最後の開拓郷 Ⅲ

 エカチェリーナは、単騎で戦っている。

 周囲には氷山があった。無数の屍で築かれた、青い氷の墓標だ。

 既に数百体の氷惨を、目標に到達する過程で破壊していた。

 それほどの膂力を以てなお、死の象徴として立ちはだかる敵である。


 絶速の触手。

 致死の神経毒。

 地下への潜行能力。

 原理不明の予知。

 力場による浮遊。


 栄光個体、散華のガリアという。


 エカチェリーナは戦闘街区の北東でただ一人、進撃する栄光個体を食い止める役割を担っていた。随伴した連絡役の凍霊は既に別の戦場へと赴いている。

 単独での戦闘を選んだのは、決して傲りではない。

 むしろ最大の守勢であるとエカチェリーナは認識していた。

 栄光個体に多大な人員を割けるほどの余裕は今のアラスカにはない。

 ゆえに、最大戦力による最大防御を敢行する。隊員は各個分散し、基構分化を討伐しつつ北西の方面へと包囲網を狭め、進軍する。

 その予定だったが――詭弁だ。援軍など来ない。ひっきりなしに上がる信号曳光弾は、如何に全隊に苦戦が強いられているかを意味している。ここで仕留めなければ、アラスカは終わる。

 その確信を抱いて、エカチェリーナは眼前の敵をみた。

 ガリアは――以前戦った時とは、大きく姿形を変えていた。

 巻貝じみた赤霜纏う甲殻は大きく後方に伸び、甲虫のような節が張り出ている。

 触手の質も、以前のものとはまるで変化していた。

 以前のような夥しい数ではない。

 太く、鋭く、しなやかに、研ぎ澄まされた茶褐色の触腕が、樹木を編んだようなかたちで左右に怪しく垂れ下がっている。

 こうして栄光個体が姿かたちを変えて現れるという事例を、エカチェリーナは聞いたことがなかったが――以前、仕留め切れなかった標的だ。

 相手もこちらの攻撃能力を学習し、対応手段を整えているだろうということは予想できた。

 それだけだ。

“雷帝”の責務は、依然として変わらない。

 こちらの「準備」がどれほど通じるかは解らないが、これまでの栄光個体との戦いのなかでも、確実な勝算など皆無に等しかった。


 鋼糸を射出する。

 触手がそれを絡め取る。

 一筋蒼い電流が瞬く。

 すべてが一瞬で行われる。

 あの日の戦闘機序の再現。有効ではない。陶器のような薄片が、触手の根元から剥離していくのが見える。それと同時に焼け焦げた触腕も脱落する。

(本体から伸びる触手の基部を、絶縁体で構成している。やはり)

 彼女の思考は、挙動と同じく高速である。

 凍斧を蹴り上げ、片手で把持する。

 触手の残影をとうに見切って跳躍していた。

(鋼糸による直接電導は不可能。ガリアは)

 樹木のようなそれが、再生の速度のままにエカチェリーナに迫る。

(基部ごと材質の再構成が可能なのか。つまり、体内に同質の絶縁体が増設されている可能性がある――私がこの栄光個体であれば、電流を最大限に警戒する。妥当な判断だ)


 鉤錘を民家に射出する。

 屋根を削って接着の手応えがあり、異能によって加速した神経の電流がそれを光の速度で伝達する。“雷帝”と称される凍霊は、ニューロンの加速さえも制御下に置くことが出来る。

 電磁の蒼光が閃いた。エカチェリーナの装備は、『ノーチラス』の中で唯一電磁誘導による稼働を視野に入れて設計されている。それは例えば、

(牽引)

 エカチェリーナの姿が吹雪に掻き消える。

 誘導電流による、ワイヤ・リールの電導加速化モータライズだ。

“雷帝”は直感的な思考で、全身に流れる超高電流の指向性すらも操作が可能である。それは、雷電を用いるあらゆる現象を、その身一つであらわせるということに外ならない。


 空を切りながら家屋に着地し、降りかかる斬撃と打撃の雨を――凍斧一本で捌きゆく。

 ガリアの攻撃は、加速度的に苛烈さを増していた。

 褐色の伸腕が上方から繰り出される。迎撃の瞬間、それは樹木が成長するかの如く分岐し、それぞれが別々の経路を辿ってエカチェリーナに肉迫する。当然のように、その先端には当然のように乳白色の神経毒が滴っている。

