ミッドナイト・コンビニエンス

蒼樹里緒

ミッドナイト・コンビニエンス

 どこかのでかい湖の水を上空から全部ぶちまければ、こんな感じになりそうだ。それくらいの大雨が、昨日の昼過ぎから降り続いていた。暗闇の中でも見えるはずの住宅街の景色も、今は雨の幕でかき消されている。きっと、朝の天気予報で「記録的な豪雨となりました」なんて言われるんだろうな。

 漠然と考えながら、俺はコンビニのレジカウンターで暇を持て余していた。

 去年の春に大学に入ってから、住んでいるアパート近くの小さいコンビニで深夜シフトのアルバイトを始めた。晴れていれば夜中でもそこそこ客足があるものだけど、今日みたいな天気の日は閑散としている。特に台風なんて来たら絶望的だ。

 商品陳列や補充も一通り済ませたし、賞味期限切れ間近の食品の廃棄もした。あとは業者から届けられる商品を待つだけだ。壁にかかったまるい時計を見やると、白いプラスチックの針は零時五分の位置にとまっていた。

 思い切り伸びをしながらあくびを漏らしたとき、入口の自動ドアが開いた。外の冷えた空気が流れ込んでくる。

 来客は高校生だろうか、制服を着た女の子だ。水色の傘を畳んで傘立てに入れる仕草が、ただの女子高生とは思えないほど上品で、肩くらいまである黒髪がさらりと揺れた。振り向いた小顔は色が白くて、長めの睫に縁取られた吊り気味の目は猫を連想させる。

 ――けっこうかわいい。

 下心を押し隠して、俺は爽やかな営業スマイルを向けた。

「いらっしゃいませ、こんばんはー」

 目が合った女の子は、なんでか気まずそうにふいっと視線を逸らして、奥の食品棚へ歩いていってしまった。

 ――下心がモロバレだったかな。

 こっそり苦笑して、彼女の小柄な後ろ姿を眺める。

 見覚えのある制服だと思ったら、全国的にも有名な女子校のものだ。濃いベージュのブレザーに、青いネクタイと同色のタータンチェックのプリーツスカートで、珍しいデザインだから一目でわかる。紺色のニーソックスに包まれた足が、鉢植えの花の茎みたいに細い。ブラウンの革靴がびっしょり濡れていて、ニーソックスも踝の辺りまで水が染み込んでいて寒そうだ。

