世海

夢見る左手

 赤い吹雪が、天を貫いていた。


「特定識別號体四十二番。漸進政府だと『栄光個体』スラヴァと言っただろうか?」

「ええっ、多すぎますよ。こういうのオホーツク海に入って何回目ですか? ピエール叔父さん」

「今は作戦行動中だよ。ピエール氷佐と呼びたまえ、アクセル君」

「す、すみません」

「……竦むな、アクセル。我ら『冬の騎士』にとっては不足のない敵だ」

「そりゃハンスさんはめちゃくちゃ強いから良いでしょ! 皆が皆あなたみたいに撃滅形態になれないんですよ!」

「オマエには”固定”の異能があるだろう。怯むことはない」

「ア。また馬鹿共が馬鹿やってるワケ」

「丁度いい所にきた。コンセイユさんも何とか言ってください、このまま栄光個体に立ち向かったらわたしたちは全滅ですよ」

「え、面白いじゃん。やろうぜ」

「くそっ! あなたはそういえばそういう人でしたね!」

「大丈夫さ、アクセル君」

「……『さようならじゃない。またいつか』?」

「そういうことだよ」


 そう言って、ピエールは短い凍刃を抜く。

 ――かつて、『冬の騎士』アークナイツと呼ばれる英雄たちがいた。

 彼らは第一次オホーツク海長征船団として四十七体の栄光個体に挑み、そしてそれら全ての災厄に勝利した。


 氷爆のヴァンダ。

 鍵食みノックス。

 無敵スティーヴンソン。

 城鯨モビィ・ディック。

 審きのイワン。


 それは、人々が英雄という存在を何の衒いもなく信じることができた最後の時代であったのかもしれない。

 四十八体目の栄光個体の討伐に向かったのちに、『冬の騎士』はたった一名を残して全滅することになる。

 騎士の時代は落日を迎えた。

 赤い吹雪は、鋼の光すらも覆い隠して吹きすさぶ。


 たった一人の生き残りは、その後氷海軍を除籍したのだという。

 そして――一八七六年の現在に至るまでその行方は誰にも知られず、雪に存在ごと隠されてしまったという伝説がまことしやかに囁かれるばかりだ。        

 なぜなら『冬の騎士』の旅の終わりは、ひどく呆気なかった。


氷の王ジャックフロストを発見した』


 たった一行。

 手記の断片に記された、夢物語じみた報告がその全てだ。

 彼らの装備や船団のことごとくは北極圏に消失し、今ではもはや『冬の騎士』の物語を誰も語ることはない。


 そこに語り手が存在しない限りは。


           +


 一八七六年、四の月アプリオルの十二日。

 ロシア連邦・バイカル湖付近。


 赤く凍った湖の傍を駆ける、鋼の獣があった。

 行く道にはロシアの西果てへと伸びる鉄の軌条が敷かれている。

 赤い吹雪は獣の巨躰に触れる度に、焦げ付くような音を立ててけぶった。

 鈍く輝く鋼の肌。青く閃く電磁の残光。

 極限まで物理の贅肉を削ぎ落し、唯一走行という目的に向けて研磨された駆動の巨獣。

 敷設式葬甲浮動特火点RAHTグレイヴクレイモア――そのを、『宙駆けタラリア』といった。元々は試験的にシベリア氷汽鉄道の路線敷域を走らせるはずであっただけの計画を、『ノーチラス』が拾い上げた――まさに虎の子である。あまりに高い技術的難易度に、当初は基幹技術の実現すらも危ぶまれていたが――”雷帝”エカチェリーナの協力により、氷海世界における金属の超電導性質の解明は著しい前進を見せた。彼女はその武力のみならず、文化に対しても多大な貢献をもたらしたのだ。

 極低温下では、金属の電気抵抗は限りなくゼロに等しくなる。

 この現象は超電導と称され、実際に氷惨の疑似神経においても酷似した現象が観測されている。現に、例えば大型の栄光個体や闘士型などはその神経伝達信号を超電導物質による指示電流の輻射を用いることで模倣・強化していることが研究解剖で確認されていた。