 半歩退き、躱そうとして。

 ふいに、七か月前の戦いが脳裏に過った。

 後ろ手に抜いた凍刃で、股下を狙う触手を弾いた。

 屋根を突き破るように、触手を地下から通していたのだ。

 着地した直後に足場を崩さなかったのは、これを仕掛けるためか。

 攻撃規則が確実に洗練されている。

 触手が八度瞬いた。

 以前とは比較にならぬ速度だ。

 過たず、建屋が切断された。

 轟音と共に雪煙が舞い、建物の構造自体が陥没した。

 足場を失ったエカチェリーナの体が刹那浮遊する。


(高所を取るつもりだ)


 頭に入れておいた、周囲の建造物の位置を確認する。視線は敵から切らない。

 電磁加速させた鋼糸を放つ。氷気ガスによる通常の爆射では、今のガリア相手では追従される恐れがあった。だが、それ以上に。

 鋼糸が切れた。

 ガリアの速度が、エカチェリーナを上回り――果たして直感は的中する。


 下方。

 上方。

 左方。右方。

 斜上方、斜下方、斜左方、斜右方、

 斜右上方、斜左上方、斜右下方、斜右左方、鉛直、直角、斜向――。

 触手の檻が、球状にエカチェリーナを捉えている。

 家屋を最初に破壊せずに、下方に触手を潜行させることを優先したのはこの状況まで持ち込むためだったのだ。高度な戦術までをも、散華のガリアは獲得した。

 そして。

 彼女を囲む樹木のごとき触手の節々が、今まさに膨張している。

 神経毒と同じ色合いの、乳白の霧が、微かに。表皮の合間から漏れ出ていた。

 中空で身動きは取れない。先ほど射出した鋼糸は、触手の壁に遮られている。

 絶望を突きつけるように、触腕の檻が内部に棘を伸ばした。

 急速に、毒の刃が。

 霧が。

 棘が。

 中心に捕らわれたエカチェリーナを貫く。


(ヴェルヌ)


 極限まで白熱した神経のなかで、

 記憶がエカチェリーナの脳髄を刺した。



 好きなものは、凍った時間。

 好きなことは、ひとりの散歩。

 寒い一月のある夜、エカチェリーナは書店に足を運んでいた。

 纏った漆黒のスリー・ピースは、アラスカの夜を着こなしているようだ。

 街灯の明かりが金色に溶けている。

 アラスカ市庁舎から北の方に二ブロックほど歩いたら、中央劇場がある。その近くに建つ、童話に出てくる魔女の家みたいな本屋だ。赤煉瓦がちょこちょこと積み重なって構えられた由緒正しい「小さく旧い」店だそうで、劇場でやった歌劇や芝居の台本もここで販売していたりする。劇場の開演と終演の日には客足が途絶えることはなかったが――それ以外の時期は一日に二、三人の客が立ち寄るくらいの波々な儲かり具合である、と彼女は聞いていた。

 軽いドアを揺らし、重たげなドアベルを聞く。

 店主の老婆はエカチェリーナのほうをみるなり、バーバ・ヤガ(スラヴ民話に登場する妖婆)みたいな言葉の断片をぶつぶつ吐き出しながら目を逸らした。

 こうした、腫物を触るような扱いは今に始まったことではない。

 エカチェリーナの活躍は世界政府の政治戦略によって大々的に報道される。そして莫迦でかい看板ほど落書きされやすくなるという決まり事は、アラスカからローデシアまでどこの国にも付き物だ。「メンデルホールの情婦」でも「冷蔵庫の女」でも構わなかった。

