サンタが多すぎる

深上鴻一:DISCORD文芸部

サンタが多すぎる

11月30日(土)23時05分


 田中ミツルはスチール製の高い脚立のてっぺんに、跨がる形で座っている。そして壁に貼られたクリスマスツリーの大きなイラストに、金や銀の飾りを取り付けるという作業をしている。

「もう少し右かなあ」

 田中を見上げている格好で後ろに立つ店長が、腕組みをしたまま言った。

 それに、ういす、と田中は答える。

 東京の市部にある私立大学に通う彼は、経済学部の四年生である。周りの大半の同学年生たちが卒業前の最後の冬休みを満喫している中、彼はこうして深夜遅くまでスーパーのアルバイトをしている。

「それは左の下だろ」

 美的センスがあるとは到底思えない店長が、今度はそう断言した。

 すでにもう日は変わろうとしている。本部からダンボール箱で送られてきたクリスマスセットを店内に飾り付けしているのは、店長とわずかな社員、そしてアルバイトの田中だけだ。店長は社員とパート全員に頭を下げて回ったのだが、他の者には断られてしまった。店長は押しが弱く、パートの主婦たちから甘く見られている。

「これも下っすかね?」

 田中がそう尋ねると、うーん、と店長は答えた。振り返って見下ろすと、店長はじっと腕時計を見つめていた。店長だって早く帰りたいんだよな、と田中は思った。妻の出産が間近なのだ。

 しかし逆に、田中は少しでも残業が長引けばいい、と思っていた。春からは学生という肩書きはなくなり、フリーターになる。就職できなかったことに激怒している両親からの仕送りは止まるから、以降は自分のアルバイト代だけで生活しなければならない。店長に今後はシフトを増やしたいことを告げると、店長は喜んでくれた。どこの業界も人手不足なのである。

「休憩するかあ」

 突然、店長が言った。少しでも早く帰るというのは諦めたのだろう。田中はまた、ういす、と答えた。

 ふたりはスーパーの正面玄関から出て、その横にある喫煙スペースに向かった。腰までぐらいの高さのある角柱形の、銀色の灰皿が立っている。田中は尻のポケットから煙草とライターを取り出し、火を点けた。その煙草とライターを店長に差し出す。

「いつも悪い」

 本当に悪いと思っているのかは怪しい店長が、それを手に取って一本抜き取る。そして火を点けた。田中に煙草とライターを返す。

 店長は結婚しても頑固に喫煙していたが、妻の妊娠を機に禁煙をついに始めた。しかしそう簡単に止めることはできず、田中から貰い煙草を続けている。

「あと作業は何が残ってるんすか」

 田中がそう尋ねると、店長は旨そうに煙を吐き出しながら答えた。

「ポスト」

「ああ、あれすか」

 それは幼い子供を対象にした企画コーナーで、サンタクロースへのお願いを手紙に書き、ポストに入れてもらおうというものである。その手紙の下には「おとうさん、おかあさんに、ここになまえをかいてもらってね」という欄がある。ようするに子供が欲しいプレゼントを、親は知ることができるのだ。

