? あっ! そうか、あのぺチャパイに殴られて……」
(また、ペチャパイって言う……。本当に懲りない奴だなぁ)
相変わらずなルーアを見ながらカイはある疑問を口にする。
「でも、お前が気絶するなんて珍しいな。今まではどんなに遠くまで吹っ飛ばされても、すぐに戻ってきたのに……。調子でも悪いのか?」
カイの疑問に対してルーアは苦々しい表情を浮かべて文句を言う。
「違ぇーよ! あの野郎。さっきは拳に魔力を込めていやがったんだ! いつもは力だけのくせに味なことしやがってぇ!」
「えっ? 魔力を込める?」
「あぁ、そうだ! 俺様みたいな悪魔は人間と違って物理的な攻撃はそんなに効果はないけど、魔力での攻撃は普通に
「へぇー。そうだったんだ……。ん? ということは……」
(師匠。今までは何だかんだ言いながらも手加減してくれてたんだ……)
カイはリディアが毎日の喧嘩を本気ではなく手加減していたことに気がつき感激する。一方のルーアは、逆に手加減されていたことが気に入らない様子でしかめっ面をしていた。不機嫌そうなルーアへカイは機嫌を直すように言いながら二階へと移動する。
◇
店の前を見ると、スーとムーの二人が甲斐甲斐しく掃除や呼び込みをしていた。働き者な二人へカイが声をかけようとすると二人もカイの存在に気がつき先に挨拶をする。
「いらっしゃいませ! 妖精の木漏れ日へようこそ! カイさん」
「い、いらっしゃいませー。ほ、本日も何かご入り用ですか?」
スーとムーの丁寧な挨拶に感心しながらカイも挨拶をする。
「こんにちは。スー、ムー。二人はいつも礼儀正しくて偉いね。どっかの誰かさんに見習って欲しいよ……」
「おい! 『どっかの誰か』ってのは俺様のことじゃねぇーだろうなぁ?」
「お前に決まってるだろう……」
「何だと! この野郎!」
目の前で言い争う姿を見ていたスーとムーがルーアを見て驚く。特にムーはルーアを凝視している。
「あの……、カイさん。そちらは……使い魔ですか?」
「うん? あぁ、使い魔とは違うんだ。スー。こいつは……、何ていうか新しい仲間かな?」
「おう! ちびっこども! 俺様は大悪魔のルーア様だ! よろしくな!」
(ちびっこって、お前の方が小さいだろうが……)
心の中でカイがツッコミを入れたあと、ムーの全身が小刻みに震えていることに気がつく。
(……あれ? もしかしてムー。ルーアが大悪魔なんて言うから怖くなっちゃったのかな?)
震えるムーを見て不安になったカイはすかさずフォローをしようとする。
「あの……、ムー。だ、大丈夫だよ? こいつは悪魔だけど人畜無害なや――」
「か、可愛い!」
「……えっ?」
カイが話をしている途中だったがムーは目を輝かせて興奮したように大声を出す。興奮している弟の姿を見たスーは呆れた顔でムーを見ている。しかし、姉からの視線に気がつかないほどムーは興奮しながらルーアへ詰め寄り鼻息を荒くして質問をする。
「き、君! る、ルーアくんっていうの? うわぁー! すごい可愛い!」
「か、可愛いだと! このルーア様に向かって!」
「ルーア。落ち着けよ。えーっと。ムーも少し落ち着こうか? なっ?」
「はぁ、すみません。カイさん、ルーアさん。あ、申し遅れましたが、私はスーと言います。こちら妖精の木漏れ日の従業員しております。……ほら、ムー。落ち着きなさい。お客様に迷惑をかけないの」
「そ、そうだけど。スーお姉ちゃん。見てよ! ルーアくん。すっごい可愛いよ! あっ! ぼくはムーって言います! よろしくね! ルーアくん!」
カイがルーアを落ち着け、スーがムーを落ち着ける奇妙な状態になってしまった。そんな状況だがカイは事情を説明する。
「えーっと。じゃあ、自己紹介も済んだところで……。スー。今日は新しく仲間になったルーアの挨拶に寄らしてもらったんだ。……でも、なんか迷惑をかけたみたいでごめんね」
