雷の凍てつく夜に Ⅱ

 アラスカ統監ジョン・メンデルホールは凍弩の引き金を弾いた。

 気縮孔が氷気を漏らし、胡麻塩の髭が更に白く染まる。

 ひゅん。

 鋼矢は空間を切り裂いて飛び、犀のような形をした藁的の脳天に突き刺さる。


「アー、お見事」


『ノーチラス』アラスカ基地第二射撃訓練房の地下に、まばらな拍手が響いた。

 狼の輪郭を持つような男、“銛撃ち”スタッバーネッド=スナイデル。

 散華のガリア防衛戦において、極めて重要な火力支援を果たした人物である。


「スナイデル君か。改めてガリア討伐の件、ご苦労だったな」

「どうも。俺はただクソ基構分化を薙ぎ倒しただけですが」

「それさえも、何百体規模での話だろう。やはりマゼンテ嬢に≪銀の女≫の開発を急がせたのは正解だったな――君のような銃手ならば、あれも有効に活用できただろう」

「やっぱ急造の代物だったんですか、アレ。やけに曲がるとは思っていましたが」

「ふん。というと?」

「近接信管の作動が早すぎます。アンタにしちゃ雑な仕事しましたね、助かったんでまァ構いませんが」

「申し訳ない。調繕部門チューナーズに取り計らっておこう」

「そんなに早く仕様変更させて良いんですかい」

「君らが何発使ったと思ってる。総生産量の八割が消費された今、新たな弾頭規格を製造するよりも既存の≪銀の女≫アルテミスを改良した方が早い」

「偉いモンですね、知事ってのは」

「君もやってみるか?」

「結構です。酒がまずくなりそうだ」

「ふ。違いない」

 アラスカ統監であるメンデルホールは、知事としての立場も兼任している。

 本来ならば傀儡の知事を置くことで行政を間接的に代行させるのが世界政府のならわしだったが、メンデルホールはそれを拒むことができた――ひとえに彼には実績があったからだ。

 世界政府が派遣した傀儡の知事を行政人材として用いるということは、同時にメンデルホール自身も世界政府の思惑によって拘束されることを意味する。


「政府の気色の悪い玩具になるのは御免なのでな」

「よくやるお人だ。そう長くは生きられませんよ」

「私を長く生きさせるために君とムラマサがいるのだろう? 励んでくれ」

「どうでしょうね」


 ネッドも射撃場の門を開いてメンデルホールへ歩み寄り、背負った革のトランクから凍弩を取り出した。氷気縮圧槽から専用の装填タンクへと氷気ガスが充填され、弩身の後部にがちゃりと取り付けられる。

 安全装置を解除。装填タンクと連動していたバルブが開き、一発分の氷気ガスがポンプ・チューブに流入した。

 ネッドは凍弩を射撃場の上方に向け、振るうように撃った。

 がしゅ、と。

 大気比重が軽く、異常なエネルギー伝導率を備えた氷気ガスは――ネッドの狙い過たず氷海軍制式37mm鋭利弩弾頭≪鋼妖精≫ニュムペーを音速を越えて撃ち放った。

 鋼矢が跳弾する。

 銀色の風はメンデルホールの右頬を撫で、背後の壁に鋭い弾痕を残した。

“銛撃ち”の異能は、不規則な跳弾さえもその意思の支配下に置く。


「案外、ここで終わるかも知れませんぜ。アラスカ統監の仕事も」

「マゼンテ嬢の次は君か。全体何に怒っている?」

「隊長の処遇」

「なるほど。やはりそう嫌われてもいないじゃないか、彼女は」

「御託は良い。特異点の英雄を処分するだなんてどこの馬鹿が考えたんだ?」

「バルト海戦線のオーメスだ」

「あの活劇写真狂いクソ女ですか。処分の指示を出したのが統監じゃあなかったってのは、解りましたが」

「……名目上は『散華のガリアによる病毒保菌者を安全裏のもと隔離する』というものだそうだ」

「馬鹿げてやがる」


 スナイデルは舌打ちした。

 正式名称をスウェーデン-ポーランド間広範指定戦域作戦群と言い、活動範囲はバルト海沿岸を包囲し北欧全域の盾となる――故に称してバルト海戦線。

 新進気鋭の怪物、”写真狂”ロードムービーオーメス=リーデンブロックを擁し、更に世界最大規模の砕氷船団を保有するばかりか、近年では数多の凍霊が集結しつつあるという。