「田中はさあ」

 店長が言う。

「サンタから何をプレゼントして欲しい?」

「そうっすねえ?」

 田中は考えた。

「やっぱり金っすかね」

 店長は苦笑いし、口の端から煙をくゆらせながら言った。

「田中の所には、絶対にサンタは来ないと思うね」



12月1日(日)21時43分


「という訳で、店長にサンタは来ないと言われたよ」

「へー」

「まあ、サンタなんて小六の時にいないと知ったんだけどな」

「そうなんだ」

「知ってる? 伊集院光は、昼間のラジオでは、サンタがいないと言わないよう気を付けてるんだって。そもそもサンタの話はしないようにしてるとか」

「へー」

「子供が聴いて真実を知ったら、親から苦情が来るんだろうな」

「伊集院は、子供の夢を守ってあげたいと思ってるんじゃないの?」

「そんな優しいキャラじゃないよ」

「そうかなあ」

「で、フミカはさ、いつまでサンタを信じてた?」

「なに言ってるんだか。私は、サンタはいるとまだ信じてるよ」



12月5日(木)19時17分


 田中はレジに入っていた。大学入学と同時にアルバイトを始めているので、アルバイトの中では一番の古株である。店長に鍛えられたので、清掃から商品補充、レジから在庫チェックまで、たいていの業務はこなせた。基本は裏方なのだが、インフルエンザの流行のために欠勤者が多く、今日はヘルプでレジを打っている。

「いらっしゃいませ」

 黄色いカゴの中の商品を手に取り、バーコードをスキャンして、灰色のカゴに置く。順番を考えて綺麗に並べないと苦情もくるので、決して簡単な仕事ではない。

「1940円になります。ポイントカードかスマホアプリはお持ちですか。失礼しました。お支払い方法はいかがなさいますか。PayPayですね。かしこまりました。こちらのQRコードを読み取ってください」

 それにしても言うことが増えたな、と田中は思う。現金とクレジットカードと交通系カードに加えて、今ではスマホ決済だ。彼は経済学部なのに、PayPayの仕組みが良くわかっていない。使う気はなかった。そもそもクレジットカードだって持っていないのだ。

「いらっしゃいませ」

 次のお客様は、小学校低学年だと思われる少年だった。そして彼は、このスーパーの常連だった。黄色いカゴをスライドさせて田中に寄せる。

「お願いします。袋あります」

 袋とはエコバッグのことだ。このスーパーでは2円引きになる。黄色いカゴの中には、弁当がひとつだけ入っていた。彼の好きな食べ物は何だろうな、といつも思う。割引シールが貼ってある弁当だけを選んで買うからだ。こんな渋い栗おこわ弁当よりも、本当はハンバーグ弁当やとんかつ弁当を食べたいのではないだろうか。

 田中はその弁当のバーコードを読み取り、灰色のカゴに入れた。

「484円になります。ポイントカードかスマホアプリはお持ちですか」

「はい」

 緑色のカードを差し出す。

 それを田中はハンディで読み取り、返す。

「お支払い方法はいかがなさいますか」

「PASMOでお願いします」

「PASMOですね。かしこまりました。こちらの画面にタッチしてください」

 少年はマーベル映画の『キャプテン・アメリカ』のケースを使っている。なかなかいい趣味だな、と田中は思っている。その裏に貼ってある『星のカービィ』のシールは、あまりいただけないが。

 ピッ。読み取り機が電子音を発した。

「ありがとうございました。いらっしゃいませ」

 田中はもう、次のお客様を相手にしている。



12月11日(水)22時32分


「サンタを信じてないって話だけど」

「うん」

「本当にサンタはいるんですか、という子供の質問に母親が答えてね」

「うん」

「サンタは、どこにでもいるんだって」

「それは驚きだ」

「サンタというのは、みんなの心の中にいるんだって。他人にプレゼントしようとする心そのものなんだって」

「へえ」

「だから母親は、最後にこう言うんだ。あなたもいつか大きくなったら、誰かのサンタになってね、って」



12月13日(金)16時27分


 田中がペットボトルを補充しようと大きな鉄カゴを押していると、あの『キャプテン・アメリカ』の少年を見かけた。母親らしき人物と手をつないでいる。初めて見る女性の姿だった。田中はその格好ですぐに、夜の仕事をしているのだろうな、と思った。

 母親は手に、このスーパーの商品ではないビニール袋を下げている。少年は黄色いカゴにペットボトルを数本とお菓子を入れて持っている。今日は贅沢してるんだな。田中は何だか良い気分になって、仕事を続けた。

 補充が終わり鉄カゴを片付けてからレジに向かうと、商品を詰めるカウンターのところに少年と母親が並んでいた。少年はかがみ込んで、何かをしている。その横に立って、母親が覗き込んでいる。