「そうだったんですね。迷惑だなんてとんでもありません。わざわざ足を運んでもらえただけでも、こちらとしては喜ばしいことです」
「そう言ってもらえると助かるよ。スー」
カイとスーが話をしている近くでムーがルーアに抱きつこうとルーアを追いかけ回している。だが、ルーアはムーに捕まらないように飛んで逃げ続けている。
「だぁー! 何なんだよ! 追っかけてくんなぁー!」
「お、お願い! ルーアくん。一回だけでいいから抱きしめさせてー!」
「俺様は人形じゃねぇー!」
逃げる悪魔と追いかける子供。「普通は逆だろう」と思いながら二人を眺めていたカイはスーに疑問を投げかける。
「スー。聞いてもいい?」
「はい、カイさん。想像はつきますが、どうぞ何でも聞いて下さい」
「ムーって、あんな性格だっけ? もっと大人しい気がしてたんだけど?」
「はい。ムーは基本的に大人しくおどおどしています。……ですが、あの子は可愛いものが大好きで好きなものを前にすると積極的というか……。少し暴走してしまうんです。本当に申し訳ありません。……ここは、私が――」
説明を終えると、スーがどこからともなくハリセンを取り出した。その後に何が起こるかを想像したカイがスーを慌てた様子で止める。スーを制止させたカイは手慣れた手つきでルーアの首根っこを捕まえる。捕まったルーアはすかさず文句を言う。
「何すんだよ! カイ! 俺様を猫みてーに掴んでんじゃねーよ!」
「わかったよ。すぐに離してやる。そのかわり、ムーに抱かせてやれ」
カイの言葉にルーアは顔をひきつらせ、対照的にムーは満面の笑顔となり頬も紅潮させ少し上気する。
「な、何で俺様がそんなことをさせなきゃいけねぇーんだよ!」
「いいじゃんか。別に減るもんじゃないし」
「減るんだよ! 目に見えない何かが!」
「お前……。普段から散々大悪魔だどうの言ってるんだから、少しは度量の広いところを見せたらどうだ?」
「うっ! ……いや。でも、それとこれとは……」
「はぁ。じゃあ、今日の昼はお前の好きな食事にしてやるから。それなら、いいだろう?」
「何!? 本当か! それなら……。いや……、しかし、俺様の――」
魅力的なカイの提案にルーアは百面相のように表情をころころと変えて悩みだす。長考して出したルーアの答えは――カイの提案を受け入れることだった。
「わかったよ。そのかわりに約束は守れよな!」
「はいはい。じゃあ、ムー。こいつ抱いてもいいよ。多少は手荒く扱っても壊れないから気にしないでね」
「俺様を物みたいに言ってんじゃねぇー!」
「あ、ありがとうございます! カイさん。ルーアくん。じゃあ、失礼して……」
こうしてムーは、念願だったルーアをその胸に抱きしめる。ムーはルーアを抱きしめると目を瞑り恍惚の表情を浮かべた。まさに夢心地のような満足感がムーの心を満たしていく。一方のルーアは仏頂面で黙ってムーのなすがままになっていた。ムーはいつまでも抱いていたい気持ちでいたが、ルーアは早く終われと思っている。
「カイさん。ルーアさん。弟の我儘を叶えて頂きありがとうございます」
「いや、気にしないでいいよ」
「いや、気にしろ……。お前ら今度でいいから俺様にメシでも奢れよ……」
「たかるなよ。ルーア。まぁ、とりあえずムーも満足しているようだし。じゃあ、このままアリアさんにも挨拶に行こうか?」
当然の流れの様なカイの言葉にルーアは目を見開き驚愕する。
「……えっ!? お、おい! カイ! このままって……。まさか! こいつに抱かれたままってことか?」
「そうだよ? ムー。もう少しだけ、ルーアのことを任せてもいいかな?」
「はーい。カイさん。お任せ下さーい。えへへー、ルーアくん。一緒に行こうねー」