 名実ともに戦線氷塞アラスカ・凍血城塞ロシアに並び立つ、そこは氷海世界の三大戦線である。


 しかし。

 良からぬ噂もまた、ノーチラスの射撃統括手であるスナイデルには数多く聞こえている。曰く――バルト海戦線は、隊員の失踪と逃亡が異様に多い戦闘圏であると。そこへ来て、凍霊が集まるという噂だ。


「疑うなって方が無理な話ですよ。一兵卒のおれだって怪しいと思うんだ」

「それを私に言うのか。ずいぶん肝が太い」

「統監だからです。アンタ、少なくとも世界政府の狗じゃないでしょう」

「もしも、そうだとしたら?」

「矢が刺さった死体が一つ増えるだけだ。言っとくけど本気ですよ」

「そこまで、エカチェリーナに拘るのだな」

「それを俺に言うんですかァ。ずいぶん肝が小さい」

「ならば私を悪党と思うか、ネッド」

「どうでしょうね。ソレを決めるのはアンタだが……まァ、俺くらいは賭けても良いですよ。どうあれ、統監がアラスカを守ってきたことは事実だ」


 スナイデルは凍弩を下ろした。

 メンデルホールもまた、スナイデルと同じく叩き上げの軍人だ。向いた企図の方向さえ違えど、戦闘精神に育まれた無意識の紐帯があると確信していた。

 そうでなければ、スナイデルは全く異なる手段を取っていただろう。

 アラスカ市庁舎の執務室を3km先から無造作に撃ち抜ける彼にとって、直接快適による脅しはほとんど児戯に等しい。全く合理的ではなかった。

 そしてメンデルホールも、スナイデルを真に警戒しているのならば、不用意に二人だけで演習場にいるという状況を選ばなかっただろう。

「話して下さい。オーメスにやられっぱなしってわけじゃないんでしょう」


           +


「ああ、面倒くさい。メンデルホールが黙ってないだろうなあ」

 バルト海戦線総司令本部の暗室で、オーメス=リーデンブロックは陰鬱な溜め息をついた。短く切り揃えた夜鴉の髪が、ぬばたまの黒い闇に溶ける。

 幻燈機械の光を反射して揺れるヘリックス・ピアスは、クジラの骨を削り出したもの。黒のスリー・ピースは完璧にオーダーメイドの高級品で。全身を隙なく装いながら、常の表情は喪に服すように昏い。なにかの約束を秘匿するように引かれた青い目化粧と口紅が病的な印象を与える、氷の幽霊のような美女だ。

「面倒だな……本当に面倒だ。今からでも指示を取り消せないかなあ?」

「気に入らねえな。馬鹿の馬鹿話に付き合うほど無駄なことってあるワケ?」

「コンセイユ」


 暗室には、もう一人。

 燻んだ金髪を腰まで豊かに伸ばす、背の低い女性が佇んでいる。

 褐色の肌に黒縁の眼鏡を掛け、よれよれの白衣を纏った姿は控えめに見ても不健康だ。陰鬱だが折り目正しいオーメスの様態とは対照的に、怒りを体の炉にくべて生活している小動物と言った具合だ。