 サンタへの手紙を書いているんだな、とわかった。そして母親が、指で涙をそっと拭うのを見てしまった。

 ふたりが店を出て行ったあと、田中はポストに向かい、裏のダイヤルキーを回してフタを開けた。手紙は一通だけ入っていた。

「お父さんに会わせてください」



12月13日(金)20時09分


「それで?」

「会わせてあげたいけど、生きてるか死んでるかもわかんないし」

「だよね」

「興信所に相談するなんてあり得ないだろ」

「それもそうだ」

「でも少年の名前はわかった。ルイト」

「キラキラしてるね」

「ルイト君の母親は、何をプレゼントするんだろうな」

「それで喜べばいいんだけど」

「お父さんに会わせてください、かあ。これはもう本物のサンタにお願いするしかないよなあ」



12月15日(日)14時54分


 田中はまた欠勤者の代わりにレジに入っていた。もうすぐ15時。そうなったら30分の休憩が取れる。

「いらっしゃいませ」

 次のお客様は、子供達3人組だった。あの『キャプテン・アメリカ』の少年と同じくらいの歳だろう。リーダー格だと思われる少し身体の大きな子、太った子、眼鏡をかけた痩せた子。

 子供達は黄色いカゴに、たくさんのお菓子を入れていた。田中はいつものようにそれをスキャンして、灰色のカゴに入れる。ペットボトルを下の方に入れ、ポテトチップスの袋は最後に上に載せるのがテクニックだ。

「1370円になります。お支払い方法はいかがなさいますか」

「PASMO」

「PASMOですね。かしこまりました」

 リーダー格だと思われる少年が、PASMOケースを出した。それは『キャプテン・アメリカ』だった。田中は一瞬、固まってしまった。田中がレジのPASMOボタンにタッチすれば、それで子供達はお支払いができる。しかし田中は、そのボタンにタッチしなかった。代わりに右手を差し出した。

「お客様、そのPASMOカードを拝見してよろしいですか」

 リーダー格の少年を見ると、挑むような目をしていた。後ろの太った少年は泣きそうな顔をしている。痩せた子は、こちらを見ていない。

 ぐい、と差し出されたPASMOケースを田中はひっくり返す。そこには『星のカービィ』のシールが貼られていた。

「失礼ですが、お客様のお名前をお伺いしてもよろしいですか」

「……佐々木カズヒサ」

 PASMOをケースから抜き出すと、そこには署名があった。

「このPASMOにはコバヤシルイトと署名がありますね。PASMOは決まりで、本人しか使うことができません」

 リーダー格の少年は、赤い顔をして田中を睨み付けている。

 田中は意を決して言った。

「このPASMOはどうしたの? 拾った? まさか盗んだんじゃないよね?」



12月18日(水)23時30分


「そして、その子供たちは?」

「怖くなったんだろうね。後ろの2人が真っ先に逃げ出して、それでリーダー格も後を追ったという感じ」

「そのPASMOはどうしたの?」

「落とし物として警察に届けたよ」

「へーえ」

「警察から西武鉄道に連絡が行き、それからコバヤシルイト君の家に連絡が行った。PASMOは無事に少年の手に戻った」

「良かったね」

「親子で今日、俺にお礼を言いに来たよ」

「ルイト君はPASMOを落としちゃったのかな?」

「もう落とさないようにね、って言ったら頷いてたよ。でも泣きそうだったな。俺は落としたんじゃないと思う」

「ふむ」

「きっと佐々木カズヒサ君たちに取られたんだ。いじめだよ」



12月19日(木)17時16分


「困ったね」

「うす」

 田中は店長とスーパーの狭い控室にいた。ここはアルバイトたちが着替えたり休憩するための部屋である。二人はテーブルを挟んで、パイプ椅子に背を預けてぐったりと座っていた。