「では、カイさん。お姉ちゃんが、また馬鹿なことをしないように私もついていきます」
「あ……。それは是非ともよろしくお願いします」
「はい、お任せ下さい!」
話がまとまると全員が歩きだす。しかし、ムーに抱かれたルーアだけは納得せずに一人で文句を喚きだす。だが、その抗議は誰にも聞き届けられることはなく。ルーアの声だけが虚しく響いていた。
店内に入るとカウンターにいたアリアがカイに気づくと満面の笑顔になる。その笑顔を見たカイは少し顔をひきつらせる。一方、スーはハリセンを持っている手に力を込めながらアリアを油断なく睨みつける。
「カイ君だー! 嬉しいー! デートの約束を覚えててくれ――痛!」
歓喜の声を上げながらカイへ抱きつこうとしたアリアにスーがすかさずハリセンを叩きつける。ハリセンをまともに受けたアリアは顔を抑えて悶絶する。スーはカイを庇うように前に出ると宣言する。
「馬鹿姉! それ以上、カイさんに近づかないように……」
「えー!? 何でよ! スー! 横暴よ! 横暴!」
口を尖らせて文句を言うアリアだがスーは全く意に介さない。一連の光景を見ていたカイは表情をひきつらせ苦笑する。
「あ、あの、今日は新しい仲間を連れて来たんです。それで……、その挨拶に……」
「えー。そうなんだー……。お姉さん。ショック……。……でも、カイ君! お姉さんは、いつでも待ってるからね!」
「はははは……。あ、ありがとうございます……」
「でも? 新しいお仲間さんってどこにいるの?」
アリアが周囲に視線を走らせているが見つけられていないと理解したカイがルーアに挨拶するように促す。一方のルーアはムーに抱かれているのが気に入らないため無視していたが観念したように挨拶をする。
「チッ! こっちだよ。俺様は大悪魔のルーア様だ。よろしくな。乳デカ姉ちゃん」
(こ、こいつ! また、そういう変な言い方で初対面の人を呼びやがって。……アリアさん。怒ってないかな?)
カイの心配を余所にアリアはルーアの呼び方を気にした様子はない。それよりもムーに抱かれているルーアを興味深く観察している。
「この子……、ムーの人形じゃないんだ? へぇー、可愛いじゃない! あ、私はアリアよ。このお店――妖精の木漏れ日の店長をやっているわ。えーっと。ルーア君は悪魔なの?」
「そうだよ……」
「あはははは。面白い! カイ君の新しいお仲間がこんなに可愛い悪魔君なんてね。……でも、何でムーが抱いてるの?」
「けっ! このちびっこが、どうしてもこうしたいんだとよ!」
不満気なルーアの言動と満足そうな表情のムーを見てアリアは状況をなんとなくだが理解する。
「あー、なるほどね。そうよね。ルーア君、可愛いもんね。良かったね。ムー。ちゃんとお礼は言った?」
「うん! アリアお姉ちゃん。ちゃんとカイさんにも、もちろんルーア君にもお礼は言ったよ!」
アリアへ返答しながらムーは、無意識にルーアを抱きしめる力を一段と上げる。嬉しそうなムーをアリアは笑顔で眺める。
「あはははは。もう、すっかり仲良しさんだね!」
「うん!」
「誰が仲良しだ!」
ルーアが悪魔ということで恐れや変な目で見られたりしないかをカイは心配していたが、みんなに受け入れられている姿を見て安堵する。「この様子なら大丈夫だろう」とカイが思っていたとき、スーが少し声のトーンを下げて話しかけてくる。
「あの……、カイさん。少しだけよろしいでしょうか?」
「うん? 何?」
スーは少し言いづらそうにしながらも、カイの顔を真っすぐに見て話し始める。
「ルーアさんのことですが……。このままですと少々問題があると思います」
「えっ?」
スーの言葉にカイは動揺する。
(……何でだろう? ルーアの奴……、スーを不機嫌にさせるようなことを言ったのか?)
