第四十一話 大魔王 その七
「やったか!?」
オリバはこの世界で絶対に言ってはならない言葉を呟いていた……。
煙が薄くなってゆく。
オリバは煙の向こう側に目を凝らす。
…………。
そこには傷だらけのケロンデウスが立っていた。
傷はみるみる治癒してゆく。
「フフフ……フハハハハッ!! ボクの勝ちだ! もう誰も助けてくれないぞ! 今のは本当に危なかった。究極魔法『滅び』でキミの攻撃力を削いでなかったらやられていたよ」
ケロンデウスは勝ち誇る。
「クソっ!! ありがとう、大胸筋。ありが――」
オリバは筋肉の名前を呼び始めた瞬間――
ケロンデウスの蹴りがオリバの腹にめり込む。
息ができない……。
「言わせないよ」
ケロンデウスは冷徹にそう言い、オリバの腹を絶え間なく殴り続ける。
オリバにはもう反撃する力も残っていない。
意識が薄れ、視界が白くなる。
殴られている衝撃はあるが、痛みは感じなくなった。
すぐに殴られている衝撃すら感じなくなる。
音も何も聞こえない。
まるで無音で真っ白な空間にひとりでいるみたいだ。
……俺は死んだのか?
オリバはぼんやり考える。
しばらくぼーっとしていたが何も聞こえず何も起こらない。
真っ白だった視界がだんだんと色づく。
周りの景色が見えるようになってきた。
オリバは仰向けで床に倒れていた。
ケロンデウスの足がオリバの視界に広がっている。
オリバを踏みつけようとしている。
ただ、その足は空中で止まり、降りてくるようすはない。
オリバはふらつきながらも立ち上がる。
ケロンデウスは片足を上げた状態で小刻みに震えながら静止していた。
「な……なにが……おごっだ……」
ケロンデウスはうまく喋れない。
ケロンデウスの筋肉から微かな声が聞こえてくる。
オリバは耳を澄ます。
オリバ、ボクたちを解放してくれ――
傷つくのはもう嫌なんだ――
ケロンデウスに支配されるのはもう嫌なんだ――
そうか!
『マッスル・プロテイン波』の真の力は筋肉に自我を芽生えさせることなのか!
オリバは瞬時に理解する。
「大魔王ケロンデウスよ、お前の負けだ! お前の筋肉たちはもうお前の意志では動かない。筋肉たちのストライキだ! その圧倒的な
オリバはケロンデウスの目を見て話す。
ケロンデウスは何かを喋ろうとするがもう声もだせない。
オリバは続ける。
「哀れだな……。自分の筋肉に反乱され、最強生物のお前が最期の言葉すら言えないとは……。これは罰だ。世界にたったひとつしかない、自分の体を大切にしてこなかったお前への罰だ!!」
どこからともなく『ゴゴゴゴゴ』という謎の効果音が聞こえてくる。
「お前の敗因は……たったひとつだ……ケロンデウス……たったひとつの
オリバは静かに言う。
「お前は筋肉を怒らせた」
オリバは上半身を少し前方に傾ける。
拳を握り、胸の前で拳同士をくっつけ、全身に力を入れる。
首の左右に位置する筋肉(
メロンのような肩や丸太のような腕も際立つ。
ボディビルのポーズ『モスト・マスキュラー』だ。
最も力強く見えるという意味を持つ。
その名の通り、今のオリバは筋肉の要塞のようだ。
ケロンデウスは小刻みに震えながらオリバのポーズを見つめている。
「ありがとう、広背筋。ありがとう、上腕三頭筋。ありがとう、
オリバはゆっくりと筋肉の名前を呼び始める。
もう焦る必要はない。
すべての筋肉の名前を呼び終わり、オリバの体は光に包まれる。
「さらばだ、ケロンデウス! 生まれ変わったら自分の体を大切にするんだなっ!!」
オリバはケロンデウスを上空へ放り投げる。
ケロンデウスは天井近くまで到達し、そのまま真下に落下する。
落下してくるケロンデウスの真下にオリバは立つ。
ケロンデウスはどんどん近づいてくる。
「究極スキル! マッスル・プロテイン波!!」
オリバは真上に向かって『マッスル・プロテイン波』を打ち放った。
マッスル・プロテイン波はケロンデウスを飲み込み、魔王城の天井を突き破り空の
魔王城の中に漂っているケロンデウスの漆黒の魔力が次第に消えてゆく。
空からドス黒い雲が消えてゆき、雲の間から青空が見える。
城の中からケロンデウスの魔力は完全に消えた。
空は雲ひとつない晴天となった。
ついに大魔王ケロンデウスを倒したのだ。
マッスル・プロテイン波から生まれたプロテインの粉が魔王城の中を浮遊し、太陽の光を反射してキラキラと輝く。
オリバはルナのもとに駆け寄る。
「ルナ!! 俺だ! オリバだ!! 聞こえるか!?」
ルナの肩を揺り動かしながら問いかけるが、ルナは返事をしない。
「くそっ!! せっかく大魔王を倒せたのに……。俺ひとりだけ生き残るなんて……。ふたりを犠牲にしたなんて……」
オリバは床を殴った。
涙が床にポタポタと落ちる。
オリバはルナとの思い出を振り返る。
最初は性格のキツイ、嫌な女だと思った。
でも、ルナが筋肉を嫌いな理由を聞いて、自分がルナを誤解していたと気づいた。
ルナとのキス。
ルナの薄い唇は柔らかく滑らかだった。
あれがオリバにとって初めてのキスだった。
――キス!?