 15時頃、佐々木カズヒサ君を伴って父親が怒鳴り込んで来た。うちの子を泥棒呼ばわりしやがって、というのだ。「まさか盗んだんじゃないよね」と尋ねただけです、と言っても父親はますます、やっぱり言ったんじゃねえかと激昂するばかりだった。

 カズヒサ君が言うにはPASMOはルイト君から「借りた」のであって、絶対に盗んではいないそうである。そしてルイト君は「貸した」と証言したのだ。PASMOの「貸し借り」はそれはそれで問題なのだが、それはお前らには関係ねえだろ、と一喝された。ふふん、と横で笑うカズヒサ君がきわめて憎らしかった。

「間違ってるのは向こうだとはわかってるんだ」

「うす」

「でも相手がなあ。あれはなあ。明らかにクレーム慣れしてるなあ」

「明日も来るって言ってたっすね」

「警察に連絡するべきかなあ。さらに治まらなくなるかなあ」

「俺がしくじりました。少なくとも、言い方を間違えました」

「そうだなあ」

 店長は身を起こして、じっと田中を見た。

「しばらく休んで貰えるか。復帰は、こちらから連絡する」

「……うす」

 控室は禁煙だったのだが、店長は胸ポケットから煙草を出して、火を点けた。



12月22日(日)11時57分

 

 田中は駅前で赤いサンタの衣装を着て、チラシ配りをしていた。大学の友人が紹介してくれた、臨時バイトなのだった。

「クリスマスにフライドチキンセットはいかがですかー。予約はもうお済みですかー。まだ間に合いますよー」

 田中は声が大きいので、働いている姿を見て店長はすぐに気に入ってくれた。彼は学生時代のすべてをバンド活動に捧げていて、そこでギター兼ボーカルを担当していたのだ。

 チラシを差し出すと、細い手の女性が受け取ってくれた。派手な赤いコートを着ていた。

「あ」

「こんにちは。この前はありがとうございました」

 小林ルイト君の母親だった。

「今日は、別なバイトですか?」

「そんな感じです」

 ルイト君がPASMOを「貸した」と言ったことを、この母親は知っているのだろうか? たぶん知らないのだろう。母親はきっと「落とした」とだけ聞かされているに違いない。