「私が傷つかないとでも思った?」

「馬鹿言うな馬鹿。お前そういうのないでしょ」

「うわあ。解っちゃいたけど非道いね、きみ……マジで医者なの?」

「動揺、共感、悲嘆、怒り等々――内在的心理動作の著しい不全。精神的病疾の傾向は明らか。『マジで医者』だから解ったことだ、この活写狂い」

「解ってないなあ。私の撮ってるのは映画って言ってさ……」

「御託は良いんだよクソボケ。さっさとアタシをバルト海戦線ここから出しやがれ! いつまで気色の悪い実験に参加させるつもりだ!」

「あぁー、ごめん。ちょっと無理だなあ」

「何が無理なんだよ! アラスカからも再三要請は来てんだろう、知らねえとは言わせねえぞ!」

「私が揉み消してるから」

 オーメスは儚く笑って、しなを作った。

 コンセイユの金の髪に、雪よりも白い指先が触れる。

「クズが」

「ふふ。きみはいつも怒っているねえ」

 でもダメだよ、と。

 オーメスは氷惨じみて白い指先をピンセットに添え、そっと光学溶液の中の写真を引っ張り出す。

「私の絵図が完成するまで、コンセイユはずっと私とここにいるんだ。エカチェリーナは治させないよ」


 コンセイユはオーメスの頬を殴打した。

 細い体躯が、柳のように吹き飛ぶ。

 見上げた顔の鼻梁からは、細い鼻血が一筋垂れて滴った。


「いい、ね。あー、痛いなあ……」

「勘違いすんなよ。アタシはアンタの顔をグズグズに溶かすことだってできるんだ。ジュール・ヴェルヌに手を出さねえって言うから、大人しく従ってるだけ」

「うふふ。超痛い……」

「イカレめ」


 へらへらと笑うオーメスを尻目に、コンセイユは暗室を出て行った。

 きっと軟禁されている自室に帰ったのだろう。光が入ったせいで溶液に付けてある写真はダメになってしまったが、それすらもオーメスにとっては些事だった。


「来るかなあ。ジュール・ヴェルヌ君――楽しみだなあ」

「ガリアが、彼だってことを伝えるのが」


           +



「処理されるって……なぜです!」

「ガリアの毒が感染性のものだという偽の情報を、バルト海戦線の指揮官が公式に発表したからだ。世界政府の高官も多数が処理派に傾いている」

 ヴェルヌは言葉を詰まらせた。

 メンデルホールを快く思わない勢力は多い。自然な流れだということだけは、理解できる。だが――エカチェリーナを排したところで、何の得が?

「その情報の最たる裏付けとなっているのが、コンセイユ=ドナテッロという医者の存在だ。偽情報は彼女の名義で提出された」

「コンセイユ=ドナテッロ?」

「うむ。七か月前、ガリアによるお主の傷を治した医者だ」

「ちょっと待って下さい。あの時はアラスカ基地付の軍医が担当したものとばかり思っていましたが」

「欺瞞だ。書類もそのように改竄している」

「欺瞞? 隠す必要があったってことですか」

「うむ。彼女は凍霊だからな」

「今は、アラスカには居ないんですか」

「バルト海戦線に招聘されて、ちょうどガリアが来襲する直前にここを発った」

「戻ってこないんですか?」

「こない。不自然に逗留期間が延長されている。拙者たちは、半ば公然的に彼女が幽閉されたと考えている」


 ヴェルヌは、エカチェリーナの言葉を思い出す。


 ――散華のガリアがきみに打ち込んだ毒はそれほど強力だった。治療にあたった医師がいうには、生死の瀬戸際だったとのことだ。


 あのとき。運動神経の融解からも回復できたのは一重に凍霊の回復力ゆえだと思っていたが――それだけでは、ないのだとしたら。

 事実が符合し、真相が頭の中で紡がれてゆく。


「コンセイユさんは、それだけの能力を持つということですか」

「そうだな。能力の希少性で言えば、拙者なぞよりも余程上だ」

 ヴェルヌは閉口した。

(本気で言ってるのか、このヒト)

「む。なんで御座るか、その含みのある顔は」

「いや……あの異能よりも希少だなんて、嘘でしょう」

奇体けったいなことを言うでないよ。拙者の故郷には、拙者より強い武芸者などごまんと存在したぞう。例えば江戸川殿は立ち歩くのみで氷惨どもを狂わせたし、あの……“カジキ”とだけ呼ばれた凍霊は槍一本で三十もの駆導型を一度に仕留めた。異能持たぬ示現流の剣士に至りては、ひょうと弓手振るわば、次の瞬間に闘士型が真っ二つに唐竹割りよ」

