第30話 ミサキの本心

 『聖マリ』の世界は恋愛ゲームなんて言われているけど、中身は結構残酷だったりするんだ。その特徴は割と簡単に仲間が死ぬんだ。


 しかも死んだら、復活に莫大な金が必要だ。

 蘇生魔法で簡単に復活とはいかない。だから、思い入れのない仲間が死んだ場合、大抵のプレイヤーは新しい仲間をパーティに入れるのが殆どだ。

 俺も初プレイの時はズレータが死んだけど、蘇生はさせなかった。

 ズレータ、すまん。蘇生の魔法は、莫大な金が掛かるんだ。


「おおおおおおおおおおおお!! 面白い! 何か面白いことが起きたぞ! 俺の攻撃が、何かで強引に替えられた!? わーはっは! ミサキ! こいつが、ホーエルンに侵入するためにお前が利用した人間だな! 不思議な力を持っている!」


 さて、床に、夥しい血が流れていた。

 一体誰の血だ?

 赤い。妙にリアルで、生暖かい血だ。俺は床の血を見て、視界が急に傾いた。


 そして、すぐに頬に温かみを感じる。

 この血は、俺のものだば。俺の腹を、ピエロの腕が貫いたんだ。

 俺は道化師コメディアンの職業補正、『第三の腕インビジブル』の力を使って、ミサキに向かっていたピエロの攻撃を俺に傾けた。

 だから大量の血が流れている。それだけの話だ。


「しかし、よわいな! 弱すぎるぞ! まるで豆腐のように、あの人間の腹は弱かった! 職業は何だ!? 常人ノーマルか!?」


 ミサキをこのホーエルン魔法学園に送り込んだ存在。

 大魔王ドラゴンは、非常に慎重だ。 


 あいつは確かにミサキのことを愛しているけれど、一番は自分自身。

 万が一、ミサキの正体が人間にバレた時のため、保険をミサキに掛けていた。

 それが今、現れたピエロである。

 最悪だ。

 確かに召喚はランダムだけど、ピエロ、お前が召喚されるのかよ。


 これが、俺が発生させたイベントだ。

 このホーエルン魔法学園の敷地内でミサキの正体を見破ると、その場にいる人間を抹殺しに大魔王の忠実な配下が召喚されるのである。


「——ウィン! ウィン、ねえ、ウィン!」


 ああー、寒い。

 身体から血が流れる。体内では毒が回る。毒が回る。毒が回る。それは、ピエロの力。奴の攻撃には全て特別な毒が付与されている。


「ウィン! なんで僕を守ったの! あいつは僕を狙っていたのに、今のは君の力だろ!? ねえ、どうして! 僕はさっき君を殺そうとしたんだよ!」


 薄れいく意識の中で、ミサキの顔を見た。

 人間に裏切られて、ひどい人生を送り続けてきたミサキの顔だ。


 だけどここの学園生活では負の一面なんて一切見せなかった。俺の言うことを何でも聞いて、俺の生活を支える涙ぐましい奴隷としての姿のみ知られている。


 そんなミサキは、この学園では影の人気者なんだ。

 生徒の大勢が、俺から解放されて、自由になることを望まれている。

 

「血が止まらない! この傷は僕の魔法でも無理だ! ねえ、ウィン! 答えてよ! どうして僕を助けたのさ! 僕は君を殺そうとしたんだよ! ずっとウィンを洗脳して騙していたって言ったじゃないか!」


「あああ??? ミサキ、人間を癒そうとするなんて……何をやっている! こんな場所にいて、人間に情でも移ったか?」


 大魔王への手掛かりを消すために、俺たちを殺すため召喚されたのはピエロだ。

 まずいなぁ。どうして、俺はいっつもこうなんだ。

 何でよりにもよって現れるのがピエロなんだよ。もっと雑魚にしてくれよ。


「そうだな、お前は確か人間を殺したことがなかったな! よし! その人間を殺せば、お前を魔王軍に戻れるよう俺が口をきいてやってもいい! さあ、殺せ!」


 多分、俺は逃げるべきだった。

 それでも俺は、ミサキを殺すために振り下ろされた腕に、反射的に力を使っていた。『第三の腕インビジブル』は、攻撃対象を変えることが出来る。


「ミサキ! さぁ、その人間にトドメを刺せ! どうせ俺の攻撃を受けてもうすぐ死ぬ運命の男だ! けけ!」


 というかピエロ。ミサキを煽るなって。

 相変わらずふざけた性格の奴だ。

 大魔王に忠誠を誓う配下の中でも、性格の悪さは群を抜いている。

 少しぐらい、俺たちと会話してくれてもいいだろ。この場所に現れたら、即攻撃って、躊躇いが無さすぎるって。

 