 それにしても、若い女の子がひとりでこんな時間に出歩いてだいじょうぶなのか。夜食でも買いにきたのかもしれないけど、土砂降りの雨じゃ帰るのも一苦労だろう。

 やがて、女の子はハンバーグ弁当をレジへ持ってきた。

「お弁当、温めますか?」

「……はい」

 声はか細いけど、ガラス玉みたいな透明感が含まれていてきれいだった。彼女の印象にも、よく合っている。

 真後ろに置かれた電子レンジに弁当を入れて、三分間温めるスイッチを押す。

「では、お先にお会計を――」

 振り返った俺の言葉は、最後まで続かなかった。


 まさか、この状況で女子高生にカッターナイフを突きつけられるなんて。


 まっすぐな切っ先は、俺の胸を狙っているみたいだ。表面の銀色がやけに眩しく見える。ギラギラした凶悪な光で、俺の茶髪とは明るさの種類が正反対だ。

 互いの身長差は、実際間近で対面してみると頭二つ分くらい違った。

 両手でカッターの太い柄を強く握りしめた女の子は、ぎゅっと薄い唇を引き結んで上目遣いに俺をにらむ。けど、指が小刻みに震えていた。

「えーと……」

「動かないで」

 それでもきっぱりとした口調で、女の子は俺を制する。

 ほぼノリと勢いだけで両手を挙げて、俺は無抵抗の意思を示してみた。

「死にたくなければ金を出しなさい、全部よ」

「待った、落ち着いて話そう、なっ?」

「わたしは本気よ」

 無言の睨み合いが続いて、電子レンジの可動音と雨音だけが場に流れる。

 時計の針は零時六分。あと二分弱で弁当が温まる。

 百円玉四枚で買えるこの弁当のために、彼女は強盗の真似事をしているのか。

 俺がバイトを始めてから、このコンビニでは強盗事件なんて一度も起きていない。店長や先輩に聞いても、もう数年以上平和だという話だったのに。

 嘆息して尋ねる。

「きみは、弁当すら買えないほど金に困ってるのか?」

「あなたに関係ないでしょう」

「せめて理由を聞かせてもらえなきゃ、こっちだって金は渡せない。つーか、そもそも強盗は犯罪だってわかってるだろ?」

「ええ」

「だったら、潔く諦めていただけませんか、お嬢様」

 ぴく、とカッターを持つ小さな手が強張こわばった。

 目をみはる女の子に、やわらかく微笑む。まずは警戒心を解かないと。

「その制服、あの全寮制お嬢様学校のだよな? 俺、あそこの近くにある大学の二年なんだ」

「それで?」

「あそこっていかにも校則厳しそうだし、制服姿でこんな時間に出歩いてる上にコンビニ強盗なんて、下手したら退学になるんじゃないか?」

「どうでもいいわ、そんなこと」

 女の子は不意に目を伏せて、ぽつりと呟く。

「わたしがどこでなにをしようが、どうせ誰も気に留めないもの」

 ――やっぱ、わけありか。

 時計の針が零時七分に動いた。あと一分。電子レンジから弁当を取り出すまでに、なんとかこの子を説得したい。

 軽く咳払いをして、心を落ち着かせた。

「実はさ、ここから歩いてすぐのとこに交番があるんだ。顔なじみのお巡りさんがいるから、通報すればこんな大雨のときでもマッハで飛んできてくれる」

「……っ」

「ちゃんと理由を教えてくれたら、通報も学校への連絡もしないでおくよ。初犯っぽいし」

「……本当に?」

「ああ。だから話してくれないかな。あ、弁当ならこの際俺がおごるし」

 女の子は俺の動向を窺うようにじっと睨みつけていたけど、ためらいがちにゆっくりとカッターを引いていった。

 よく考えたら、かわいい女の子とじっくり見つめ合えるのは、かなりの役得かもしれない。ラッキーな日だ、と前向きに捉えることにした。


 ピーッ、ピーッ、ピーッ。


 俺が手を下ろすと、ちょうど電子レンジが鳴った。

 きっかり三分、説得成功。

 ふたの隙間から、ハンバーグのうまそうな匂いが漂う。

 ほかほかと幸福な温度を保つ弁当を、女の子に差し出す。

「はい、割り箸もつけとく。雨も当分はこの調子だろうし、そこのテーブルに座って食っていきなよ。イートイン利用だから、消費税は十パーだけどな」

 戸惑いながらも受け取った彼女は、うつむいて小声で「ありがとう」と言ってくれた。


   ◆


 店内飲食用の狭い休憩所のテーブルで、女の子はハンバーグ弁当を黙々と食べている。たまに口許がかすかに笑うのをカウンター越しに見ると、俺も安心した。

 一旦箸を置いて、彼女は口を開いた。

「前から興味があったのよ、コンビニに。どんなところか知りたくて」

「え、行ったことなかったのか?」

 彼女は、淋しげに微笑む。見た目よりも大人びた笑い方をする子だ。

「コンビニの光は、夜を無にするような明るさね。真っ暗な道をひとりで歩くと不安になるけれど、その光が見えたら、『そこに行っていいんだ。わたしがいてもいいんだ』って思える」