 だが真相は? 本当に「貸した」のか。「落とした」のをカズヒサ君たちが拾ったのか。それとも「盗んだ」のか。力尽くで「奪った」のか。

「ふーん、フライドチキンセットかあ」

「いかがです?」

「24日、仕事なんです」

「あ、そうなんですか。俺もです。お互い大変ですね」

 母親は肩をすくめた。

「どうなんだろう? 私はルイトと一緒にいる方が大変かも」

「え?」

「親バカなのはわかってるけど、良い子過ぎるんです。私はダメな親だから、けっこうつらいかなあ。あの子は、父親に似ちゃったんですよね」

「はあ」

「立ち話してたら仕事の邪魔ですね」

「いいえ、注文してくれれば何分でも大丈夫です」

 それで母親は大笑いした。

「ありがとう。でもこれ、届けてはくれませんよね?」

「普段は配達もやってるみたいです。クリスマスは忙しすぎて、やってないはずですが」

「あらー」

 田中は考えた。

「家は近いんですか? 店長にお願いして特例で、バイト上がりの時間でよければ俺が配達してもいいですよ」

「ほんと? 厚かましいけど、そのサンタの格好でお願いとかできます?」

「聞いてみますよ」

「わあ! ルイト、きっと喜ぶ! 本物のサンタが来てくれるなんて!」

「俺は本物ですかねえ? ついでにプレゼントも運びましょうか。本物のサンタらしく」

「そ、それは、そこまでは、でも、ありがとう、サンタさん。今度お店にも来てね。絶対にサービスするから」

 母親は財布を取り出して、お金と紙を渡した。その紙は電機屋が発行した、任天堂スイッチの引き換え券だった。



12月22日(日)19時40分


「クリスマスイブなんだけど」

「うん」

「いつものところに鍵を入れておくから、先に家で待っててくれないか」

「バイトは19時まででしょ?」

「バイトのあと、ちょっと配達先ができたんだ」

「そのバイト、配達ないんじゃないの?」

「訳ありで。サンタだから仕方がないんだよ」

「サンタだから? 何それ?」

「俺もサンタだから、良い子にはプレゼントを届けなきゃいけないんだ」

「ふーん? よくわからないけど、サンタなら仕方がないよね。がんばってプレゼント、届けてあげてね」



12月24日(火)12時03分


 午前中のバイトが終わった田中は店舗に戻った。控室でサンタの衣装から手早く着替えて、ヤマダ電機LABI新宿東口館に向かわなければならない。小林ルイト君の母親であるミキさんから預かった引き換え券を、任天堂スイッチに換えなければいけないのだ。

 お客様がレジ前に行列している横を通って、店舗の奥に向かう。途中で店長が、ちょっといいかな、と声をかけてきた。ぴったりと後ろに貼り付いて、控え室に一緒に入って来る。

「じつはね、来る予定だったバイトがインフルエンザにかかっちゃって」

「はあ」

「それで申し訳ないけど19時からも続けて入って欲しいんだよなあ」

「それは、ちょっと」

「頼むよお。助けてくれよお。本部に叱られるんだよお。バイト代、できるだけはずむからさあ」

「だめっす。用事があるっす」

「そこを何とかさあ」

 これでは、ここで着替えることもできない。

「じゃあ、14時までには戻りますので」

 田中はリュックをつかむと、慌てて控え室を出た。



12月24日(火)12時12分


 田中は迷彩柄のリュックを背負って、サンタの格好のまま裏通りを歩いていた。この道の方が、駅へは近道だったからだ。

 スマホを見ると12時12分。新宿までは片道約30分。行って戻ってくるのは余裕だろう。

 その時、前方で小さな子供たちの歓声があがった。

「サンタさんだあ!」

「せんせい、サンタさんきたー!」

「わー!」

 鉄の柵越しに子供達が手を振っている。ここに保育園があったことを田中は思い出した。子供達に手を振り返す。こんな格好をしている以上、子供達の夢を壊す訳にはいかない。

 すると建物の中から数人、女性の先生たちが飛び出して来た。

「みんな、部屋に戻ってー!」

「えー!」

「いやだあ!」

 柵から離れようとしない子供達をかき分けて、3人の先生が塀の外に出てきた。小走りに田中に近づいて来る。

「すみません、お願いがあるのですが」

 泣きそうな顔で話し始めた。

「じつはサンタクロースの出張サービスというものにお願いしたのですが、突然、来れなくなってしまったんです」

「最初から来る気なかったのよ! あれは詐欺!」

「はあ」

「お願いします。園児たちのために、サンタ役を引き受けてはくれないでしょうか」

「ええっ?」

 先生たちはそろって頭を下げる。

「2時間、いや1時間でいいんです!」

「お願いします!」

「いや、俺にも用事というものが」

「プレゼントはこちらで準備してます! 子供達に配ってくれるだけ、それだけでいいんです!」

「お願いします!」

「アルバイト代も出しますから!」

 田中は思った。どうもサンタという仕事は、けっこう忙しいようだぞ。



12月24日(火)18時56分


 すっかり外は暗くなっていた。景気が悪いせいか、今年のクリスマスはどこもイルミネーションが寂しい気がする。

 田中は駅前でチラシを配っていた。結局、任天堂スイッチを引き換えには行けなかった。子供達にプレゼントのお菓子を配るどころか、ひとりひとりを膝の上に乗せて写真まで撮ることになってしまったからだ。園児達はお礼に、先生のオルガンにのせて「赤鼻のトナカイ」を歌ってくれた。だから後悔はしていない。

 しかし19時になってバイトが終わったらフライドチキンセットを持って、急いで新宿に向かわなければならない。そうすると戻って来てルイト君の家に着くのは、予定より1時間以上遅れて、20時30分を越えてしまうだろう。どこかでミキさんにお詫びの連絡をしよう、と田中は思った。