カイが疑問を感じていたが、スーは話を続ける。
「カイさんがルーアさんのことを信頼していることは、この短い時間でも十分に伝わりました。……ですが、ルーアさんは悪魔。つまり魔物ですよね? 魔物が使い魔の契約をせずに街中を自由に動いているのは、恐らく厄介なことになります」
「えっ? 何で? 確かにあいつは
「はい。それはわかります。……ですが、それはカイさんだから言えることなんです。偉そうなことを言って申し訳ありませんが、人によっては魔物に大切な人を殺された人、傷つけられた人、恐怖を与えられた人が多くいます。そういった人にとってルーアさんは、同じ魔物なんです……」
スーの話を聞いたカイはその通りだと納得する。カイ自身も
「そうだよね……。でも、どうすれば……」
心配そうな瞳でルーアを見ながらカイは考える。どうすればルーアと一緒にいられるかを……。悩んでいるカイへスーが助言をする。
「……一番簡単な方法は、カイさんかリディアさんがルーアさんと使い魔の契約を結ぶことだと思います。さすがに使い魔として成立している魔物なら全ての人とは言いませんが、多くの人は受け入れると思います」
スーの提案を聞いたカイは軽く頷き理解を示すがすぐに頭を横に振る。
「それはそうだと思う。……でも、スー。ごめん。それはできない。俺はあいつと友達なんだ。だから、使い魔の契約をするわけにはいかない」
一番簡単な方法は、使い魔の契約だとカイも理解している。しかし、それはどうしてもする気にはなれなかった。ルーアが使い魔になった経緯を知っているからこそ、使い魔の契約をルーアに提案することはできないと考えている。
「……そうですか。カイさん。差し出がましいことを言ってしまいました。申し訳ありません」
「そんなことないよ。スー。むしろ俺達のことを心配してくれたんだろう? ありがとう。スーは優しいんだな」
「そ、そんなことはありません。……もう、からかわないで下さい」
「ははははは」
スーがカイの言葉に照れて頬を紅潮させる。傍から見ると微笑ましい光景にしか見えないはずだったが、そんな微笑ましい姿を見て許せない人物が一人いた。その人物がカイとスーを見て大声をあげる。
「あーーーー! ずるい! スー! 私からカイ君を遠ざけておいて! 自分だけカイ君とイチャイチャするなんて! 私も混ぜろー!」
自分勝手なことを口にするとアリアはスーを押しのけてカイに抱きついてくる。突然のことにカイとスーはすぐに反応できなかった。だが、アリアがカイを執拗に抱きしめるため、離れるようにカイは説得を試みる。
「あ、アリアさん。ちょ、ちょっと、落ち着いて下さい……」
「いーやー! 私もカイ君とイチャイチャするのー!」
聞く耳を持たないアリアの行動でスーの堪忍袋は一瞬で切れる。ハリセンを両手に構え直すと大きく息を吐き出すスーの全身から赤黒いオーラのようなものが荒れ狂うように吹き出す。
「この! 馬鹿姉がーーーー!」
愚かな行為の代償として、アリアはスーに何度も何度もハリセンを叩きつけられることになる。
怒りに燃えたスーからの制裁により、アリアは頭から煙を出して床に倒れ気絶する。倒れている姉には目もくれずにスーはアリアのしたことをカイへ平謝りする。ムーはルーアと離れることを心底残念がり、名残惜しそうな瞳で指を咥えながらルーアとの別れを惜しむ。こうして、カイとルーアは妖精の木漏れ日を後にする。