「そっか、それは店員としてもうれしいな。で、なんで強盗なんかしようと思ったんだ?」

 女の子のかたちのいい唇から、ため息がこぼれる。

「わたしの家は代々、製薬会社を経営してるの。テレビでCMが流れてるでしょう?」

「あ、もしかして『イヌワシのマークの~』ってやつ?」

 無言のうなずきが返される。

 なるほど、確かに本物のお嬢様だ。普段コンビニと縁がないのも納得できる。

 彼女の猫に似た目が、窓の向こうの夜を見つめた。

「わたしも将来は会社の重役に就くことが決まってるわ。でも、それがどうしても嫌なの」

「あー……つまり今回のは家出みたいなもんか」

「ええ」

 箸で細かく切ったハンバーグをまた一口味わってから、女の子は話を再開する。

「わたしには姉が二人いるのだけれど、昔からどう頑張っても姉たちの実力には追いつけなくて……社長である父からも見放されたわ。もうなにも期待されてないし、家でも肉親にはずっと無視されてる」

「そんな……」

「学校でも腫れ物に触るような扱いで、わたしがこうして夜中に無断外出しようが特に咎めもしないのよ」

 さっき彼女が呟いた言葉の意味を、やっと理解した。

 無視というのは、存在を消されるようなものだ。彼女の足元に染み込んだ雨は、もっと深い部分まで浸水しているのかもしれない。

「入学する時も試験を受けなかったし、何もかも家の意向通り。生まれた時からすべて決められてる道を進むのが苦痛で、うんざりして……」

「だから、いっそ金でも奪ってどっかに逃げようとしたわけか。計画的犯行じゃなかったみたいだけど」

「そうね、何も考えてなかったわ。我ながら愚かだとは思うけれど。家のお金を使うのだけは嫌だったし、無謀にも自分の力でどうにかしようなんて思い立って」

 苦笑する表情もかわいい、なんて不謹慎だけど思ってしまった。

 外は相変わらず雨がザーザーとうるさいのに、女の子の澄んだ声ははっきりと耳に届く。

「俺も、そういうのちょっとわかるなぁ」

「え?」

「動機は違うけど」

 きょとんと目を瞬かせる相手に、俺はくしゃっと笑いかける。

「中学の頃に、両親を飛行機事故で亡くしてさ。それからはじいちゃんとばあちゃんに育てられたんだけど、あんまり苦労かけたくなくて、自分一人の力で食っていきたいって思うようになった。そんで、二人に楽させてあげられたらいいなって。高校入ってから色々バイトやりまくって貯金して、大学の学費も自腹で払ってる」

「……大変なのね」

「そうでもないよ。このバイトも楽しんでるし、高校の頃の経験が役立ってるっつーか」

「うらやましいわ。わたしも早く自分で働きたい」

「でも、家の仕事はしたくないんだろ? ほかにやりたいことあるのか?」

「……いいえ」

 女の子がハンバーグの下に敷かれていたレタスを食べると、しゃきしゃきと噛む音が響く。

 まあ、やりたいことなんてそう簡単に見つかるものじゃない。俺も、高校の進路調査でかなり悩んだ覚えがある。

 空気と一緒に話題を変えてみることにした。

「コンビニの正式名称って知ってるか?」

「コンビニエンス・ストアでしょう」

 彼女は多少面食らったみたいだけど、即答してくれた。

「正解。じゃあ、コンビニエンスの意味は?」

「好都合とか、便利とか」

「ん、大正解っ」

「それがどうかしたの?」

「こんな時間に初対面の人間とこういう話ができるって、好都合だと思わないか?」

「なにそれ」

 自然に笑う彼女の笑顔は、今までに見たどんな表情よりも魅力的だった。つられて笑い返すと、場の雰囲気もあたたまるようで。

 不意に、自動ドアが開いた。いつも商品を届けてくれる業者かと思ったけど、やってきたのは中年らしい男だった。皺の目立つ顔に黒いキャップを目深まぶかにかぶって、小太りな身体に同じ色のジャンパーとジーンズを着込んでいる。

「いらっしゃいませ、こんばんはー」

 条件反射で挨拶あいさつをすると、なんでか男は俺を見てびくっと身を強張らせた。まるで数分前の女の子みたいな反応だな、と思い出すうちに、彼はそそくさと出ていってしまった。

