月は空の向こう Ⅰ

 ヨエンスー基地要塞において真っ先に砲撃された設備は、高くそびえる特火点でも、びっしりと揃った砲でもなく、氷と鉄筋で舗装された鞏固きょうこな城壁であった。よって、砲台設置線を廻るための壁上通路を歩んでいたヴェルヌとオーメスは、カンパネルラの攻撃に直撃される形となった。

(なんだ?)

 目を開けて、額に血が流れているのを拭った。

 そうして見渡すと辺りには氷壁のパイクリートが蒸発してできた靄が広がっている。視界一面が白い。どこかしこも、ねじ曲がった構造鉄骨が戦場跡のように散らばるのがぼんやりと見えるだけだった。

 ヴェルヌは確かにオーメスを庇って死ぬつもりだったが、恐らく、この殺風景さから推測するに、まだここは地獄ではないだろうと思われた。思いを巡らしつつ、ふらつきながら立ち上がると、

「やっと退いてくれたね」

「うわっ」

 陰鬱かつ無生気な――というか、灰と埃まみれで本当に死人のような――オーメスの顔が、ヴェルヌの真下にあった。

「ふふ。きみの所の副隊長殿から貰った動きがあって助かったよ」

「副隊長って」

 恐らく、執務室の一閃で“模倣”したムラマサの挙動を“実行”して危機を逃れたということなのだろう。

 しかし、彼女は事も無げに言うが、あの一瞬でヴェルヌと体勢を入れ替えて脱出を敢行するとは、驚くべき判断力と言う他なかった。

「すみません。却って邪魔になっちゃいましたね」

「んふふ。きみが庇ってくれなきゃ、そもそもこれに気づけなかったからね。お相子さ――でも、きみは変なやつだねえ。ヴェルヌ君だけ逃げることもできたのに」

「おれだけ?」

 言われてから、やっと気付いた。

 オーメスにはムラマサから習得した高速機動があるのだから、何かしらの砲撃が来ることだけ伝えたあとは、とっととヴェルヌだけ壁上から離脱すれば良かったのだ。

「……別に良いじゃないですか、そんなこと」

「ふふ。怒ったねえ、嬉しいなあ」

「うるさいですよ。それよか、今は他に考えることがあるでしょ」

 ヴェルヌは珍しくぼやきながら、オーメスをおぶる。

「やん。えっち……」

 下手な嬌声を上げる彼女の脚は、両方とも反対側に捩じれていた。

 砲台が設置されている壁は、かなりの高度があるように見える。

 恐らく脱出する際の着地を失敗したのだろう。

 自らの不備が招いた彼女の負傷に、ヴェルヌは眉をひそめたが、しかしオーメスはそのような些事を全く意に介していない風にもみえた。

 オーメスのからだは軽かった。ヴェルヌは彼女の柔い体躯が滑り落ちないように、何度か背負い直してやった。

「ふふ、気が利くね――全く、一日に二度も体がねじ曲がる体験なんてそうできるものじゃないよ」

「痛みは大丈夫ですか。耐えられますか」

「……ふふ、超痛いなあ。これ、きみの小説の資料に使える?」

「馬鹿言わないでくださいよ。使ったとして絶対売れません、断言します」

「きみ、手厳しくない?」

「感謝してますから。怪我を軽く見るようなことを、言って欲しくないんです」

 もう誰も、目の前で死なせはしない。彼の物語が映る前では。

「オーメスさんに生きててほしいって思ってますから。すぐにコンセイユさんの所に行きます」

「……?」 

「何がです?」

「わたしだよ?」

「質問の意味が、よく分からないんですが」

「生きててほしいって。馬鹿じゃないのかい、君は。本気なの」

「なにを疑ってるのかはわかりませんが、本気です」

「なぜ」

「あなただから。あなたはもう、おれという物語の仲間なんです」

 