 実際のところ中途半端な低温下では金属の電気抵抗はむしろ増加してしまう。

 そのため、雪花鉱や氷爆石が体内温度を極低温まで押し下げる一種の冷却装置として機能していたのだと世界政府の研究者は予想したのだ。

 エカチェリーナの、超電導を利用した電磁鉤錘はその一つの結果でもあった。

 雪花鉱アラバスタには、電流の授受をスイッチとして周囲を冷却する作用が存在する。

 氷惨アイスバーグが身に纏う霜甲スノーヴァンは、この冷却機能を始めとした幾つかの作用で形づくられており、これらに特殊な処理を施して化学的に安定させた物質がヴェルヌたちが武器や燃料に使用している氷爆石となる。余談ではあるが、赤吹雪は霜甲を形成する際の余剰副産物を圧力皮革室が生み出した空気圧力に乗せて、水冷用の水分と混合したのち排出したものだ。氷惨体内の空気は雪花鉱の影響で低温化しているため、気液相流となって気流へと紅い吹雪の如く乗ってゆく。これが赤吹雪と呼ばれるものの実態だ。


そして、その赤吹雪を駆ける『宙駆け』の正体は――奇しくも。

 氷惨の体内機構を模倣した軍用装甲列車である。

 より具体的に述べると、氷惨体内の冷却機能を車体とレールに使用されている超電導磁石に取り入れているのだ。

 そして超電導により電気抵抗が限りなく無に近づいた状態でコイルへ電流を流せば、磁石はたちまち強力な磁界を発する。

 この磁界を軌条と車体間でそれぞれ任意に干渉させることによって、『宙駆け』は推進力と案内抗力、浮遊効力を得て浮動することが可能になる。

 そして車体が浮遊している限り、『宙駆け』は空気を除く一切の摩擦から解放される――つまり、電磁石の反発に伴う推進効率が極端に上昇する。


「この『宙駆け』が最大起電能力を発揮した場合の速度は、時速に換算してそれほどのものなのか――わかる? ネモ」

「なんであたしに聞くんだよ。外見えないからわからないし」

「え、座学で聞かされませんでしたっけ」


『宙駆け』車室内。

 武骨な鉄扉が鎧う車体は、構造の脆弱性を回避するために極力窓を排している。

 事前に進行表を知らされていない限り、列車の内より詳細な速度感覚を持つことは極めて困難な環境にあった。


「あたしを煽ってんのか? ジュール。お望みならあんた一人だけ外に出て教えてくれたって良いんだよ」

「ちょ、ちょっとネモ。作戦行動中なのよ」

「振ってきたのはマゼンテだったね。あんたもジュールと一緒に外の景色を見るかい?」

「ふふ。ネモ殿はいつも血気盛んであるな」

「漁師時代には喧嘩で負けなし、なんでしたよね」


 ネモの杏の瞳がぴくりと動いた。


「……誰から聞いたんだ?」

「……スナイデルさんから」

「なるほどね。なるほど」

「ヴェルヌてめェ! あれほど黙ってると!」

「だって無理でしょこの空気じゃ! 折角ガリアとの戦いで生き残ったのにこんな所でもう一回死にたくありませんよ!」

「よし。わかった。わかったぞ。考え直せ、ネモ」

「あたし、まだ、何にもしてませんが」

「そうだ、今度酒奢ってやるからさァ!」

「お断りします。ネッドさんの酒癖の悪さって有名ですよ」

「クソーッ! ヴェルヌ! 打撃三班は今日で終わりだ!」

「あたしを何だと思ってるんです? 流石に傷つきますよ」

「スナイデル殿。酒盛りだけがこみゅにけいしょんという訳ではあるまいよ」

「それに関しては全く同意するわ。ネッドさまも、もう少し高貴な振る舞いというものを御身に付けになっては如何?」

「良い度胸じゃねエかこの野郎……! 上等だ! これでも俺はもともと大した部隊に居たんだぞ! 作法くらいお手のモンだ!」

「あー、マゼンテ。結局『宙駆け』ってどのくらいの速さなんだっけ?」


 これまで苦々しかったマゼンテの顔がぱっと輝いた。


「よくぞ聞いてくれたわね、ヴェルヌ!」

「あんたさっき知ってるみたいな顔してないっけ?」

「ハハハ。キノセーデスヨ」

「ほら! 良いじゃない、細かいことは」