「ねえウィン……どうして僕を助けたの……僕は君をずっと洗脳して、良いように扱っていたんだ……」


「わっはっは! 人間! お前は騙されていたんだぞ! ミサキは、任務のためなら何でもする奴だぞ! そいつは身も心も魔王軍のものだ!」

 

 ミサキが、俺の手をぎゅって握ってくれる。

 さっきまで俺を殺そうとしていたに、凄い変化だった。

 どんな心境の変化があったのか、今にも俺に泣きそうな表情で語り掛けてくれる。


「……アグエロにどこまで聞いたか分からないけど、僕は人間に捨てられてモンスターに、魔王軍の中で育てられた。普通の人とは……違うんだ……」


 死にかけている俺に、ミサキが話しかけてくる。

 だが、残念かな。俺の口は真っ赤な血を吐き出すばかりで、答えることが出来ない。ピエロの毒が全身に回っている。

 ミサキに握られている俺の手が、紫色になっていた。


「僕は、ウィンに守られるような価値ある人間じゃないんだ……」


「哀れな人間だ! ミサキに出会わなければ、まともな人生を送れただろうに! いいか! ミサキは人間を憎んでいる! 少し優しくされたぐらいじゃ、人間に捨てられた憎しみは取れない!」


 うるせえ、ピエロ。

 愉快に踊りやがって。俺はミサキと出会ったことに後悔はないんだよ。


「……ウィン、ごめん……僕と出会なければこんなことには……」


 それにミサキの過去ぐらい知っているっての。

 厄病神の隠れ職業を持つ俺よりも、遥かに不幸な過去を持っている女の子。

 魔王軍の中に放り込まれ、才能があったばかりに、英才教育を受けている。

 だからこそのあの能力の高さ。全部、知ってるんだよ。


「死ぬ前に教えてやろう! ミサキがこのホーエルンにやってきたのは、人間を滅ぼすためだぞ! ミサキは我ら大魔王様の命令を受けてホーエルンを探っていた!」


 ピエロの言葉は無視して、ミサキの顔に手を伸ばす。


「……おしえてくれ。アグエロの言葉は、ほんと……か」

 

 俺の身体は出血多量。ピエロに腹を貫かれ、重要な器官をやられている。

 意識はもうろうとしている。視界もぼやけてきた。

 けれど、俺は知りたかった。『聖マリ』ゲームの知識だけじゃなくて、ミサキの言葉で、真実が知りたかった。魔王アグエロは、ミサキ・コクリュウは魔王軍からの解放を望んでいると言っていた。


「そういう風に思っていた時期もあるよ。でも……期待するのはやめたんだ……」


「……そっか」


「もう喋らないで……苦しみが長引くだけだから……」


 もうすぐ、俺は死ぬ。それは、確定した事実だ。

 ピエロの攻撃に対して、俺の能力は余りにも脆弱すぎる。

 はあ、死ぬのは久しぶりだな。いつまでこの感覚にはなれないよ。


 そして、俺は目を閉じた。これ以上は、無理だった。全身に毒が回っている。

 何も見えない。何も感じない。ただ、そこに彼女がいるということが分かる。

 