エルフの生命力を俺に移すためにキスしたんだ。
俺の中にあるエルフの生命力をルナに戻せれば――
オリバはルナに顔を近づける。
エルフの村でルナとキスしたときの感覚を思い出す。
頼む!!
上手くいってくれ――
オリバは強く祈りながらルナの薄い唇に口づけする。
オリバは緑色の光に包まれる。
光はオリバの唇を通ってルナの体へと移動してゆく。
長かったオリバの耳は縮み、右目も薄緑色から黒色に戻る。
すべての光がルナの体に戻り、ルナの体全体が光で包まれた。
真っ白だったルナの髪は緑がかった金色に戻る。
…………。
「んっ……」
ルナが小さく声を上げた。
「ルナ!? 大丈夫かっ!?」
オリバはルナの顔を覗く。
ルナはぼんやりと目を開ける。
「……お父さん。お父さんなの? 私、頑張ったんだよ……」
「俺だ! オリバだ! しっかりしろっ!!」
「……また会えたね。嬉しいよ。私のエルフの樹……」
ルナは優しく微笑んだ。
「えっ!? 何言ってるんだ? 俺はオリバだ」
「……わ、わかってるわよ!! 死にかけたからちょっと混乱してるのよっ!!」
ルナはいつもの調子に戻る。
オリバはすぐにエレナに駆け寄る。
エレナの体は半透明になり、いくら声をかけても返事はない。
オリバはエレナにキスする。
エレナの唇はふっくらとしていて、ヒンヤリしていた。
オリバの体が青白く光り始める。
光はエレナへと移ってゆき、エレナの全身を包んだ。
銀色に輝いていたオリバの髪は黒色に戻り、左目も黒色に変わった。
「エレナ!! 俺だ、オリバだ!」
オリバはエレナを見つめる。
エレナはゆっくりと目を開けた。
オリバをじっと見つめている。
「嬉しいのう……。まさか現世でそなたとまた会えるとは……」
エレナは目を細めて笑う。
オリバはエレナの笑顔をみた途端、ゆっくりと後ろに倒れ仰向けになった。
大魔王と戦い、ふたりに生命力を返したオリバは激しく消耗していたのだ。
三人は横一列に仰向けに並んで青空を見つめている。
雲ひとつない澄み渡る青空を背景にプロテインの粉が空気中でキラキラと輝いている。
三人は無言でその輝きを見つめる。
「ついに大魔王を倒したのね……」
ルナが呟く。
「ああ……」
オリバは答える。
「まったく大した奴じゃ、オリバよ。あれほど強かったケロンデウスを倒すとはのう……。しかも全員無事じゃ」
エレナは感心する。
「みんなで倒したんだろう。俺ひとりじゃ絶対に勝てなかった。ふたりが自分を犠牲にして時間を稼いでくれなかったら、俺はマッスル・プロテイン波を打てなかった」
オリバは静かに言う。
「そなただって、自分を犠牲にしてわらわとルナを逃がしてくれたではないか。お互い様じゃ。それに、逃げずに引き返したのはルナじゃ」
「い、いいのよっ! そんなことは! 大事なのは大魔王を倒してみんな無事だってことでしょ!!」
ルナは顔を赤くする。
「ああ、そうだな……」
オリバは頷く。
…………。
空気中でキラキラと輝くプロテインの粉を三人は無言で眺める。
「綺麗ね……」
ルナはオリバの右手をそっと握った。
「ああ、綺麗じゃな……」
エレナもオリバの左手を握る。
「ああ……」
オリバも呟く。
「ルナ、そういえばさ、お前が禁忌魔法を使ったとき、最後に何か言わなかったか?」
オリバが訪ねる。
「はっ!? な、なな、何にもいってないわよっ!!」
ルナは顔を真っ赤にして否定する。
「そうか? 何か言ってたような気がするけど……」
「気のせいよっ!! ケロンデウスに殴られ過ぎて、目と耳と性格が悪くなったんでしょっ!」
「性格は関係ないだろ!」
「と、とにかく、知らないったら、知らないんだからっ! こっちは死にかけて疲れてるんだからもう寝るわっ!」
ルナは目をつむる。
始めは寝たふりをしていたが本当に疲れているんだろう、すぐに寝息をたてて寝始めた。
「わらわも疲れたぞ。しばし休ませてもらおうかの。筋肉魔人王を倒し、大魔王までも倒した。まったくもって凄い一日じゃった……」
エレナは満足そうにそう呟き、目を閉じた。
オリバはふたりと手を繋いだまま青空を見つめている。
ふたりの寝息が左右から聞こえてくる。
オリバはルナのほうを振り向く。
ルナは穏やかな顔をして静かに眠っていた。
もう、悲しい夢は見ていない。
オリバは微笑み、再び青空に顔を向ける。
青空を背景にキラキラと光るプロテインの粉をいつまでも眺めていた。
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