カイとルーアは
(そうだよな……。人によっては魔物を……。いや、ルーアを恐れたり、恨んだりする人もいるかもしれない。何か方法を考えなきゃいけないけど。全然いい方法が思い浮かばない。……師匠に相談してみるか……)
◇
カイとルーアが
「師匠。お待たせしました」
「おい! さっきはよくも殴ってくれたな!」
文句を言うルーアを無視してリディアはカイへ視線を送る。ドランはカイを見た後にルーアを見て少し驚いたように眉を上げる。
「いや、特に待っていない。それよりも、カイ。君の方こそ大丈夫だったか? そこの羽虫が邪魔をしなかったか? 迷惑をかけなかったか? 必要ならいつでも滅ぼしてやるから遠慮せずに言うんだぞ?」
「……いえ。大丈夫ですよ」
「誰が羽虫だ! このペチャパイ!」
ルーアの暴言にリディアはルーアを睨むが攻撃はせずに話を進める。
「それならいい。こっちは頼んでいた物が完成したようだ」
「えっ? それって――」
「おうよ! 兄ちゃん。待たせて悪かったな。だけど、ついに完成したぜ! 今、俺が作ることのできる最高の
自身に満ちた表情と声でドランがカイに
「すごい! 早かったですね。ありがとうございます!」
「そんなことねぇよ。本当だったら、お前らが依頼を終えて帰ってくる頃には完成させるつもりだったんだ。……けど、材料の取り寄せに時間がかかっちまったからな。全くよー!」
「うん? これ……。かなり魔力が込められてねぇか?」
「ほぅ、よく分かったな。ちっこいの。こいつはオリハルコンに
「……へぇー……」
(正直、何を言ってるんだか全然わからない……。でも、ルーアの反応やドランさんの口ぶりから、すごいことなんだろうなぁ。……まぁ、金貨五百枚だもんなぁ……)
ドラン作の
「見事だ。感謝する」
「やめてくれ! 俺はお前らが気に入ったから作ったんだ。だから感謝なんてしなくていい。……そのかわり、死ぬんじゃねぇぞ!」
ドランの言葉に応えるようにカイは決意を込めて大きく頷く。
「はい! ありがとうございます!」
「よし! まぁ、俺の
「安心しろよ。ドワーフのおっちゃん。俺様がこいつらの面倒はみてやるからよ!」
偉そうに答えるルーアの言葉に反応してドランが疑問を口にする。
「そういえば、さっきからいる。このちっこいのはなんだ? 小人か? 精霊か?」
「いえ、こいつは新しい仲間の――」
「それは、ただの羽虫だ。気にする必要はない」
(……師匠。喧嘩腰にならないで下さい……)
「誰が羽虫だ! 俺様は大悪魔のルーア様だ! こいつらの面倒をみてやってるんだよ!」
「ふん。
「まぁまぁ、師匠。落ち着いて下さい」
話を聞いていたドランが興味深げにルーアを見る。
「
「あ、はい。ルーアとは友達なんで契約はしてないんです」
「ほぉー。人間と友達か珍しいなぁ」
(あ、やっぱり、珍しいんだな……)
「おっと、自己紹介が遅れた。俺はこの店のオーナーのドランだ。よろしくな、ちっこいの」
ドランの自己紹介が終わると店の奥から走っている足音が近づいてくる。すると、二人の青年が店の奥から出てきた。
「お、親方ー。まだですか?」
「もう、こっちは準備完了っすよ?」
「ん? おう。忘れてたぜ。じゃあ、俺はそろそろ行くぞ?」
「はい、
カイは奥から出てきた赤髪の青年と
(赤髪の人は前に一度見たことあったな……)
