めくる

page1 アンブルローズの依頼

「そうして、村の人々は魔性の旅人にすっかり魅入られ、私たち町の者の忠告に耳を貸さなかった。すると案の定、魔性の旅人は疫病という災厄を招き、近隣の町街に多数の死者を出した。それでもなお村人たちは旅人を庇って、愚かにも森奥に閉じこもり他所よそとの関りを断ったのだ。それから二百五十年。村は災いに呑み込まれ、ほぼすべての住人が死に絶えた」


 ――という話を、シノワ町の子供たちは授業で習う。

 結果、その『愚かな村』の生き残りであり最後の住人でもあるアンブルローズという少年が、どう扱われたか。想像するのは容易いだろう。


「本当にお前はよくいじめられてたよな~」


 無神経なことを言ってわははと笑っているのは、町長まちおさの息子のレイズベリ―だ。

 アンブルローズは彼を一瞥いちべつし、作業台に向かって座る背中を軽く蹴った。


「いてっ! お前、それが頼みごとをしに来た奴のとる態度か!?」

「頼みごとじゃない、依頼だ」


 ふん、と腕を組んで横を向くと「うわ~可愛くない」と大げさに仰け反りながら、手入れしていたたがねを大切そうに台に並べる。


「せっかく見た目はすげえ美人なのに、愛想がないから友達いないんだぞ、アンブルローズ」

「美人言うな」


 ここは町長の家の敷地にあるレイズベリ―の〝工房〟だ。

 レイズベリ―は十にならぬ頃から隣街の彫金師ちょうきんしに通いで弟子入りし、その熱意と努力でもって親方が驚くほど上達、二十二歳になった今では修行しながら仕事も任される腕前になった。


 彫金師は金属を加工して調度や建物などに装飾を施すのが主な仕事だが、中でもレイズベリ―が得意とするのはアクセサリーだ。

 繊細かつ斬新な意匠は街の貴族から指名の依頼が絶えないほど人気があり、アンブルローズもその腕前は尊敬している。


「で、受けるのか受けないのか」


 尋ねながら元は備蓄小屋だったという工房を出た途端、冷たい風に晒された。枯れ葉がカサカサと音をたてて、石畳のあちらこちらに吹き溜まる。

 アンブルローズがぶるりと震えて外套コートの襟を掻き合わせるのを見て、レイズベリ―が眉根を寄せた。


「いいよ、お前の家の冬支度を手伝うくらい」

「……仕事、忙しいだろう?」

「手伝いくらい大した手間じゃねえよ。気分転換になりそうだし」

「村と町を往復するの大変だぞ」

「別に? 馬だってあるし、何度も行ってるんだから慣れてるし」

「……ほんとに? 本当にいいのか?」


 ひとり暮らしのアンブルローズは、薪割りや塀の修理などをレイズベリ―に〝依頼〟したのだ。もちろん対価は払うと提示したが、多忙な友人が本当に引き受けてくれるとは思っていなかった。