 白銀の羅針盤でさえも、彼女を探すことはできない。

 世界中のどこにも、本当の彼女はいない。

 基地にも――アラスカにも――氷惨がいるかぎり、どこにでも。

 彼女は冒しがたい英雄であるからだ。凍霊の軍団の中にあってもエカチェリーナの力は異常だ。誰もが、彼女を崇める。もしくは厭う。

 どちらでも構わなかった。

 本屋の階段を上る。階上には娯楽書架がある。彼女が探していた一冊も。

 氷の幽霊の率い手として、“雷帝”はいつでも冷たい雪のような振る舞いで、周囲の人間を払うことができた。世界政府による戦意啓発のプロモートである以上に、そのような扱いを望んだのは誰よりもエカチェリーナ自身である。絶望の世界には英雄が必要であるということを、自身の出自によって理解していた。

 凍てついた時間の中で、氷惨を討滅するということだけを自身の魂に固めたはずだったのだ。

 あるいは、本当にそれだけを胸に握りしめていられたのならば。

 エカチェリーナ=アダーモヴナ=ラヴランスカヤの時間は、凍ったままだったのかも知れない。

 二階にはヴェルヌがいた。

「隊長。おでかけですか」

 彼の近くの長机には原稿の束が山積している。

 高級な紙が室内灯に照らされて、銀色にキラキラ光っていた。

 恐らく今しがたまで書き物をしていたのだろう。「白銀の羅針盤」のことは耳にしていた。

「なんですか。じろじろ見て」

「すまない。書き物の手を止めてしまったか」

 上官相手とは思えぬ言動に若干鼻白みながらも、エカチェリーナは短く返す。

 とはいえ、『ノーチラス』には従来の部隊のような絶対的な上下関係はあまりみられない。

 隊員には民間から登用されたものも多い。むしろ古代ローマの軍団レギオンのような互いへの信頼と尊敬による紐帯が『ノーチラス』の規律だった。

「本を探しに?」

「ああ」

「オペラの帰りですか」

「いや」

「隊長、あんまり喋らないですよね」

「必要最低限の会話はする」

「それじゃあまるで『私はパンだけしか食べない』って言ってるのと同じですよ」

「ワインも飲む」

「それですよ。そういう話が聞きたいんです、おれは」

 ヴェルヌは椅子をもう一脚引いた。

 促されるまま、座る。

 ヴェルヌと喋ると、大抵こうなってしまう。

「ワインはありませんけど、珈琲なら」

 差し出された、湯気の立ち上る琺瑯のカップをみる。

「кофе?」

「ええ。もともとフロンティアの飲み物らしいんですが」

「知らない」

「隊長は北方勤務ばかりだったでしょうしね」

「ああ。こんな飲み物があるなんて考えたこともなかった」

「これはですね。南米の果実の種子を挽いて、成分を抽出していて――」

 ヴェルヌはそれからも、目を輝かせて色々なことを語った。

 担当編集のエッツェルに、珈琲の輸入を頼んでいること。

 プランテーション政策には実のところ反対していて、公平に取引された豆を使っていること。

 エカチェリーナにも、一度珈琲を味わってほしかったということ。


 黒い「珈琲」の香気を嗅ぐ。ローストされた、果実と田園のアロマだ。

 口を付ける。舌に泡を含むと、じゅわり、という。

 気泡の弾ける精妙な感覚と共に、フルーティな酸味が躍った。

 気づけば、

「美味しい」と。

 自然、口元が解けていた。

「そうでしょう。気に入って貰えてよかった」

 ヴェルヌもエカチェリーナの方を向いて、にこりと笑う。

(あ)

 ことりと。小さな氷塊の落ちる音がする。

 エカチェリーナは、英雄としての凍った時間が好きだった。凍った時間の向こうから乱反射する、人々の笑顔が好きだった。彼女が無敵の英雄であれば、人々を絶望から守ることができる。

 長く続く冬の時代には、英雄が必要だった。

 けれど、エカチェリーナ自身が笑える時は――氷惨を滅ぼした後も、きっと来ることはない。

 あまりにも多くの命が失われている。エカチェリーナの道は、屍によって形作られている。

 今までに殉死した部下の名前を、彼女はすべて覚えている。

 なのに。

(かれは、良いのか。氷惨の話をしなくても)

 ヴェルヌは出会った時から、カロリーヌ・トロンソンのことを除けば――あらゆる点でフラットだった。エカチェリーナがそうであるように、一枚の層を隔てて世界を見ているように感じる。『ノーチラス』にはかれを気に掛けるものは多いと聞く。