 ヴェルヌは再び流れてきた血を拭いもせずに、静かに言った。

 ぽたぽたと零れる赤い血液は、凍土に焼け付くような跡を残している。

 見ようによっては、何かの文字ととれなくも無かった。

 血痕をじっと眺める、オーメスの貌を背中越しに振り返る。

 霧が濃かった。幽霊みたいに良く見えない。


                  +


 センシ=ムラマサが真っ先に取った行動は、ヨエンスー基地内の電信設備を確認することだった。

「もし。済まないが、電報を打たせて貰えぬか。大至急だ」

“加速”によって黒い影の如く電信塔に滑り込んできたムラマサを、たまたま当直で詰めていたのであろう女性職員がみとめる。

「その徽章は――『ノーチラス』の、」

「うむ。今しがたの衝撃の件でアラスカに連絡を入れる。恐らく栄光個体スラヴァだ」

「了解いたしました。オーメス氷将補から基地の設備は自由に使わせるようにとの指示が出ております。すぐにお繋ぎ致します」

「頼む」

 職員は頷き、何やら機器を弄り始めるが――その手が、ふと止まった。

「どうした?」

「申し訳ありません。アラスカとの通信が途絶しています」

「……原因は?」

「不明です。可能性としては、単なるケーブルの故障か、もしくはあちら側の設備に何らかの異常が発生したかの二つですが――どうされますか?」

「故障がこの時点で偶然と考えるには、どうにもきな臭いで御座るな――時に、この付近に存在する栄光個体は、“月穿ち”に相違ないのだな?」

「ええ。発生と同時に月に何らかの飛翔体を撃ち込んで以来、休眠状態ですが」

 ――職員の言う通り、月穿ちカンパネルラが存在するヘリスヘイジは、『祈凍宗』フロストハンズの聖地だということと、カンパネルラ自体が非常に長い休眠状態にあったことから、一種の不可侵地帯として指定されていた。

『祈凍宗』には多くの資産家や軍需企業の上層も入信していたために、世界政府の強権をもってしても、無理やりにカンパネルラを討伐することはかなわなかった――より厳密に言うと、一部の過激勢力がたっぷりの爆薬を用いてカンパネルラの外殻を爆破しようとした事件そのものはあった。

 しかし、鉱山をも崩落させるほどのダイナマイトの直撃を受けたカンパネルラの外殻には、しかし一切の損傷がなかったからだ。

 よって、その栄光個体には消極的な放置が行われていた。

 現時点までは。

「“月穿ち”に、監視は?」

 ムラマサは思考時間を“加速”しながら問う。

「『祈凍宗』の妨害はありますが、基本的に見張りの兵士と電信設備が配備されているはずです。能力の特性上、報告の優先度は比較的高かったと認識しています」

「では、そちらの方にも確認を取ってくれまいか」

「……了解いたしました。すぐに」

 職員はムラマサの意図を察したのか再び手元の電信盤を打鍵し始めるが、

「――駄目です。こちらも繋がりません」

「うむ、決まりだ。栄光個体の襲撃だと断定する」

 間髪入れずムラマサは告げた。

 ごくり、と生唾を呑む音が聞こえる。先の栄光個体である散華のガリアが打倒されてから、まだ一週間と経過していない。これほど立て続けの襲撃は、記録にも少ないだろう。しかし、それが現実に近い可能性として立ち現われている以上、ムラマサは拙速を尊ぶ。もう二度と、繰り返しはしない。


「氷海軍第一特別連隊『ノーチラス』所属、センシ=ムラマサ二等氷佐が命ずる。可及的速やかに全ての戦線に連絡を取るのだ。全てだ。彼奴の砲撃は、地球の裏側まで届く可能性がある。安全な場所など何処にもない」


 それだけを残して、ムラマサは再び黒い風となって基地を駆ける。

 ――もしも、カンパネルラが目覚めていたら。

 誤解だった場合は自らの首が飛ぶくらいで済むだろう。

 しかし、本当に栄光個体の襲撃であった場合、早急に手を打たないと取り返しのつかないこととなる。これまでとは規模が違うのだ。

 大陸間を横断する弾道を描く飛翔体が一体どれほどの被害を着弾地点にもたらすのか、ムラマサには見当もつかない。今彼が出来ることは、一刻も早く当該個体の弱点を発見し、そして討伐することだけだ。

 恐らく、アラスカにも高確率で“砲撃”が来ているだろう。

 どのくらいの間隔でカンパネルラの攻撃が行われるのかは不明だが、今も破傷風の末期症状に苦しむエカチェリーナにとっては着弾の際の激しい音や衝撃だけでも命取りになりかねない。

(オーメスの力が必要になる。ここで倒さなくてはならない。しかし)

 作戦にあたって、ヨエンスー基地の地図はすべて把握している。彼女とヴェルヌは砲壁上にいたはずだったが、先程の砲撃音が聞こえてきたのも同じ方角からである。一瞬最悪の想像が頭をよぎったが、

