第2話 14歳
僕とあきは話の洞窟へ向かった。阿黄山は削れてなくなっていた。広い台形になってしまっていた。だからより簡単にいしやまへ行けた。そこに、僕は再びその洞窟を見つけたのだった。
それは同じようにそこにあったけれど、それほど暗くは無くて、行ったさきの光だってそれほど明るくなかった。けれど少し光っていた。光は、残りそれほどの時間はもたないのではないかと思われた。僕たちは洞窟を出た。
「あの光は何なの?」
あきは光の正体を尋ねた。
「知らないよ。空気が光ってるんじゃないか」
「変なの」
夕焼けを見た。洞窟を出てすぐのそこは標高の少し高いところにあって、さらに阿黄山がなくなっていたので、僕たちはもういちど海を、今度は高いところから見おろすように眺めることができた。その空が夕焼けだった。
空はちょうど二分され、右は美しく青く、左は紅の赤色だった。
「この近くにカササが住んでたんじゃなかったっけ」
「そうだよ。さっき通ってきた山のなかだよ」
「すっかり忘れてたわ。今でもいるのかな。あれから同じように暮らしてたのかな」
山道を返しながら、僕らは懐かしい話をした。
「あの山、崩れてたけれど、カササの家は無事なのかな。僕は東京へ出てたから知る由もないけれど、あきは全く話に聞かなかったのか?」
「聞いてない。そもそもだって、四人くらいしかカササのこと知らないし、あまりいい思い出でもないから。わたしも今のいままで、あまり思い返すことだってなかった」
僕はおぼろげにカササの事を思い出した。
ふたりの会話にその名がでるたびごとに、その記憶は一枚一枚、めくるように鮮明になるのだった。
カササは名字ももたず、家族もおらず、住む家もなくって、山の中で一人で住んでいたのを僕が出会って、それをあきに教えたところを、他の数人と接触を試みようということになった。それでもあまり多くの人にカササの正体は知らなかった。
理由はないけれど、そういた方がいいと、カササを知る僕たちは共通に思っていたのだ。
十四のころの夏、僕はノスタルジックな気分で、山に登った。中学校に上がって勉強に全霊をかけていた僕は、優等思想の入る以前の無邪気に遊んでいた自分に対して、羨ましいような懐かしみを持っていた。それは庭に埋めた宝箱のようであった。
山に登って昔の秘密基地を見つけた。この秘密基地も、れっきとした宝箱の中の一つである。かたちはそのままだったけれど、いくらか廃れて汚れていた。もう落ちそうにない汚れのつき方だった。
パステルカラーの柄が鮮やかなレジャーシートを、合掌造りのような形にして、屋根を作った基地の、ひらきっぱなしの入り口から入った。昔はそこにダンボールで扉を作った。今は跡形もない。人でも獣でも入り放題であるを
中は驚くほど狭かった。し、もっと驚くことにそこに少女が一人眠っていた。僕は口を半分ひらいたまま、固まって彼女を見つめた。服も髪もくちゃくちゃの、綺麗とは言えない格好の子だった。
中央にちゃぶ台が置いてあるのは昔のまんま。地面に敷いたシートには僕たちが貼った色々な無数のシールが剥げていたりする。
ペンで落書きされたちゃぶ台。そのかげに潜むように、少女は丸くなって眠っていた。薄いよたよたの毛布が、丸めて落ちていた。
今でもこの基地は受け継がれ、使われ続けているのだ。僕はそう思った。今の子供が使っているのだ。
僕は少女を揺り起こした。ほとんど夢の中の少女は、もっと寝かせろと僕を殴りつけた。
「もういいから。もちもいらない」
少女は意味の分からない寝言を言った。
「さくらみたいな……あいいろかてつのいろ」
根気強く揺すってようやく起こした。
「おはよう」
僕が言うと、
「うん、」と目をこすって「おはようさま」
「ひとり?」
僕はいろいろ聞きたかったけれど、なぜか見ればわかるそんなことを聞いた。
「なんで起こしたの?」
彼女は質問に答えず、そう言った。確かに言われみれば、起こしてしまう必要はなかったのかもしれなかった。彼女の髪はもつれてからんでいて、膨大な量があった。僕は正直に答えた。
「でも気になったからさ。この基地ね、実は僕たちが昔作ったんだ。使ってみてどうだい、使い心地はさ」
「寒さは防げないかな」
寝ている自分が毛布を蹴飛ばしていたのにも気づかずに。
「実利的だね。そんな目的に作ったんじゃないから、そりゃあそうだよ」
「でもわたしにとっては家だから」
「ここに住んでるの?」
「うん。いいところ見つけたと思って。いいでしょ。昔作ったからと言って、この基地の権利書までわざわざ作ったわけではないでしょ。じゃあ、持ち主は目下不在ということで、使わせてもらうことに文句は言えないでしょ」
「文句は言わないけどさ。家は? 元々の君の家」
「元からわたしに家なんてない。あったとしても覚えてない」
「どこから来たの」
「それも」
「覚えてないんだね」
彼女の見た目からして、しんじられないないようではなかった。それに僕は、そのように話す彼女に何か特別な迫害や嫌悪などの感情をおぼえなかった。むしろ先からのノスタルジィが尾を引いていた。
僕は彼女にいろいろ聞いた。