「僕も……もう終わりみたいだ。でも、ウィンのことは恨んでないよ……みんなを騙した罰だと思うから……ずっと罪悪感があったんだ……」


 ミサキの懺悔を聞きながら、身体から力が抜けていく。

 人間は死ぬときに走馬灯を見るという。これまでの思い出。生きてきた証。頭の中に浮かんだ記憶を、全て振り切った。全然、楽しい記憶なんかなかった。 

 思い出したくもない記憶ばかりだ。くそったれ。


「……ねえ、ウィン。まだ、聞こえてる?」


 家から追い出された記憶。寒空の下、食べられる物を探した記憶。厄病神のせいで、身体一つでオークぐらいを倒せるようになるまでは俺の人生は地獄だった。

 小国ピクミンに生まれた、不幸を呼ぶ男の子。

 あっちのほうじゃ、俺は悪い意味で有名人だったから。

 俺の顔を見たら、皆が逃げていく。でも、大勢が俺のせいで不幸になったから、受け入れるしかなかった。これが、ウィンフィールドの人生だから。


「……ウィンと暮らした毎日は、楽しかった。嘘ばっかりついた僕だけど、これは嘘じゃないよ。本当だよ、嘘じゃないんだ」


 俺もだよ。

 本当に、俺もなんだ。俺の隠れ職業『厄病神ゴースト』は周りにいる人を不幸にする。だから、俺の周りには誰もいなかった。味方なんていなかった。

 でも、君だけが俺の周りで起こる不幸を楽しんでくれた。

 ウィン、楽しいねって笑ってくれた。救われた。嘘じゃない。嘘じゃないんだ。


「……僕を、生徒にしてくれてありがとう。ウィンと一緒になれて、これまでで一番うれしかった……」


 魂が、どこかへ引っ張られる。

 やめろ。まだだ。最後に一言ぐらい言わせろ。

 俺もなんだ。俺も、同じなんだ。ミサキと出会った一年間は、例え洗脳されていたとしても最高に楽しかった。幸せだったんだ。

 学園と隔離されたボロ屋で、俺と一緒にいてくれた。俺たちの家だけが地震で崩れそうになっても、盗むものなんて無いのに泥棒に入られても、嫌な顔せずに笑ってくれた。

 感謝しているのは、俺の方なんだ。


「死んだらウィンは天国で、僕は地獄だ。ウィン、僕ね。生まれ変わりを信じているんだ。生まれ変わったら……ウィン、幸せになってね」


 馬鹿。今が幸せなんだよ。これ以上の幸せなんて、俺はいらないんだよ。


 最後に、頬に感じた温かみ。

 そして、心臓が止まる。なあ、少しだけ待ってくれ。



 ああ、そうか——ゲームの中でミサキの傍に在り続けた。

 ウィンフィールド・ピクミン。そういうことか、そういうことだったのか。

 お前、洗脳されても幸せだったんだな。そうだよな。最高だよな。

 厄病神の俺なんかと一緒にいてくれて楽しかったなんて言ってくれる人は、この広い世界に一人いるかいないかってぐらいだ。

 運命だよな。少なくとも、俺はそう思っているよ。

 ——だから、さ。頑張れちゃうよな。少しはカッコいいところ、見せたいよな。




 それから何秒が立っただろう。

 多分、一分も経っていない。十秒とか二十秒とか? 今までの経験だとそれぐらいだ。

 大きくドクンと心臓が揺れる——不死者の補正が発動する。

 『一度きりの再生ワンプレイバック』。俺は、目を開いた。


「——ミサキ! お前、俺たちを裏切る気か!」


「黙れ! お前が来たってことは、もう魔王軍に僕の居場所はないってことだろ!それに僕のこと殺しに来たってさっき自分で言ってただろ!」


 二人の戦いが始まっていた。 

 しかし、最悪だったのは俺の家が崩壊しているってことだ。

 屋根が飛ばされ、壁が吹き飛んで、空が見えた。奇麗な空だ。

 もはや家の形をなしてなかった。残骸だ。

 このボロ家を手に入れるために俺がどれだけ苦労したかあいつら分かってるのかよ。ホーエルン魔法学園の学園長に頼み込んで、融通してもらったんだぞ。


 ミサキは肩を手で押さえて、額からは血が流れている。

 ピエロはその服装にも乱れはない。力の差は歴然だ。戦いの様子は激しい。このままだと、すぐに冒険者ギルドの職員が大勢やってくる。

 それはまずい。だってミサキの正体が、疑われてしまう。

 だから、頑張ろう。そのための、力を俺は持っている。


「……ふう」


 俺は、呼吸を整えて、 むっくりと、立ち上がった。そして、二人の戦いをしり目に、腰を曲げてストレッチ。

 すると、ミサキが、目を見開いて俺を見た。


「ど……どうして、ウィン……生きているのさ……」


 やっと君の本心が聞けたんだ。

 そう簡単に死んでたまるかっての。なあ。



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