 (ヴェルヌ殿は――ヴェルヌ殿は、きっと無事だ)

 彼はムラマサのような半端者とは違う。

 そしてヴェルヌの回避・防御に優れる”予観”の異能と、生来の優柔な性格から察するに、恐らく、オーメスのことも救助しているはずだ。

 どちらにせよ、ここでカンパネルラの最初の一発を耐え凌ぐことが出来たのなら、しばらくは時間の余裕が生まれるはずだ。

 栄光個体といえども、構造物である以上その性能にはどこかで限界が生じる。

 その空隙を縫って、こちらの態勢を立て直す――そう思っていた直後に、ムラマサはわずかな違和感をおぼえた。

 神速に溶ける飴細工の夜空に、赤いものが混じっていた気がする。

 彼は加速を解いた。

 空を見る。


 しるしは二つあった。

 一つは、大量の影が――穹撃型と呼ばれる氷惨基構分化が、こちらに飛来してきているということ。

 もう一つは。

 橙色の焔が、空を切り裂いていること。


 数々の栄光個体と交戦してきたムラマサも、そのあまりの荒唐無稽さに、無意識に頭の中から外していた。

 それは絶望的な可能性だった。


 すなわち、月穿ちカンパネルラには。

 連射能力が存在する。


                 +


 だからネッド=スナイデルは、砲壁の上に陣取っていた。

 傍には都合十四門の、長い銀色の砲がかき集められている。

 壁上に備わっているものを片端からこちらに配置し直したのだ。

 対氷惨式噴進投射砲、“高軌の橋”ハイペリオン――通称を、氷爆砲といった。

 最長弾道は二十五キロメートル。初速は秒速六キロメートル。

 氷爆技術がもたらすライト・ガスの音速比三・八倍もの速度を誇る作動流体によって、通常の凍弩とは比較にならないほどの射程レンジ威力ヴェロシティを獲得している。

「ネッドさん! 榴弾……持ってきました!」

 息も絶え絶えの声が聞こえる。

 ネッドが振り向くと、ぶどうの房のように砲丸が詰められた木箱を担いだネモが、ぜえぜえと肩を上下させながらネッドを睨んでいた。

「でかしたァ! 優しく置けよ、これからたっぷりブチかますんだからな」

「ブチかますって……何にですか? っていうか、あたし今日仕事し過ぎじゃあないですか? さっきの音と関係あるんですか?」

「マゼンテ、この砲の規格はアラスカのやつと同じだな?」

「ええ。世界政府共通規格International Arms Standardです、妙な改造も恐らくは施されていません」

「よォし。射撃許可は?」

マゼンテは礼装のポケットから一枚の紙片を取り出して、見せた。

「許諾章があるわ。オーメスが先手を打って、諸々の書類を申請してくれていたようですね」

「じゃあ遠慮要らねェな。撃つぞマゼンテ、弾込めてくれや」

「……目標は?」

「アレだ」

 ネッドが夜空に向かって指を射す。そこには一面の黒が覆いかぶさっている。

「何もないんですけど、ネッドさん」

「ん? ああ、そうかァ……悪い。お前らには見えないんだったな」

 ネッドは頭を掻く。

「多分、砲撃だ。音でわかる。そんで、人間相手じゃねえ。ムラマサがアレほど血相変えて飛び出してったんなら、多分。っつーことは、栄光個体相手で、つまるところ多分遅かれ早かれ二射目が来る。マゼンテ、首尾は」

「今七門よ。ネモも少し手伝って」

“高軌の橋”の後装部分を開けながら、マゼンテはネモをなじった。

「え? あ、うん……いや、信じられないけどな……」

 言葉とは裏腹に、こちらも手つきは迅速だ。『ノーチラス』の教練過程には、砲術も必須の技能として盛り込まれていた――ネモも首をひねりながら円錐隔螺式の閉鎖機を捻り閉め、残り七門の装填を手早く終わらせる。

