生きるということは、祈ることへの応援コメント
完結おめでとうございます!!! そして、このお話を書いてくださってありがとうございます。
大切な者を喪った時、誰しも耕太郎ほど真摯にではなくとも、もう一度会いたいと願ってしまうものでしょう。でもその願いはもう叶っているのだと、このお話に教えてもらいました。だから、残された私たちも頑張らなくては……。
作者からの返信
米子さん
お読みいただき、ありがとうございます!
愛とは、生とは、ということについて自分なりに描いたつもりです。
異なるから繋がれる。鏡の中の己を愛することが、他者を愛すること。他者を愛することは、己と繋がること。
だから、人は誰かを失っても生きてゆける。また笑える。
コメントありがとうございます!
生きるということは、祈ることへの応援コメント
面白かったです!
人がいるから、その中で自分が存在できる。
それを生と死を持って表現する。
また、読み直したくなる作品でした。
素晴らしい物語をありがとうございました❗
作者からの返信
えーきちさん
最後までお読みいただき、ありがとうございます!!鏡の中の自分を愛し、他者の中にある自分を愛する。耕太郎のファーストキスは、そういうものでした。
差異があることに焦り、戸惑うのではなく、差異を認め、愛してはじめて手を繋ぐことができる。私はそう思います。
生きるということは、祈ることへの応援コメント
完結お疲れ様でした……!!!
耕太郎がサヤと共に(目には前のように鮮明には映らなくても)、前進していく姿を見れて良かったです。
色々と考えさせられる部分がありましたね……。もう一度読み返して、深く考え込みたくなります。
本当にお疲れ様です、師匠!!
作者からの返信
井澤さん
生きるということ。知るということ。繋がるということ。当たり前でいて、とても特別なことで。人であるがゆえ見失い、迷うこともある。
しかし、異なるがゆえ繋がれるのだと、その鏡を、そこに映るもの愛するべきなのだと私は強く思います。
お読みいただきありがとうございます!!
冷たいファーストキスへの応援コメント
>「そうだな。だくさんある」
誤字です。
愛する人を見つけるという事は、自分を見つける事に等しいのかもしれません。
作者からの返信
えーきちさん
誤字修正しました、ありがとうございます!
人は己を知る人を見て、はじめて己を知る。そういうものなのでしょう、きっと。
不可逆のお好み焼きを逆行させるための原動力への応援コメント
ふむ、そこから消えそうな者に生命の分配をするのなら確かに半分で済みそうですが、もうそこにはない者を存在させるのに半分の生命で足りるのかどうか。よくない事が起こらなければいいのですが。
ただ、二人には幸せになってもらいたいと切に願うのみです。
作者からの返信
えーきちさん
深い考察、ありがとうございます!
対価というもののバランスは難しいですね。
二人が求めるものを叶えるには、どうすればよいのでしょうか。
生きるということは、祈ることへの応援コメント
自分を知る者がいるから、自分の存在を認識できる。
自分の名を呼ぶ者がいるから、その名で自分は生きていられる。
ほんの少しの心の漣でも揺れて像を歪ませる水鏡、私達はそれと向き合いながら生きているんですね。
完結お疲れ様でした。
よい、お詣りでした!
作者からの返信
トキさん
最後までお読みくださり、ありがとうございます!人を想うことの大切さと脆さ、そしてそれをする全ての人の強さ。どれだけ揺れても、鏡の前に立つ限り己は必ずそこにいる。己が笑えば鏡も笑う。
人と繋がることとは、己と繋がること。己との繋がりなくして、人とも繋がれぬ。
そういう話であるように思います。