「……まあ、確かに良いけどね。どの道ここからは作戦行動に関わることだし、真面目に聞くよ」


 ヴェルヌとマゼンテは顔を見合わせて、お互い密かに胸を撫でおろした。

 ネモはこれでいて、非常に頑固なところがあったからだ。


「ともかく、」

 マゼンテは咳払いする。

「――話を戻すわね。今現在、『宙駆け』は280km/hで進行中よ。アラスカ湾沿岸を南西方向に氷汽列車で進行しながら火山湾を通って……コールドベイ大氷橋を渡ったあとにフォールス・パスからベーリング海を砕氷船でウラジオストクへ航海したわね。その時点で、十三時間前」

「それなんですけど」

「どうしたの? ヴェルヌ」

「なんでフィンランドへ東周りのルートで行かなかったんですか? わざわざこうやってロシアを横断しなくても、アイスランドを回って白海のムルマンスク辺りに寄港すればよかったじゃないですか」

「ふむ。ならば、その訳は拙者が答えようか」

 ムラマサは常日頃携帯する凍刃≪村正≫むらまさとは異なる、一本の実刀を佩いている。

「白海をはじめとしたバルト海戦線はオーメスの手の内なのだ。既に不審な検問が何重にも設けられているという噂がアラスカにも入っていた」

「……そうか。バルト海側は、エカチェリーナさんが死ぬまでにおれたちを引き留められればそれで良いんだ」

「よくわかってるじゃねェか。遅滞戦術は政治家の得意分野だ」

「でも、この『宙駆け』ならバルト海戦線にも知られていません。例えバルト海広範にわたる権力を有するオーメスも、二日足らずでロシアを横断する私たちに気づいてすぐに手を回すことは不可能です」

「マゼンテ殿の言う通りであるよ。査察の名目で来た以上、追い返すことは出来まい。拙者たちにはメンデルホール殿より受け取った勅書がある」

 マゼンテは頷き、青い礼装用の制帽を少し直す。

「シベリア鉄道の軌条に乗ってからはほとんど予定走行速度で来ているから、あと半日ほどでフィンランドのバルト海前哨基地に着くわ。そのあとは――多分」


今だ姿を見ぬ、氷海世界の怪物。


「オーメス=リーデンブロックとの交渉になる」


                   +


「えぇ……もう『ノーチラス』来たの? 早くない?」

 フィンランド・ヨエンスー。バルト海戦線前哨基地の執務室にて、オーメス=リーデンブロックは心底驚愕していた。

「検問と罠はどうしたのさ。エカチェリーナの余命の一週間前後には絶対に間に合わないように色々仕掛けてたのに、全部台無しじゃん……」

 彼女は傍らに立つ資料官を恨めし気にみた。

「それが、彼らはシベリア鉄道を辿ってこちら側に辿り着いたようで――我々も困惑しています。氷将補殿は何か心当たりはありますか?」

「あぁー……ちょっと待ってね。今頭のナカから探すから」

 オーメスは目を閉じた。

 同時に、脳裏にとある映像が過ぎる――ロシア視察。不自然に多い、氷爆石を運ぶ貨車。世界政府定例会議の開発進捗報告に一言だけ記されていた『葬甲特火点』の存在――あれは頓挫したとオーメスは聞いていたが、恐らくは。

「ふふ、そういうことかぁ……私も頭が回らないなあ」

「どうされますか」

 オーメスは儚く笑って、しなを作った。

「手厚く出迎えるに決まってるじゃないか。大事な客人だよう」

「では、そのように」

「手は、出さないでね。まだ」

「というと?」「むやみな人殺しがしたいわけじゃないからさあ」

「……承知しました。兵達にも周知しておきます」

「うん、よろしく頼むよ。私の大切な兵隊さん達」

 彼女はきっと忘れていない。

「……会わなきゃならないひとがいるんだ」

 赤い吹雪の向こうに消えた、騎士たちの物語を。


                    +


 ネッド・スナイデルは、バルト海戦線前哨基地への道行きに――酒樽を丸ごと一つ購入していた。不凍酒と呼ばれる類のがんがん頭にきく酒で、必要だから経費で落としたのだと――『ノーチラス』の射撃統括手、”銛撃ち”は語った。その眼差しは、獲物を捉える狼のように鋭い。

