第4話 18歳
晩ご飯のあと、コウの部屋を訪れた。コウは机に座って勉強していた。扉をあけると、彼は椅子を回してこちらを向いた。
「どうしたの、お兄ちゃん」
「懐かしい」
「なにが」
と言ってこうは笑った。
「机。僕の使っていた机だ。そのまま使ってくれてるんだね」
「うん」
コウは寂しそうな表情をした。
「東京の大学ってどうなの?」
コウも大学は東京ではないものの、都会へここを出て行くことにするらしい。僕に質問をしたのは、大学生活というものが、まだ空想の中で滲んでいるからだろう。
「俺の場合は、先生と喧嘩しちゃって、啖呵切って飛び出した。わかり切ったような、意味の薄い授業ばかりだったんだ。それで、それなら俺が授業をしたほうがマシだ、ってね」
「お兄ちゃんてそうだよね」
「けれど、それで師匠に出会ったんだ。ああ、そうだ。師匠はね、妖怪に詳しくって、だからいつかお前の話もさせてもらった。コウが八歳の頃。憶えてるかな」
コウはほんとうにうっすらだけ憶えていると言った。そしてその話を聞きたがったので、僕は話してやった。父や母、あきからも聞いているはずであるが、やはり僕から話すのは少し違う。彼、彼女らより幾分だけ当事者目線が入るのだ。
その日の夜は夏祭りだった。
その日だけは僕も受験勉強に息をつく。毎年夏祭りには参加していた。けれども、その習慣で勉強はしないのだが、その年は夏祭りにも参加しなかった。どうしたって、そういった行事に乗る心にはなれなかったのだ。
メグは風邪をひいていた。
弱ったメグは、
「わたしはもう寝るから、お兄ちゃんも祭りに行ってきて……」
と言った。そうじゃなくって、祭りには行きたくない。と僕は言う。
「受験前なのに、うつっちゃうよ」
「でも、祭りみたいなのは、苦手だな」
メグは頭をふった。
一人になったほうが、体も休まるのかもしらん。僕は少し夜風にあたりに、家を出て歩くことにした。
夕方を過ぎたころだった。土手を目指して歩いたのだが、その時、確かにカンカンカンという音は、なっていたように思う。異様に冷たい風。夏であるのに。僕は肩を竦めた。
あきと
「お前じゃ心配だ」
と僕は言った。コウは体が弱かったし、人に言われたことを否定できない精神の弱さもあったからだ。そんなコウを、自分のことを見るのが好きな、おてんばのナツが安全に連れて歩けるわけがない、と思った。この村の夏祭りは意外に大きく、山の下からも人が集まる。しかしナツは自信満々だった。絶対大丈夫と言った。中学生を目前にした彼女は、普段小学校で下級生の面倒を見ているからと胸を張って僕に主張する。僕は了解した。
メグは先述のとおり、熱を出していた。
境内に、空から撒いたように数々の電飾が散りばみ光って、屋台がその光を薄めている。人の頭が流動する。川の空気が草を揺らすように、僕の髪を膨らませた。下の喧騒が水槽から届くみたいにゴワゴワ聞こえてくるのを見ていると、僕もメグに何か買って帰ってやろうと、坂を下った。
僕は鳥居をくぐって一番最初にあったスノウボール(鹿とカエデ)を買い、すぐに引き返して祭りを出た。
その間に夜は暗くなってきた。
普通ではないくらい暗い夜だった。
メグの枕元にスノウボールを置いて、僕は結局自分の部屋へ勉強しに向かった。それで少ししてからナツが一人で帰ってきた。口を石のように硬くして、涙をこらえていた。
「なんでそうなるんだよ。……言っただろ」
「でも……でもねっ……」
ナツが言うには、彼女はずっとコウと手を繋いで歩いていたそうである。それなのに、急に消えた、と言うのだった。お面屋を二人で眺めて、その瞬間は確かにコウがいたはずなのに、気がつくと右手には何も繋がっていなかった。
「わたしはね、それで周りを探して、名前を呼んで。でも、もうどこにもいなかったから、走ってお兄ちゃんに知らせようと思って、ここまで走ってきたの」
「走って、走ってきたのね」
「……うん」
僕は祭り会場へ向かった。そして、屋台を出している両親にもそのことを知らせ、コウのことは僕と父親で探すことになった。その時も、確かにカンカンカンと、遠くから何かの音が鳴り響いていた。