「ムラマサさん」

「む?」

「武芸の話になると何でそんな早口に」

「失礼した。どうにもな、気を抜くと武士の性でな」

「いや、良いですよ。おれも本の話する時は大体そんな感じですし」

 ヴェルヌはほとんど動かなくなった左腕の位置を変えながら呟いた。

「ともかく、そのコンセイユと言う人が重要なのは解りましたけど」

「そうだな」

 ムラマサも、ヴェルヌの左腕をみた。

「解っているとは思うが――貴殿はそのままでは、兵士としてほとんど働けん。コンセイユ殿抜きでの『ノーチラス』の医療は、せいぜいがお主の神経に絡んだガリアの破片を全て取り除くまでに留まる」

 それも十分にとんでもない技術だと思ったが、ヴェルヌは黙っていた。

 医者の診断書には、補助具を付けて技術治療を繰り返してなお、左腕の可動能力以前の半分程度までしか回復することはないと書いてある。ガリアを倒すほどの剣は、もはや望むべくもない。

 だが、コンセイユが居れば――そうではないのだという。

「回復不能な傷さえも、治癒する凍霊ですか」

「うむ。雪牙病さえも根治する」

「それは」

 ヴェルヌは少し考えた。

「――確かに、争奪戦になりますね。世界政府の中にはまだ貴族気分でのさばる大富豪や世襲の政治家も多い。そんな医者を『ノーチラス』だけで抱えてるだなんてことが解れば、心証も良くないでしょう」

 雪牙病は死病である。中和剤を服用できるような上流層に居ても、死の亢進を完全に止めることは不可能だ――少なくとも、従来の医療では。

「そういうことだ。故に拙者たちはコンセイユ=ドナテッロの情報を公式には隠蔽していたが、事態はそうも行かなくなった」

「……エカチェリーナさんが危篤で、コンセイユさんが必要になったから」

 ヴェルヌは一瞬、声を硬くする。

 ムラマサは首肯し、煙管の吸い口からそっと薄い、少年らしい唇を離した。

「辛いな、ヴェルヌ殿は」

 ――驚くべきことに、ムラマサは、隊の交友関係のほとんどを把握しているのだという。そうでなくてもエカチェリーナに進んで近づくヴェルヌは奇特だという噂が絶えなかったものの、彼はエカチェリーナの交流をたすけてくれていたようにヴェルヌは思う。彼女が足しげく通う街の古本屋を教えてくれたのも、ムラマサだ。ヴェルヌはこの尊敬すべき上官に対して、なにか奇妙な友情の如き想いが込み上げるのを感じていた。

「そんな。おれなんか、全然」

「誇れ。貴殿と隊長の二人は、あの恐るべき栄光個体を倒したのだから」

「ムラマサ副隊長」

「貴殿の、そして『ノーチラス』の英雄を殺させる訳にはいかん」

 黒い、馬の尾のように結われた髪が揺れる。

 幼い顔立ちが笑みを形作った。

「コンセイユ殿の情報は、限られた世界政府の高官以外に――メンデルホールと拙者、そしてエカチェリーナ殿だけが知っていた。元々隊長がガリア戦に向けて服用していた神経毒抗体を制作したのも、彼女で御座る。だが」

 煙管がくるくると、手の中で弄ばれる。

「これより、拙者たちはコンセイユの情報の隠蔽を解き、捜索に当たる。そしてバルト海戦線へと監査へ向かう」

「監査――」

「実情は違う。高確率で凍霊同士の戦闘になるだろう」

「隠そうとするものが、居るから」

「うむ」


 彼は最後の煙を吐いた。

 それは先行きの見えぬ未来を表しているように、ヴェルヌには映る。


「エカチェリーナ殿の余命が尽きる一週間後までに、拙者たちはコンセイユを奪還する。バルト海戦線の指揮官――オーメス・リーデンブロックとやり合うことになろうともな」



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