「たなかあ」

 このバイトを紹介してくれた立木が、のろのろと近寄って来た。彼は今日は午前中だけであがる予定だったのだが、インフルエンザで休んだバイトの代わりに、この時間まで働いていた。

「おれ、もうだめだあ。19時からのバイト代わってくれえ」

「って、頭から最後まで働く気だったのかよ」

「しょうがねえだろお、俺が連れてきた奴がインフルなんだからよお」

「代わってやりたいけど、無理。用事がある」

「何だよお。そりゃフミカちゃんの方が大事だろうけどよお。普段はLINEだけだし、会ってセックスしまくりたいだろうけどよお」

「サンタの格好で、そんなこと言うなよ」

「なあ、頼むよお。目眩がするし吐きそうだし何だか胸が痛いし」

「どうせ飲み過ぎだろ? 同情はしない」

 立木は膝からくにゃりと倒れた。



12月24日(火)21時22分


 サンタの格好のまま、田中は病院の待合室にいた。ぐったりと座っている。救急車に乗せられる立木と、一緒に乗り込む田中に向かって店長は泣きそうな声を出した。

「サンタがあ。サンタが少なすぎるんだよお」

 まったくその通りだ。この世界にはサンタが少なすぎる、と田中は思った。

 すでにルイト君の母親のミキさんには、お詫びの電話を入れている。田中が事情を説明すると、ミキさんは、ふーう、と息を吐いてから明るい声で言った。

「まあ、仕方がないよね」

「すみません」

「いいの。私もめちゃくちゃ嫌な客に当たって、大げんかしたとこ。あんな客の相手をしてお金を稼げるほど、人間ができてなかったってことだね」

「はあ」

「もう帰る。ルイトのプレゼントのことは気にしないで。息子にこつこつ節約させるほど気を遣わせた、その罰が当たったんだ。まったくだめな母親。クリスマスも側にいてあげられないし、プライドも捨てられないでこんな仕事してる。もう、もう、この先、私は」

 最後は、わーっと泣き出して、電話は切れた。

 田中はそれから、ずっと両手で顔を覆っている。

 まったく、なんてクリスマスなんだ。フミカの携帯に電話しても、出なかった。LINEも既読にならない。おそらくもう怒って、どこかに行ってしまったのだろう。3ヶ月振りに会えるはずだったのに。