「何歳? ……それも分からないのか。もちろん家族も。うん。じゃあ、知り合いと言われて思い浮かぶ人は。今まで何してたのかな。いつからここに住んでるの。一年以上! ええ、夏は三回目ェ! じゃあ三年目だよ、そりゃあ……。
うむ、そうだよ、そうだよ。一年に夏は一回だから。だから三回過ごしたら三年。
……なぜって、そういう決まり。いや、摂理だな。なんでもそういうように決まってるんだ。夏も春も秋も冬も一回。正確には、春と夏と秋と冬だね。それがなぜかって、そりゃあ、地球が太陽の周りを傾きながら周っているからで……逆になんだと思ってたんだ。気温や湿度がコロコロ変わることについてさ」
「機嫌」
とカササは足元の剥がれかけのシールを指でいじりながら言った。
「きげん。機嫌って、感情みたいな?」
「そう。地面とか木とかの奥にある、『玉みたいなの』の色か形か匂いか、そういうのが変わるとそれを、自然は花を咲かせたり、空気を寒くしたり、空を赤くしたりして知らせてくれるの」
「面白いね」
「そうでしょ」
彼女はここで妙に自信がでたように胸をはった。なんだか捉え難い女の子だった。
その玉が、己の変化を自然に表して我々に知らせてくれるその理由は分からなかった。なぜ知らせてくれるのかを聞くと彼女は、そういう理由はないけれどそうなっている、と答えた。
「じゃあその、僕たちには見えないエネルギーみたいなのが、自然現象の、全ての中心なんだね」
「そうなのか?」
「いや、僕には分からないけど、君の言ってることを理解しようと思うと、そのような感じになるかな。君、名前はあるのか」
「カササ」
「カササ。……それはなんで覚えてるの」
「今考えた」
彼女は腕も足も細くて、足首のあたりはもうまるで骨のように細かった。
彼女はこの村の誰一人にも会ったことがなく、いつもは虫や葉を食べて、皮の水や動物の臓器の水を飲んで過ごしていたらしかった。
当時中学生の僕の衝撃の受け方は物凄かった。僕は暗くなる前にカササに別れを告げると、家に帰ってすぐにあきにこの話をした。するとあきは、僕の予想に反して、喜ぶのでも怖がるのでもなく、この話はもう誰にもするのは無しね、と秘密にしたがった。僕はいつもならそんな約束は簡単にはねのけてしまうのだが、この時ばかりは神妙に頷いて、その約束を守ったのだった。
「東京でどうなの」
「いろいろね」
カササは僕たちの協力のもと、その家を強化して、なるたけ住み良くなるようにいろいろ手を打った家に、それからずっと住んだ。その家へ向かう途中、あきは尋ねた。僕の東京での生活が気になるようだった。
「なに、いろいろって?」
「師匠はよくしてくれている。けれどやっぱり方々に、」
「迷惑かけたのね」
「うん。まあね、暴れたから。佐々木大吉という作家いるだろ。その人に喧嘩を売って、それで講話社から出禁くらっちゃった」
「はあ」
とあきは間のぬけた相槌をうつ。
「あと、中村文芸賞という賞があるんだけど、そのノミネートに名前が上がった時も、俺は中村宙吉は好きじゃなかったから、そんな賞別に名誉でもなんでもない、なんて言ったら、他のノミネートしてた賞とかも軒並み除外されて、それは師匠も流石に何も言わなかったな」
「何も言わなかった? それはどういうこと」
「基本的に師匠は僕が何をやらかしても微笑んでいて、『まあ、そういう考えがあるならいい』とか『面白いなあ』とか言ってくれるんだけどね。けれどその時だけは師匠は僕に対してどんな反応も示さなかった。なんだか、ついに見捨てられたんじゃないか、切り捨てられたんじゃないかとその時ばかりは僕も辛くなった」
「そりゃ、わたしだってそんな疲れる弟子切り捨てるよ」
「でも僕はなんだか悲しそうにしている師匠に言ったんだよ『僕は僕だけが損するような行動なら、なんだって出来ます。それが僕の信念に則るものであるならば』ってさ」
「バカだね」
「それで師匠もやっと微笑んだんだ。まだ子供でよかった、ってさ」
「バカだね」
僕は師匠の微笑みを、その時のあきの微笑みの中にも見たような気がした。
「けれどなんでそんな行動を取っちゃうわけ? 大人しく小説書いてればいいのにさ」
あきはそう言った。そう言って僕の方を向いたとき、風が吹き、その風は彼女の髪を揺らすのだった。僕は、
「うーん」
と唸ったきり黙り込んでしまった。
カササの家はもぬけの殻だった。もう彼女も住んでおらず、持ち主不在になったその家は、荒れるに任せていた。すっかり冷たい床は、砂が積もっていた。
カササはそこにひとりっきりで暮らしていたかというとそうではなかった。いくらかして僕らは見つけたのだが、カササはよくその山にいる野犬と話していた。彼女が犬と話しているところに、僕たちはなぜか入っていけなかった。カササの家を訪ねようと近くまで行っても、彼女が犬の話している間は近くへいけず、その犬がたったかたったか去ってからようやく、「やあ、カササ」と挨拶できるのだった。
カササは結局、この村の人に見つかること無くすんだ。永遠に僕たちの秘密だったのだ。
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