 戸惑いを隠せぬまま見上げると、いきなり大きな手のひらで、両の耳を頬ごと覆われる。


「な、に?」

「寒いんだろ、耳真っ赤。お前は躰弱いんだから、もっと厚着しろよ」


 両手でつつまれた顔を覗き込まれて、アンブルローズの心臓が跳ね上がった。

 内心の動揺をごまかすように乱暴に「弱くない」とあたたかな手を払いのける。

 ぞんざいな行動を内心で悔いたが、幼なじみはそんな態度にも慣れているのか、気を悪くした様子もなく「まかせろ」とニカッと笑った。


「俺以外、快くに行く奴いないもんな!」

「……本当に無礼な男だな。手伝いを雇うくらいはできる。ただ他人を家に入れたくないだけだ」

「俺なら入ってもいいってことだろう、アンブルローズ」


 にやりと笑われ言葉に詰まっていると、広い庭を挟んだ母屋のほうからレイズベリ―を呼ぶ声がした。見れば数人の男女が手を振りながらこちらに歩いてくる。

 その中心に、晩秋に咲いた深紅の薔薇のごとき少女がいた。


「顔を見に来たわよ、売れっ子職人さん! どう、順調に進んでる?」


 常に取り巻きを引き連れている彼女の名はオルガ・バルビエ。

 レイズベリ―の恋人。


 よく見るとかつての同級生たちも一緒だ。人気者の幼なじみが工房にこもると、誰か彼かがこうして様子見にやって来る。

 騒ぎに巻き込まれるのを嫌って、アンブルローズは「じゃあ」と友人に背を向けた。


「待てよ、いつから行けばいい?」

「いつでも。……雪が降る前に、終えてくれれば」


 一団とすれ違うとき、「やあ、エルフェストル」と声をかけられた。アンブルローズと姓でなく名で呼ぶのは、この世でレイズベリ―だけだ。

 にこやかな元同級生に、「やあ」と足も止めずおざなりに返した。


 九つで母を喪い天涯孤独になったアンブルローズは、後見人となった町長の勧めでシノワ町唯一の学校に通った。

 だが大人たちは彼を「魔性の血筋」と呼んで露骨に嫌悪したし、子供たちも親の態度にならった。


 ただひとり、レイズベリ―だけがアンブルローズを特別視せず――それは誰にでも平等にいたずらを仕掛けていたという意味だが――ガキ大将の彼が屈託なくアンブルローズをかまうから、ほかの子たちも大人よりガキ大将に影響された。


 けれど母と二人きりの時間が長かったアンブルローズには、そんなふうに他者の影響でころころと好悪の感情を変えたり使い分けたりする〝世間〟の態度には未だ共感し難いし、信頼もできない。だから、


「馬車で送ろうか? アンブルローズ」


 などと言われても「いや、歩いて帰るから」と断るばかりだし、そのやり取りを見ていた者たちが「またフラれてやんの」などと笑い合っているのも理解できなかった。

 それでいて、たったひとり心を許せる友人だけは、未練がましく気にしてしまう。


「とびきり素敵なのでなけりゃだめよ、貴族様に羨ましがられるほどにね! そうしたらお父様だって、婚約を認めてくれるわ」


 恋人に抱きつき甘えるオルガに、レイズベリ―は苦笑している。


「俺が作るものは全部とびきり素敵だと自負してるんだけど?」


「もちろんよ。あなたの作る指輪も首飾りもそしてあなた自身も、とびっきり素敵よ! 私みんなに羨ましがられるわ、ハンサムで芸術的な腕前を持つ職人が恋人なんだから。いずれ王族だって頭を下げてあなたの作品を欲しがるでしょう。でもあなたの最高の作品を贈られるのは私なの!」


 熱く話す華やかな少女が何を望んでいるのか、アンブルローズは知っている。というか、この辺りに住む者みんなに知れ渡っているだろう。

 彼女はもうじき訪れる冬祭りを前に、「とびきり素敵な」アクセサリーを自分のために作ってくれるよう、恋人に頼んでいるのだ。


 オルガの父は街の大きな商会に所属する裕福な商人で、今のままでもレイズベリ―は娘の婿候補として歓迎されていると聞く。

 それでも特別な贈りものをせがむのは、本当は婚約云々関係なく、単なるおねだりだろう。


 本来の仕事に加えて、恋人への特別な贈りもの作り。

 それを知っているから、アンブルローズはだめ元で手伝いを依頼した。


(でも、引き受けてくれた……)


 強い喜びを胸の奥深くで抱きしめる。


 なぜならそのときが、レイズベリ―と過ごせる最後の時間になるから。


 口元が緩むのを隠して、今度こそ振り返らず帰路についた。



 ❄



 ――『愚かな村』

 かつて〝魔性の〟旅人を匿った森の村は、町の者からそう呼ばれた。


 けれど森で孤絶して暮らすあいだに村人たち自らが称した村の名がある。

 今となってはアンブルローズしか知らぬその名は、ル・ドゥファン・ヴィレ――『諦めの村』、という。

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