 立木の両親も災難だ。このクリスマスに息子が倒れて、遠く田舎から駆けつけなければならないなんて。

 どさっ、と隣に誰かが座った。見ると、そこそこ歳を取った医者だった。

「立木君は、何とか命を取り留めたぞ。君からのクリスマスプレゼントだな。君は本物のサンタだ」

「どうすかね? それでも、サンタが少なすぎます」

「へえ?」

「幼稚園にサンタは来ないし、サンタのバイトも欠員だらけだし、俺も約束した子供にプレゼントは届けられないし」

 田中は、任天堂スイッチの引き換え券を出した。

「これ、明日でも使えるんですかね? 電機屋の、スイッチの引き換え券なんですけど」

「スイッチ? 任天堂のやつ?」

「そうです」

「ふーん。待ってろ」

 医者は、ふらりと立ちあがった。それからどこかへ歩いて行った医者は、数分後に戻って来た。綺麗に梱包された箱を持って。

「これ、スイッチ。どうせ今日はうちの子に渡せないし。そもそも中学生で、サンタはもう信じてない」

 医者は、田中の手から引き換え券を取った。

「まあ、世の中にサンタは少ないさ。でも少なすぎる、ってほどじゃないだろ?」

 その時、立木の両親が飛び込んで来た。



12月24日(火)22時13分


「ここで待っててください。すぐ戻るから」

 田中は、太ったタクシー運転手にそう告げた。運転手もサンタの格好をしていた。

 プレゼントを持って、アパートの階段を二階まで上がる。ドアのベルを鳴らす。すぐにパジャマ姿のルイト君が出た。

 ドアを開けたままで、田中は言う。

「メリークリスマス!」

 少年は何も言わない。

「サンタからのプレゼントだよ! 一年間、良い子にしてたね!」

 それでルイト君は泣き出した。大声で泣き出した。

「違う、違う、違うう!」

「……」

「お兄さんはサンタじゃない! スーパーの店員じゃないか! ただのアルバイトの!」

「……」

「わかってる! ぼくがママに嘘をついたから! PASMOは落としたって言ったから! 悪い子にサンタなんて来ないんだ! お父さんには、だから会えないんだ! うわああああ!」

 田中は、どうしたらいいのかわからない。プレゼントを持ったまま、立ち尽くしている。俺はやっぱりニセモノのサンタだな、と田中は思った。本物のサンタは一体どこにいて、何をしているのだろう。

「……あのう」

 その時、背後から声がした。

「お客さん、いつまで待たせるんですかね?」

 サンタの格好をした、タクシーの運転手だった。

 そして、ルイト君は泣き止んだ。口がぽっかり開いたまま固まっている。

 サンタは言った。

「……ルイト?」



12月24日(火)23時07分

 田中は、走って家に帰って来た。外から見ると、部屋は真っ暗だった。ぜえぜえとした息のまま、ドアを開ける。部屋は真っ暗だったが、良い匂いがした。スタンドライトが点いた。

「おかえり!」

 田中は、玄関に座り込む。

「なに? 驚かせすぎた?」

「……どうして電話にも出ないんだよ!」

 可愛らしいピンクの洋服にチェックのスカート、ネックレスまでしたフミカが言う。頭にはサンタ帽が乗っている。

「家に忘れた」

「はあ?」

「携帯がないとだめだね。ミツルの電話番号もわからない」

 田中は部屋に入り、コタツに座った。上にはクリスマスケーキとチキン、ワインなどが乗っている。

「もう、ペコメーターがMAX! 早く食べよう! ワイン飲む? って泣いてるの? あたしの優しさに感動しちゃった?」

「……した」

「じゃあ、もっと泣かすか。押し入れ開けてみて」

 田中はサンタの衣装、その腕の赤い部分で涙を拭きながら押し入れを開けた。

「ギター!」

「欲しがってたでしょ、ギブソン」

「だめだ、だめだ」

 田中は言う。

「もう音楽は辞めたんだ。俺はプロになれない、半端ものなんだ。バンドの仲間も、みんな就職しちまった。もう一生ギターは持たないって決めた。だから、ぜんぶ処分したんだ」

「ミツルのライブ、興奮したな。今だから正直に言うと、ド下手だったけど」

「……」

「いいじゃん、プロになんかなれなくても。音楽、好きなんでしょ? ほら、日曜日にお父さんたちが野球やってるじゃない。そういうので、いいんじゃないの? プロになれないからって、好きなことを辞めるのは意味わかんない」

「……かもな」

「弾いてよ。これからもずっと。私、ミツルのギターが好き。声が好き。一生、死ぬまで、私のために歌ってよ」

「ああ?」

 フミカはぽろぽろと、笑いながら泣き始めた。

「もう! プロポーズは今日する予定じゃなかったのに!」

 それで田中はキスをして、やっと彼女を抱きしめた。3ヶ月振りのことだった。

 

 

12月24日(火)23時32分


 ふたりが服を脱がし合ってると、田中の携帯電話が鳴った。スーパーの店長からだった。

「遅くにすまん。早く伝えようと思って」

「なんすか?」

「あのPASMOの件なんだが、盗まれたものだってさ」

「へえ」

「俺が悪かった。ろくでもない店長だった」

「いいんすよ。うわっ」

「どうした?

「なんでもねえです」

 彼女がいたずらを始めたとは、とても恥ずかしくて言えない。

「それで、年明けから戻って来て欲しいんだけど」

「いいんすか?」

「もちろん。ああ、良かった。これ、クリスマスプレゼントになったか?」

「なりましたよ。でも、お返しができなくて申し訳ないすね」

「いいよ。本物のサンタから、最高のプレゼントを貰ったから」

「なんすか?」

「産まれたよ。元気な女の子だ」



12月24日(火)23時58分


 ふたりが優しく裸で抱き合っていると、また電話が鳴った。田中は切ろうとしたが、フミカはその手を押さえて首を振った。

「もしもし?」

「遅くに申し訳ありません。立木マサルの彼女の、佐々木モエと言います。初めまして」

「はい」

「今日はありがとうございました。田中さんのお陰で、一命を取り留めたって。本当にありがとうございます」

「当然のことをしただけです」

「それで、その。私たち、明日レストランでディナーの予定だったんです」

「はあ」

「私たちは無理ですし、代わりにいかがでしょうか。その、ご迷惑でなければなんですが。食事代はすでに前払いしておりますので、飲み物代だけで良いんです」

「いいんですか?」

「もちろんです」

「では、遠慮無く」

「ああ、良かった。ぎりぎり間に合いました」

「はい?」

「クリスマスイブのうちに、田中さんにプレゼントしたかったんです」



12月25日(火)0時34分


「やれやれ、大変なクリスマスになったなあ」

 ふたりは商店街を歩いている。酔い覚ましだった。思い出の公園に、突然フミカが行きたいと言い出したのだ。田中はサンタの衣装をまた着ている。酔ったフミカが無理矢理に着せたのだった。

 田中は足を止めた。時計屋の前だった。

「じつはさ」

「うん?」

 田中は、ショーウィンドウを指さす。

「この腕時計をプレゼントしたかった。クリスマス限定の、これ」

「うわ! 素敵だけど高いよ!」

「ギターよりは安いさ」

「でも」

「春から社会人だろ? 何がいいか悩んだんだけど、これが欲しいってフミカ言ってたの、覚えてたから」

「うん」

「今年は間に合わなかった。来年、必ずプレゼントする。一年遅れのサンタだ」

「楽しみにしてるよ」

 背後から男性の声がした。見ると、お洒落な格好をした老人だった

「うちの商品がどうかしましたか?」

「え、あ、いや、来年はこれをプレゼントしたいなあ、って話を」

「それは、ぜひ。お待ちしております」

 そう言って立ち去ろうとしたが、老人は振り返った。

「あなた、サンタさん?」

「え? まあ、サンタでしょうか」

「幼稚園に行ったでしょう。孫が写真を嬉しそうに見せてくれました。聞いたら、臨時のサンタだったとか」

 老人はじっと田中を見つめてから言った。

「入ってください。特別に店を開けましょう」

「それが」

 田中は言う。

「持ち合わせが少ないんです。だから買うことができないんです」

「ふむ」

 老人は顎に手を当てて、しばらく考えた。

「この腕時計は今年のクリスマス限定商品です。クリスマスを過ぎたら、本店に返す商品なんです」

「はい」

「だから24日の閉店までに、うちの店は売らないといけない。もう25日ですから、言い方はとても悪いですが、これは売れ残ってしまった商品な訳です」

 田中は25日だって、まだクリスマスじゃないかなあと思ったが、口は挟まなかった。

「時間はありますか? 暖かいお茶を淹れますから、店内で相談しましょう。まあ、サンタが買えるくらには、値段は下がると思いますよ」

「で、でも」

 老人はウインクした。

「いいんです。私だってサンタなんですから」

 老人がシャッターを開けていると、酔っ払ったサラリーマンたちが声をかけてきた。

「サンタだあ!」

「プレゼント配ってんのかあ?」

「遅くまでお疲れさまあ!」

 それに田中は、大声で返した。

「メリークリスマス! みんなみんな、メリークリスマス!」

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