「あん? こいつらか? 俺の弟子だよ。そうだな……、お前ら! ちゃんと挨拶しろ!」
ドランに言われると、二人の青年は姿勢を正して順番に挨拶をする。
「どうもです。俺の名前はテツって言います。親方の下で鍛冶の修行中です」
「うっす。俺っちはレツって言うっす。同じく親方の下で修行中っす」
テツ:ドランのもとで鍛冶の修行している。赤髪の青年。真面目で礼儀正しい。
レツ:同じくドランのもとで鍛冶の修行をしている。橙髪の青年。根は真面目だが少しくだけた感じ。猫背気味。
「どうも、俺はカイっていいます」
「私はリディアだ」
「俺様は大悪魔のルーア様だ!」
お互いの挨拶を済んだと判断したドランがテツとレツへ向けて大声を出す。
「よし! 挨拶は終わったな。テツ! レツ! お前らはとっとと鍛冶場に戻って準備をしとけ!」
「は、はい! 親方!」
「うーっす!」
テツとレツはドランの指示に従い全速力で鍛冶場へ戻って行く。
「じゃあ、そういうことだ。俺もやることがあるんでな、また今度だ」
「あ、はい」
「じゃあな、おっちゃん」
「では、失礼する」
カイ、リディア、ルーアが
「おーい! 姉ちゃん! さっきも言ったが例のコーティングは終わってるけど、無茶なことはすんなよ? 壊れても俺は責任とらねぇからな!」
「あぁ、構わない」
ドランの言ったことが、何の話かさっぱりわからないカイとルーアは少し不思議そうに首を傾げる。しかし、ルーアは特に気にしていなかったので上の階へと移動する。一方でカイはリディアに質問する。
「師匠。ドランさんが言っていたのは何の話ですか?」
「あぁ……。少し前にドランに頼みごとをしたんだ。別に大したことではない。それに、すぐにわかる」
「はぁ。わかりました」
話を聞いても理解できなかったが、カイはリディアを信じて深くは追及しなかった。
「じゃあ、一度出ますか?」
「そうだな」
「いや、ちょっと待てよ!」
「何だよ? ルーア」
腰に手を当てながら空中に浮かんでいるルーアは邪悪な笑みを見せる。
「さっきの約束を忘れてねぇだろうな? 今日は俺様の好きな物を食べさせてもらうぜ! さっき通ったところでメシが食べれんだろう? あそこでメシ食おうぜ!」
テンションが上がっているルーアは興奮した様に空中をぐるぐると旋回しながら提案する。はしゃいでいるルーアを見たカイは苦笑しながら頷く。
「あぁ、そうだな。昼はここで食べていくか……。師匠もいいですか?」
「君がいいなら私はそれで構わない。だが、そこの羽虫が迷惑をかけているなら言ってくれ。私が引導をくれてやる」
「んだと! テメー!」
「はははは……。だ、大丈夫ですよ。師匠」
カイ、リディア、ルーアの三人は一階の食堂へ向かう。
◇◇◇◇◇◇
ある森で戦いが行われている。
森の中を数十、数百の魔獣の群れが進軍していく。進軍する魔獣の中には、以前カイとリディアが倒した
ある者が木の上から魔獣に向かい弓矢を放つ。弓矢の直撃により何体もの魔獣が大地へ倒れ伏す。矢は魔獣の頭部や急所を正確に貫き次々と魔獣を絶命させていく。その矢を放っているのはダークエルフだ。
ダークエルフ:エルフと同じで寿命は人の十~二十倍と言われ大抵千年以上は生き続ける。しかし、エルフと違い変化に対しては柔軟な考えを持つ故、エルフとは考え方が異なる。
(くそ! どれだけの数がいるんだ?)