 エカチェリーナはそうではない。

 誰よりも、ジュール・ヴェルヌを異質な存在として認識している。

 それを知ってか知らずか、ヴェルヌはおもむろに口を開いた。

「そういえば、探してる本があるんじゃないでしたっけ」

「ああ」

「お手伝いしましょうか?」

「いや、良いんだ」

 ぶっきらぼうに席を立った。ヴェルヌのきょとんとした顔に、笑いかけてみた。

「御馳走さま、ヴェルヌ氷曹」

 まだ脳裏には珈琲の香りが残っている。

 老婆の文句を背に、本屋を出た。

 作者が目の前にいるのに、本なんて買えるわけがない。

 凍ったままの時間が、熱を持ち始めた気がした。

 それは小さな花びらが氷に張り付いたほどの、微かなぬくもりだ。

 それでも。


(英雄としての私を知って、それでも。)


 きょうは眠れそうにない。

 きっと、かれから勧められたコーヒーのせいだ。


                    +


(すべてに対処することは出来ない)


 優先順位を決めるのに、半秒掛かった。

 神経電流を操作し、痛覚を一時的に遮断する。

 そのまま、右の凍斧に電流を流し込む。

 左腕には、鉤錘と鋼糸を垂らす。

 最大の脅威は噴霧される神経毒だ。

 エカチェリーナは左手の鋼糸を高速で旋回させた。

 たちまち霧状の毒が風圧で晴れてゆく。

 右手の斧で、総身を刺し貫く触手を斬り払った。引き抜くことはしない。

 流れ出た血は急速に凍てついている。それ自体が既に十分な止血だ。

 もはや神経を侵す毒は、確実にエカチェリーナの体内に打ち込まれた。

 体もそこかしこが震え、今にもくずおれそうだ。

 だが。

(凌いだ。まだ、動ける)

 二十秒。

 それは事前に投与した免疫グロブリンによって与えられた僅かな猶予だ。ガリアの神経毒は、吸えば即座に発症する。神経操作によってイオンチャネルの輸送を無力化する時間はない。


 接地。

 同時、走行を切り返しながら雪塵の煙幕を発生させている。

 大型の凍斧で雪面を削り上げれば、自身の姿を眩ますことは容易い。

 ガリアが一瞬攻撃の対象を探したその瞬間。

 エカチェリーナは直下から猛襲する。

 雪で視界を塞いだ上で、死角からの突撃。

 無数の触腕の壁がそれを真正面より阻む。

 だからエカチェリーナは、辛うじてその壁を掴むことができた。

 一点への攻撃は、束ねられた触手によって防御される。

 ならばそこに勝算はある。

 彼女の金の髪がばちばちと瞬いた。

 

“雷帝”の平滑筋細胞はその一つ一つが起電能力を有する発電盤であり、最大出力の放電は市街一つの電力を全て賄えるほどだと囁かれているが――実際には未だ誰も、彼女の限界をみたものは存在しない。それは当の彼女自身も例外ではなかった。

“雷帝”の身体でさえも、全てを焦がす雷に耐えることは出来ないからだ。

 ならば、彼女にはもはや残された手段は存在しないのだろうか。

 そうではない。

 彼女は雷電を用いる現象全てを、直感的に引き起こすことが可能である。

 の領域でさえも。


 エカチェリーナは掴んだ触手を手繰り、渾身の一撃をガリアの腹部に叩き込んだ。

 凍斧は甲殻を砕き、内部の堅組織を割り、鉱質組織に食い込んで――そこで止まる。

 致命の一手ではない。

 片手のみで繰り出された攻撃によって栄光個体の防御を打ち破ること、それ自体が異常である。だから――すべてが、ここで終わりだ。

 ガリアは触手を自切した。

 鳥骨の頭が、雷帝を見つめる。

 はためく金の髪の眩いきらめきが、アラスカの空に投げ出された。

 だから彼女は、これだけを言うことが出来た。

 

 「かかったな」


 雷帝が右手を翳した。

 電光が閃き、散華のガリアは墜ちた。

 


 

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