村の人にも手伝ってもらった。そして僕は、祭りに集まった子どもたちから、ある情報を受け取った。彼らは言った。
「夕方になってすぐくらい、ピエロの格好の人を見たよ。土手を歩いていた」
ピエロの格好。
他の子は、
「僕は公園で踊っているところを見た。祭りの出し物かなと思って楽しみにしてたけど、どこでもやってないから不思議」
「路地裏に佇んでるのを見た。みんなも見た」
そのピエロに怪しさを感じた。祭りを主催する委員長を勤める豆腐屋の原さんに聞いたが、ピエロなんて全く用意していないし、話にも聞いていない、とのことだった。
こんな日に祭りと無関係のピエロが現れたことと、コウがいなくなったことに、何か因果があるのかもしれないと僕は思った。
しかし、探しても探しても、コウもピエロも見つからなかった。一度公園に集まった捜索隊は困り果て、小松さんが犬を連れてきて提案した「コウくんの匂いのあるものを嗅がして、こいつに探させるのはどうだ」と言う端的な思いつきですら実行することにした。なんでも、隣町から警察が来るのに、あと三時間かかるというのだ。僕たちは根本的に策が尽きていた。
僕は代表してコウの匂いのするものを取りに、家へ走った。階段を駆け上がり、部屋を開けた瞬間、僕は息が逆流するほど驚いた。コウの椅子にピエロが座っていたのだった。
ピエロは無音でゲラゲラ笑ったかのようなジャスチャーをすると、ポケットからナイフを出した。そしてそのままゆっくり自分の首へ持っていき、そのままじわじわと切ってしまい、大量の血が流れるまま倒れるのだった。その光景を、僕は何をすることもできず、ただ呆然と眺めた。
気がついた僕は、とりあえず足元にあった靴下を取り、扉をしめた。気の抜けた紙粘土のようにふわふわ階段を降り、眠るメグの横を通って、外へ出た時、再び怪しい恐ろしさが胸にわいて、僕は走り出した。気が違ったように走り……走り……公園へ到着するとそこには誰もいず、ただ真ん中にさっきのピエロが立っていた。そしてその足元に、コウが横たわっていた。
僕は吸い寄せられるように近づいた。ほとんど無意識に足が動く。ピエロに近づけば近づくほど霧のような意識は薄れてゆき、
気がつくと僕は家の居間で横になっていた。隣に母の膝があった。
話によると、公園へ息を切らして到着した僕は、そこにいたみんなに「コウは部屋にいた」と伝えたらしい。そして解散になった。が、異常事態はここからで、コウがどこで発見されたかと言うと公園だった。解散して人の居なくなった公園に、いつの間にか現れたコウは、そこで手に持つナイフで自分の喉を刺そうとしたのだ。たまたま犬の引っ張られるまま公園まで戻ってきた小松さんがそれを発見し、すんでのところで止めたのだった。そしてコウは気を失った。父と一緒にコウを確認しに家へ向かっていた僕も、おそらくそれとほぼ同時に気を失った。
その話をし終えると、丁度メグが帰ってきた。
恐怖に凍ったコウを置いて階段を降り、メグを迎えに行く。メグは僕を見つけると、小鳥のように喜んで、カバンを捨てるとそのまま僕に抱きついたのだった。
「もう、記憶の塵になりかけてたよお、お兄ちゃん……」
「それはひどい」
僕は笑った。しかし小鹿のように細くて弱い肩だ。僕はメグを引き離した。メグは髪をほぐすようにしながら笑って、そのまま一人で荷物を片付けに部屋へ向かった。
「メグはね、よくお兄ちゃんの話してた」
「そうなんだ」
「誰も乗らなかったけどね」
「乗ってやってくれ。スルーしないで」
メグはピエロの話を憶えているのだろうか。そう思うと同時に、八歳以降の十年の間、何も見ていなかったコウとメグ、僕は二人のことを何も知らないのかもしれないと思った。一緒に暮らした時間より、会っていない時間のほうが多いのだ。それも二人にとっては、より長く感じているだろう。人生の二分の位置以上の時間である。僕はほんとうに申し訳なく感じたし、それ以上に寂しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます