第18話 泣き虫のマリア様

「……え?」


 マリアは、かたまっていた。

 自分が何を言われたのか、分からないのか。


 オバさんだ。俺の奴隷であるミサキに、オバさんって言われたんだ。

 俺も固まっていた。ニコニコと、いつもは虫も殺さないような笑顔のミサキが、絶対零度の無表情でマリアに向かってオバさんと言ったんだ。 


「……ど、奴隷のくせに……わたしを……お、オバさん呼ばわり……?」


 マリアの隠れ職業、『聖女』は能力値には影響を与えない。


 けれど、職業補正は既に発動している。

 『聖女』の職業補正、その力は、無条件に人から愛されること。


「……い、一応……理由を、教えてくれるかしら……理由によっては……聞かなかったことにしてあげても、いいわよ……」


 これまで順風満帆に生きてきただろうマリアがまさかのオバさん呼ばわりである。


 恋愛ゲーム『聖女様って、呼ばないで!』。

 この世界はマリアにとことん優しい世界だ。

 オバさん呼ばわりは、マリアにとっては初めての屈辱かもしれない。


「オバさんは心が汚くてウィンの職業を知る権利ないって思うから。というか、近づく権利もないと思う。今さら、何でウィンに近づいてきたの? ウィンをあれだけ傷つけておいて」 


 ホーエルン魔法学園の制服に身を包み、ついさっきまでは満面の笑みを浮かべていたミサキ。

 そんな彼女がばっちばちにマリアを攻撃していた。


 ミサキは奴隷だ。奴隷なんだ。だけど、強気だ。強すぎる。

 相手はホーエルン魔法学園の人気者だぞ!

 なのにミサキは格下に対するような態度で、口調にためらいがない。


 確かに能力値ではマリアを圧倒しているけど!

 駄目だろ、ミサキ! 

 一体何を考えているんだよ! 確かにお前らの関係が最悪なのは知っていたけど!


「……わ、私のせいで、ウィンフィールドが傷ついた?」


「オバさん、気付いてないの? ウィンがこれだけ学園で嫌われている理由。きっかけは全部、オバさんじゃん」


 この二人の関係は、最悪だ。

 『聖女見習い』マリアは、奴隷という存在をこの世から消し去りたい。


 だけど、ミサキは拒んでいる。

 俺の奴隷から解放されて一番困るのはミサキだからだ。

 俺の奴隷じゃなくなったら、この学園にいられなくなっちゃうしな。


 そんな理由も当然あるけれど、単純にこの二人、『大神官ミサキ』と未来の『聖女マリア』は馬が合わないんだ。ゲームの中では幾度殺し合いをしたか、分からない。


 いや、知っている、知っているけどさ!

 この二人の関係、ゲーム上でも最初から最悪だもんな! だけど、表面化するのはずっと先の話だろ! 


 どうして、急にマリアに喧嘩を売った! ミサキ! 一体、何考えているんだよ!

 余りにも急展開すぎて、俺はどうにもできなかった。

 ただ、ミサキとマリアのやり取りを眺めているだけの傍観者と化している。


「僕はウィンの奴隷。オバさんに何をされようと、ウィンは私のことを手放さない。無駄な努力、ご苦労様。あ、ちなみに……ウィンはオバさんのこと、大嫌いだよ」


「…………うそだ」


「……嘘じゃないよ。じゃあ、ばいばい。もうウィンに関わるの、止めてね。これから私はウィンと冒険者パーティを作りにいくから。僕、ウィンに冒険者パーティのメンバーに選ばれたから」

 

 分からない。分からない。

 俺は、理解出来てない。誰か助けてくれ。

 ミサキのことだけじゃない。いや、ミサキの行動の理由もさっぱりだけど。

 

 どうして、マリアがはらはらと涙を流しているのか、分からない。


 あいつ、そんな弱いやつじゃないだろ。学園に入学して奴隷解放を訴えて、奴隷を所有していた怖い先輩のとこに怒鳴り込んだりしたぐらい、強い奴だろ。

 そんなスーパーウーマンが、ミサキに喧嘩を売られたぐらいで泣いていた。


「——ま、マリア! お前、どうして泣いているんだよ! てめえウィンフィールド! マリアに、何やりやがった!」

 

 固まるマリアの前に現れたのが『侍』の職業を持つ男だ。

 ズレータ・インダストル。

 『聖女見習い』のマリアがリーダーを務める冒険者パーティで、特攻隊長を務める男。どうやらあいつはこんな朝っぱらから訓練の最中だったらしい。

 服を着崩して、随分な色男が焦っていた。


「ウィンフィールド! お前には昨日の事件のことを聞きたいと思っていたが、まさかこんな喧嘩を売ってくるとはな! 陰湿な奴だとは思っていたが、まじで何やりやがったてめえ!!」


 いやいや俺は何もやってないよ。

 ……ミサキだよ。ミサキが、マリアに喧嘩を売ったんだ。




「行こうよ、ウィン! あんなオバさんに、構っている必要ないって! 冒険者パーティ、作ろうよ!」


 ミサキの目が、俺を捉えていた。

 そ知らぬ顔でミサキは俺の手を取って、俺たちは見つめ合う。

 宝石のようにキラキラと輝く瞳。


「僕、ウィンのことをもっと知ろうと思って! 昨日、あの嫌な女がこれまでウィンにした仕打ちを調べたんだ! 本当に、ひどいよね! ウィンは僕を助けたくれた大恩人でとっても良い人なのに、奴隷を持っている人は悪者だって勝手に決めつけて、ウィンを貶めるような真似ばっかりして! あの女がウィンを学園で孤立させた張本人だ! だからウィン……あの嫌な女に惑わされちゃだめだよ?」 


 ホーエルン魔法学園の制服を着て、ミサキが俺の手を引っ張るんだ。

 愛らしい笑顔で、ミサキは俺に向かって笑いかける。

 16番の冒険者ギルドに行って、冒険者パーティを作ろうって笑いかける。

 

 ——冒険者パーティを作ろう。確かに、俺の目的はそこにある。


 後ろでは『侍』ズレータがマリアが必死で宥めている声が聞こえた。

 マリア。ミサキの言う通り、悪い奴だ。

 学園で俺が孤立したのは、マリアのせいだ。間違いない。うん、間違いない。ミサキの言っていることは間違っていない。

 奴隷所有者ウィンフィールドは問答無用で、悪者。

 だって、ウィンフィールドはいつも正しい『聖女見習い』マリア様にあれだけ言われて奴隷を手放さないのだから。

 きっと、影ではあの奴隷にとんでもことをしているに違いない。それが俺の評判。


【大賢者ウィンフィールド。魔王サタンミサキの洗脳魔法を感知! 意識を強く持ちなさい! さもなくば再び魔王サタンの洗脳に意識を持っていかれます!】


 お、ステータスの力はこんな時でも発動するのか。 


 ……だよなあ。分かっていさ。

 ミサキがマリアに喧嘩を売って、豹変した理由。

 俺の味方になることで、再び俺に洗脳を掛けようとしたってわけだ。

 ミサキめ、まさかこんな直接的な手段に出るとは。


 後ろでは、相変わらずズレータの大声が聞こえる。

 俺に向かって「マリアに何しやがった! てめえ、ウィンフィールド! 戻ってこい! 許さねえぞ!」って叫んでいる。

 その声を聴いたからってわけじゃない。

 俺はミサキの手を離して、愛すべき奴隷に。


「——謝ってこい。出来なきゃ、お前を奴隷から解放する」


 俺は一度だって、マリアを大嫌いだなんて言ったことは無いよ。




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