「何してるんです?」

「ネモ。これは必要なことなんだぜ」

「だから何してるんです?」

「ガキにはまだわからねェと思うが」

「経費ですよ」

「悪ィな。もう酒はここにある」

「何とかしてくださいよ副隊長……!」

「……相済まぬ、ネモ殿。ネッド殿に頼んだのは拙者だ」

「ムラマサ副隊長!?」

「その……大人には……必要でな……」

 常に明朗なムラマサも、この時はなぜかネッドに追従して目線を逸らす。

「酒盛りする気ですか! あんたら!」

「ネモ殿、違うのだ! これには深い理由があってだな」

「ああー、こうなったら聞かないわよ、ネモは。お財布には煩いんだから」

「ちょっと待って下さい。これネタに一本書いても良いですか?」

「つくづく職業病ね、あなたも」

 そのような悶着を繰り広げながらも『ノーチラス』の一行は市街を徒歩で抜けて、所定の合流地点――県道の人通りが少ない店角だ――まで辿り着く。

 すると一台の鹿車が道の向こうからやって来てヴェルヌ達の前で止まった。


「第一特別連隊の方々ですね」

 鹿車の中から、前哨基地の職員と思しき兵士が滑り出てくる。

「お乗りください、オーメス氷将補がお待ちです」

 ヴェルヌは息を呑む。これから、バルト海の写真狂に対面するのだ。


 ヨエンスーは北方の陸地を除く三方をピュハセルカ湖に囲まれたフィンランドの要衝である。古くから主要な教育機関が名を連ねてきたその土地は、氷海時代のいま。国の東端国境に位置する重要な前線拠点として、堅牢堅固な氷塞と堡塁、歯抜け無く揃った砲という姿を装っていた。


「城壁がコの字型になってるんですね。中もかなり複雑だ」

「バルト海は穹撃型先進種の栄光個体も比較的多く発生するからな。飛翔する相手に身を隠せるように、至る所に塹壕みたいな溝と堡塁を設けてるんだ。気休めにしかならねェこともあるが、大抵の射線は通りにくくなる」


 ヴェルヌ達は氷塞にほど近い丘で鹿車を降り、案内に従って前哨基地を執務室へと向かっていた。基地内部にも氷汽列車の架線が開けており、広い要塞でも短い時間で目的地に辿り着くことが出来た。


「こちらが氷将補の執務室になります。掛けてお待ちください」

「あ、ちょっと待ってくれ。便所はあるか?」

 スナイデルが突如、片手を上げて案内の兵士に聞く。

「……こちらです。ご案内します、ネッド氷尉」

「やー、悪いなァ。お偉いさんに会うの慣れてねェから緊張しちまってよ」

「ネッド殿は素朴であるな。折角の機会であることだ、基地の厠も見学していくと良い」

「ハ。違いねェです。それじゃあ俺はこれで」


 そう言ってネッドは、案内の兵士と共に通路の奥へと消えていく。


 彼らだけしか居ない応接室で、ヴェルヌはポケットから紙片を取り出した。

 そこに何事かをペンで書きつけて、見せる。

『狙撃は届きますか?』

 他の面々も、次々とそこに文を書き加えていく。

『厳しいわ。窓がほとんど金属製の鎧戸で覆われてる』

『ネッドさんならなんか弾曲げたりとか出来るんじゃないの?』

『どうでしょうね。この要塞を造った人は、相当に用心深いようだから』

『というと?』

『構造が迷宮のように多角的になっている。つまり、遮蔽物と高低差が異常に多い』

『ならば拙者が窓を作ろう』

『作る?』

『壁を切断する。いざとなれば、ネモ殿に体当たりして貰うのも有りだ』

『了解。合図は副隊長がお願いしますね』

『無論だ。とはいえ、そのような事態がこないことを祈ろう』


 その時、

「お入りください」


 執務室から響いてきた兵士の声に、ヴェルヌは紙片を飲み込んだ。

 重々しく、扉が開く。

 ヴェルヌたちが促されるまま中へと歩みを進めると、そこは墓場のように暗い部屋だった。大型の書類机の上には幻燈機械が端に置かれているのが解る。橋の書棚には、本の代わりに発色液に浸けられた大量のフィルムが。


