page2 森が見ていた二人 

諦めの村ル・ドゥファン・ヴィレ

 村の名を表題に持つその本は、母亡きあと、気づけばアンブルローズの机の上に置かれていた。


 純白の革表紙は額形に金で箔押しされて、レースのような銀の結晶が散りばめられている。

 美しく装幀そうていされた本には、村の歴史が童話のように書かれていた。

 おそらく自らの余命を悟った母が、幼い息子のために遺してくれたものだろう。

 実際アンブルローズは、家にいるときはいつもこの本を抱え、一緒に暖炉の炎を眺めたり、話しかけたりして過ごしていた。まるで家族のように。




「本が減ってるな」


 約束通り冬支度の手伝いにやって来たレイズベリ―に茶を用意していると、彼はぐるりと室内を見回し、いぶかしげに言った。


「いつも増えることはあっても減ることなんかなかったろう。どうしたんだよ」


 アンブルローズは本が好きだ。

 彼だけでなくこの村の住人は皆そうだったようで、村には装幀されていない仮綴じのものも含めて書物がたくさんあった。閉ざされた地に暮らし、外界の情報に飢えていたのかもしれない。

 だから彼も町の学校で学ぶより多くのことを本から学んだ。


 装幀本はとても高価だが、この村の者も近年は町人と取引があって、余裕があれば街の書店に本を発注していたらしい。

 その取引に使われていたのは、この村にしかない『白星石はくせいせき』だった。


「別に。増えすぎたからまとめて寝室にしまっただけだ」

「ふーん?」


 納得していない視線が痛い。

 台所と居間がひと続きのこじんまりした部屋とはいえ、壁一面の書架をびっしり埋めるほどだった書物が殆ど消えているのだから、不審に思われるのも当然だった。

 うっかりしていた自分に、アンブルローズは内心で舌打ちした。


「いいからさっさと始めろ」


 仕方なく、急いで腹ごなしをさせて強引に話を切り上げる。

 ……せっかくゆっくり話したくて、吟味した茶葉と焼き菓子だったのに。

 空のポットを持ってうつむいた。


「お前は食わないのか?」

「ミルクを飲んだ」

「お茶でなく?」


 余計なことによく気がつく幼なじみを、ぐいぐいと外に押し出す。


「寒いから薪の減りも早いだろう」


 レイズベリ―は指示を待たずに薪小屋から薪を運び始めた。昨年その薪を割って積んでくれたのも彼だから、勝手知ったるというやつだ。

 瞬く間に暖炉そばに薪が積み上がり、今度は傷んだ玄関ポーチの床板の修理が始まる。白い息を吐いていた友人は、すぐに汗を拭い出した。

 アンブルローズは無表情を取り繕いつつ、その姿に釘付けになる。


 逞しく長い手脚はどんな動作も格好いい。

 赤金色の髪は散髪を面倒がって無造作に首の後ろで結われているが、深い緑の瞳と共に、森を体現したような奥深い輝きがある。

 色素の薄い自分の髪や目の色と比べるまでもなく力強くて美しいと、いつの頃からかずっと心密かに愛でてきた。


 コンと釘を打つ高い音で、ボーッと突っ立っていた自分に気づき、アンブルローズは首を振る。


「牛のきのこを採ってくる」


 バスケットを手に取り声をかけると、レイズベリ―が「牛の?」と振り返った。


「ああ、牛の好物ってやつか。ミルクが美味くなるとかいう」

「そう、フェルムダケ


『諦めの村』に残った住人はアンブルローズだけだが、ほかに牛二頭と鶏二羽ならいる。新鮮なミルクと卵を提供してきてくれた仲間たちだ。


ここは変わったものがるよなあ」


 そう言って梢を見上げたレイズベリ―に、小さな家を囲み見下ろす木々が、ハラハラと黄色や紅の葉を落とした。

 この森の恵みの深さを知る唯一の町人でありながら、口外して森を荒らすようなことをしない男に礼をするように。


 鮮やかに彩る紅葉の時期も終わり、落葉樹はいくらか残った葉と宿木ヤドリギばかりになって、眠りにつこうとする森を針葉樹の暗緑が見守っている。


「なんでついて来るんだよ」

「お前ひとりじゃ危ないから」

「僕が何年この森で生きてきたと思ってるんだ」 


 枯れ葉を重ねた森の道と寒々しい灰色の空が、ふざけ合う声を吸い取っていく。


「二十二年。けど毒蛇を知らなかったよな」


 にやりと笑った男を、アンブルローズはひと睨みした。


「……子供だったからだ」 


 それは学校に通い始めてしばらくたった頃。

 悪ガキ共が棒きれに蛇を巻き付けて、アンブルローズの机に放り投げた。

 嫌がらせには慣れていたが目の前にぼとりと落とされ驚いて、威嚇してくる小さな蛇の前で固まっていた、そのとき。


 ――それに触るな!


 教室中を震わせるような声を叩きつけてきたレイズベリ―が、自分の外套を脱いで蛇を覆った。


 ――毒蛇だぞ! 誰だ、こんなの連れてきた奴は!


 彼は本気で怒っていた。ガキ大将に怒鳴られて涙目で名乗り出た同級生たちも、まさか毒蛇とは知らなかったらしい。

 あのとき初めてアンブルローズは、母以外に、自分のため怒ってくれる人がいるのだと知った。


「……僕はお前にも、蛇やらカエルやら机に仕込まれたけどね」

「毒のあるのは入れなかったろ? 俺はその点は詳しいんだ。おチビの頃あれこれ持ち帰っては庭師に怒られてたからな」

「……」


 庭師もさぞたまげたであろう。だがおかげでアンブルローズも助かった。


 レイズベリ―はすでにフェルム茸をいくつか見つけて、「やっぱこの時期にほかに採れそうなものはないな」と深呼吸し、空気を味わっている。

 アンブルローズはその姿も心に焼きつけた。


「……この〝依頼〟が終わったら」

「ん?」

「手間賃のほかに、いいものをやる」

「いいもの? 何それ。つうか手間賃もいらねえっての。前から普通に手伝いに来てただろ」

「いいんだ。今回は特別。を使えば、オルガもきっと満足するよ」

「はあ?」


 そう。依頼にこだわったのは、レイズベリ―に報酬を受け取ってもらう言いわけだった。もちろん一番は、一緒の時間を持ちたかったのだけれど。


「なんでオルガが出てくるんだよ」

「とびきり素敵な贈りものに、婚約がかかっているんだろう」


 アンブルローズの言葉に、レイズベリ―は目に見えて不機嫌になった。


「面倒くせえ。俺はいつだって精魂込めて作るだけなのに。オルガを愛してるし可愛いとも思うけど、正直たまに疲れるわ。……こうやって文句言いつつ結婚して、気づけば親父になってたりするのかね?」

「さあね。僕にわかるわけない」


 レイズベリ―には常に恋人がいたが、アンブルローズは誰とも付き合ったことがないし、恋したこともない。

 目の前にいる男を除いては。 


「そろそろ戻らないと、お前が風邪ひくな」


 灰色の雲が流されていくのを見ながらレイズベリ―が呟く。


「まだいい」


 白い息で言い返したと同時に、ぐらりと視界が揺れた。


「おいっ!」


 レイズベリ―のあげた声を聞きながら、アンブルローズの意識は途切れた。

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