【ミサキ視点】ご主人様が変わった日

 今日起きた出来事は、ウィンの奴隷を演じているミサキ・ドラゴンは忘れることはないだろう。

 あれは、これまで生きてきた中でも三本の指に入る位のびっくりイベントだ。

 自分の隣で眠っている黒髪の少年を見ながら思い出す。


「くかー、くかー……」


 まず一つ目は、ウィンが家に帰ってくるなりミサキのことを疑ったこと。


 ミサキのお仕事はこの魔法学園にいる生徒の情報を集めることである。人間としての容姿を生かして、奴隷として魔法学園に潜入した。

 ミサキは自分の容姿が男性の心をくすぐることをよくわかっている。媚び、へつらい、か弱い弱者を演じながら、ウィンの懐に潜り込んだ。

 ミサキの中身はとんでもない実力者だが、この楽園では猫被り奴隷として存在している。


 ちょっとした手違いもあって今では学園唯一の奴隷であるが、それでも彼女は主であるウィンを洗脳することで自分を手放さないように調整していた。


 ウィンフィールド・ピクミン。

 このホーエルン魔法学園でも知る者が少ない小国ピクミン出身の王族と聞いていた。確かに『常人ノーマル』にしてはレベルが高くて、王族らしく、きちんとした格好をすれば、それなりの見栄えになるだろう。


 ――僕の魔法、洗脳は解けていないよね? うん、解けていない。

 ――だったら、どうしてウィンは、あんなことを聞いたのだろう。


 当然ミサキは優れたエージェントである。

 ウィンの質問に馬鹿正直にあなたを騙していますなんて答えない。

 でもあの時のウィンの眼差しは厳しかった。ミサキは心の悩みをえぐられたような気がして、瞳を合わせることができなかった。


「くかー、くかー……」


 二つ目は、突然家にやってきたモンスターに対するあの対処である。

 ウィンフィールドはただの職業『常人ノーマル』だ。


 多少鍛えてはいるようだが、その辺の村人の域を出ないし、この魔法学園で戦闘職として日々鍛えてやる少年たちの足元にも呼ばない。

 それを、ミサキが反応するよりも早く、肉体を強化し、回し蹴りでモンスターを家の外に吹っ飛ばしたのだ。結局どうしてウィンが魔法を使えたのか、ミサキは夜に問い質してみた、上手く胡麻化ごまかされてしまっていた。


 ミサキは考える。


 思えば、ウィンは今日学園から帰ってきた時からおかしかった。

 大賢者になる条件、『底辺生活』を達成するために、学園では出来るだけ喋らせないよう調整をしていた。その結果が学園で嫌われ者の無口スケルトンだ。


 しかし、今は別人。

 放課後に帰ってきたら饒舌になったし、ミサキを見つめる目も違うようだ。

 外見は何も変わらないが、中身がまるで違っているように思えた。

 それはきっとこの一年間ずっとそばにいるミサキだから気付けたもので、学園の人間は誰も気づかないだろう。


「くかー、くかー……」


 そして、三つめは、ウィンが、大賢者に進化してしまったことである。


 今でも、ミサキには何が起きたかわからなかった。

 ミサキがウィンを偽りのご主人様に選んだのは、ウィンが大賢者というとんでもない素質を持っていたからだ。大賢者の素質、もし本当に大賢者になることができればそれは夢のようだと思っていた。


 ——夢じゃ、ないよね?


 今でもミサキは自分がウィンの進化を成功させたことが不思議でならなかった。

 確かにミサキの本当の職業は『大神官プリースト』であり、ホーエルン魔法学園の教職員『神官プリースト』よりは自分の力の方が上であるという自覚があった。それでも、『神官プリースト』の役割は手助けであり、最終的に上級職に進化出来るか出来ないかは、本人の力によるところが大きい。


 でも——大賢者っていう職業ジョブは本当に、不思議な職業ジョブだ。

 レベルアップの条件が――あれでいいのか、本当に理解出来ない。


「くかー、くかー」


 じいっと、ミサキはウィンの姿を見た。

 パジャマを着て深々と寝入っている。ウィンはぐっすりと熟睡している、

 大賢者への進化は身体に相当の負担をかけたはずだが、そんな様子は全く見えない。ウィンは明日、冒険者ギルドへの登録とか色々やりたいことがあるから早く寝ないといけないと、すぐに寝床に入ってしまった。


 机の上にはウィンと食べた御馳走の残りが少しだけ。

 相当な進化の負担があっただろうが、ウィンは自分の手料理をペロリと平らげてくれた。それどころか洗い物まで自分が担当すると言って、奴隷の仕事である筈のそれを嫌な顔せずやってくれたのだ。


「……ウィン。ごめんね」


 ミサキにとって、誰かに謝罪をするのは初めてであった。

 でも、ウィンの言葉が忘れられない。ウィンは、自分の人生をやり直したいと言った。それは、ひどくミサキの心を抉ったのだ。


「……僕が、君の人生を、滅茶苦茶にしてしまった」


 負い目があった。

 ミサキは人間である。特殊な事情から大魔王と言うべき人間の敵から育てられた。そして今は大魔王の言う通りにこうして学園に潜入している。

 それでも、ホーエルン魔法学園で、大勢の人間に触れながら生活することで、自分がどれだけひどいことをしているかの自覚は日々、強まっていた。


「ごめん、ウィン。ごめん……僕は、最低なやつだ……」


 ●


「……すうすう」


 少しだけ頭を起こし、寝息を立て始めたミサキを見る。

 灰色のフードを被って、何かから自分自身を守るかのように身体を丸めている。

 小さな身体が、さらに小さく見える。後ろから抱き締めれば、その身体は俺の中にすっぽりと納まるだろう。


 ——あのミサキが、まさか、俺に謝るなんてさ。びっくりだよ。

 

 聖マリの中では、在学中ウィンフィールドを好きなように操っていたミサキだけど、まさかそんな感情があったなんて。


 うーん。まいったなあ。

 ミサキは敵側の人間だ。それはよく分かっている。

 大魔王の手先であり、身分や職業を偽っているミサキを、学園に突き出せばミサキは縛り首になるだろう。さすがに敵側の大幹部の一人といっても、このホーエルン魔法学園に存在する強者を一人で相手にすることは出来ない。

 

「……すうすう」


 止めた。寝よう。

 やるべきことは、一杯あるんだ。

 大賢者になっただけの俺の力じゃ、ミサキを守ることさえ出来ないんだ。


 まずは大賢者としてのレベルアップを目指さないといけない。レベルアップして、大賢者としての職業がどういう性質のものなのか、それを一番に知らないといけない。


 だって——大賢者レベル1へのレベルアップして条件が、友達を作れ……なんてさ。

 さすがに、俺も聞いたことが無かったよ。なんだよ、友達を作れって。


 おい。学園一の嫌われ者である無口スケルトンの俺を、職業ジョブまで煽りにきてるのかよ。おい。

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