「やあ。『ノーチラス』の諸君。そして、ジュール・ヴェルヌ」


 机の傍らに立つ、スリー・ピースを纏った漆黒の女がいる。


「こんにちは。会いたかったよ」


 闇より暗い瞳を見せて、怪物は笑った。


「それで――査察という用向きだけど……ふふ」

「恐縮であります。拙者たち氷海軍第一特別連隊『ノーチラス』は――」

「ああ……大丈夫だよ、そういうの」


 オーメスのヘリックス・ピアスは幻燈機械の光を跳ね返す。

 鯨の骨だとヴェルヌには解った。


「こっちも建前と本音くらいは知ってるから。君たちの話を聞く用意もある」

「……では、交渉の余地はあると?」

「こんなに早く来たのは、さすがに驚いたけどね。でも、その前に」

 オーメスは言を止め、唇の端をわずかに歪めながらヴェルヌへと近づいてくる。質の高い調度が音を吸ってなお、彼女の足音がヴェルヌにはよく聞こえた。それだけではない。彼女の存在感そのものが、ヴェルヌの感覚を鋭敏にさせている。オーメスの青暗い瞳が動けば、ヴェルヌの紅い虹彩も揺れる。

 オーメスが白い指筋を意味ありげに動かせば、ヴェルヌのペン胼胝もうごめく。魅入られていた。こんなことは初めてだった。


「その前に、きみに伝えておかなきゃならないことがあってさ……もう散華のガリアがコルト=オークレイだってことは知っていると思うんだけど」

「はい」


 そう答えるのが精いっぱいだった。言葉の内容など、まるで解らなかった。肺腑を深海の圧に圧し潰されているような感触にヴェルヌは襲われる。


「問題は、きみがそれを見掛け上一人で倒してしまったことなんだよね。これじゃあ世界政府の思う壺だ‥‥‥嫌になるよ。まさかコルトの言っていたことが本当だなんてね」

「待って下さい」

 コルト=オークレイを、

「コルトを知っているんですか?」

「知っているも何も……私は彼の上官だったんだよね。バルト海長征隊は私も参加してたし……」

「でも、コルトのこととおれと何の関係が――」

「……待ってね。きみは……本当にガリアを倒したの?」

「はい。隊長の後を引き継いで、止めを刺しただけでしたが」

「だったら知ってるよね……ガリアが、コルト=オークレイだってこと」

「え? 何?」

「だからさ、」


 栄光個体は人間なんだって。


「――」


 ヴェルヌはムラマサを振り返った。

 ムラマサは刀の柄に手を掛け、鯉口は切られている。

 瞳には、オーメスの姿だけが。


「え? ムラマサさん……ちょっと」

「オーメス」

初めて目にする、ムラマサの真の殺気。

「貴様」

「……待ってくれ、君ら。教えてなかったのかい?」


 ネモを見る。マゼンテを見る。彼らもヴェルヌと同じ顔をしている。

 ヴェルヌは最後に、左手を見た。

 散華のガリアの触腕で編まれた、自らの左腕の補助具を。


「嘘だ。だってコルトは」


 ――ヴェルヌはコルトの死体を見ていない。


「コルトは、あいつは、おれの」


 ――ガリアの、見えぬものを見る異能は。


「おれの、友達で」


 ――コルト=オークレイの、厄災を色線で感知する異能と同一のものだ。


 エカチェリーナの戦闘の際に雪煙の煙幕に対処できたのは――コルトの異能があったからだ。磁気観測の視界では、赤吹雪の煙幕はむしろ乱される。あまりにも大きな思考の陥穽だった。

 そうだ。考えれば、初めから解ることだった。

 散華のガリアが自らの触手によって自壊したのは、自らの存在を危害として認識できなかったためだ。

 ヴェルヌを『危害』と認識しなかったためだ。

 そして何より、最後の一撃の直前。

 ガリアの触腕がヴェルヌの手前で停止したのは。


 自分は彼に何をしただろう?

 

 殺した。


――世界の果てに行くんだ。


 雪花鉱を。命を。彼の、夢を砕いて。


「おれが」


 左手の補助具で顔を覆い、


「おれが、コルトを殺した」


 ヴェルヌは嘔吐した。

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