ダークエルフは、頭の中で愚痴を言いながらも進軍してくる魔獣を矢で射っている。数の上では魔獣が圧倒的に優位だったが、ダークエルフは上手く身を隠しながら確実に魔獣の数を減らすよう努めている。攻撃さえ当てられなければ勝ち目はあると思っていた矢先に……。突如として周囲の仲間が呻き声をあげ次々と木の枝から落ちていく。仲間に気をとられた次の瞬間に彼も衝撃を受けて木の枝から落とされる。
「――ッ!」
(な、何が……)
落下する途中で彼は何をされたのか理解する。空中から
木の葉や木の実が落下するかの如く大地に倒れる。焦り体制を立て直そうとするが次々と雪崩れ込む魔獣の襲撃に抵抗も出来ず順繰りと命を落としていく。
◇
戦いの後方で魔獣を従えている者がいた。体長三メートルになろうかという巨体、顔は獅子のようで身体は熊のよう、下半身には四本の足、尻尾は大蛇という恐ろしい姿をしている。
「つまらんな」
呟きなのか、質問なのか定かでない発言を耳にすると一体の獣人が反応する。
「はい。この戦いは我々の勝利で間違いないかと」
獣人の見た目は狼のような顔をして魔獣のように赤い瞳をしている。そんな恐ろしい風貌とは異なり獣人はとても丁寧で理知的なしゃべり方をする。
「そんなことはわかってる。俺様はつまらんと言ったのだ!」
怒声を聞いた獣人は顔には出さないよう気をつけるが内心では辟易としている。
(……またか。この方はいつもそうだ……)
「失礼しました。ですが、我々の任務を考えれば特に問題はないと思いますが?」
「確かにそうだ。だが、ダークエルフ共がここまで脆弱とは思いもしなかった。こうなると少し遊ぶのも一興ではないか?」
発言の真意を理解した獣人は眉間に皺を寄せる。
(遊び……。そうなると。この方は、またくだらない提案をしてくるな……)
何を言ってくるか予想はついていたが、獣人は念のため確認をとる。
「と、仰いますと? どのようなことをされるおつもりですか?」
「わからんのか? 全く使えん奴だ! ダークエルフ共の女、子供を魔獣の餌にしてやろうというのだ! 当然だが生きたままだぞ? ……いや、それだけでは面白くないな。そうだ! 女共にはこう言えばいい! 『自分の命か子供の命かどちらか選べ。自害すれば子供を助ける。子供を殺せば貴様を助ける』と。そして生き残った者達は、この俺様が直々に喰らってやる。どうだ? 最高じゃないか?」
(やはりか……くだらない。勝負のついた戦いのあとに、なぜ敗者をいたぶる必要があるのだ? ひとおもいで楽にすることが戦士の礼儀ではないのか?)
不快な発言に対して文句を言いそうになるが獣人には実行することはできない。なぜなら、隣にいる者は獣人にとって仕えるべき主人なのだから……。
「お言葉ですが……、そのようなことをされてはあなた様の品位を下げる結果にな――」
説得をしている途中だが大きな怒声が言葉を遮る。
「黙れ! 貴様は俺様が誰かわかって意見をしているのか! 俺様は魔王様より五大将軍の地位を授かった『魔獣王(ビーストキング)』リガルド様だぞ!」
『
「奴らは戦いに敗れたのだ! 敗れた者はどのような扱いを受けようが文句を言うことなどできぬ! それこそが自然の掟! まさに弱肉強食だろうが!」
「はっ! 申し訳ありません」
獣人は謝罪を口にするが、本心では全く謝罪の気持ちなどない。それよりも、どのようにリガルドの蛮行を阻止するべきか考えていた。獣人はダークエルフに対して特別な感情はない。殺せと命令があれば、または必要ならダークエルフの女性や子供だろうが
「よーし! なら早くダークエルフ共を連れてこい!」
「……わかりました」
(仕方がない……。あの手でいくか……)
獣人は魔獣へある命令をする。
『ダークエルフ達を女、子供を含めて皆殺しにしろ。ただし、苦しめずに殺せ!』
(ふん。これで命令が上手く魔獣に伝わらなかったということにすればいい。苦しまずに死なせるのがせめてもの情けだ。……まぁ、別に恨んでくれても一向に構わんがな。戦いは戦いだ。これで全てが終わった後にリガルド様が激昂して私が叱られるくらいだろう。……もっとも殺してくれてもいいのだがな。こんなくだらない戦いを今後もするぐらいなら、いっそのことここで終わるのも悪くはない……。同じ五大将軍でも、なぜリガルド様に仕えねばならないのか……。できることなら、トリニティ様に仕えたかったものだ。あの方は少し間の抜けたところはあるが騎士としては完璧だからな。……ふん。愚痴だな……)
この後、ダークエルフは女性、子供を含め全員が魔獣に殺された。
獣人の予想通りにリガルドは激昂したが獣人を叱りつけるのみに留まる。
その後、リガルドと魔獣の軍勢は森から姿を消した……
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