「なんだ、ありゃ」

 怪訝けげんな視線を注ぐ俺に、女の子がくすりと微笑む。

「本物の強盗だったりして」

「えー、さすがにそれはないだろ。一日に何人も強盗が来てたまるかっての。きみは未遂だけど」

「ふふ、そうね」

 そういえば、店長から強盗対策を教わったとき、珍しい事例を聞いたことがあった。

 強盗するつもりで来店した人間が、店員に笑顔で挨拶されて犯行を諦めた――らしい。

 あながち間違いでもないのかもしれない。

 時間をかけてハンバーグ弁当を食べ終えた女の子は、「ごちそうさまでした」と礼儀正しく手を合わせて、空いたプラスチック容器を持って席を立った。そして、ブレザーのポケットから財布を取り出す。百円玉が四枚、カウンターに置かれた。

「こういうお弁当も初めて食べたけれど、おいしかったわ。素朴な味がした」

「お口に合って幸いです、お嬢様」

「やめてよ、その呼び方」

「じゃあ、なんて呼べばいい?」

 彼女は、恥ずかしそうに視線を逸らして名乗った。

「ユイ。唯一の唯って書くの」

「へぇ、かわいいな」

「……今日は本当にありがとう。それから、ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げるさまは、素直で好印象だ。金持ちのお嬢様と聞くと、なんとなく上から目線というかわがままなイメージがあるけど、唯はそういう人種じゃない。ちょっとしゃべり方が大人っぽいだけの女の子だ。

「もうこんなバカな真似はしないわ。ちゃんと自分で努力して、やりたいことを見つけて自立する」

「よし、その意気だ」

 笑い合って、歩いていく背中を見送る。弁当の容器を外のゴミ箱に捨てるように言うと、唯は黙ってうなずいた。

 学校まで送ってあげたいけど、あいにく俺は明け方五時までシフトが入っている。気持ちだけで充分よ、と言われてますます申し訳なくなった。

「気をつけて帰りなよ」

「ええ」

「そこの角を右に曲がってまっすぐ行けば交番あるし、お巡りさんに送ってもらうのもいいかも」

「わかったわ。――ねぇ」

「ん?」

 開いた自動ドアから、夜が忍び寄ってくる。唯の輪郭が、暗闇に溶け込みそうだった。雨は少しだけ落ち着いてきたようだ。

 容器をゴミ箱に入れて水色の傘をさした唯は、穏やかな笑顔を俺に向けた。

「また、ここに来てもいいかしら」

「ああ、もちろん。俺は、夜十時以降なら確実にいるから」

「ありがとう。今度は別のお弁当を買いにくるわ」

「ん、うまいの取り揃えとく。またな、唯」

「さよなら、桂木かつらぎさん」

 ドアが閉まって、水色の傘は雨の幕の向こうに消えていった。

 けど、名乗った覚えがないのに、どうして唯は俺の名前を知っていたんだろう。

 ふと思い当たった。バイト用の青と白のストライプ柄の制服。その胸ポケットにくっついた名札の存在を忘れていた。

 ――なんだ、これか。

 苦笑して天井を仰ぐ。

 店内の監視カメラには、唯と俺の一部始終もバッチリ映ってしまっているだろう。店長にどう説明しようかと言い訳を考えながら、売上金の精算を始めた。

 電波の悪いラジオみたいな音で、雨は街を乱暴に潤していく。


   ◆


 あれから、唯はたまにコンビニへ来るようになった。初めて会った時よりは早い時間だけど。

 さすがに制服姿で出歩くのをやめたようで、今回も私服を着ていた。オフホワイトのパーカーと桜色のロングスカートが、よく似合っている。

 オムライス弁当をレジカウンターに置いた彼女に、俺はスマイル三割増で尋ねる。

「お弁当、温めますか?」

「はい、お願いします」

 電子レンジが鳴るまでの三分間は、会計しながら互いの近況報告をしたり雑談をしたり、短いけど楽しいひとときだ。

 先輩に「あの子、おまえが好きなんじゃねえの?」とからかい半分に聞かれるのも、まんざらでもなかった。


 夜のコンビニは、やっぱりいろんな意味で好都合だ。

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ミッドナイト・コンビニエンス 蒼樹里緒 @aokirio

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