 すると、それとほぼ同時にネッドが砲を弄り始めながら指示を出した。

「マゼンテ。左より一門目、射角七七、砲口一三二」

「了解。でも、本当に大丈夫なの? そんな仰角で撃ってしまって――これは迫撃砲でもカノン砲でもないのよ」

「信用しろ。俺は見えてる限り外さねェ」

「……信じるわよ。”銛撃ち”さん」

 脚架に駆け寄ったマゼンテの手で、素早く砲の向きと角度が調節されてゆく。


「次。左より四門目、射角六二、砲口一三七」

「次。左より八門目、射角六〇、砲口一三三」

「次」

「次」

「次――」


 ネッドがそう矢継ぎ早に指示を出す間にも、空にはうっすらと紅い火線が仄見えていた。だが、“銛撃ち”に焦る様子は微塵もない。

「ネモ。悪いが、最後の砲を撃つ時に合図する」

「……合図ですか?」

 マゼンテと共に砲の調整をしていたネモが怪訝そうに訊いた。

「ああ。そしたら、俺が指示した砲を思いっきりぶん殴ってくれや」

「えっ」

「最後の揺らしが必要なんだよ。頼むぜ、嬢ちゃん」

 そう言って彼はおもむろに“高軌の橋”の群れに近づく。

 ネッドの指示によって各々その向きと角度を出鱈目にも見える均衡で整えられた砲たちは、まるで芸術性を獲得した置物のようにも見えた。

「耳塞いでなァ。撃つぞ」

 不凍ライターの火が、砲の後ろに開いた摂火口に落とされる。

 火縄がしゅぼっと燃えた。

 同時に、音の塊を纏めて叩き割ったような音が噴出する。

 火薬兵器のような踏ん張りの利いた音ではない。

 大質量の砲弾を高速ガスによって送り出すことによって発生する、鋭く甲高い轟音だ。しかしネッドはそれを聞き慣れていると言わんばかりに、歩きながら次々に火を砲に落としていく。そして最後の砲に差し掛かって、ネッドは砲口のある一点を小突くような仕草をネモに見せた。

 ネモは頷いて、

 ネッドに示されたポイントを、

 硬化した拳で打撃し/ネッドが再び砲撃する。

 

                 +


 ヴェルヌが、オーメスが、ムラマサが、それぞれ異なる地点で観測していたカンパネルラの二射目――その火線が途中で何かに弾かれるようにして大きく進路を変えたことに、誰もが気付いた。

 基地に着弾する方向ではない。

 市内の放棄地域方面に、逸れて堕ちてゆく。

「ネッド殿がやってくれたのだな」

 いつの間にかヴェルヌの隣に来ていたムラマサが、泰然とした様子で零す。

「ムラマサさん。まさか、砲撃で砲撃を弾き飛ばしたんですか?」

 ヴェルヌは唖然としながら訊く。

 見誤っていた。

“銛撃ち”の異能がどれほどの意味を持つのかを、未来を観る彼ですら完全に測りかねてはいなかったか。

「……ということは、余裕が出来たね。この間に対応策を考えよう」

「対応策? 拙者たちは砲撃を防ぐので手いっぱいなのだぞ」

「そう思わせることが目的だとしたら?」

 そう言って、オーメスはいつの間にか夜空に羽ばたていた穹撃型の群れをみた。

「ヴェルヌくん。上の穹撃型の未来を観て貰えないかい」

「……わかりました」

 彼女から下された不可解な問いに違和感を覚えながらも、ヴェルヌは空を異なる感覚質で俯瞰しようとするが――その目は。

「何の、攻撃も……来ません。いまはですけど」

「ふふ、よしよし」

 オーメスは鷹揚に頷く。

「今の砲撃で何となくわかった。カンパネルラの狙いを逸らす方法があるかもしれない。なんてことはない――多分、あちらの栄光個体よりも、そちらの狙撃手の方が上等だってことが解っただけさ」

「まさか」

 ムラマサとヴェルヌは同時に顔を上げる。

「穹撃型を――」「に」

「あくまで可能性だけどね。間断のない連射で、こちらの対応に割く人的・心的資源を削ろうとしている」

 ヴェルヌはガリアの狡猾さを思い返した。

 栄光個体は恐るべき存在だ。

 その何もかもが、ヴェルヌたちの常識で測れる相手ではない。

「だとすれば、まずは上の穹撃型を処理するのが急務ですね。ムラマサさん、おれたちでやりましょう」

「うむ」

「おいおい」

 オーメスは肩を竦める。

「君たちで何も全部やることはないだろう。共同戦線と行こうじゃあないか」

 信じがたい提案だった。二人は顔を見合わせる。

「本気なのか? お主からそのような申し出があるとは、思わなかったが」

「本気さ。何しろわたしは、そこのジュール君が云う所の――」


 『』らしいからね。





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